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5.作戦

57.ノアアークの罪

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「――今から、二百年以上前の話になる。ゴフェルは元々、この世界のどこかにあるスラムに生まれた少年だったと聞いている」

 ローレン王は話をはじめた。
 低いテーブルには、人数分のティーカップが置かれている。さきほど、エリスちゃんが手早く用意してくれたお茶だ。
 王宮でよく飲んでいたお茶と同じように、とてもいい香りが漂っている。けれど、今は誰も手をつけようとはしなかった。

「……ゴフェルには、兄がいた。まずその兄について、君に話さなければならないことがある」

 言いよどんだローレン王を真っ直ぐに見て、俺は大きく頷いた。

「ゴフェルの兄は、ノアアーク王ですよね。先日、本人から聞かされました。血は繋がっていないが、弟のような存在だったと」

 そう言うと、ローレン王は驚いたように目を見開いた。

「……そうか。君はすでに兄のことを知っていたのだな。知っていて、そこまで毅然とした態度でいられるのか。強い子だな」
「さすがに聞かされたときは、かなりショックでしたけどね……」

 そう言いながら、告げられたときのことを思い出す。
 あのときは、さすがに落ち込んでしまい、バロンに叱られたのだ。たった十五日前のことなのに、なつかしい気持ちになる。

「あ、あの、少しよろしいでしょうか……?」

 突然、斜め前に座っていたエリスちゃんが勢いよく立ち上がった。混乱しているような表情で俺を見ている。

「も、申し訳ありません……! 先ほどから、話の腰を折ってはいけないと思いつつも、分からないことばかりで混乱してしまって……。ノアアークに弟がいたことは、僕も知っています。けれど、それがスズ様とどう関係しているのですか……?」

 いつも冷静なエリスちゃんにしてはめずらしく、声が震えていた。
 狼の姿をしているリオも、落ち着かないのかウロウロと歩きまわっている。
 そうか。俺はこの話を王宮に連れ戻されたときに聞かされたから、この二人は事情を知らないのだ。特にリオは、ノアアーク王に弟がいることも知らない。そりゃ、わけがわからないよな。

「ごめん。二人には言ってなかったよな。驚くかもしれないんだけど、俺は元々この世界の人間で、ゴフェルっていう名前のノアアークの弟だったらしいんだ。バロンも言っていたから、間違いないと思う」

 そう告げると、エリスちゃんは目を丸くして俺を見た。

「あなたがノアアークの弟!? それは本当なのですか!?」
「……残念だけど、本当。記憶はないんだけどね」
「で、では、どうやって別の世界に行って、また戻ってきたのですか!?」
「そのへんは俺にも分からない。ただ、ノアアーク王から二百年前に逃げ出したんだって聞いてる」
「そんな……まさか……」

 エリスちゃんの顔がみるみる青ざめて、細い身体がふらつきはじめた。
 うう……ゴフェル本当に何をしたんだろ。聞くの怖すぎるな。いやもう聞くけどさ。
 その後すぐに、ローレン王は優しい表情を浮かべて、俺を見た。

「そこまで知っているのなら、話が早い。エルレインもリオも、一緒に話を聞いてくれ。先ほどノアアークが君にだけは甘いと言っていたが、間違いなく、君が弟だからだろう。ノアアークは残酷な思想の持ち主で、周りの人間に興味がないようだったが、弟のゴフェルだけには優しかった」

 そう言われて、俺の訴えを聞き入れたノアアーク王を思い出す。
 思えば初めて会ったときから、俺の要求は全て通っている。苦手な人物であることには変わりないけど、俺を通して見ているゴフェルには、とても優しいような気がした。

「当時、ノアアークとゴフェルは、かなり貧しい生活をしていたようだ。ゴフェルの方は、貧しいなりに真っ当に生きようとしていたようだが、ノアアークは違った。生まれと境遇だけで全てが決まる、この世界を深く憎み、自分とゴフェルを邪険に扱う人間全員を恨んでいた」

 ローレン王は再び話をはじめた。
 ゴフェルがスラム出身だと言っていたから、もしかしてとは思ったけど、やはりノアアーク王も元々スラムの生まれらしい。あの美しい姿と上品な話し方からは想像ができなかった。

「貧しい生活に絶望したノアアークは、ついにゴフェルを連れてダンジョンに入った。実はここまでは珍しい話ではない。各地に出現しているダンジョンに挑戦し、精霊と契約して優れた能力を手にすれば、高確率で成り上がることができる。貧しい生活からの脱却を目指して、ダンジョンに飛び込む人間は、当時数多くいた」
「ダンジョン……って、数百年前から挑戦した人が誰も帰ってこないっていう、あのダンジョンのことですか?」
「……ああ、そのダンジョンだ。現在、挑戦した人間が戻ってこない原因については、今している話と関係があるから、最後まで聞いてくれ。これも君にとっては、残酷な真実だが……」
「分かりました。話を続けてください」

 ローレン王を真っ直ぐに見て、うなずいた。

「私自身、ダンジョンへ行ったことはないが、攻略者から話を聞いたことがある。攻略の成功率は決して高くない。むしろかなり低い。挑戦したことのある君なら分かるだろうが、運の要素がかなり大きいからだ。そうだろう、バロン」

 ローレン王がバロンに話を振ると、バロンは長い耳をぴょこんと動かして、うなずいた。

「まぁそうだね。ダンジョンにもよるけど、成功率はかなり低いよ。千人に一人いればいい方じゃないかな。その中から使える能力ってなると、さらにがくんと下がるしね」
「バロンの言ったとおりだ。しかもダンジョン攻略を目指そうとする人間は、圧倒的にスラム出身の人間が多い。現状の生活に満足できずに、身を捨てる覚悟で挑戦する者が多いからだ。だが、スラムに住む人間はマトモな訓練を受けていない。そのせいで、さらに攻略する確率は低かったと言われている」

 ローレン王はそう言って、テーブルに置かれているカップを手に取り、一口飲む。
 それから、再び口を開いた。

「――だが、ノアアークとゴフェルは、奇跡的にダンジョンを攻略した。さらに二人は、偶然に偶然を重ねて、おぞましい能力を手にしてしまった」
「……おぞましい能力、ですか?」
「いや、言い方に語弊があるかもしれない。どんな能力も、結局は持ち主次第なんだ。使い方によって、救いにも脅威にもなりうる。あの二人――特にノアアークは使い方を誤ってしまった。結果おぞましい能力となってしまった」

 そう言われて、思わず首をかしげてしまう。

「でもノアアーク王の能力って、移動能力のレベル10のことですよね? 移動能力は俺も持っているので大体のことはわかりますけど、そこまで脅威になるような能力でしょうか? 確かに戦闘力は高いですが、あの能力でどうやって世界をおかしくしたのかが想像できなくて……」

 そう言うと、ローレン王は、驚いたように目を見開いて俺を見た。

「今何と言った……? 君も移動能力を持っているのか?」
「はい。ダンジョンを攻略したときに、治癒能力と合わせてバロンにもらいました。といっても、レベルは7なんですけど」
「君は本当にすごい子だな……。しかし、ノアアークと同じ能力とは、そんな偶然の巡り合わせがあるのか……ああ、すまない。話を戻そうか。君の言った通り、ノアアークが持っている脅威の能力というのは、移動能力のレベル10のことだ。君は軽視しているようだが、とんでもない。あの能力で多くの人間の人生が狂わされた」

 ローレン王は拳をぎゅっと強く握り、憤るような強い口調で言った。

「……人生を狂わせた? ノアアーク王は何をしたんですか?」

 緊張しながらたずねると、ローレン王は顔を上げて、口を開いた。

「――ノアアークは、この世界を狭くしたんだ」

 ……世界を狭くした?
 告げられた言葉は、ぴんと来なくて思わず首をかしげてしまう。

「どういうことですか?」
「スズ。君は違う世界から来たのだろう。元いた世界と比べて、この世界はどうだ? 狭すぎると思ったことはないか?」

 そう言われて、ようやくローレン王の言いたいことが分かった。
 ここに来る前、バロンにもたずねられたことだ。
 膝の上に乗っているバロンを見ると、俺を見て小さくうなずいた。

「……はい、あります。この世界に来たときから、ずっと思っていました。この世界には、国がたった三つしかない。それぞれの国も、一日でまわれてしまうぐらい小さいんだなって」
「その通りだ。世界がこんなに小さいはずがない。この世界は、二百年以上前にノアアークによって断絶された世界なんだ」
「……断絶された世界? どういうことですか?」

 理解できずに、聞き返す。
 エリスちゃんは、落ち着いた表情をしている。この話は、すでに知っているんだろう。
 ローレン王は神妙な表情のまま、話を続けた。

「ノアアークの能力が脅威だったのは、瞬間移動ができることでも、召喚契約の人数に制限がなかったことでもない。レベル10だけが持つ特異能力、空間を切り離せる力だった」
「空間を切り離す力、ですか……?」

 同じ移動能力なのに、覚えのない力だ。
 ……わけが分からないことばかりで、そろそろ頭が痛くなってくる。

「本来、この世界はとてつもなく広い。それはもう、気が遠くなるほど広かったよ。人間のちっぽけな生涯では、人生全てを使ってもまわりきることはできない。未開の場所も数多く残され、もちろん世界地図など存在しなかった」
「じゃあ、この世界は……?」
「この小さな世界は、ノアアークが元の広い世界から切り取った世界なんだ。この世界の外には、ここよりもずっと広い世界が広がっている」

 あまりにもスケールの大きな話に、頭がくらくらした。
 全く、ぴんとこない。
 今、自分が存在している世界の外に、さらに広い世界がある。そんなことを言われて、うまく想像できる人なんて、いないんじゃないだろうか。

「先ほど君が言っていた、ダンジョンに入った人間が返送されない理由がこれだ。この世界は、ノアアークによって切り離されているが、精霊が管理しているダンジョンはノアアークの手が及ばない。失敗した人間はこの世界外も含めてランダムに返送される。だから、挑戦者は世界外に返送され、見つからないのだ」
「な、なるほど……」

 ものすごく納得した。
 ローレン王の言っていることが真実なら、挑戦者が帰ってこないことの辻褄が合う。

「……おそらく、貧しかったノアアークは、生まれた環境で運命が決まることが、どうしても許せなかったのだと思う。貧しくても、王になれることを証明したかったのだ。そして、実際になった。この世界で一番大きな国の王に」

 ローレン王は話を続けた。

「手にした能力で世界を狭くし、自分より強くなるかもしれない者――レベル10の人間をこの世界から排除していた。ちっぽけな世界にいる治癒能力者を全員さらい、自分と数人の部下だけが不老不死として特別な存在になった」

 ローレン王はそう告げて、また真っ直ぐに俺を見た。

「それが、ノアアークの罪だよ」
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