蜜空間

ぬるあまい

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四空間目

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二十四時間というのは長いようで短い。それに伴うように、時の流れは遅いようでとても早い。
携帯も持ち込み禁止な上、新聞は神田さんが見せてくれないので俺は日にちの感覚が上手く取れずに居た。その為、気が付いた時には、部屋に飾ってあるカレンダーの七月分は破られていて、八月の頁がこんにちはしていた。
神田さんはそんなマメな人ではないため、破ったのは多分此処の従業員の人だろう。

……それだというのに。

「何で、」

俺は鏡の前に立って一人小さく呟く。
八月。そう月は変わったのだ。神田さんに首元を噛まれて腹部辺りを舐められ吸われたあの日からそれなりに日にちが経ったはずだ。

「それなのに、何でまだ痕が残ってるんだよ…っ」

例え完璧に消えなくても、薄れるのが普通だろ。だけど何で色濃く残ったままなんだ。まるで昨日付けられたかのように、はっきりと痕が付いているは正直気持ちが悪い。というか、左胸にまで痕があっただろうか。

「…ハッ!?」

……まさか俺が知らない間に。

「い、いやいや、そんなわけないよな」

そんな考えが頭を横切ったものの、俺はすぐに否定した。いくら何でもそんなことをするほど、彼は物好きではないだろう。誰が好き好んで太った野郎の皮膚に吸い付くかって話だ。脂っこいんだよ糞野郎、金払われてもそんなことしねえよと怒鳴られるレベルだ。

「はぁ」

俺は一向に消えない痕に若干の苛立ちを抱きながら。その痕諸共、あの時の記憶さえも消し去るようにゴシゴシと摩ったのだった。

ガチャリと扉を開けて部屋に戻って、俺は第一に先程食べたお昼ご飯の生姜焼きの良い匂いが未だ残っているなとぼんやりと思った。そしてその次に、神田さんが何やらゲームが収納されている棚を弄っているのに気が付いた。

「神田さん?」
「おー。暇だしゲームしねえか?」
「いいですね。したいです」

先程の苛立ちは神田さんの言葉に一瞬にして消え去った。一緒にゲーム出来ることに目を煌めかせて神田さんを見れば、彼は俺を「犬みてえだな」と言って笑った。
俺はお犬様のように可愛くはないけれど、でももし犬のように尻尾があったら、きっと振り千切れる程ブンブンと振って喜びを顕にしていただろう。

「何かしたいのあるか?」
「うーん…お任せします」
「人生ゲームは?」
「自分の人生が詰んでいるというのに、これ以上人生のゲームはしたくありません」

はっきりと自分の意思を告げれば、神田さんはぶはっと吹き出して笑った。

「お前、相変わらず面白えな」
「…それは、褒め言葉ですか?」
「ああ。褒めてる、褒めてる」

くくっと笑う神田さんも相変わらず格好いいですね、と褒めてあげようかと思ったけれど。「知ってる」と笑いながら返されそうなので止めておく。

密室空間で一緒に過ごし続けた結果。
会った当初よりは断然に、良好な関係を築けていると俺は思っている。
多少生意気なことを言っても、冗談を言っても怒られないと分かって、俺も結構な態度を取り続けているのだが、喧嘩にはなったことはない。まあ、喧嘩に発展したら俺に勝ち目は全くないのだけれど。
多分この一ヶ月だけで、俺は今までの三年間分くらいは人と話しただろう。
パソコンとゲーム機だけが友達だったのが懐かしく思えるほど、今の俺は充実している。

「あ、でもやっぱり人生ゲームしたいです」
「あ?何でだ?」
「だってリアルでは芸能人で輝かしい生活を送る神田さんが、ゲームの中では地に落ちている姿とか見てみたいじゃないですか」
「…言ってくれるじゃねえか」

ニヤリと悪どい笑みを浮かべた神田さんに、俺はニコリと笑い返してこう言った。
「お手柔らかにお願いします」と。


神田さんと俺。そしてCPU二人を加えて、合計四人で人生ゲームをすることになった。
ちなみに全員男である。だけど丸っこいキャラの為むさくるしさなどはなく、どちらかというと可愛い。だけど皆一様に髪型や目型を面白可笑しく飾っているため、“変人の集まり”と言った方がより適切だろう。
神田さんはその中でも特に一際変人極まりない姿をしている。見た瞬間おもわず吹き出して笑ってしまったくらいだ。実物が格好良いだけにそのギャップが凄まじい。

「そんな格好で警察官にならないでくださいよ」

俺を笑い殺すつもり気ですか?、と引き攣った笑い声を上げながら息絶え絶えに突っ込めば、神田さんはニヤリと笑い返してきた。

「あ?見た目で判断するんじゃねーよ」
「逆に捕まりそうな格好してるくせに威張らないでください」

こんな姿をした者でも簡単に警察官になれるんだからゲームの世界の人生は簡単だ。出来るなら俺もこの世界に飛び込みたい。

「じゃあ俺は教師になろうかな」
「教師?」
「まだ心の清い子供達に、あんな大人にならないように教えてあげるんです」
「人を変人扱いするんじゃねえ」

二つの拳で頭をグリグリとされながら俺は更に笑い声を上げる。

「あ、痛い、…あはっ、痛いですって」
「痛くしてるから当然だ」
「潰れる、潰れるーっ」

笑い過ぎて涙が出てきた。
どれくらいぶりだろうか。こんなにも腹が痛くなる程に笑ったのは。笑うとしても苦笑いを浮かべるだけだった昨今。そんな温かい記憶など昔過ぎてよく覚えていない。
こんな楽しい日がずっと続けばいいのに…。

そんな風に茶々を入れ合いながら面白可笑しく続けたゲームは、折り返し地点くらいまでやって来た。現時点では四名とも順位に差はほとんどない。だが面白くするためにでたらめな行動して来た俺達人間二人は、残念ながら今の所では三位と四位という情けない順位に位置にいる。ちなみに神田さんが三位で、俺がドベだ。

「さて、そろそろ本気を出すとするか」
「ん?またジョブチェンジですか?」
「ああ」

警察官、冒険家、発明家、政治家と色々な職業に転職していた神田さん。
政治家も最高ランクにまで達したのだから、このまま安定した給料を得るために政治家のままで居ればいいのにと思ったが、敢えて何も言わなかった。次はどんな職業になるのか気になるという理由もあったが、第一に神田さんには負けたくないから低い給料になり下がって欲しいと思ったからだ。…この考えには卑怯ではなく、ずる賢いと言われたい。

そして神田さんが次に選んだのは。

「…悪の大王?」
「格好良いだろ?」
「ぶふぉ…っ!」

思わず再び吹き出して笑ってしまった。多少唾が飛んでしまったが俺は悪くない。だってこれは笑わせた神田さんが悪いのだから。

「ちょ、ちょっと、ぴったり過ぎじゃないですかっ」
「あ?」
「現実と然程大差無いですね、…ぷぷっ」
「腹立つ笑い方だな…」
「永久就職先が見つかって良かったですね」
「それは意味合いが少し違うだろ」

だけどあまりにも似合い過ぎている。ゲームの中での彼の分身の姿では黒のマントや角などは似合っていないものの、現実世界の神田さんにこの衣装を着せたら、洒落にならないほど似合うことだろう。

さて一頻り笑い終わったところで、俺はどうしようかな。
教師、消防士と続いて警察官の職業もマスターした。安定した給料を得るならば、神田さんのように転職はせずに、少しでもパラメーターを上げた方がいいのだろう。

「あ」

真面目にするならばゲームの中でだって、どこまでも安定を求める俺。だけど下の方で見つけたある職業に俺は目を奪われてしまい、一も二もなく咄嗟に転職してしまった。その選択に自分でも驚いたものの、後悔は一切ない。
神田さんの悪の大王とは正反対の色彩をした服。白のマントに赤の仮面マスク。

「…正義のヒーロー?」

そう。俺が転職したのは正義のヒーローだったりする。神田さんとは色彩どころか、存在意義すらも正反対だ。高校生にもなった俺だけど、やっぱりこういう存在は未だに憧れる。現実では俺を助けてくれるヒーローなんて現れはしなかったけれど。

「はっ、お前がか?」

鼻で笑われて若干腹が立ったが、言いたいことは十分過ぎるほど分かるので敢えて何も言わない。自分でも不釣り合いだということは分かっているから。

「格好良いでしょ?正義のヒーロー」
「悪の大王には及ばねえよ」
「俺の正義の力で神田さんを成敗します」
「ふはっ、目を煌めかせながら真面目に言うな馬鹿」

笑いながら肩をバシバシと叩かれて少し痛い。だけど俺だけでなく神田さんも楽しんでいるようでそれは純粋に嬉しい。このままステータスを上げながら正義のヒーローの職業もマスターしてやる。そして最下位から一位に這い上がってやる。
さあ、ここからが本戦だ。楽しみながら頑張ろう、そう意気込んだ時にコンコンと控え目なノックが玄関から聞こえてきた。

「…あ」

時計に視線を向ければ、いつの間にか夕飯の時間になっていた。先程昼飯を食べたばかりのような気がするのに。やっぱり楽しい時間はあっという間に過ぎて行くんだな。一日が終わるのは意外と早いというのは此処に来て改めて感じた。

「続きは今度するか」
「はい」

名残惜しいものの、娯楽時間ばかりを過ごす訳にはいかない。一応こんなんでも給料を貰って此処に居るのだから。俺はセーブをする神田さんを見て、玄関先にまで配膳を取りに行った。



*****


「神田さん」
「あ?」
「俺明日はキャッチボールがしたいです」

配膳された夕飯を味わいながら俺は突拍子もなくそう言った。というのも、明日は三日に一度の“運動日”だから。前回は神田さんとバスケの1on1というものをやったのだが、キツくて血を吐くかと思った(実際に口の中は血の味がした)。あんなスピードに俺が付いていけるわけがない。神田さんは神田さんで、手加減してくれているのだろうが、あんな一方的で運動量の激しいバスケなんて暫くはしたくない。
だからまったりとしたキャッチボールがしたいです、と主張する俺に神田さんは頷きながら口の中に入れていた白米を飲み込んだ。

「別にいいけど、四時間ずっとは飽きるだろ」

確かに正論だ。いくら何でもずっとキャッチボールは飽きが来るはずだ。
それならばバッティングも追加するか?

「あ、いっそチームを作って対戦とか…」

俺の人見知りが改善されたわけでもなく、未だにまともに会話出来るのは神田さんしか居ないが、これも良い機会かもしれないと俺はそう発言してみた。
今まで俺一人がずっと神田さんを独り占めしている。いや、決して独占していたつもりではないが、他者の目からはそう写っているはずだろう。俺のような冴えない奴がずっと神田さんの隣に居ることに、良い風に思う人なんて居ないだろうから。実際に数人には殺意に満ちた目で睨まれたことがある。この仕事が終了して、此処から出たときには恨みで刺されるのだけは絶対に避けたい。

「却下」

だが神田さんの答えはいつもと変わらずノー。
こうやってさり気なく他者とのコミュニケーションを図るように勧めているのだが、今回もいつもと同じく、神田さんは頑として首は縦には振ってはくれなかった。
…そんなに騒がられるのは嫌なのだろうか。確かにこんな所に来てまで愛想を売るのは面倒だと思うけど。

「うーん…、じゃあバッティング練習とかはどうです?」

他類なバッティングマシーンを完備しているからきっと飽きはしないだろう。そう提案した俺に、神田さんは満足そうにただ一度だけ頷いた。
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