真梅雨怪奇譚 ー 梅雨の日に得た能力

七槻夏木

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能力発現

梅雨入り Ⅷ

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 私は、友人の服に袖を通すと風呂場をあとにした。ほんの少し、私の身体には大きめの直子の服は、ちゃんと直子のにおいがする。京香いわく、ダウナーな香り、らしい。直子は、私は危険ドラックじゃないです! なんて怒ってたけど、京香の表現はあながち間違ってはいないかもしれない。確かに、荒んでいた心が静められるような気がする香りだ。

 そんなことを、ぼんやりと考えながら歩いていても、直子のいる居間まで、まだ後半分くらい木造の廊下は続いていた。勿論、こんなに広い邸宅に、直子は一人で住んでいるわけではない。両親と祖父母、兄二人と住んでいる。しかし、両親と祖父母は、今日は夜遅くまで、県のお偉いさんとの付き合いがあり、兄二人は、地元の国立大の医学部に通っていて、図書館で勉強してから帰ってくるそうだ。本当は、もっと上の大学を目指すことも可能だったらしいが、大学の学長とも城ケ崎家は縁があったため、愛姫に残ったという。もっとも、京香はそれが嫌で、文系へ進んだ。流石に親も医学部でなければ、偏差値的に他の都道府県への進学を許してくれるから、と。どうせ卒業後は、愛姫に帰らされるのだから、大学くらいは都市圏へ行って、社会を知りたいそうだ。由緒ある家柄というのもなかなか大変なのだろう。

 そうこう考えているうちに、やっと、居間まで着いた。軽くノックしてから、襖をスライドさせる。

 教室二つ分くらいの広さを持つ畳張りの長い長方形をした部屋で、直子は一人、何をするでもなく座っていた。前に何度か、京香と二人で泊まりにきたときもここを使わしてもらった。

「どう? 温まりました?」
「ええ。良いお湯加減で」

 私が、お堅い言葉を返すと、直子は、それはよかった、とほほ笑む。

「直子、そこのドライヤーかしてくれない? 一応、タオルでふきはしたけど、髪が濡れたままで」

「ああ、すみません。私も、髪くらいは、乾かそうとドライヤーを使っていたのでした」
「悪いね、私だけシャワー借りちゃって」
「いえいえ。私は、どこかの誰かさんと違って、ちゃんと傘を差していたので、濡れたのは、髪と制服くらいですから」「さ、ここにお座りください」

 直子は、正座している自分の前を、手でさす。

「え、へ?」
 私は、気の抜けた返事をしてしまった。
「だ・か・ら、私が髪を乾かしてさしあげます!」
「ん、や。自分で出来るって」
「いいから、私に任せてください」

 直子は、さ、と自分の太腿をパンパン叩いている。こうなると、直子は、テコでも動かない。変なところで強情だから。ここは、私が折れるしかなさそうだ。気恥ずかしいったらありゃしないけど、別に嫌なわけじゃないし。

「もう……。分かったわ。おねがいします」
「あら? 小崎さんなら、もう少し食い下がると
思いましたが。今日は、素直ですね」
「何言ってるの? 私が食い下がったら、直子は、もっと食い下がるんじゃない」

 ふふっ、と笑う直子の前に、すん、と拗ねて勢いよく腰を下ろしてやった。思いっきり、お尻を打ち付けちゃったけど、畳は柔らかくて大丈夫だった。

 直子の冷たい指が、濡れた私の髪に触れる。指は、川に支流を作るかのように、肩より下まで伸びる黒髪を梳いていく。
「まったく。嫌になるほど綺麗な髪ですね」
 コードレスタイプのドライヤーのスイッチを点ける直子。

 ゴーーーーーーー。

「流石は、名門、城ケ崎家のコンディショナーといったところね」

 私が冗談めかして言うと、グーで、頭をコツンとされた。

「そういうことを言っているのじゃありません」

 それから、しばらく会話はなかった。ドライヤーの微風だけが静かな部屋に響く。外を見やると、相変わらずの大雨だが、厚い窓は立派なものなのだろう、雨音を完全に遮断している。屋敷には外側にも立派な木造の廊下が通っているが、その端っこの方には雨水が沁みて濃い色に変わっていた。

 ぼんやりと日本庭園を眺めていると、池の奥に、青と紫のアジサイが咲いているのに目がいく。満開のはずのソレを、何故だか綺麗だとは思わなかった。

 アジサイに興味が失せた私は、うつむき、畳をじっと見る。イグサの香りと、心地よいドライヤーの風、柔らかい直子の指。幸せだと感じてしまう。それが、辛い。私はきっと、その幸せを享受する資格を、とうに失くしているから。
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