吸血鬼な俺と、美しく狂った祓魔師の話――これは最悪で最強の共犯契約

渋谷 楽(シブヤ ガク)

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第4章「契約と現実、愛の行方」

第25話「声、闇の中へ」

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 まるで重機のような拳が振り下ろされる直前になっても、正也は一歩も動けない。
 櫻を守るという目的、自分の存在意義を果たせないという現実を、受け入れることが出来ない。

『ああ、終わる』

 やっと僅かに震えた心がそんな言葉を絞り出した直後だった。

「はっ」

 目の前に広がる、青白い閃光。それは、櫻が武器を出現させる際の光に似ていた。

 それが、正也の視界一杯に広がる。

 目がじりじりと焼かれていく感覚と共に、身体が現実感を取り戻していく。

「目閉じてッ!」

 櫻の手が正也の腕を力強く掴む。そして、そのまま否応なく引っ張っていく。

「ぐああッ! 小賢しいッ!」

正也の背後、狼男の発する轟音が鳴り響く。

 青く上書きされた世界に混乱したまま、正也は、まるで初めてそうするように必死に脚を踏み出していく。

「早く出るぞ! 崩れる!」

 狼男が壁を叩き、瓦礫が崩れ落ちる音が意識の遠くから聞こえる。

『何で、刃が通らなかったんだ』

 正也の頭に浮かんできたのは、そんな疑問。

「走れッ!」

『何で俺は、傷ついた先輩に先導されているんだ』

 腕を伝う櫻の手の温度が、やけに冷たく感じられる。

「諦めるな!」

 外気の冷たさが肌を叩き、正也はやっと気付く。

 視界が赤く染まっていない。

 昨日と比べて、感覚も、景色も、全く違う。

 次の瞬間、廃屋が崩れる轟音と砂埃が辺り一帯を包み込み、ガラスが無残にも飛び散っていく。

「正也君、大丈夫か?」
「は、はい」

 正也は櫻の手を握る。そうすることで、自分の手の震えを嫌でも自覚した。

「奴は相当強い。近くに仲間もいるかもしれない。今は撤退を」

「は、い」

 正也が言葉に詰まったのは、無残に積み重なった瓦礫の一角に目を奪われたからだ。

「化け物」

 そう呟いた正也の視線に誘導され、櫻も振り返り、目を見開く。

 瓦礫に潰されたはずの狼男が、まるで新雪を払うようにしながら瓦礫の山から現れた。

「逃がさねえよ。逃がさねえ」

 月明かりの下、仮面の奥の眼光が鋭く光る。

 二人は無言の内に後ずさり、十分な距離を取る。

「封印された王の血族だ。グレイヴの言ってた通りだ」

 櫻は短剣を構えて正也の前に立ち、戸惑いと恐怖を殺気で塗り潰した。

「お前ら、正也君を使って、何をしようとしている」

「そんなん、決まってんだろうがァ!」

 狼男は肩に刺さった板材を抜き、乱暴に投げ捨てる。

 そして、舌なめずりをしながら正也を指差した。

「そいつを器にすんだよ」

「器?」

「かれこれ二百年だ、神殿とやらに封印されて。肉体はもう使い物にならねえ。だから、新しく丁度良い肉体を仕入れる」

「……外道が」

「恨むなら二百年前のご先祖様を恨みな! 殺すでもなく、見逃すでもなく、中途半端なまま棚上げし続けてきた自分のご先祖様をなァ!」

 狼男の下卑た笑い声が森中に響き、木々を揺らす。

 櫻は殆ど本能的に、正也の手を握ろうと右手を後ろに伸ばす。

「生憎その器は、もう心が折れたみてえだけどなァ?」

 櫻は背後の正也を振り返る。

 そして、唇を噛んだ。

「正也君! しっかりしろッ!」

「俺は、どうすれば良いか、わからない。これ以上は、ダメな気がする」

「何を……ッ、ふざけてる場合かッ!」

「ふざけてなんかない。やっと聞こえたんです。でも」

『勝ちたいか』
『その女を守りたいか』
『ならば我に委ねろ。何も考えるな』

「この声の正体、さっきわかったんです。だからもう」

 正也の目が光を失い、奥行きも感じられない程くすんでいく。

「声? 何のことだ。正也君」

「俺から、離れてください」

 そう言う正也のくすんだ目が、インクを落としたように朱色に染まっていく。

 正也の纏うオーラが、震える程黒く、禍々しいものに変わっていく。

「正也君」

 櫻は本能的に、数歩後ずさった。

「力を望み過ぎたな。どちらにせよもう限界だ。そいつを渡せ」

 まるで勝利のパレードを一人で開いたかのような、ゆったりと重い足音が櫻に近づいていく。

「来るな」

 しかし櫻は、顔を伏せ、短剣を逆手に持って顔の前で構えた。

「あのなぁ、もう終わったんだよ」

 狼男は櫻を見下ろし、やれやれとばかりに頭を掻く。

「終わって、ない」

「ならお前一人で俺に勝てるか?」

 聞かれ、弱さと覚悟が内でせめぎ合う。
 それを自覚し、櫻はさらに強く唇を噛み締めた。

「まだ子供だ。死にたくはないだろう」

 櫻の顎を、水滴が伝う。

 それは、強く噛み締めた唇から流れ出た血だ。

「私のクソみたいな人生、やっと変わり始めたんだ」

「あ?」

「醜さも弱さも、全て笑って肯定してくれた。死にたがっていた私のことを、守ると言ってくれた」

 血に混ざったのは、涙だ。大粒の透明が、血に染まって赤くなる。

「生きたいと叫んで、生きたいと応えてくれた」

 櫻は短剣を強く握っていた両手から、ふっと力を抜き、狼男を真っ直ぐに見据えた。

「来い」

 そして、腕を下ろし、脱力して、即応の姿勢を完成させた。

「負けない」

「……くはっ」

 狼男は乾いた笑いを零し、一歩、二歩と後ずさる。

 彼の本能が懸命に叫んでいるのだ。

 “その女の間合いに入るな”と。

「人間! 人間ッッ! 心か⁉ 心なんだな⁉ 嫉妬するなぁ! やっぱりすげぇぇなぁああああッ!」

 叫ぶように笑う。笑うように叫ぶ。

 大声が地を震わせ、その声に驚いて突風が吹く。

 それでも瞬き一つしない櫻を前に、狼男はだらんと腕を下ろして項垂れた。

「そんなに言うなら、大好きな彼にけりをつけてもらおうぜ」

 狼男はそう言って、大きく、ゆっくりと息を吸い込む。

 次の瞬間、櫻は大きく目を見開いた。

「オオオオオォォォ!」

 まるで声で地を穿つかのような、全身を楽器のように使って発せられたその“異声”に、櫻の全身がビリビリと痺れる。

 そして、全身を駆け巡る違和感に、櫻は思わず自分の手に視線を落とした。

「気付いたか?」

 狼男は、仮面越しでもわかるくらい得意げな表情を浮かべていた。

「ケルヴァス様の血魂共鳴(ブラッドエコー)……見せてもらおうぜ。“王の力”を」

「まさか」

 櫻の感じた違和感。それは、全身の血がふつふつと沸騰していくような感覚。

 振り返り、そして、剣を落とした。

 大きく、完璧な満月が、正也の背中の黒翼を照らし上げる。

 正也の意識が、黒く、深く、“声”の届くところまで落ちていく。
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