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シェバの王女

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 いよいよエレム出立の日を迎えた。

 何事もなく……という訳にはいかなかったが、あれだけシェバに焦がれていたというのに、エレムの街並を眺めていれば寂しさが込み上げてくる事に自分でも驚いた。

 船に乗り込む直前の私の横で、ただひたすらに機嫌を悪くするユージン。
 彼は、ある日を境に私の周りをうろつき始めたソロに不審な目を向けていた。

 まぁただ単に私の身体を心配していただけで、私はそれを鬱陶しく思っていただけなのだが、詳しい事情を話せる訳もなく、私はただひたすらに無言を決め込んでいた。

 浮き足立つソロと、何故かそのソロの侍従と、その真相が知りたいイフラス。
 そして無言の圧力を日々かけてくるユージン。
 私に楯突くことの無い、そんな彼が一度だけ私に聞いてきたことがあった。
「ソロ王の事が気に入ったのですか?」 
と。
「なんでだ?」
 と聞けば、ユージンは
「何となくです」
 と素っ気なく返す。

 気付いていながら気付いていない振りをしていたのか。
 何だか盛大なイタズラを国に仕掛けているような気分にもなって、少しばかり高揚感を抱いていたのも確かだった。


 そして騒がしい港の前で、私は煌びやかにも程があるほど物理的に眩しすぎるソロと向かい合う。
 父と母はまだ健在で、これからも長い間シェバを治めていくだろうから、王女である私はまたエレムへ行く日があるかもしれない。
 そう分かっていても、何故かこの時を最後にソロの顔をもう見ることが出来ないような予感が胸を打った。
 それは悲しさや切なさなんてつまらない感情ではなく、綴られている文字を読み進めていくように確信的な予感だった。

「何故でしょうね……これが最後な気がしています」
「真顔で言うな。怖い」
「笑って言えばよろしかったですか?」
「い、いや、それも嫌だな」
「ふふ」
 このような会話もきっと最後だと、何となくそう思ってしまうのは何故だろうか。

 そんな事を思っていると、陽の光がソロの黄金に光る首飾りを照らし、その光の反射で思わず目をひそめた。
 するとソロは慌てて首飾りを外し、従者に預ける。
 従者は満面の笑みでそれを受け取っていた。

 ーーなんだかしてやられたような気分だ。

 最後だと思えばこんな気持ちになるのも悪くは無いと思えた。


「本当に発つのか?」
「当たり前でしょう。私は次期女王ですから」
「次期女王でなければ、ここに居てくれたか?」
「いいえ。それでもシェバに帰ります。シェバが私の故郷ですもの」
「……そうか」

 顔を伏せるソロの耳元に私は口を寄せた。
「子については、父上に殺される覚悟で待っていてくださいね」
 するとソロは慌てて顔を上げた。
「せ、戦争だけは……」
 その怯えように私は大口を開いて笑う。
「全くするわけないでしょう。冗談です」
 ソロが顔をしかめ、私は呆れたように微笑む。
「そしていいですか?」

「ーー?」
「慢心せず、力をお付けください。もし、万が一にでも私になにかあった場合、子を守れるのはあなただけです。国に力を付けるのではなく、あなた自身に力をお付けください。愛妾と戯れるのもいいですが、くれぐれも足元をすくわれないように気を付けてください。いいですね?」
「わ、分かった。さらに精進するし、そなたがいうなら愛妾はこれ以上作らない」
「いえ、そこまでの権利は私にはないのでどうぞお好きになさってください」
「つれないことを言うのだな。俺とお前の中ではないか」
「……気持ち悪いこと言わないでください。あ、ではユージンが準備できたようなので」

 背後からユージンの呼ぶ声が聞こえ、私はソロに背を向けようとしたが、ソロは私の腕を掴んだ。
「……待て!」
「ん? 何でしょうか?」
 掴まれた腕を睨みつけたあと、ソロの目を見て微笑むと、ソロは恐る恐るその手を離し、恐る恐るその言葉を口に出した。
「セイル、そなたは絶対に……俺を愛すことはないのか?」
「はい。もうその場所は一生誰にも埋められません。……でもそれを知っているのはあなたくらいですから。良き友くらいにならなれますでしょう」
「良き、友か」
「はい。感謝しております。もし子を授かっていれば、私は結婚せずに済むのですから」
 ナジュムを思い浮かべ幸せそうに微笑む私を見て、ソロは悲しげに微笑んだ。

「……ナジュムという奴の顔が一度見てみたいよ」
「奇遇ですね。私もです」

 二人の間に湿った海風が吹き抜け、数秒の間が流れた。
「また、俺に会いに来てくれるか?」
「ふふ、なんだかいつも私に聞いてばかりですね。あなたの方がずっと偉いのに」
「いずれそなたの方がずっと偉くなる。それで、来てくれるか?」
「王女のうちでしたらまた来てもいいかもしれませんね。ただ……」

「ただ?」
 私の声のトーンが下がるとソロは戦々恐々と私の顔をのぞき込む。
「私をいじめてきた愛妾達はどうにかしてくださいね。シェバの王女とも知らずに恥知らずな。私に子供が生まれたら同じようにやられそうです」
「分かった」

 背後から私を呼ぶユージンの声が荒だってきているのが分かり、もう船が出ることを知る。
「では、ソロ。お元気で」
 シェバの王女はあっさりとその背中を王に向けた。
「あ、ああ」

 ソロは小さく呟く。
「随分と粗末な挨拶だな。俺はこんなに焦がれているのに……」
 しかし、うなだれている途中でソロはふと気付く。
「い、今……セイルが俺の事をソロと言った! おい、聞いたか? 聞いたよな!?」
 ソロはパッと顔を輝かせ、後ろに立つ侍従に嬉々として話しかる。
 侍従はひたすらに苦笑いを浮かべていた。



 その後シェバの王女は帰国途中の船の上で妊娠が発覚した。
 知らせを受けたソロは飛び上がって喜び、公務を放り出してシェバに行くととんちんかんな事を言い出した際は、それを止めるのに侍従は必死だったと言う。
 そしてシェバで知らせを受けたタハル王は激高し、ミハーサ王妃はただただ驚くばかりだった。

 一方船上組のイフラスは、跡継ぎがお生まれになるのですね、と瞳を潤ませ、ユージンはなんてことだと頭を抱え、アビドはタハル王からの説教に怯えていた。

 またセイルはこれで一安心かと思いきや、悪阻に悩まされた。
 イフラスとユージンの献身的な支えにより何とか船上では耐えられたが、強気でやや高飛車な王女の姿は、海の荒波へと消え去った。
 シェバに到着後セイルの父タハルは、口が達者なセイルのどんな言い訳が聞けるか(怒りながらも)楽しみにしていたのだが、セイルの青ざめた表情に慌てた。

 娘をこんな状態にして! と、ソロに強気な抗議状を送ろうとしていたタハルを必死に止めたのは、他でもないユージンだった。
 側近としてセイルの想いを汲み、秘めるべきことは胸に秘めながら、寝る間も惜しんでタハルを説得した。


 そして、シェバ国に新たな命の伊吹が芽生える。
 神の分霊シェバの王女セイルと、知恵の王エレム国の王ソロとの子が誕生した。
 それはそれは、誰もが跪きたくなるほど神々しく、そして何とも可愛らしい男子だった。

 セイルは息子の名をエレムでの響きをも含めた「ユリウス」と名付け、心から愛した。
 叶いはしなかったが、セイルは乳母に任せず、自ら息子を育てようとした。

 産まれたての赤ん坊を胸に抱き、微笑む。
 一度ソロに見せるのもいいかもしれない……この子の父親なのだから。
 と、もう一度エレムへ立つ計画を立てていた時だった。

 シェバの王女セイルは、弱冠20歳にして女王となり、シェバの女王セイルが誕生した。




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