立つ風に誘われて

真川紅美

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終、歩き出したのは

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「邪魔するぜー」
 がら。と遠慮なく開けられた扉の音にはっと二人は目を見開いてぱっとソファーの端と端に飛びのいた。突然の闖入者はガタンと音を鳴らしたソファーを見て、二人が顔を気まずそうにそっぽを向けているのににやりと笑った。
「どこの姉ちゃんだ? おい?」
「うるさい。くそ兄貴」
「あに……? え……と、あ、っ、ディール閣下!?」
「ん? 俺のこと知って……って。ああ、ヴルト閣下のお嬢さんか。お久しぶりです」
 軍人らしく短く借り上げた金髪と男らしく頬骨の高く彫りの深い顔立ちをした彼は、男くさい外見には似合わない涼やかすぎる目元が笑みの形に細まる。
「うちの不肖の弟が世話になったようで」
「いきなり兄貴面してんじゃねえよ」
 挨拶を、とクロエの前に膝をついて手の甲に口づけを落とそうとしたディールにレオンがいきなり立ち上がって横に蹴りだす。
「おっと、危ないじゃないか」
「触んな」
「おや。レイスから聞いていた通りだ」
「……」
 すっと目を細めたレオンの機嫌が急降下するのに、あわててクロエがレオンに抱き付く。
「クロエさん?」
「杖つかなきゃいけないぐらいなのにつかわないでください」
「じゃあ手だな」
「手も駄目です。暴力反対!」
「そーだそーだ」
「てめえが言うなや!」
 中指を立てて突っ込むレオンを押さえてクロエがディールに顔を向ける。
「あーあー、お嬢ちゃん、体はってもらってありがとうな。んでも、知らせがあってきた」
 すっと引き締まった表情に嫌な予感を覚えて体を離すとレオンがそっと背中に手を置いたまま体の力を抜いた。
「まず、すべて終わった」
「……そうか。司祭様によろしくと」
「ああ。伝えて置く。それと」
「それと?」
「退院の滞在先は俺んところに来い」
「断る」
「即決かよ!」
「ったりめえだ! あんたのところにいたら休まるものも休まらねえ!」
「でもでも……」
 プルプルと二人を見るクロエにディールは任せてくれというように片目をつぶって見せた。
「まず、レイスがぶっ倒れた。いつものあれだから部下のお姉ちゃんが対応する。もともと人員の少ないあいつの屋敷に出入りするのはもう……」
「だから、俺は独りで十分だって……」
「っていって、お前はよく無理をするだろうが。まだ独り暮らしできるぐらい体が回復していないのは一目瞭然だ。俺の隊も今死ぬほど忙しいからお前のお守りに人を割いている余裕はねえ。だったら俺の屋敷に来て、万全になるまでいろ」
「だから……」
「なんだ? じゃあ、嫁さんと一緒にはどうだ?」
「は?」
「へ?」
「ははは、びっくりしたような顔すんじゃねえよ。ヴルトの屋敷の人員もまだ足りてないし、いきなりお嬢様のお帰りにバタバタしているって聞いたからな」
「……それは……」
「だから、もう知らせは出しておいた。俺のところに来い。ちなみにこいつは今日退院だ」
「はあっ?」
「余計なこと言いやがって……」
「そして、君の目がないことをいいことに夜な夜な抜け出して」
「レオンさんっ!?」
「やましいことはしてねえぞ俺! つか、このバカ兄貴がっ」
 お盆を手にとって鋭く振りかぶったレオンにディールは鍛え上げられた腕で縦に振り降ろされたお盆の縁を受け止めてにやりと笑った。
「証拠集めに奔走して口封じにいそしんでいた」
「医者に止められてたんじゃないですか? ちょっとっ!」
「だあーもう、ありゃ不可抗力でしょうが。咎められることはねえぞ。屋敷にいる連中の口封じるのに俺やレイス兄以外に入りこめられないだろうが。あんたは図体でかすぎて入れないからレイス兄に排除された逆恨みを俺にぶつけてるんじゃねえよ!」
 ぽかぽかと胸板を叩くクロエにレオンはなだめるように背中を手を伸ばしてさする。
「あら、そーだったか?」
「ボケるのは早すぎるんじゃねえか。おい」
 どすの利いた声にディールが乾いた笑い声を上げた。
「ま、そういうことだ、逃げられねえように医者看護婦連中にも根回ししといたから、表の馬車でうちに来いよー」
 じゃ、ごゆっくりーときた時と同じ唐突さで出ていくディールが乱暴に扉を閉めて出ていくのにレオンはクロエに回した手の力を抜いた。
「レオンさん?」
「自分も体壊しそうなぐらい忙しいくせに自分で来るんじゃねえよ。ったく。なんでうちの兄貴はこう過保護な連中が多いんだか……」
「そりゃ……」
「クロエっ?」
「私も、わかる……」
「……」
 ポツリとした言葉に、レオンは絶句して思わず頭痛を覚えたように額に手を当ててうつむくのだった。
 そして、荷物をまとめたレオンは看護婦に捕獲されてディールが手配した馬車に放り込まれ、くれぐれも逃がさないようにと強くクロエに訴えるのだった。その行動だけでどれぐらい彼が入院生活に彼女らの手を煩わせたのかがうかがいしれて、クロエは不貞腐れているレオンの足を思い切り踏んづけて背中に手を置いて、無理やり頭を下げさせた。その姿になんとなくドラ息子を謝らせる肝っ玉母ちゃん味を感じさせられて看護婦たちは安心したという。
「……」
 馬車の中、不貞腐れてそっぽを向くレオンに、クロエは思い切ってその隣に座って、腕に腕を絡めて手を握った。
「クロエ?」
「本当に、本当に一緒にいてくれるの?」
 首を傾げるクロエの潤んだ目に、レオンは空いた手でその頬を包んだ。
「ああ。君が望むなら。……もっと、正式な場所で贈りたいんだが、……その」
 ポケットから小さな箱を取り出してそっとその箱を空けて中身を見せた。
「……っ」
「一応言っておくが、母親があてがった女に贈ろうとしていたものじゃないからな」
「その話……っ」
「聞いたことがあるだろうに何も話さないでいるなんてできるとは思っていない。……まあ、その話は後でゆっくりね」
 細いシンプルなリングを手に、右手を取って薬指に通す。
「レオンさんのは?」
「指輪はまだやめとけって医者に言われた。くっついた直後で骨が太くなっているから今作ったら、将来また直さなきゃならなくなるって言われてな」
 それまではここにいるよ。と懐から細い鎖を出して指輪を出したレオンは肩をすくめた。
「つけたいのはやまやまなんだが……」
 どうしてもな、と顔をしかめるレオンにクロエは通してもらった右手でレオンの右手を取ってそっと薬指にキスを落とした。
「待ってます」
 一言そういうクロエにレオンは目を見開いて、じわじわと頬に朱を上らせて照れたようにそっぽを向いた。
「待っててくれ」
 ぶっきらぼうに言う声音にたまらずに吹き出してけらけらと笑い声を立てるクロエを横目でみて、レオンは情けない顔をしてため息をつくとふっと笑って左手でガシガシとクロエの頭を撫でていた。
 窓の外は、もう街並みではなく、広い草原が広がっている。
「レオンさん?」
「……なんでもねえよ」
 その視線が一瞬何か遠くを見るように向いたのにクロエが首を傾げる。
「一度、挨拶に行くのもいいな」
「挨拶?」
「少将が亡くなった場所だ。そこの近くにご遺体が埋葬されている」
「あ、私も行きたい!」
「決まりだな」
「うん!」
 二人で窓を覗き込んで視線を合わせると、ただ自然に、その顔は重なるのだった――。
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