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1、出会ったのは
Ⅱ
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それからというものの、月に何度か、回診の仕事がレオンに回ることになり、クロエがその案内をして、終わったら二人でお茶を楽しむ。という流れが出来上がってしまった。
「……なんというかはめられた?」
「んー、司祭様もそのつもりだったのかなあ?」
気の早い村の老人たちは、次の教会での式典が誰かの葬式ではなく、彼らの結婚式にしようといいあって、回診を断り健康指導に従うようになってきた。という司祭の言葉を思い出して微妙な顔をした二人は、並んでお茶を飲みながらため息をついた。
「……いいのか、神父がこれで」
「まー、療養ってことは、あんまりきっちり神父様の道に入った、ってわけじゃないんでしょう?」
「……ああ。……実家、いや、兄に言いくるめられてしまって」
「お兄さん?」
「ああ。普段あんまり干渉してこないくせにこういう時は首を突っ込みたがるんだ。……一時の感傷で一生をふいにするつもりかと怒られてな」
「何も神父様の道が一生をふいにするってわけじゃないのに……」
「一度はいったら抜けるのに面倒だから、いつでも戻ってこられるように便宜を図ってもらえとね。父の知り合いであった司祭様のところに身を寄せることになった。兄としても、俺がどこにいるかわかるから、それがほとんど目的だったと思うんだが」
「……そうなのかなあ?」
「そうだとおもってる」
一口お茶を口に含んだレオンは、小さく、はあ、とため息をついて揺れる水面へ視線を投げた。
厳しい夏の陽気。
日差しが少し和らぐ教会の中庭の中央部分に生えている大きな木の陰で、芝生の上にじかに座っての素朴なお茶会。
「お兄さんのこと知らないからよくわからないけれど、だったら監禁するのが手っ取り早いんじゃないかなあ?」
「監禁するのが手っ取り早いだなんて淑女が言うか!」
ぎょっとして思わず突っ込むと、少女はきょとんとした顔をしてにっこりと笑った。
「お父さんだったらそういうと思う!」
「だからって君がそういうのはね……」
「問題がある?」
「……大いにな。言ってて怖くないのか? 君は」
「でも、それが手段ならば仕方ないんじゃないの?」
「……」
くるくると動く表情は愛らしい。
その実、可憐な唇から紡がれる言葉は、それとは思えないほど物騒であったり的確な物であったりする。
クロエの目の前で倒れてから、もう二か月ほどが経つ。長い残暑は終わりを告げて、もうじき涼しい秋がやってくる。
「君は一体何者なんだ?」
思わず漏れたその問いに、クロエの唇は弧を描いた。
「……んー。平の軍人さんじゃないお父さん、の、娘、かな?」
「……平、それなりに階級の高い方だったってことか」
「うん。これ、言っちゃうと、貴方にも気を使わせてしまうし、場合によっては、迷惑かけるかもしれないから、お父さんが誰だってことは、秘密」
にっこりと笑うが、その言葉だけでもある程度推測できるものだ。迷惑をかける。ということはそれなりに護衛をつけて出歩かなければならない立場の軍人のご令嬢。ということになる。
「少なくても佐官、まあ、本命は将官ってことだな」
「ひゃっ、だめだってばあ!」
「ならば、推測の材料を俺に与えないでくれ。これでも通信の暗号解読のところにいた」
「暗号解読?」
「ああ。敵国の通信を傍受して敵国が通信に使っている暗号を解読して変換して報告する。医者の心得は、通信衛生のところに入るために覚えたついでのようなものだ」
「……頭いいの?」
「……どうだろうか? 少なくとも、私は頭がいいですと自分で言うやつのほうがバカっぽいと思っている」
「たしかに」
「頭いいか悪いかだなんて自分で決めるものじゃない。他人の評価だろう?」
む、と考え込むように黙り込んだクロエに、レオンは穏やかに笑って静かにカップに口をつける。
「お父さんも、部下にそう言われて感心したって言ってたけど」
「言ってたけど?」
「貴方のそれは、卑屈になっているようにしか見えないわ」
まっすぐな目で見上げられて、榛色の目が射貫くように底を見るのに、思わずレオンは息を飲んだ。
「ごめんなさい。……気分を悪くされたら。でも、貴方には、そんなのちっとも似合わないの」
澄んだ光を宿すその目に、レオンは目を逸らすことができずにただ見つめていた。
「ごめんなさい」
「いや。……兄にも言われたことがある。一番上の、……俺は三兄弟で、さっきのしゃしゃり出てくるのは二番目の兄貴。そんなことを言ってくれたのは一番上の兄貴だ」
「……お母上は?」
控えめなその問いに、レオンの表情が少しだけ強張った。
「あんまりいい思い出はない。まだ存命だ」
「……そう。ごめんなさい」
「いや。普通はこんなご時勢だ。家族が存命なのかを聞いてお悔やみを言うのは挨拶の一つだろう。気にしないでくれ。それと、あまり母親のことは今後きかないでもらえると助かる」
硬い声でそういうレオンにクロエはごめんなさい。とつぶやいて小刻みに震えているレオンの手に気付いて、カップを置いた。
「クロエさん?」
「ん」
震えている手を隠すために軽く拳を握ったレオンの手の甲にクロエはそっと手を置いてさすってやった。夏だというのにその指先は冷え切っていて、クロエはこぶしをほどいてそっと指先を握る。
「……すまん」
「ううん。私が悪いの。ごめんなさい」
そうつぶやいたクロエが優しく手を貸してくれているのをレオンはふっとため息をついて目を伏せて感じていた。
「レオン」
その時だった。教会の方からレオンを呼ぶ声が聞こえて、はっと顔を上げたレオンがその様子をじっと見ていたクロエと目が合う。
「あ……」
榛色と濡れ土色の瞳が交錯する。
目を見開いてその光を見つめ合った二人は、同時に、遠くから聞こえた足音に視線を逸らして手を離した。
「すまん。呼ばれたようだ」
「え、ええ。じゃあ、あの、……」
「カップはそのままでいい。用事を済ませたら俺が片付ける」
立ち上がって土汚れをはたいたレオンがクロエを見おろして、何かを言おうと口を開いた。
「レオン、あの客だ!」
「……っち。奴らもしつこいな。……クロエさん、教会の中は知っているか?」
「え? ええ」
「……あそこの入り口から教会の中に入って左手に進んで、一つ目の角を右に曲がってまっすぐ進め。そうしたら、扉があって、そこから教会の外に出られる。ちょうど墓地の方に出るから、そこから家に帰ってくれ」
「え? ええ? どうして?」
「……軍人に君がここにいるのがばれたら、まずいんだろう?」
はっと息を飲んだクロエに背を向けて、レオンはいらだった様子でその場を立ち去る。
「……」
何も言わずにクロエは、カップを一つにまとめて、レオンが迎えた客が向かってくる前にと、言われた通りの経路で教会から抜けて、家に戻るのだった。
「……なんというかはめられた?」
「んー、司祭様もそのつもりだったのかなあ?」
気の早い村の老人たちは、次の教会での式典が誰かの葬式ではなく、彼らの結婚式にしようといいあって、回診を断り健康指導に従うようになってきた。という司祭の言葉を思い出して微妙な顔をした二人は、並んでお茶を飲みながらため息をついた。
「……いいのか、神父がこれで」
「まー、療養ってことは、あんまりきっちり神父様の道に入った、ってわけじゃないんでしょう?」
「……ああ。……実家、いや、兄に言いくるめられてしまって」
「お兄さん?」
「ああ。普段あんまり干渉してこないくせにこういう時は首を突っ込みたがるんだ。……一時の感傷で一生をふいにするつもりかと怒られてな」
「何も神父様の道が一生をふいにするってわけじゃないのに……」
「一度はいったら抜けるのに面倒だから、いつでも戻ってこられるように便宜を図ってもらえとね。父の知り合いであった司祭様のところに身を寄せることになった。兄としても、俺がどこにいるかわかるから、それがほとんど目的だったと思うんだが」
「……そうなのかなあ?」
「そうだとおもってる」
一口お茶を口に含んだレオンは、小さく、はあ、とため息をついて揺れる水面へ視線を投げた。
厳しい夏の陽気。
日差しが少し和らぐ教会の中庭の中央部分に生えている大きな木の陰で、芝生の上にじかに座っての素朴なお茶会。
「お兄さんのこと知らないからよくわからないけれど、だったら監禁するのが手っ取り早いんじゃないかなあ?」
「監禁するのが手っ取り早いだなんて淑女が言うか!」
ぎょっとして思わず突っ込むと、少女はきょとんとした顔をしてにっこりと笑った。
「お父さんだったらそういうと思う!」
「だからって君がそういうのはね……」
「問題がある?」
「……大いにな。言ってて怖くないのか? 君は」
「でも、それが手段ならば仕方ないんじゃないの?」
「……」
くるくると動く表情は愛らしい。
その実、可憐な唇から紡がれる言葉は、それとは思えないほど物騒であったり的確な物であったりする。
クロエの目の前で倒れてから、もう二か月ほどが経つ。長い残暑は終わりを告げて、もうじき涼しい秋がやってくる。
「君は一体何者なんだ?」
思わず漏れたその問いに、クロエの唇は弧を描いた。
「……んー。平の軍人さんじゃないお父さん、の、娘、かな?」
「……平、それなりに階級の高い方だったってことか」
「うん。これ、言っちゃうと、貴方にも気を使わせてしまうし、場合によっては、迷惑かけるかもしれないから、お父さんが誰だってことは、秘密」
にっこりと笑うが、その言葉だけでもある程度推測できるものだ。迷惑をかける。ということはそれなりに護衛をつけて出歩かなければならない立場の軍人のご令嬢。ということになる。
「少なくても佐官、まあ、本命は将官ってことだな」
「ひゃっ、だめだってばあ!」
「ならば、推測の材料を俺に与えないでくれ。これでも通信の暗号解読のところにいた」
「暗号解読?」
「ああ。敵国の通信を傍受して敵国が通信に使っている暗号を解読して変換して報告する。医者の心得は、通信衛生のところに入るために覚えたついでのようなものだ」
「……頭いいの?」
「……どうだろうか? 少なくとも、私は頭がいいですと自分で言うやつのほうがバカっぽいと思っている」
「たしかに」
「頭いいか悪いかだなんて自分で決めるものじゃない。他人の評価だろう?」
む、と考え込むように黙り込んだクロエに、レオンは穏やかに笑って静かにカップに口をつける。
「お父さんも、部下にそう言われて感心したって言ってたけど」
「言ってたけど?」
「貴方のそれは、卑屈になっているようにしか見えないわ」
まっすぐな目で見上げられて、榛色の目が射貫くように底を見るのに、思わずレオンは息を飲んだ。
「ごめんなさい。……気分を悪くされたら。でも、貴方には、そんなのちっとも似合わないの」
澄んだ光を宿すその目に、レオンは目を逸らすことができずにただ見つめていた。
「ごめんなさい」
「いや。……兄にも言われたことがある。一番上の、……俺は三兄弟で、さっきのしゃしゃり出てくるのは二番目の兄貴。そんなことを言ってくれたのは一番上の兄貴だ」
「……お母上は?」
控えめなその問いに、レオンの表情が少しだけ強張った。
「あんまりいい思い出はない。まだ存命だ」
「……そう。ごめんなさい」
「いや。普通はこんなご時勢だ。家族が存命なのかを聞いてお悔やみを言うのは挨拶の一つだろう。気にしないでくれ。それと、あまり母親のことは今後きかないでもらえると助かる」
硬い声でそういうレオンにクロエはごめんなさい。とつぶやいて小刻みに震えているレオンの手に気付いて、カップを置いた。
「クロエさん?」
「ん」
震えている手を隠すために軽く拳を握ったレオンの手の甲にクロエはそっと手を置いてさすってやった。夏だというのにその指先は冷え切っていて、クロエはこぶしをほどいてそっと指先を握る。
「……すまん」
「ううん。私が悪いの。ごめんなさい」
そうつぶやいたクロエが優しく手を貸してくれているのをレオンはふっとため息をついて目を伏せて感じていた。
「レオン」
その時だった。教会の方からレオンを呼ぶ声が聞こえて、はっと顔を上げたレオンがその様子をじっと見ていたクロエと目が合う。
「あ……」
榛色と濡れ土色の瞳が交錯する。
目を見開いてその光を見つめ合った二人は、同時に、遠くから聞こえた足音に視線を逸らして手を離した。
「すまん。呼ばれたようだ」
「え、ええ。じゃあ、あの、……」
「カップはそのままでいい。用事を済ませたら俺が片付ける」
立ち上がって土汚れをはたいたレオンがクロエを見おろして、何かを言おうと口を開いた。
「レオン、あの客だ!」
「……っち。奴らもしつこいな。……クロエさん、教会の中は知っているか?」
「え? ええ」
「……あそこの入り口から教会の中に入って左手に進んで、一つ目の角を右に曲がってまっすぐ進め。そうしたら、扉があって、そこから教会の外に出られる。ちょうど墓地の方に出るから、そこから家に帰ってくれ」
「え? ええ? どうして?」
「……軍人に君がここにいるのがばれたら、まずいんだろう?」
はっと息を飲んだクロエに背を向けて、レオンはいらだった様子でその場を立ち去る。
「……」
何も言わずにクロエは、カップを一つにまとめて、レオンが迎えた客が向かってくる前にと、言われた通りの経路で教会から抜けて、家に戻るのだった。
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