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3巻
3-2
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「ありがとう、レノア」
レノアが笑顔でうなずいたところで、アリアスが言った。
「事情はわかりました。ですが、あなたはなぜわたしの部屋の前まで来られたのですか?」
「はい。正確には部屋の前ではなく、この居館の陰に隠れておりました。すると、案の定敵が裏口から侵入していったものですから、その後を追い、殿下のお部屋の前まで来たところで敵に斬りかかったというわけにございます」
レノアが淀みなく答え、アリアスは納得の笑みを浮かべてうなずいた。
「そうでしたか。ありがとう」
するとレノアが突然床に片膝を突き、その膝の上に左手を置くと、右手を胸に当てて深々と頭を下げた。
「改めまして殿下、わたくしはアルデバラン王国第一師団参謀長、ギルア・オクティスが長子、レノア・オクティスと申します」
アリアスはレノアの父親の名前に心当たりがあったのか、目を見開き、次いで大きくうなずいた。
「ギルア・オクティスの子息でありましたか」
「はい。わたくしは父のもとで参謀としての勉強をしておりました」
アリアスが眉を曇らせる。
「おりました……と言いましたか?」
レノアは首を垂れたまま答えた。
「はい。父ギルア・オクティスは、ベルガン帝国との戦いにおいて、命を落としました」
アリアスはきつく瞼を閉じた。
「そうでしたか……オクティス参謀長も亡くなられてしまわれたのですね……オクティス参謀長は我が国随一の知将だと聞いています。そのような方まで……残念です……」
「殿下にそう仰っていただけて、父も草葉の陰で喜んでいるかと存じます」
「レノア・オクティス、本当によくやってくれました。あなたのおかげで、わたしは今こうしていられます」
アリアスは臣下の礼をしたままのレノアを、笑顔でねぎらった。
「もったいないお言葉にございます」
「あなたの働きに報いなければいけませんね。何がいいかしら……」
アリアスがどうしようかとあたりを見回すと、レノアが平伏したままきっぱり言った。
「恩賞などは必要ございません」
「ですが……」
レノアはようやくここで顔を上げ、アリアスの顔を見つめた。
「その代わりと言ってはなんですが、殿下のおそばで働きたく存じます!」
それを聞いたアリアスの顔がパーッと明るくなった。
「まあ、それでは今後もわたしの力になってくださると?」
「はっ! 殿下のお許しがあるのでしたら、身命を賭してお仕えさせていただきます!」
アリアスはうなずいた。
「よろしくお願いします。レノア・オクティス。頼りにさせてもらいます」
レノアも満面の笑みを浮かべて答えた。
「ははっ! お任せあれ!」
僕は、やっぱり彼とは長い付き合いになりそうだと思うと同時に、彼の人となりが見られて、とても嬉しかった。
そのとき、僕が生かしておいた敵が息を吹き返したらしく、苦しそうにうめき声を上げた。だが、まだ意識が朦朧としているようだ。
その声を聞いて、レノアがすかさず動いた。
レノアはうつぶせに倒れている敵に素早く近づくと、懐からロープを二本取り出し、一本でその者を後ろ手に縛り上げ、もう一本を猿ぐつわとした。
僕は驚き、言った。
「そのロープはどうしたの?」
「こんなこともあろうかと思ってね。いろいろと用意してきたんだ」
レノアは、懐からさらに数本のロープを取り出して僕に見せた。
「ずいぶん用意周到だね」
「まあね。敵の数もわからなかったし、なにより……」
レノアはそう言いつつ、男を仰向けに転がした。
「敵の正体を知るためには捕らえる必要があると思ったのでね」
そして、男に向き直り、その肩をグイッと押した。
それが気付け薬代わりとなったらしく、男が完全に意識を取り戻した。
レノアは強い視線で男を睨みつけると同時に、冷静ながらも若干の温情がこめられた声音で語りかける。
「拷問係に引き継ぐようなことはできればしたくない。なので、ここで答えてくれるとありがたい」
猿ぐつわを嵌められた男が、数瞬の逡巡ののちにゆっくりとうなずいた。
レノアはうなずき返し、改めて男に問いかけた。
「君が誰に雇われたのか、僕が言う名前に心当たりがあれば、うなずいてほしい。いいかな?」
男はまたもゆっくりとうなずいた。
レノアはその動きを確認してから言った。
「ベルガン帝国の者に雇われたのか?」
男が静かにうなずいた。
僕はやっぱりと思った。
だがレノアはその答えを聞いて、にやりと笑った。
そして腰に差した短剣をゆっくりと抜き放ち、男の喉にピタリと当てる。
「それは嘘だね。君はベルガン帝国に雇われた者ではないはずだ」
え? そうなの?
男が驚きの表情を浮かべた。その額には汗がじんわりとにじみ出てきている。
レノアの言ったことが当たっているのか?
僕が固唾を呑んで見守っていると、レノアが落ち着いた声音で言った。
「ベルガンには専用の暗殺部隊がいくつもある。君たちのような民間を雇うはずがないんだ」
そして、短剣を持った右手をゆっくりと男の胸元へ持っていき、男の着ているシャツを破いた。
男の胸元を覗き込むと、そこには赤いサソリのタトゥーが鮮やかに彫られていた。
「ロッソ・スカルピオーネ。それが、君の所属している組織の名前だよね?」
男はレノアから顔を逸らした。
レノアは構わず、呟いた。
「それにね、君たちは間違いなく殿下の命を狙ってきたけど、ベルガンはそうではないはずなんだ」
「えっ!」
僕は驚きのあまり、声が出た。
レノアが少し噴き出す。
「びっくりした?」
僕はうんうんと何度も首を縦に振った。
当のアリアスもこれには驚いたらしく、レノアに一歩近づいた。
「どういうことですか? ベルガンはわたしの命を狙ってはいないと言うのですか?」
レノアは臣下の礼を誓ったアリアスの問いかけのため、軽く頭を下げてから素早く答えた。
「アルデバラン王国内に潜入しております部下からの報告によりますと、現在王国民はベルガン帝国の支配に対し、粛々と従っているとのこと。ですがそれは、王国民がベルガンに対し心から臣従したことを意味しません。彼らが大人しくしているのは、ひとえに王女殿下がご健在との報を受けたからに他なりません。彼らは、いつの日か王女殿下が軍を率いてアルデバランにお戻りになると信じ、軽挙妄動を控えているのです」
レノアの言葉に、アリアスの瞳がうるんだ。
「そうでしたか……ですが、それではベルガンは――」
アリアスの言葉をレノアが引き取った。
「ベルガンとしても、この状況はかえって好都合。支配状況が固まるまでは、殿下に対して暗殺者を送ることはないと思われます」
「なるほど。つまり、今現在は――ということですね?」
「はい。支配が固まれば、あるいは――ですが、今はベルガンは選択肢から外して問題ないかと思われます。ですので引き続き、この者が誰に雇われたのかを確かめたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
アリアスはすぐに冷静さを取り戻した。
「わかりました。あなたに任せます」
レノアはもう一度深々と頭を下げると、タトゥーの男に向き直る。
「そういうわけで白状してもらおうか。さて、君は一体どのオルダナ貴族に雇われたのかな?」
タトゥーの男はきつく瞼を閉じ、無言を貫く。
それを見て、レノアは軽く肩をすくめた。
「答える気はないってところかな?」
男はやはり無言であった。
すると、レノアが口の端を軽く上げた。
「じゃあ、僕が言ってあげるよ。ゼークル伯爵だろ?」
男の頬がピクリと動いた。レノアはそれを見逃さない。
「やっぱりね。だと思ったよ」
レノアはすっと立ち上がると、侍女のメルアたちに向かって言った。
「すまないが、警備の者を呼んできてくれるかな? 彼に聞くことは、もうすべて聞けたから」
メルアたちは、ただちに部屋を出ていった。
僕はその背中を見送ると、レノアに問い質す。
「全部聞き出せたっていうの?」
レノアは朗らかな笑みを浮かべてうなずいた。
「そう、彼が知っているであろうことはね」
僕はアリアスと顔を見合わせると、さらに問いかけた。
「その、さっき言っていたゼークル伯爵っていうのは誰なの?」
「殿下を邪魔者と考えるオルダナ貴族の中で、最も急進的な輩だね」
「ゴート公爵ではなくて?」
レノアはうなずいた。
「ゴート公爵はこういう手は使わないだろうね。もちろん、殿下に対してよくは思っていないはずだがね」
「なんで、そのゼークル伯爵が雇い主だと思ったの?」
ここで、警備兵たちが慌てて入室してきた。
そのため、僕の質問は一旦中断となった。
そして、タトゥーの男を警備兵たちが連れていったのを確認してから、レノアが口を開いた。
「さっきの質問は、なぜゼークル伯爵が雇い主だと僕が思ったか、だったね?」
僕がうなずくと、レノアは答えてくれた。
「それは当然、事前にその情報を得ていたからさ。実は、僕はここに来るまでにいろいろなところに配下の者を送り込んでいたんだよ。オルダナ貴族だけではなく、ベルガンにもね」
「配下の者がいるの?」
「ああ、いるよ。もちろん、元々は父の配下だった者たちだよ。でも父が亡くなったのでね、僕が引き継いだんだ」
「ああ、それでか……レノアは僕とあまり歳が変わらなそうなのに、配下がもういるんだね」
僕がうらやましそうに言うと、今度はレノアが問いかけてきた。
「君も配下が欲しい?」
「う~ん、どうだろう? いてもあんまり意味はないのかな……」
「それは君が一騎当千だからかな。部下を差配するよりも、一騎駆けでなんとかしてしまうタイプだものね」
「う~ん、確かに」
「ただ、今はそれでいいかもしれないけど、アルデバラン王国再興の軍を興すとき、君には軍勢を率いてもらうことになるよ。だから、今のうちにその訓練はしておいた方がいいな」
「僕が軍勢を?」
「そりゃあそうさ。君は英雄であり、当然のことながら、その際には陣頭に立ってもらうことになるだろうけど、一騎駆けってわけにはいかない。となれば、君には将軍になってもらわなければね」
「僕が将軍だって!?」
僕は驚き、アリアスを見た。
だが、彼女は驚いた顔などしておらず、至極当然といった表情でうなずいた。
「もちろんです。あなたには将軍として我が軍を率いてもらわなければなりません」
アリアスはそう言うと、レノアと顔を見合わせてうなずき合った。
僕は戸惑い、しばしの間二の句が継げなかった。
僕が将軍……考えていなかったな。
確かに、誰かが軍を率いる必要があるし、今のところアリアスのもとに参集してくれた兵士たちの中に、将軍だった者はいない。だからといって、僕にできるだろうか……
僕が考え事に没頭していると、レノアが声をかけてきた。
「今は自信がないだろうけど、おいおい訓練していけば君ならできるさ」
僕は少しの間を置き、首を縦に振った。
「わかった。やってみるよ」
レノアは満面の笑みを浮かべる。
「ああ、そうしてくれ。訓練には僕も参謀として参加するから、安心して」
「うん。よろしく。それにしても、レノアは凄いな……」
しかし、レノアが小首を傾げた。
「何が? 君の方が凄いよ。殿下を敵中突破で救い出した英雄じゃないか」
「いやあ、僕は力任せで突撃しただけだよ。君のようにいろいろなところに部下を配置して、様々な情報を取ろうなんて思ってもみなかったよ」
「僕は頭脳労働が得意なのでね。お互い得意なことをしていくのが得策というものさ」
「なるほどね。ところで、レノアはいくつなの?」
「僕は十七歳さ。君の二つ上だね」
「そうなんだ。じゃあ、アリアスと一緒だね」
「わたしと同い年でこれほどの頭脳の持ち主がそばにいるというのは、とても心強いわ」
アリアスも感心したように言った。
「ありがたきお言葉にございます」
レノアは胸に手を当てて答える。
すると、アリアスがくすりと笑った。
「そんなに恐縮しないで。同い年だし、もっとくだけた感じでいいわよ。例えば、わたしとカズマくらいに」
レノアは肩を軽くすぼめた。
「さすがにそれは……わたしはまだカズマほどの活躍はしておりませんし……でも、多少くだけた感じがよろしければ、そうさせていただきます」
「ええ。ぜひそうして」
アリアスは笑みを漏らし、鷹揚に答える。
「わかりました」
レノアの返答にアリアスはこくんとうなずくと、少しだけ表情を引き締めた。
「ところで、ゴート公爵ならこういう手は使わないだろうと言っていたけど、それはどうしてなの?」
レノアは、今度は胸に手を当てることなく答えた。
「ゴート公爵は悪辣な顔つきをしていますが、ああ見えて実は質実剛健な人物です。先祖が英雄だったことに大変な誇りを持っていますから、暗殺という卑怯な真似はしないと思います」
アリアスは笑みを浮かべた。
「そう。ゴート公爵の人物像からそう睨んだというわけね?」
「はい。対してゼークル伯爵はその真逆といえる人物です。なかなか男前な顔つきをしていますが、卑怯なことも厭わないタイプです。当然のことながら、暗殺という手段をためらうことはないでしょう」
アリアスはレノアの説明を聞いて納得の表情となった。
「わかりました。では当面、最も気をつけるべき敵は、ゼークル伯爵ということですね?」
「はい。ゴート公爵とは正々堂々、真正面から対峙すれば問題ありません。ですが、ゼークル伯爵はそうではありませんので、警戒すべきはこちらとなります」
そうか。だったら……
「僕が行くよ」
突然僕が言い出したため、アリアスが驚いた。
「え? 行くって……どういうこと?」
だが、レノアは僕の言葉の意味がわかったらしく、にやりと笑ってみせる。
「それはいいかも。彼は卑怯者らしく、今は宮中にいない。郊外の別荘に籠っているから、思い切りできるよ」
このレノアの発言に、アリアスがぎょっとする。
「まさか、ゼークル伯爵の別荘に討ち入るつもりじゃないでしょうね!?」
僕は一旦レノアと顔を見合わせてから、アリアスに向き直った。
「まさかも何も、そのつもりだけど?」
「ちょっと待って! 本気なの?」
アリアスが戸惑いながら僕に問いかけた。
僕は自信たっぷりに答える。
「もちろんだよ。災いの種を残しておく必要はないと思うし」
アリアスが憤然とした顔で、今度はレノアに向かって言った。
「あなたも止めないつもりなの? 相手はオルダナの有力貴族なのよ? そんな相手に対して、わたしたちが討ち入ったなんてことが、王家や世間にバレたら、大変な騒ぎになるわよ!?」
レノアはにやりと笑みを浮かべた。
「大丈夫です。殿下のご心配には及びません。わたしが調べましたところ、ゼークル伯爵には――殿下の前では少々言いはばかられる趣味がございまして――」
「趣味? 言いはばかられるとは、どういうことです」
「殿下のお耳汚しとなりますので、どうぞご勘弁を。ともかく、我々がゼークル伯爵邸を襲撃しても大事に至る心配はございません。そこのところは、どうかこのわたしを信じていただけませんでしょうか」
すると、アリアスがため息を吐いた。
「ふう~、仕方ないわ。でも、くれぐれも気をつけてよ」
「大丈夫だよ。僕の力はアリアスが一番知っているでしょ?」
僕はまたも自信たっぷりに答えた。
「……まあ、そうだけど……」
アリアスが不承不承ながらも納得したと見たのか、レノアがさらに僕に向かって言った。
「ただ、その前にもう一つやることがあるよ」
「もう一つ? なんだろう?」
僕は何かわからなかった。
レノアはふふんと鼻を鳴らした。
「ロッソ・スカルピオーネを壊滅させるのさ」
ああ、確かに。
僕が納得の顔をしていると、アリアスが目を剥いた。
「ちょっ! ちょっと待ちなさい! それって、さっきの男が所属している組織じゃないの?」
レノアは悪びれずに答えた。
「ええ。殿下の暗殺を請け負った不届きな犯罪組織です」
「その壊滅って……危ないじゃない」
レノアがすかさず笑みを湛えて反論する。
「ベルガン帝国最強と謳われるグリンワルド師団がひしめく中を突破する方が遥かに危険かと」
「それは……そうかもしれないけど……」
アリアスがピクっと頬を引きつらせた。
レノアがさらに畳みかける。
「殿下、カズマは油断さえしなければほぼ無敵です。このわたくしもついておりますので、どうぞご安心を」
そして、わざと大仰に胸に手を当て平伏した。
「わかったわ。でもくれぐれも無茶はしないで。いいわね?」
アリアスは不機嫌な表情を浮かべたものの、不承不承うなずいた。
「はい。お約束いたします」
凄いな。アリアスの扱い方をもうよくわかっている。
やっぱりレノアは頭がいい。
僕がそんなことを思っていると、レノアが僕の顔を覗き込んできた。
「う~ん、どうやら君は、もう一つしなければならないことがありそうだね」
え? もう一つ?
アリアス暗殺を依頼したゼークル伯爵、その依頼を請けたロッソ・スカルピオーネ。
ベルガン帝国はこの件には関係ないって言ってたし……
他にまだ何かあったっけ?
僕が首を傾げていると、レノアが苦笑した。
「寝ることだよ。君、徹夜でほとんど寝てないんだろ? 寝不足じゃ、さすがの君でも力は落ちる。だから、すぐにでもベッドに潜り込んで睡眠をとってくれよ」
レノアが笑顔でうなずいたところで、アリアスが言った。
「事情はわかりました。ですが、あなたはなぜわたしの部屋の前まで来られたのですか?」
「はい。正確には部屋の前ではなく、この居館の陰に隠れておりました。すると、案の定敵が裏口から侵入していったものですから、その後を追い、殿下のお部屋の前まで来たところで敵に斬りかかったというわけにございます」
レノアが淀みなく答え、アリアスは納得の笑みを浮かべてうなずいた。
「そうでしたか。ありがとう」
するとレノアが突然床に片膝を突き、その膝の上に左手を置くと、右手を胸に当てて深々と頭を下げた。
「改めまして殿下、わたくしはアルデバラン王国第一師団参謀長、ギルア・オクティスが長子、レノア・オクティスと申します」
アリアスはレノアの父親の名前に心当たりがあったのか、目を見開き、次いで大きくうなずいた。
「ギルア・オクティスの子息でありましたか」
「はい。わたくしは父のもとで参謀としての勉強をしておりました」
アリアスが眉を曇らせる。
「おりました……と言いましたか?」
レノアは首を垂れたまま答えた。
「はい。父ギルア・オクティスは、ベルガン帝国との戦いにおいて、命を落としました」
アリアスはきつく瞼を閉じた。
「そうでしたか……オクティス参謀長も亡くなられてしまわれたのですね……オクティス参謀長は我が国随一の知将だと聞いています。そのような方まで……残念です……」
「殿下にそう仰っていただけて、父も草葉の陰で喜んでいるかと存じます」
「レノア・オクティス、本当によくやってくれました。あなたのおかげで、わたしは今こうしていられます」
アリアスは臣下の礼をしたままのレノアを、笑顔でねぎらった。
「もったいないお言葉にございます」
「あなたの働きに報いなければいけませんね。何がいいかしら……」
アリアスがどうしようかとあたりを見回すと、レノアが平伏したままきっぱり言った。
「恩賞などは必要ございません」
「ですが……」
レノアはようやくここで顔を上げ、アリアスの顔を見つめた。
「その代わりと言ってはなんですが、殿下のおそばで働きたく存じます!」
それを聞いたアリアスの顔がパーッと明るくなった。
「まあ、それでは今後もわたしの力になってくださると?」
「はっ! 殿下のお許しがあるのでしたら、身命を賭してお仕えさせていただきます!」
アリアスはうなずいた。
「よろしくお願いします。レノア・オクティス。頼りにさせてもらいます」
レノアも満面の笑みを浮かべて答えた。
「ははっ! お任せあれ!」
僕は、やっぱり彼とは長い付き合いになりそうだと思うと同時に、彼の人となりが見られて、とても嬉しかった。
そのとき、僕が生かしておいた敵が息を吹き返したらしく、苦しそうにうめき声を上げた。だが、まだ意識が朦朧としているようだ。
その声を聞いて、レノアがすかさず動いた。
レノアはうつぶせに倒れている敵に素早く近づくと、懐からロープを二本取り出し、一本でその者を後ろ手に縛り上げ、もう一本を猿ぐつわとした。
僕は驚き、言った。
「そのロープはどうしたの?」
「こんなこともあろうかと思ってね。いろいろと用意してきたんだ」
レノアは、懐からさらに数本のロープを取り出して僕に見せた。
「ずいぶん用意周到だね」
「まあね。敵の数もわからなかったし、なにより……」
レノアはそう言いつつ、男を仰向けに転がした。
「敵の正体を知るためには捕らえる必要があると思ったのでね」
そして、男に向き直り、その肩をグイッと押した。
それが気付け薬代わりとなったらしく、男が完全に意識を取り戻した。
レノアは強い視線で男を睨みつけると同時に、冷静ながらも若干の温情がこめられた声音で語りかける。
「拷問係に引き継ぐようなことはできればしたくない。なので、ここで答えてくれるとありがたい」
猿ぐつわを嵌められた男が、数瞬の逡巡ののちにゆっくりとうなずいた。
レノアはうなずき返し、改めて男に問いかけた。
「君が誰に雇われたのか、僕が言う名前に心当たりがあれば、うなずいてほしい。いいかな?」
男はまたもゆっくりとうなずいた。
レノアはその動きを確認してから言った。
「ベルガン帝国の者に雇われたのか?」
男が静かにうなずいた。
僕はやっぱりと思った。
だがレノアはその答えを聞いて、にやりと笑った。
そして腰に差した短剣をゆっくりと抜き放ち、男の喉にピタリと当てる。
「それは嘘だね。君はベルガン帝国に雇われた者ではないはずだ」
え? そうなの?
男が驚きの表情を浮かべた。その額には汗がじんわりとにじみ出てきている。
レノアの言ったことが当たっているのか?
僕が固唾を呑んで見守っていると、レノアが落ち着いた声音で言った。
「ベルガンには専用の暗殺部隊がいくつもある。君たちのような民間を雇うはずがないんだ」
そして、短剣を持った右手をゆっくりと男の胸元へ持っていき、男の着ているシャツを破いた。
男の胸元を覗き込むと、そこには赤いサソリのタトゥーが鮮やかに彫られていた。
「ロッソ・スカルピオーネ。それが、君の所属している組織の名前だよね?」
男はレノアから顔を逸らした。
レノアは構わず、呟いた。
「それにね、君たちは間違いなく殿下の命を狙ってきたけど、ベルガンはそうではないはずなんだ」
「えっ!」
僕は驚きのあまり、声が出た。
レノアが少し噴き出す。
「びっくりした?」
僕はうんうんと何度も首を縦に振った。
当のアリアスもこれには驚いたらしく、レノアに一歩近づいた。
「どういうことですか? ベルガンはわたしの命を狙ってはいないと言うのですか?」
レノアは臣下の礼を誓ったアリアスの問いかけのため、軽く頭を下げてから素早く答えた。
「アルデバラン王国内に潜入しております部下からの報告によりますと、現在王国民はベルガン帝国の支配に対し、粛々と従っているとのこと。ですがそれは、王国民がベルガンに対し心から臣従したことを意味しません。彼らが大人しくしているのは、ひとえに王女殿下がご健在との報を受けたからに他なりません。彼らは、いつの日か王女殿下が軍を率いてアルデバランにお戻りになると信じ、軽挙妄動を控えているのです」
レノアの言葉に、アリアスの瞳がうるんだ。
「そうでしたか……ですが、それではベルガンは――」
アリアスの言葉をレノアが引き取った。
「ベルガンとしても、この状況はかえって好都合。支配状況が固まるまでは、殿下に対して暗殺者を送ることはないと思われます」
「なるほど。つまり、今現在は――ということですね?」
「はい。支配が固まれば、あるいは――ですが、今はベルガンは選択肢から外して問題ないかと思われます。ですので引き続き、この者が誰に雇われたのかを確かめたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
アリアスはすぐに冷静さを取り戻した。
「わかりました。あなたに任せます」
レノアはもう一度深々と頭を下げると、タトゥーの男に向き直る。
「そういうわけで白状してもらおうか。さて、君は一体どのオルダナ貴族に雇われたのかな?」
タトゥーの男はきつく瞼を閉じ、無言を貫く。
それを見て、レノアは軽く肩をすくめた。
「答える気はないってところかな?」
男はやはり無言であった。
すると、レノアが口の端を軽く上げた。
「じゃあ、僕が言ってあげるよ。ゼークル伯爵だろ?」
男の頬がピクリと動いた。レノアはそれを見逃さない。
「やっぱりね。だと思ったよ」
レノアはすっと立ち上がると、侍女のメルアたちに向かって言った。
「すまないが、警備の者を呼んできてくれるかな? 彼に聞くことは、もうすべて聞けたから」
メルアたちは、ただちに部屋を出ていった。
僕はその背中を見送ると、レノアに問い質す。
「全部聞き出せたっていうの?」
レノアは朗らかな笑みを浮かべてうなずいた。
「そう、彼が知っているであろうことはね」
僕はアリアスと顔を見合わせると、さらに問いかけた。
「その、さっき言っていたゼークル伯爵っていうのは誰なの?」
「殿下を邪魔者と考えるオルダナ貴族の中で、最も急進的な輩だね」
「ゴート公爵ではなくて?」
レノアはうなずいた。
「ゴート公爵はこういう手は使わないだろうね。もちろん、殿下に対してよくは思っていないはずだがね」
「なんで、そのゼークル伯爵が雇い主だと思ったの?」
ここで、警備兵たちが慌てて入室してきた。
そのため、僕の質問は一旦中断となった。
そして、タトゥーの男を警備兵たちが連れていったのを確認してから、レノアが口を開いた。
「さっきの質問は、なぜゼークル伯爵が雇い主だと僕が思ったか、だったね?」
僕がうなずくと、レノアは答えてくれた。
「それは当然、事前にその情報を得ていたからさ。実は、僕はここに来るまでにいろいろなところに配下の者を送り込んでいたんだよ。オルダナ貴族だけではなく、ベルガンにもね」
「配下の者がいるの?」
「ああ、いるよ。もちろん、元々は父の配下だった者たちだよ。でも父が亡くなったのでね、僕が引き継いだんだ」
「ああ、それでか……レノアは僕とあまり歳が変わらなそうなのに、配下がもういるんだね」
僕がうらやましそうに言うと、今度はレノアが問いかけてきた。
「君も配下が欲しい?」
「う~ん、どうだろう? いてもあんまり意味はないのかな……」
「それは君が一騎当千だからかな。部下を差配するよりも、一騎駆けでなんとかしてしまうタイプだものね」
「う~ん、確かに」
「ただ、今はそれでいいかもしれないけど、アルデバラン王国再興の軍を興すとき、君には軍勢を率いてもらうことになるよ。だから、今のうちにその訓練はしておいた方がいいな」
「僕が軍勢を?」
「そりゃあそうさ。君は英雄であり、当然のことながら、その際には陣頭に立ってもらうことになるだろうけど、一騎駆けってわけにはいかない。となれば、君には将軍になってもらわなければね」
「僕が将軍だって!?」
僕は驚き、アリアスを見た。
だが、彼女は驚いた顔などしておらず、至極当然といった表情でうなずいた。
「もちろんです。あなたには将軍として我が軍を率いてもらわなければなりません」
アリアスはそう言うと、レノアと顔を見合わせてうなずき合った。
僕は戸惑い、しばしの間二の句が継げなかった。
僕が将軍……考えていなかったな。
確かに、誰かが軍を率いる必要があるし、今のところアリアスのもとに参集してくれた兵士たちの中に、将軍だった者はいない。だからといって、僕にできるだろうか……
僕が考え事に没頭していると、レノアが声をかけてきた。
「今は自信がないだろうけど、おいおい訓練していけば君ならできるさ」
僕は少しの間を置き、首を縦に振った。
「わかった。やってみるよ」
レノアは満面の笑みを浮かべる。
「ああ、そうしてくれ。訓練には僕も参謀として参加するから、安心して」
「うん。よろしく。それにしても、レノアは凄いな……」
しかし、レノアが小首を傾げた。
「何が? 君の方が凄いよ。殿下を敵中突破で救い出した英雄じゃないか」
「いやあ、僕は力任せで突撃しただけだよ。君のようにいろいろなところに部下を配置して、様々な情報を取ろうなんて思ってもみなかったよ」
「僕は頭脳労働が得意なのでね。お互い得意なことをしていくのが得策というものさ」
「なるほどね。ところで、レノアはいくつなの?」
「僕は十七歳さ。君の二つ上だね」
「そうなんだ。じゃあ、アリアスと一緒だね」
「わたしと同い年でこれほどの頭脳の持ち主がそばにいるというのは、とても心強いわ」
アリアスも感心したように言った。
「ありがたきお言葉にございます」
レノアは胸に手を当てて答える。
すると、アリアスがくすりと笑った。
「そんなに恐縮しないで。同い年だし、もっとくだけた感じでいいわよ。例えば、わたしとカズマくらいに」
レノアは肩を軽くすぼめた。
「さすがにそれは……わたしはまだカズマほどの活躍はしておりませんし……でも、多少くだけた感じがよろしければ、そうさせていただきます」
「ええ。ぜひそうして」
アリアスは笑みを漏らし、鷹揚に答える。
「わかりました」
レノアの返答にアリアスはこくんとうなずくと、少しだけ表情を引き締めた。
「ところで、ゴート公爵ならこういう手は使わないだろうと言っていたけど、それはどうしてなの?」
レノアは、今度は胸に手を当てることなく答えた。
「ゴート公爵は悪辣な顔つきをしていますが、ああ見えて実は質実剛健な人物です。先祖が英雄だったことに大変な誇りを持っていますから、暗殺という卑怯な真似はしないと思います」
アリアスは笑みを浮かべた。
「そう。ゴート公爵の人物像からそう睨んだというわけね?」
「はい。対してゼークル伯爵はその真逆といえる人物です。なかなか男前な顔つきをしていますが、卑怯なことも厭わないタイプです。当然のことながら、暗殺という手段をためらうことはないでしょう」
アリアスはレノアの説明を聞いて納得の表情となった。
「わかりました。では当面、最も気をつけるべき敵は、ゼークル伯爵ということですね?」
「はい。ゴート公爵とは正々堂々、真正面から対峙すれば問題ありません。ですが、ゼークル伯爵はそうではありませんので、警戒すべきはこちらとなります」
そうか。だったら……
「僕が行くよ」
突然僕が言い出したため、アリアスが驚いた。
「え? 行くって……どういうこと?」
だが、レノアは僕の言葉の意味がわかったらしく、にやりと笑ってみせる。
「それはいいかも。彼は卑怯者らしく、今は宮中にいない。郊外の別荘に籠っているから、思い切りできるよ」
このレノアの発言に、アリアスがぎょっとする。
「まさか、ゼークル伯爵の別荘に討ち入るつもりじゃないでしょうね!?」
僕は一旦レノアと顔を見合わせてから、アリアスに向き直った。
「まさかも何も、そのつもりだけど?」
「ちょっと待って! 本気なの?」
アリアスが戸惑いながら僕に問いかけた。
僕は自信たっぷりに答える。
「もちろんだよ。災いの種を残しておく必要はないと思うし」
アリアスが憤然とした顔で、今度はレノアに向かって言った。
「あなたも止めないつもりなの? 相手はオルダナの有力貴族なのよ? そんな相手に対して、わたしたちが討ち入ったなんてことが、王家や世間にバレたら、大変な騒ぎになるわよ!?」
レノアはにやりと笑みを浮かべた。
「大丈夫です。殿下のご心配には及びません。わたしが調べましたところ、ゼークル伯爵には――殿下の前では少々言いはばかられる趣味がございまして――」
「趣味? 言いはばかられるとは、どういうことです」
「殿下のお耳汚しとなりますので、どうぞご勘弁を。ともかく、我々がゼークル伯爵邸を襲撃しても大事に至る心配はございません。そこのところは、どうかこのわたしを信じていただけませんでしょうか」
すると、アリアスがため息を吐いた。
「ふう~、仕方ないわ。でも、くれぐれも気をつけてよ」
「大丈夫だよ。僕の力はアリアスが一番知っているでしょ?」
僕はまたも自信たっぷりに答えた。
「……まあ、そうだけど……」
アリアスが不承不承ながらも納得したと見たのか、レノアがさらに僕に向かって言った。
「ただ、その前にもう一つやることがあるよ」
「もう一つ? なんだろう?」
僕は何かわからなかった。
レノアはふふんと鼻を鳴らした。
「ロッソ・スカルピオーネを壊滅させるのさ」
ああ、確かに。
僕が納得の顔をしていると、アリアスが目を剥いた。
「ちょっ! ちょっと待ちなさい! それって、さっきの男が所属している組織じゃないの?」
レノアは悪びれずに答えた。
「ええ。殿下の暗殺を請け負った不届きな犯罪組織です」
「その壊滅って……危ないじゃない」
レノアがすかさず笑みを湛えて反論する。
「ベルガン帝国最強と謳われるグリンワルド師団がひしめく中を突破する方が遥かに危険かと」
「それは……そうかもしれないけど……」
アリアスがピクっと頬を引きつらせた。
レノアがさらに畳みかける。
「殿下、カズマは油断さえしなければほぼ無敵です。このわたくしもついておりますので、どうぞご安心を」
そして、わざと大仰に胸に手を当て平伏した。
「わかったわ。でもくれぐれも無茶はしないで。いいわね?」
アリアスは不機嫌な表情を浮かべたものの、不承不承うなずいた。
「はい。お約束いたします」
凄いな。アリアスの扱い方をもうよくわかっている。
やっぱりレノアは頭がいい。
僕がそんなことを思っていると、レノアが僕の顔を覗き込んできた。
「う~ん、どうやら君は、もう一つしなければならないことがありそうだね」
え? もう一つ?
アリアス暗殺を依頼したゼークル伯爵、その依頼を請けたロッソ・スカルピオーネ。
ベルガン帝国はこの件には関係ないって言ってたし……
他にまだ何かあったっけ?
僕が首を傾げていると、レノアが苦笑した。
「寝ることだよ。君、徹夜でほとんど寝てないんだろ? 寝不足じゃ、さすがの君でも力は落ちる。だから、すぐにでもベッドに潜り込んで睡眠をとってくれよ」
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