猟師の息子ですが、魔法学園では”災厄”と呼ばれています

最上へきさ

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第一章――ようこそ、学園へ

第1話 空飛ぶ馬車から落ちかけて、君と出会う

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 情けない悲鳴と、反転する景色。

 そしてセシュナは、中空へと放り出された。

「うわぁぁああああぁぁあああぁぁっ!!」

 ――見渡す限りの青空に浮かぶ一両の馬車から。
 すぽん、と。

 ――見た目はごく普通の、二頭立て馬車だった。幌には七星を模したティンクルバニア学園の校章が描かれている。
 とても空を飛べるような仕掛けがあるとは思えない。

 セシュナが聞いたところによると、今日開かれる始業式のために用意された特別便だという。
 試しに乗り込んでみたら乗客は全員制服姿の少年少女だった。
 知り合いのいないセシュナは学生証を握りしめて、客席の隅っこ――昇降口の近くに一人で座っていたのだが。

 それが、仇になった。

 強い風と共に馬車が揺れたと思ったら、もう空中にいたのだ。

「ひぃぃいいいぃぃぃいぃぃっ」
「――掴まってくださいっ」

 呼ぶ声に反応したというより、振り回した手がたまたま触れた、ぐらいの感覚だったけれど。
 伸ばされた手を、しっかと掴み取る。

「お、おお、落ち、ありが、落ちるがとう!」
「落ち着いて! 暴れないで、じっとして。――誰か、手を貸してください!」

 遅れて何本か、手が差し伸べられる。
 数人が力を合わせて引き上げてくれる間、セシュナは足元が宙に晒される不安感と、暴風に弄ばれる恐怖に苛まれていた。

 それでも、つい、恐る恐る、下を覗きこんでしまう――

「――すごい」

 眼下に広がるのは、果てしない荒野だった。
 赤茶けた大地、申し訳ばかりに点在する草原、長きに亘って風雨に削られ奇相を呈す丘陵。うねりねじれつつも伸びる街道には、学園に向かう馬車の列が続いている。
 列の先頭から辿っていけば、やがて海風を遮るなだらかな山脈と、青く滲んだ大空が目に入る。

 不安も恐怖もすっかり忘れて、好奇心の命ずるまま、セシュナはその光景に見入っていた。

「こんなの、見たことない」
「下を見ないで! 早く、早く登ってください!!」

 叱咤の声に、我を取り戻し。
 セシュナは扉の縁に肘を懸けて、自分の身体を引き上げた。

 と。
 またしても馬車が揺れる。

「うわっ、っと」

 滑りそうになる肘を諦め、指で床を掴むようにしながら、無理やり車内へと飛び込む。

 思ったよりも勢い良く転がり込んで――
 セシュナの顔面を受け止めてくれたのは、信じられないほど柔い感触と、華やかな石鹸の香りだった。

「――ふぎゃっ!? な、なに、何これ!?」

 訳が分からないまま、とにかく顔を上げる。

「なんか、すっごい柔らかい――」

 目の前にいたのは、少女だった。

 何の衒いもない美少女。宝飾店の店先に飾れそうなほど、輝きに満ちた碧眼。長く豊かな金髪が、星を散らしたような光を放つ。まるで肖像画からそのまま抜け出てきたような面差しは、伝説の聖女ミリアに勝るとも劣らない。

 そんな美貌が眼前、鼻先――息がかかるどころか、唇も触れ合いそうな距離にある。

(……ちょっ、まっ、待)

 近い。いくら何でも近すぎる。

 いや、それ以前に。
 セシュナは、ほとんど美少女を押し倒していた。

 それだけでも一大事だというのに、その直前には柔らかい何かに顔を埋めていたわけで。

(すっごい、柔らかい、柔らかくて、ふわふわして、いい匂いの……何か)

 つまりそれは、何というか、その。
 お互いが驚愕に目を見開いているのは、少女の瞳に映り込んだ間抜け面のおかげで、はっきりと分かった。

「――きゃあああああぁぁぁあああぁっ」

 絹を裂くような悲鳴と、全身のばねを使った強烈な押し出し。

 胸の中心に一撃食らって、彼はもう一度馬車から放り出された。

「またああぁぁぁあぁあっ!?」

 またしても押し寄せる猛烈な突風。
 乗車口の端に何とかしがみついて、自力で車内に戻る。

「し、し、し、死ぬ……死んだ」

 そのまま床に倒れ込み、彼は深く息を吐いた。

「ご、ごご、ごめんなさいっ! 大丈夫ですか? 怪我してませんか?」
「ああ、えと、うん。だ、大丈夫……」

 一番にセシュナを気遣ってくれたのは、突き飛ばした張本人だった。傍らに膝をついたまま、御者台を振り返って。

「飛行魔法の制御が荒いんじゃないですか、ニザナキ君! 気をつけてください!」
「じゃかぁしい! 遅刻したないってわーわー喚いてたんは、どこのどいつや!」

 刺々しい返答は、聞いたこともない不思議な訛り方をしている。

「わーわーは言ってません! ただ、新学期初日からの遅刻は、委員長として示しがつかないと言うか……もう」

 彼女は小さく文句を言ったあとで、もう一度こちらに手を差し伸べてくれた。

「立てますか?」
「あっ、うん。その、ありがとう、ごめん、さっきのはわざとじゃなくて、その」

 少女の手から、ひんやりとした感触が伝わってくる。
 そんなことを意識してしまうと、さっきの恥ずかしさがぶり返してきて、頬が熱くなる。

「いえ、こちらこそ、本当にごめんなさい。でも、あなたが無事でよかったです」

 安堵に緩んだ少女の表情は、まるで春先の陽射しのようだった。
 更に赤らんだ自分の顔を隠そうと、空いた手で口元を隠す。

 ――故郷から学園まで一ヶ月の道中で、荒れ道を行く馬車の揺れにも、嵐の海にも、荒野の砂埃にも慣れたつもりでいたけれど、同年代の女の子との付き合い方は、まだ良く分からない。

「私は、イザベラ。イザベラ・デステです。教養過程の第三学年、トーマス教師に教えを受けています」

 言って、彼女――イザベラは優しく笑った。制服の一部である銀の指輪カレッジリングを嵌めた手を胸元に添えるのは、学園流の挨拶なのだろう。

 彼も、なんとか身なりを整えて――いや、実はまだ制服も着ていないけれど――ばたついた挙句、胸に手を当てて。

「セシュナです。セシュナ・ヘヴンリーフ。今日から学園にお世話になります」
「えっ――もしかして、留学生ですか!? あなたが、あの、旧大陸のハルーカ公国から来るっていう!」

 彼女の口からその言葉が出てきたのは、本当に意外だった。
 雪と魔物とシチューしかないセシュナの故郷ハルーカなど、旧大陸ユートリアでも知らない人間がいるぐらいの辺境だ。

 なんという博識。流石、新大陸アカシアの最高学府に通う学生だ。

「そう。だけど、えっ、どうして――?」
「噂になってますよ! あなたが学園に送った『霊素エーテル中毒によって変質した動植物の行動生態』、先生方が大騒ぎしていましたもの! あれだけの膨大なサンプルと詳細な観察記録だけでも充分に素晴らしいのに、更にあの着眼点! 最初はどこかの研究者のイタズラじゃないかって騒ぎになったぐらいで――」

 堰を切ったような称賛の嵐。
 セシュナはどこから答えればいいのか分からず、しばらく聞き手に回っていたが。

「それで、どうですか新大陸アカシアは!? 魔法マギアなんて特に珍しいんじゃないですか!? 旧大陸ユートリアではもうほとんど見られないって聞きましたけど!」

 とりあえず、感想を口にする。

「う、うん。すごい、本当にびっくりした。まさか呪文一つで馬車が空を飛ぶなんて」

 一瞬、自分の頭がおかしくなったのかと不安になった。

 何せ馬車が飛んだのだ。ふわふわっと。車も馬も貨物も乗客も、全て一纏めに。
 更には、飛ぶ鳥よりも迅速に。

 客室の窓に目を移すと、巨大な翼を広げた鷹が馬車と並ぶように風を切っていく。
 その光景さえ、セシュナにとっては神秘以外の何物でもない。

「……ホント、まだ信じられないよ」

 窓に顔を押し付けながら、セシュナは感嘆の溜息を漏らした。

「ふふっ、そうですか? すごいですか? 窓、開けて外の景色を見てみます?」

 隣についてきたイザベラが、嬉しそうに窓の留め金を外している。

「オイ阿呆ども、学習しろや! 窓から落っこちてもワイは助けんぞ――」

 またしても御者台から何か聞こえたが、イザベラは気にする素振りも見せなかった。
 烈風に、今度は顔から突っ込む――

「――――」

 感動は、言葉にはならなかった。

 鷹の雄姿だけではない。
 馬車を追い越して飛んで行く大きな翼、その向こうに。

 眩いばかりの朝の光。
 そして、広がる光景。

 道中の山頂から見えていたものとは、まるで違う――赤茶けた土と岩、そして申し訳程度に草木が生えた荒野の向こう、遥か彼方に地平線が霞んでいた。
 一昨日までの嵐に雲を奪われた晴天は、荒涼とした赤い大地と比べるまでもなく、滲むように濃密な青だった。

(空が違う――ずっと、色が濃くて、大きい気がする)

 それも、セシュナには驚きだった。

 ――街道は荒野の真っ只中を抜けて、やがて水の流れる川へと行き当たる。
 その交点を囲うように、城塞があった。

 長く伸びた白亜の塔を中心に、綺麗な同心円を描く街並み。砦の外壁だったのだろう白壁を越えても、混沌とした建築の渦はまだ終わらない。
 あれが、ティンクルバニア学園。

 百年の昔、さる伝道師によって建てられた学府を発祥とする学園都市。
 新大陸アカシア最大にして最高の学び舎。

 そして、これから彼が暮らす場所。
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