文を書く聖女の遺書【完結】

藤沢はなび

文字の大きさ
3 / 5

遠雷

しおりを挟む




 救われることを望んでいたと思っていた。
 でもそうではなかった。
 きっと私は救われないことを望んでいたのだろう。

 光が差さない部屋が
 当たり前だとそう信じたままいられるのだからーー。





 自分の人生を自分で終えられる自由があることだけが、私にとっての唯一の救いだった。
 闇の中、小さな部屋には灰が積もり、色彩は無く、心は砕け散っていたにも関わらず、私は罵られても罵り返さず、苦しめられても脅し返さず、じっと微笑む人だった。

 ひとつ息を吸う毎に、汚い空気が自らの肺を汚していくような気になっても、私は膝を抱え、ずっと何かを待っていた。
 何も望まない振りをしながら、誰かが助けに来てくれると信じていた。
 沢山の怪物に囲まれることが「幸せ」だとそう思い込むことで、自分を傷つけていた。

 しかし、待てど待てど助けは来ず、むしろ私に助けを求めてくる者ばかりだった。
 一体この幼子に何が分かると言うのだろう。
 大きな身体が小さな身体に縋る姿は実に醜かった。


 そして時を経て、それは幻だったことを知る。
 あんなにも私を苦しめた存在は、私以外の者によって裁かれ、弱者となり落ちぶれていった。
 籠を囲っていた鎖が切れ、羽ばたいた瞬間、それは私に鈍い光を見せた。

 もうここでは無いどこかへ行けるのならばどこでも良かった。
 結局は誰も私を助けなかった。
 私を救えるのは私だけ。
 羽ばたいたのも、微笑んだのも、耐えたのも、自らを励ましたのも私だけだった。
 そうやって、苦しくても微笑んだ事の対価は大きかった。
 私は神に愛されていると思うような日々を過ごしたが、それは次第に自分を苦しめていった。

 誰も私の苦しみを知らなくなってしまったのだ。
 私以外の誰もが私を聖女のようだと羨んだ。
 羨まれる度に、誰か私と人生を代わってくれないだろうかと願った。
 綺麗な言葉を吐き出し、誰も恨んでいないような振りをしながら、どこかで罰が当たる事を想像した。

 しかし私は、もう心が壊れていることを誰にも悟られたくはなかった。
 悟られてしまえば最後、私が持つ唯一の自由が無くなってしまうからだ。
 だから微笑んだ。

 微笑みながら、私の胸の内にはいつも様々な道具と手段が並んでいた。
 それは、私以外誰も知らないこと。
 私は黙ったまま、延々と傷ついていくのに、その場所から動くことが出来なかった。
 神は私を愛していたが、私は神を嫌っていた。
 もう唯一の自由を行使する事で、理解が得られるのなら、もうその手段しか私には残されていないのではないかーー。

 そんな裏切りに走ろうとした時に、見つけるのだ。




 ーーそれは懐かしさにも似た、大雨の中で轟く遠雷のような輝きだった。

 そこにあると分かっているのに、決して近づくことは出来ず、手を伸ばし触れようとすれば、熱で焼け焦がされてしまう。

 それでも一瞬にして私の世界を彩り、どんな苦しみにも耐えていけるような気にさせた。
 つま先を地面に付けた先から灰は風に消え、青々とした芝生が現れ、そこから広がるように色が溢れ出し、空からは暖かい光が降り注いだ。
 私の苦しみは何ひとつとして解決していないのに、それでいいのだとさえ感じた。

 手を組み祈る日々。
 私は自分ではなく、その遠雷のために祈った。
 それは初めて、生きる理由を見つけた日だった。
 助けたい。慈しみたい。救いたい。
 私にはもう何も残されていないのに、その遠雷に捧げられるものをずっと探した。

 自らの皮膚を削ぎ落としていくような、その痛みさえ、これでいいんだと愛せるような、狂おしい感情だった。
 恋かと聞かれたらそうではない。
 愛かと聞かれても、そんなに清らかでいられるものでもない。
 情を抱くほど私はその遠雷を知らない。
 ただ、ただ懐かしかった。
 涙があふれるほど、懐かしかった。
 心の中で初めて幸せを知った。

 私を知らぬ者に囲まれる中、その遠雷は、私の知っている物語を連れてきた。
 それがどれだけの奇跡だったか……。
 ただそれだけで全てが報われたと思った。


 生まれて初めて、私は人を愛せると思った。
 愛される事を知らず、愛し方も知らないのに、まるでどこかで覚えていたかのように、慈しむ言葉が溢れ出した。

 抱きしめ方も泣き方も祈り方も笑い方も教わった事はないのに、私は初めから知っていたかのようにそうした。

 そうやって私は救われたかのように思えた。

 しかし、人生はそんなに甘くない。

 私は生まれた時から地獄を這っていた。
 そしてその地獄から解放されたあとも、その事実は私にまとわりついた。
 それを美しいと思う人もいれば、それが醜いと言う人もいた。
 私にとってはどっちでも良かった。
 評価される立場が酷く不快だった。
 気丈に前を向こうとも、地獄に引きずり込まれ、徐々に私の道から陽の光が消え始める。

 対して懐かしき遠雷は栄光の中を歩いていた。
 その中でどんな想いを抱いていたのかは私には分からなかったが、少なくとも分かろうとした。
 遠くから見れば輝いていた光も、傍にいけば泣いていることだってある。
 私は遠雷を抱きしめることで、自分を癒そうとした。
 そして、私からは光が消えていくのに、遠雷は更に輝き始める。
 それでも私は微笑んだ。
 遠雷が苦しげに轟くそばで、私もまた誰かに跪きながら泣いていたが、それは遠雷含め誰も知らない。
 
 その輝きを抱き締めれば抱き締めるほど、痛くて仕方がない。
 消えたくて仕方がない。

 それでもどうして、遠雷の、遠雷だけの幸せを願えたのかーー。
 私のいない、私が消えた世界の幸せを願えたのかーー。

 あの日あの地獄から遠雷が私を救い出してくれたと、そう信じていたからだった。
 きっと、きっとこの大きな不幸に耐えた先に、遠雷は虹へと変わり、私を大きな幸福へと誘ってくれると、そう心のどこかで信じていたからだった。








しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

悪役令嬢ですが、兄たちが過保護すぎて恋ができません

由香
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢・セレフィーナに転生した私。 破滅回避のため、目立たず静かに生きる――はずだった。 しかし現実は、三人の兄による全力溺愛&完全監視生活。 外出には護衛、交友関係は管理制、笑顔すら規制対象!? さらに兄の親友である最強騎士・カインが護衛として加わり、 静かで誠実な優しさに、次第に心が揺れていく。 「恋をすると破滅する」 そう信じて避けてきた想いの先で待っていたのは、 断罪も修羅場もない、安心で騒がしい未来だった――。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

処理中です...