元平民だった侯爵令嬢の、たった一つの願い

雲乃琳雨

文字の大きさ
8 / 40

8、ニナリアの決意

しおりを挟む
 王子の婚約発表の後、バートン家の三人は静かに逃げ帰った。それを、アレンと王子はそれぞれ横目で見ていた。
 馬車の中で叔父が、シェイラを叱責する。

「とんでもないことをしてくれたな」
「あなた、シェイラを怒らないで。それよりも王子に婚約者がいたことのほうが問題よ!」
「そうだな。そっちを父さんに報告して、シェイラのことは黙っていよう。きっと、父さんが何とかするはずだ」

 シェイラは呆然としていたが、ようやく口を開いた。

「あの子、背中に傷がなかったのよ。変よ」
「そんなことはどうでもいいだろ。ストラルトは隠居した魔法使いがたくさんいるんだ。魔法で治したように見せかけたんだろう。これ以上あいつに関わるな」

 叔母は黙っていた。それにシェイラはイラっとした。

(舞踏会でも伯父様のことでかばわれていた。お母様も、伯父様の面影をあの子に見ていて何も言わない。ヒース王子ですら、伯父様に憧れている。伯父様の子だからって、あの子ばかりいい思いをしているわ……)

 シェイラの脳裏に、突然アレンの顔が浮かんだ。自分は王子との婚約がなくなったのに、立派な騎士を夫にしたニナリアに嫉妬した。


 舞踏会の会場では、シェイラがいないことで余裕ができたこともあり、ニナリアは何とかダンスを数曲踊ることが出来た。結婚している者は他の相手と踊らなくてもよいので、これで終わってほっとしていた。
 王子が二人のもとにやってきた。ニナリアは、王子を初めて見る。茶色い長い髪を束ねて、端正な顔立ちをしていた。メイドたちの間でも、ヒース王子は一番人気だ。ニナリアは古参のメイドから、

『あなたのお父さんに少し似ているのよ』

 と言われたことがあった。ニナリアは、侯爵家で父のことを覚えている人がいて少しうれしかった。

(本当だ。なんとなくお父さんに似ている)

「こんにちは。かわいい奥さん」

 王子がニナリアに挨拶する。ニナリアは顔を赤くして挨拶する。

「初めまして、ニナリア・ラディーです」
「そうだ、君にはその名がふさわしい」
「?」(王子から結婚の話があったって言ってから、そのことかな?)

 王子は優しく微笑んだ。アレンが二人の間に割って入る。

「あまり見るな」
「おや、嫉妬かな」

 王子はアレンをからかった。美しい二人をニナリアは、ぼうっと見ていた。それから王女がいないことに気が付いた。

(王女様はもういないのね)

 アーシャ王女は早々に退席していた。ニナリアは本物の王女も間近で見たかったと思った。王子の言葉に引き戻された。

「とても賢い夫人だ。今日のことは助かった」

 今日の計画はアレンに話して、安物のストールを用意してもらっていた。それで今日は魔法石も持っていない。アレンはこの計画を手紙に書いて王子に伝えると、王子はそれを喜んでいた。

(シェイラを退しりぞけて、婚約者を紹介したかったからなのね)

「今日はあんなことがあったから、もう帰ったほうがいい」
「ああ、そうだな」

 侯爵がどう行動するか分からないと二人は思っていた。

「では、また会いましょう。かわいい奥さん」

 王子はニナリアの右手を取ると、手にキスをした。ニナリアは頬を赤らめ、アレンは二人を見てムッとした。王子は手を軽く振り、二人のもとを去った。


 バートン侯爵家の執務室には、祖父と叔父夫婦とシェイラがいた。執務室には、ニナリアの父クリストファーの大きな肖像画がかかっている。
 叔父が舞踏会の報告をした。当然、祖父はギラリと目を光らせ、静かに怒りをにじませた。

「なんだと、王子に婚約者がいただと」
「はい、突然の発表でして……」

 叔父は冷や汗をかきながら、父の様子を伺っていた。

「分かった。それは何とかしよう」

 三人は問題なく部屋を出ることができて、ほっとした。

「今日は王子の発表に助けられたな」
(父が無能だから、王子と結婚しないといけないのよ)

 シェイラは、父の背中を見ていらだった。母は言っていた。

『本当なら、私はお義兄様の婚約者だったのよ。でもお義兄様が体調を崩されて、あなたのお父様と結婚したの』

(本当なら、私が伯父様の娘だったのよ。そうなら、お祖父様ももっと私をかわいがってくれたはず。肖像画を飾るぐらいに!)


 その日の夜、ニナリアはかわいい寝間着を着て、ホテルのベッドの上に座っていた。舞踏会のことを思い出していた。美しい王女、きらびやかな王宮と貴族の世界。どの人もきれいな衣装を着て優雅にふるまう。まるで、母が寝る前に話してくれたおとぎ話の世界だ。その中でも引けを取らないアレン。アレンが見つめると、どの女性も頬を赤らめる。それを思い出したニナリアは、自分がまだ小さい子供で、ただの田舎の平民にすぎないと感じて、田舎に逃げ帰りたくなった。
 ニナリアの心は決まった。ストラルトに帰ったら、故郷に帰ろう。首都からだと10日はかかるが、ストラルトからだと6日ぐらいだ。

(今日、王宮を見れたことはいい思い出になった)

 アレンが部屋に入ってきて、ベッドに横になった。ニナリアがアレンを気にしなかったので、他のことを考えていると分かる。アレンは指でニナリアの髪を一筋すくう。

「何を考えている?」

 アレンの美しい瞳を見て思わず答える。

「自分がちっぽけな存在だと思って」
「——お前は、母親を守った強い女だ」

 ニナリアはそう言われて、ドキッとした。言葉に詰まる。アレンから目をそらせなかった。

(言わないと)

「……そのうちあなたが、私を必要としなくなると思うの。あなたは他の人にとって、重要な人だわ。……私は違うもの」

(アレンの周りにはたくさんの人がいる。きっと私のことなんか、すぐ忘れることができる。寂しく思うのも始めだけ)
(——私のかわいい旦那様。私はきっとこの人のことを忘れない)

 ニナリアは、寂しさと愛おしさでアレンを見つめた。アレンもじっとニナリアを見つめて穏やかに言った。

「なら、俺にとってお前は重要な人物だ。俺が欲しかったパートナーであり、安らぎであり、家族だ」

(……そんなこと言われたら、もう離れられないよ。……だめだ)

 ニナリアは涙ぐんだ。

「まだ、俺から逃げたいのか?」
「私が、裸で抱き着くのはアレンだけです。——これからも!」

 ニナリアはアレンに抱き着いた。アレンは優しく抱きしめる。

「そうでなければ困る」

(この人が、私を必要としなくなるその日まで、ずっと一緒にいよう)

 ニナリアの逃走計画はものの数分で、あっさり崩れ去った。その日からニナリアは、アレンの求めに素直に応じるようになった。
 アレンはやっと、ニナリアを手に入れることができた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

笑い方を忘れた令嬢

Blue
恋愛
 お母様が天国へと旅立ってから10年の月日が流れた。大好きなお父様と二人で過ごす日々に突然終止符が打たれる。突然やって来た新しい家族。病で倒れてしまったお父様。私を嫌な目つきで見てくる伯父様。どうしたらいいの?誰か、助けて。

麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。

スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」 伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。 そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。 ──あの、王子様……何故睨むんですか? 人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ! ◇◆◇ 無断転載・転用禁止。 Do not repost.

【完結】あなたに抱きしめられたくてー。

彩華(あやはな)
恋愛
細い指が私の首を絞めた。泣く母の顔に、私は自分が生まれてきたことを後悔したー。 そして、母の言われるままに言われ孤児院にお世話になることになる。 やがて学園にいくことになるが、王子殿下にからまれるようになり・・・。 大きな秘密を抱えた私は、彼から逃げるのだった。 同時に母の事実も知ることになってゆく・・・。    *ヤバめの男あり。ヒーローの出現は遅め。  もやもや(いつもながら・・・)、ポロポロありになると思います。初めから重めです。

[完結]困窮令嬢は幸せを諦めない~守護精霊同士がつがいだったので、王太子からプロポーズされました

緋月らむね
恋愛
この国の貴族の間では人生の進むべき方向へ導いてくれる守護精霊というものが存在していた。守護精霊は、特別な力を持った運命の魔術師に出会うことで、守護精霊を顕現してもらう必要があった。 エイド子爵の娘ローザは、運命の魔術師に出会うことができず、生活が困窮していた。そのため、定期的に子爵領の特産品であるガラス工芸と共に子爵領で採れる粘土で粘土細工アクセサリーを作って、父親のエイド子爵と一緒に王都に行って露店を出していた。 ある時、ローザが王都に行く途中に寄った町の露店で運命の魔術師と出会い、ローザの守護精霊が顕現する。 なんと!ローザの守護精霊は番を持っていた。 番を持つ守護精霊が顕現したローザの人生が思いがけない方向へ進んでいく… 〜読んでいただけてとても嬉しいです、ありがとうございます〜

ある日突然、醜いと有名な次期公爵様と結婚させられることになりました

八代奏多
恋愛
 クライシス伯爵令嬢のアレシアはアルバラン公爵令息のクラウスに嫁ぐことが決まった。  両家の友好のための婚姻と言えば聞こえはいいが、実際は義母や義妹そして実の父から追い出されただけだった。  おまけに、クラウスは性格までもが醜いと噂されている。  でもいいんです。義母や義妹たちからいじめられる地獄のような日々から解放されるのだから!  そう思っていたけれど、噂は事実ではなくて……

【完結】あなたのいない世界、うふふ。

やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。 しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。 とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。 =========== 感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。 4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。

婚約破棄され家を出た傷心令嬢は辺境伯に拾われ溺愛されるそうです 〜今更謝っても、もう遅いですよ?〜

八代奏多
恋愛
「フィーナ、すまないが貴女との婚約を破棄させてもらう」  侯爵令嬢のフィーナ・アストリアがパーティー中に婚約者のクラウス王太子から告げられたのはそんな言葉だった。  その王太子は隣に寄り添う公爵令嬢に愛おしげな視線を向けていて、フィーナが捨てられたのは明らかだった。  フィーナは失意してパーティー会場から逃げるように抜け出す。  そして、婚約破棄されてしまった自分のせいで家族に迷惑がかからないように侯爵家当主の父に勘当するようにお願いした。  そうして身分を捨てたフィーナは生活費を稼ぐために魔法技術が発達していない隣国に渡ろうとするも、道中で魔物に襲われて意識を失ってしまう。  死にたくないと思いながら目を開けると、若い男に助け出されていて…… ※小説家になろう様・カクヨム様でも公開しております。

冷徹公爵閣下は、書庫の片隅で私に求婚なさった ~理由不明の政略結婚のはずが、なぜか溺愛されています~

白桃
恋愛
「お前を私の妻にする」――王宮書庫で働く地味な子爵令嬢エレノアは、ある日突然、<氷龍公爵>と恐れられる冷徹なヴァレリウス公爵から理由も告げられず求婚された。政略結婚だと割り切り、孤独と不安を抱えて嫁いだ先は、まるで氷の城のような公爵邸。しかし、彼女が唯一安らぎを見出したのは、埃まみれの広大な書庫だった。ひたすら書物と向き合う彼女の姿が、感情がないはずの公爵の心を少しずつ溶かし始め…? 全7話です。

処理中です...