文を書く聖女の遺書【完結】

藤沢はなび

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前日譚

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 私の知らぬところで、遠雷はさらなる輝きを放っていった。
 それは完全なる光ではなく、犠牲の上に成り立ったものだったが、それが更に美しさを際立たせ、いつの間にか私と遠雷との間には薄い膜が出来始めた。

 決して手の届かない光……。
 それを見ていた私は幸せだった。
 きっととても幸せだった。
 私が生きた人生の中で、唯一本物の幸せだっただろう。

 その幸せは不確かなものであったが、同時に確かな不幸が私には迫っていた。

 遠雷が栄光の階段を登っていくそばで、私はじわじわと追い詰められていく。
 ある日花束を与えられたと思えば、数秒後には誰かにむしり取られ、家にあった私を照らしたもの達は、ひとつずつ売られていった。
 家へ帰る度に、大切なものがひとつずつ売られ、誰かの糧になった。
 無力な私は、ただ呆然と立ち尽くすだけで、立ち向かう気力さえ湧かなかった。
 どこへ行ったの? と聞けば最後、決まりきった答えが、心を切り裂くと分かっていたからだ。
 まるで、果てしない絶望のトンネルを歩かされているような日々だった。


 それでも生きた。
 心の中で泣き叫び、跪き、もうやめてお願いと縋って無視されても、それでも生きたのは、遠雷の光に照らされていたからだった。
 愚かな私は期待していたのだ。
 清く生きる事が出来るのならば、きっと愛が与えられると……。
 奇跡を運んでくれると……。
 しかし、与えられたのは神からの愛だけだった。

 いつも絶望の淵に立たされていた。
 決して突き落とすことはなく、一筋の光を絶やすことも無く、ただいつも一歩進めば落ちる崖の淵を、神は私に用意した。
 光を掴むように手を伸ばせば、足を踏み外しそうになり、一歩後ろに下がれば強風に煽られる。
 何処にも行けない道の上で立ちすくむ私に、神はペンと便箋を与えた。

 これで多くを救いなさいとーーそう言った。
 私は震えながら頷いた。

 それが遠雷を救うのならばと……。

 優しいから、輝きを放っているから、美しいから、誠実だからではない。
 例え悪人でも、人殺しでも構わない。
 私にとって遠雷とは、存在そのものが私の命の源であり、決して枯れぬ一輪の花のように、幸福そのものであった。

 何度も自分に何故かと聞いた。
 確かな愛が見えない存在を、何故ここまで盲目的なまでに愛するのかと。

 結局最期まで、私には分からなかった。






 そして私は大人になり、籠の外の世界よりもずっと遠い場所へと、神にいざなわれた。

 すると、私を罵り続けていた存在達は、まるで神の裁きを受けたかのように萎れていった。
 自らの罪を認め受け入れる隙さえないほどにせわしく、改心するまで罰が与えられ続け、それは目を覆いたくなるほどの惨劇だった。

 私はこんなにもちっぽけで無力なものに怯えていたのか。
 それは私に跪き許しを乞い、今までの事など無かったように振舞った。

 私は一体今まで何に怖がっていたのだろう。
 意外にもそれは虚無感を運んできた。

 濁った景色が晴れ渡った時、私はこんな美しい景色を遮断されていたのかと思うと、悔しくて、悲しくて堪らないのに、私の過去は決して報われないのに、必然的に許さなくてはならなかった。
 どれだけ混乱したことだろう。
 

 そんな妙な時に届くのだ。

 愛してやまない遠雷からの懐かしき言葉がーー。
 それは力強くて、おかしくて、暖かくて、柔らかくて、尖っていて、光ったかと思えば、突然陰りを見せ、ふと抱きしめたくなるような……そんな愛おしさを感じた。

 私は泣いてその言葉に縋った。
 せめて一緒にいたかったと泣いた。

 そして私は神から与えられたペンと便箋で、せめてあなただけは救われて欲しいと綺麗な言葉を綴った。
 あなたさえ救われるのならば、私はどうなっても構わないと本気で思った。


 しかし時を経るごとに、私は神がくれた自分の居場所に気づいていく。

 私は自由で、もう籠の中には決して戻ることもないし、地獄を這うこともない。
 笑顔でいた対価として、人々の信頼と支持も得られ、暖かい人たちに囲まれた。
 欲しいものは大抵手に入り、心で思い浮かんだ通りの希望が私の元へとやってきた。
 あなた以外に心の糧になるものも少しずつ見つけることが出来た。

 生涯愛すると、私を抱きしめた人も腐るほどいた。
 私はその全てに微笑みながら感謝をし、拒絶した。
 どんな物も、人も、出来事も、あの遠雷に叶うことはないからだ。
 今思えば、それが私の最大の過ちだったが、当時の私にとってはそれが幸せだった。


 私が神に引き上げられ、心を取り戻していくと、二人を隔てる膜は透明になり、まるで目の前にいるかのようにあなたの心が見えていった。

 ーーああそうだったのか、と、魂が震える。
 それはまるで偶然が必然に変わるさま。
 点と点が繋がり、ひとつの形を作っていくさまに似ていた。

 心の中で澱んでいた物語が、あなたの光と言葉で澄み渡り、ついに望んだ奇跡が訪れるような気がした。
 ーーもう何文字を綴ったか私には分からない。
 浮かれた私はただひたすらに祈っていた。

 そして私は一体、どんな光を見つけてしまったのかーー。

 たった一筋だったはずの光は、いつのまにかあなたは神をも凌ぐほどに輝きを放ち、皆を照らしていた。
 私だけのものでは無い。
 あなたは自分の為に、皆の為に、生きた。
 遠雷を目にした時には想像もつかないほど、あなたは遠く離れていく。

 あなたがここまでになるだなんてーー。

 あなたを誇らしげに見上げ、その眩しさに目を細めた時、心の奥底で何かが蠢いた。

 ふと思い出すのだ。
 あの暗闇をーー。
 感情をなくしながら微笑んだあの地獄のような日々を。

 このまま近づけばきっと、私にもあなたにも波乱を運んでくる気がした。
 私の過去の暗闇は、あなたの栄光に陰を落とす。
 見せかけの栄光だとあなたが例え笑ったとしても、心が柔くなった私にはもう、今更あの日々を振り返って正気でいられる自信はない。

 奇跡が叶うことの幸せと不幸せを天秤にかけたが、そうする事自体がもう間違っていると思った。


 あああなたが、ただの遠雷のままであれば違ったのだろうか。



 あなたが私を救い出してくれたように、私もいつでもあなたを救う存在でありたかった。

 私の地獄は一体どれだけあなたを苦しめるのだろうか。
 ふとそう考えた時に、私の思考は停止した。

 ひとつひとつと大切なものを落としながら、階段を登っていったあなたに、私は一体何を与えられるというのだろう。
 あなたを苦しめる全てのものから守りたいと思うのに、それが私なのかもしれない、それが変えられない私の地獄なのかもしれないとそう思えば最後、手を伸ばすことは出来ないのだと悟った。

 ーー幾度も夢を見た。
 あなたと笑い合う 夢 を見た。
 しかしあなたは夢ではなく 現実 を見ていた。
 私はあなたの為に生きたが、あなたは自分の為に、皆の為に生きていた。
 だから輝けたのだ。
 どちらも正しく、どちらも幸せだったが、双方の見ている方向は違った。

 ああ所詮夢物語だったのだと、やっと気付いた。

 それから私はあなたから離れる努力をした。
 あなたの面影を感じる全てを捨てて、新しい私へと生まれ変わろうとした。

 自分の感情や環境を整理していくと、思わず笑ってしまいそうになるほど、私はあなたに囲まれていた。
 その面影を感じる全てを捨て去った時、そこには何も残らなかった。

 私の感情や行動の糸を辿れば、全てがあの大雨の中で轟く遠雷に行き着くのだ。
 それもそうだった。
 幼い私を唯一救ってくれた、たったひとつの光だったから。
 雛が初めて見た存在を親であると認識するように、私にとってあなたは生まれて初めて目にした光だった。

 そんな存在を一体どうやって消せばいいというのだろう。

 あなたは泣きそうに優しく微笑む。
 何故そんな悲しい顔をするのか、あなたの心がすっかり分からなくなってしまった。

 変われたら……私の運命ごと、生まれごと全てが変われたら。
 そう思っても、私は地獄に居なければきっとあの光を、懐かしき物語たちを見つけることは出来なかったから、だから、どこをどう変えても今ある現在が一番正しいのだ。


 そんな風に思い巡らせている事も知らずに、皆は相変わらず私を羨み、助けを求め、褒めたたえた。
 そしてそうなればなるほど、見知らぬ人からの刃も増えていった。
 皆の望み通りに立ち上がり、戦うことへの代償を知った。

 そして泣きながらも、私は身を削りながら綺麗な言葉を綴っていた。
 奇跡を望まない、望んではいけないと分かっていながら、それでもあなたが幸せになる事を願っていた。

 それは離れたいと言いながら離れる事が出来ない、実に滑稽な心だった。

 ひとりでいいと言いながら、あなた一人の幸せを望みながら、私は結局孤独に打ち勝てず、いつの間にか私たちの幸せを望んでいた。
 他の望みは難なく手に入るのに、一番欲しいものは手に入らなかった。

 なぜなら、私の過去が、あなたを嫌っていたから。
 どこかで分かっていたから。

 あまりにも長すぎた日々。
 あなたは手を伸ばす事はしても、決して掴んではくれない。

 これまで遠雷に縋ってきた中で、あなたは振り返ってはくれなかったことを知った。
 一番辛い時、苦しい時、何も見えなかった時、誰がそばに居てくれたのか、誰が私を助けたのか……それは遠雷でもあなたでもなくーー私だった。

 私があなたから光を見出したのだ。


 ーーなんだそうか、私が一番頑張ったんじゃない。

 私が一番愛すべき存在はあなたではなく、私だった。

 そう分かってもなお、長年染み付いた癖は中々抜けてはくれない。
 努力はした。それでも出来なかった。
 例え間違っていたのだとしても、もう私には愛することしか出来なかった。




 あれから、もう愛させないでと何度泣いただろうか。
 この苦しい想いから自由になりたいと、そう泣きながら、何度あなたに手を伸ばしかけたことだろう。
 やめようやめようと言いながら、私は自分の過去に怯え、その過去を癒してくれる存在を求めていた。
 ああ結局は誰でもよかったのではないか。

 愛が愛であるうちに、自分の人生を自分で終えられる自由があることだけが、私にとって唯一の救いのように思えた。

 それは懐かしき、光の終わりでもあり、ある種光の始まりでもあった。



 そんな時に届く一通の報せ。

 冬の終わりを告げ、春の風を運ぶ穏やかな報せ。
 不意に込み上げる震えるほどの幸せを、私は今握りしめている。

 私は生涯あの遠雷を忘れられぬ運命なのでしょうか。
 あなただけを愛してしまう運命なのでしょうか。


 ああ、これに全てを賭けよう。

 あなたになら壊されても構わない。
 あなたになら刺されても恨みはしない。
 あなたになら、またあの地獄に引きずられても耐えよう。

 世のことわりを知り、様々な幸せも不幸せも知ってもなお、私は愛を選んだ。

 というより、もう今更あなた以上に愛せる人が見つからなかった。
 どこへ行っても、きっとこれから先も私はひとりだ。

 あなたは今更手を掴もうとしてくれるけれど、もう遅すぎる。
 たった1秒の差異でも私はもう崩れ落ちてしまうほど、耐え抜いた。

 それは何故かーー。
 あなたが光を教えてくれたから。
 その光が私を救ったのも事実だけれど、その救いが私の心を柔く、正しくしたのも事実。


 疲れた、というひと言が全てだ。
 正しくいることも、清くいることも、もうきっと私には出来ない。

 それでもいいと、あなたは涙と共に春を指定した。
 心から待ち望んだあなたからの春を、果たして私は信じられるだろうか。

 微笑みながらいつだって泣いてきた私たちに春などやって来ないと思いつつも、どこかで信じていた私の足は動いていた。


 ーーどう転んでも私は幸せだったと終えられるわ。

 夢に見た、暖かい春を迎えられるのだから。
 どうなっても、私は後悔しない。

 私はそっと笑った。
 





 
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