三途に焦がれて

藤沢はなび

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【3】私の方が

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 他人から幸せだと思われていることほど惨めなことは無い。

 今日も薄汚い玄関扉の前、目を閉じて深呼吸をした。
 振り返りたくはない。吐き気がするほど狭い部屋がゴミと愚かな感情で溢れ返っているからだ。

 何故地獄から這い上がった先までもが地獄なのだろう。


 いつものように閉じた裏門から校舎に入る。
 同級生が死んだ。それも最も羨ましい方法で。
 苦しみから開放された先に何があるのか、私は気になって仕方なかった。
 死に絶える時のどんな息苦しさも、この世で生きていく永遠にも似た息苦しさほど辛くはないだろう。
 私はそう解釈しているが、彼はどうだったのだろうか。

 色のない廊下を歩く。
 1ヶ月も経てば、死んだ同級生の事など皆忘れているようだった。

「あ、来た」
「可愛い」
 と騒ぎ倒す声に耳を塞ぎながら教室のドアを開ける。
 ギラギラと光る視線を避けながら、担任に用意してもらった窓際の一番後ろの席に座った。

 人を傷つける言葉はなくとも、私は確実に追い詰められていた。

 私が今ここで立ち上がって机でも蹴りあげたらどうなるだろうかーー。
 それは実に爽快で心の中で微笑む。

「あっ、こっち向いてくれた……!」
 挨拶に返す愛想笑いとそれに騒ぐ子たち。
 そして周りに合わさず、私を睨む一人の少女。

 私は彼女を気に入っている。
 その眼差しがどこか安心するのだ。
 私を羨ましいとでも思っているのだろうか。
 それならば、人生を変わってもらって構わない。
 何もかも、私の才能、言葉、容姿、環境全てをあげるから、どうか代わりに耐えて欲しい。
 この誰も知らない愚かな人生に耐えてくれるのならば、私は喜んであなたの人生を生きたい。
 そう思っていることを彼女は知らない。一生知ることはない。


 西陽が校舎内を照らす頃、最上階の誰も使わない教室へと私は消えた。

 窓の縁を机の代わりにし、ルーズリーフに遺書の真似事のような事を綴ろうとした。

 感謝を述べたい人を必死で探したが、思い付かなかった。

 在り来りな
 パパ、ママありがとう。
 だなんて、そんな言葉を綴るつもりは無い。
 全ての元凶はこの二人であるのに。

 まともな人に育てられていないのだから、何ひとつとして教わっていないのだから、こんな人間ができて当然だ。
 だから私は運命に抗い、学んだ。
 温かい家族とはなにか、優しい心とは何か、文字を通して、映像を通して、死に物狂いで学んでも、結局経験者には叶わなかった。
 羨ましいとは思わなかったが、絶望するほど私は悪くなかった。

 だから八方塞がりなのだ。

 これが理由か。
 私は何も悪くない。だから、状況は改善しない。
 しかし、恨みつらみをぶつけて終わらせる事に美しさは感じない。
 全ては期待しすぎた自分が悪いのだ。


 私は5分ほどでその遺書のようなものを書き終え、ブレザーを脱いだ。
 そして近くにあったハサミでゆっくりと切り刻む。

 切り刻んだ隙間から夕陽が漏れて、波のような涙を照らす。
 胸は静かで心も落ち着いているのに、どうして零れていくのか私には分からなかった。

「よく頑張ったね」

 そう神様が私に言ってくれているのだと思った。
 死んでいった彼よりも私の方がずっと辛かったことは、神様しか知らない。


 ーーいつの日か幸せになれたとしても、これが私の邪魔をし続けるでしょう。
 忘れる事なんて出来ない。許す事なんて出来ない。
 だから私は、小児期の記憶に悩まされ、囚われ、純粋な幸せを知らずに一生を終えるくらいなら、今死にたいと思うのです。
 誰も知らないかったでしょう。私がそうした。ずっと、死にたかったから。
 だから責めるべき人はどこにも居ないーー


 右袖の端切れが風に舞って、ひらひらと桜の花びらのように落ちていく。
 私は微笑んだ。
 きっと未来の私は今の私の行動に感謝することでしょうね。

 全身撫でる風が、心も身体の痛みも癒していく。
 赤も紫も緑も黄色も、白に還っていく。

 ここに居たくない。でも帰りたくもなかった。
 何処へ行っても、私が作り出した剣が私を刺してしまうから。



 校舎内に響き渡る叫び声は彼女には聞こえなかった。
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