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0章 オーヴァチュア
5話 宣告
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「今のところ、命に別状はありません。ですが……」
お医者さんは、そう口を噤んでから眉をひそめ、首を横に振った。何事だ、と思わず身を乗り出すが、彼は直ぐに「望月さんの目が覚めたらナースコールで教えてください。説明しますから」とだけ行ってその場を去った。
どうも、家族でもなんでもない相手に勝手に話すことは出来ないらしい。そうなると反論の余地もない僕は、引き下がることしかできなかった。
聖也くんは、しばらく眠っていた。まるで、ただの寝不足だったみたいに。きっとそうだ、と思い込もうと自身へ言い聞かせる。しかし、その度に眉を顰めるお医者さんの顔が頭をよぎった。
怖くて、身が震えた。もしかしたら、聖也くんが居なくなってしまうのだろうか、と。そう不安に思ったから。そう思うといても立っても居られなくて。気がつけば僕は、彼の手を握っていた。
「ん……」
手を握られた彼は目を覚まし、小さく声を上げた。思わず手を離すと、彼はその手で目を擦り心底眠たそうな表情で僕を見上げる。といっても、彼が眠たそうなのはいつもの事だけれど。
いつも通りの彼が見れたことでつい力の抜けてしまった僕は、心の底から湧き上がる感情の赴くままに、彼に抱きついた。
「聖也くんッ、よかった」
彼の首元に顔を埋めて、抱きつく腕に力を込める。彼はふっと笑い、僕の後頭部を雑にわしゃわしゃと撫で回した。
そうして、聖也くんが僕を宥めてくれたおかげで直ぐに涙は引いて。僕はその抱きついたままの姿勢で手を伸ばしてナースコールを押した。
「え、どうしたの」と彼は僕を見る。
僕はそれを無視して、枕元のスピーカーからの「どうされましたか」の声に言葉を返した。
「聖也くんが起きました」
そうしてしばらくしたら診察室に呼ばれて、僕は困惑する聖也くんの手を引いて部屋を出るのだった。
診察室。真っ白な部屋に真っ白な服を着た人間が2人、僕たちを見つめている。その割に流れる沈黙がなんだか落ち着かなくて、つい意味もなく髪をいじったり、服の裾をいじったり。緊張してそわそわする僕を尻目に、眠たそうな聖也くんを真っ直ぐに見つめた先生が口を開いた。
「アムネシア症候群と呼ばれるものです」
彼は、光る板に貼られた脳の画像を指し示して淡々と異常を解説した。要するに、脳に原因があるから、それをとる必要がある、ということであった。しかし、彼が言うにはそれを取ればいい、という簡単なお話ではないようなのだ。
その病変がある所はどうも、記憶を司る部位周辺であるらしい。だから、高確率で今までの記憶は全てなくなる、と。お医者さんはそう言っていた。
確かに、記憶が無くならないという前例がない訳でもない。しかし、それは1%にも満たない数で。そんな数字を聞いて、でも可能性があるのなら、と希望を見いだせる程、楽観的にはなれなかった。
「じゃあ、もう記憶なくすしか方法は無いって事ですか……?」
震える声で尋ねると、お医者さんはなんの迷いも躊躇も無く首を縦に振った。
「高齢の方だと手術をやめて、余生を家族と過ごしたい、という方も珍しくないですが。この年齢だと……そういう訳にもいかないでしょうね」
それはまるで他人事のようで。思わず右手を強く握り込む。しかし、お医者さんはチラと聖也くんへ視線を移した後、僕らから隠すように目を伏せて小さく息を吐き、鼻頭を摘むものだから。僕も、溜飲を下げるしか無かった。
ふいに、頬が熱くなった。やるせなかった。僕には、何も出来ない。そう思うと苦しくて、もどかしくて、悔しかった。
「薬とか、ないんですか……ッ」
声が上擦った。
「あることにはありますが……成功率がほんの少し上がるだけです。副作用を考えるとデメリットの方が大きいかと」
お医者さんは僕の涙からあからさまに目を逸らして、抑揚なく言葉を返した。
「じゃあ……」と、僕が口を開く。
しかし、その先の言葉はもう出なかった。
「橙花、深呼吸」
聖也くんが初めて、口を開いた。
のんびりした口調で僕の背を摩る彼は、僕の潤んだ瞳をみてイタズラにふっと笑った。
「死ぬわけじゃないんだから」
「でも、1%も記憶は残らないって……!」
何故か他人事な様子を見て、つい声が大きくなる。彼の薄い肩を掴み眉を顰めると、聖也くんは何かを考えるように天井を仰ぎ、そして首を右へと傾けた。
「でも、星5排出率1%のガチャ引いて単発で星5出すくらいでしょ? たまに出るよ」
聖也くんはそう言っておお真面目な顔で僕を見つめるのだった。
「無理ですよ……」
たまに、だなんて。そんな幸運、引けるわけがない。彼の言葉は慰めというよりは追撃で。僕はより量を増した涙を、彼の肩へと押し付け声を殺すのだった。
お医者さんは、そう口を噤んでから眉をひそめ、首を横に振った。何事だ、と思わず身を乗り出すが、彼は直ぐに「望月さんの目が覚めたらナースコールで教えてください。説明しますから」とだけ行ってその場を去った。
どうも、家族でもなんでもない相手に勝手に話すことは出来ないらしい。そうなると反論の余地もない僕は、引き下がることしかできなかった。
聖也くんは、しばらく眠っていた。まるで、ただの寝不足だったみたいに。きっとそうだ、と思い込もうと自身へ言い聞かせる。しかし、その度に眉を顰めるお医者さんの顔が頭をよぎった。
怖くて、身が震えた。もしかしたら、聖也くんが居なくなってしまうのだろうか、と。そう不安に思ったから。そう思うといても立っても居られなくて。気がつけば僕は、彼の手を握っていた。
「ん……」
手を握られた彼は目を覚まし、小さく声を上げた。思わず手を離すと、彼はその手で目を擦り心底眠たそうな表情で僕を見上げる。といっても、彼が眠たそうなのはいつもの事だけれど。
いつも通りの彼が見れたことでつい力の抜けてしまった僕は、心の底から湧き上がる感情の赴くままに、彼に抱きついた。
「聖也くんッ、よかった」
彼の首元に顔を埋めて、抱きつく腕に力を込める。彼はふっと笑い、僕の後頭部を雑にわしゃわしゃと撫で回した。
そうして、聖也くんが僕を宥めてくれたおかげで直ぐに涙は引いて。僕はその抱きついたままの姿勢で手を伸ばしてナースコールを押した。
「え、どうしたの」と彼は僕を見る。
僕はそれを無視して、枕元のスピーカーからの「どうされましたか」の声に言葉を返した。
「聖也くんが起きました」
そうしてしばらくしたら診察室に呼ばれて、僕は困惑する聖也くんの手を引いて部屋を出るのだった。
診察室。真っ白な部屋に真っ白な服を着た人間が2人、僕たちを見つめている。その割に流れる沈黙がなんだか落ち着かなくて、つい意味もなく髪をいじったり、服の裾をいじったり。緊張してそわそわする僕を尻目に、眠たそうな聖也くんを真っ直ぐに見つめた先生が口を開いた。
「アムネシア症候群と呼ばれるものです」
彼は、光る板に貼られた脳の画像を指し示して淡々と異常を解説した。要するに、脳に原因があるから、それをとる必要がある、ということであった。しかし、彼が言うにはそれを取ればいい、という簡単なお話ではないようなのだ。
その病変がある所はどうも、記憶を司る部位周辺であるらしい。だから、高確率で今までの記憶は全てなくなる、と。お医者さんはそう言っていた。
確かに、記憶が無くならないという前例がない訳でもない。しかし、それは1%にも満たない数で。そんな数字を聞いて、でも可能性があるのなら、と希望を見いだせる程、楽観的にはなれなかった。
「じゃあ、もう記憶なくすしか方法は無いって事ですか……?」
震える声で尋ねると、お医者さんはなんの迷いも躊躇も無く首を縦に振った。
「高齢の方だと手術をやめて、余生を家族と過ごしたい、という方も珍しくないですが。この年齢だと……そういう訳にもいかないでしょうね」
それはまるで他人事のようで。思わず右手を強く握り込む。しかし、お医者さんはチラと聖也くんへ視線を移した後、僕らから隠すように目を伏せて小さく息を吐き、鼻頭を摘むものだから。僕も、溜飲を下げるしか無かった。
ふいに、頬が熱くなった。やるせなかった。僕には、何も出来ない。そう思うと苦しくて、もどかしくて、悔しかった。
「薬とか、ないんですか……ッ」
声が上擦った。
「あることにはありますが……成功率がほんの少し上がるだけです。副作用を考えるとデメリットの方が大きいかと」
お医者さんは僕の涙からあからさまに目を逸らして、抑揚なく言葉を返した。
「じゃあ……」と、僕が口を開く。
しかし、その先の言葉はもう出なかった。
「橙花、深呼吸」
聖也くんが初めて、口を開いた。
のんびりした口調で僕の背を摩る彼は、僕の潤んだ瞳をみてイタズラにふっと笑った。
「死ぬわけじゃないんだから」
「でも、1%も記憶は残らないって……!」
何故か他人事な様子を見て、つい声が大きくなる。彼の薄い肩を掴み眉を顰めると、聖也くんは何かを考えるように天井を仰ぎ、そして首を右へと傾けた。
「でも、星5排出率1%のガチャ引いて単発で星5出すくらいでしょ? たまに出るよ」
聖也くんはそう言っておお真面目な顔で僕を見つめるのだった。
「無理ですよ……」
たまに、だなんて。そんな幸運、引けるわけがない。彼の言葉は慰めというよりは追撃で。僕はより量を増した涙を、彼の肩へと押し付け声を殺すのだった。
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