口付けたるは実らざる恋

柊 明日

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0章 オーヴァチュア

7話 過ち

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「ただいまー」

 聖也くんがそう誰もいない部屋へ挨拶をして、玄関へ上がる。まるで、コンビニから帰ったようなテンション感だ。
 彼が早速部屋の奥へ消えていくのに対して、僕はのろのろと靴を脱ぎ無駄に丁寧に手を洗った。
 彼と二人きりの空間で、どんな顔をしたらいいか分からなかったから。

「橙花、早く」

 リビングから、聖也くんが僕を呼ぶ。僕は覚悟を決めるべくふぅとひとつ息を吐き、丁寧に手を拭いてから彼の元へと向かった。
 彼の呼ぶ部屋中央のテーブルには、ショートケーキが2つお皿に乗って並べられていた。

「どうしたんですか、それ」と僕は問う。
「1ヶ月記念日でしょ、今日」
 彼はそう言って早速金色のフォークを握った。

 そういえばそうだったっけ。しかし。今やもうそんなこと、どうでもよかった。
 でも。

「そうでしたね、ありがとうございます」

 精一杯の精神力をふりしぼり、言葉を返して隣へ腰を下ろす。聖也くんは僕のいただきますを待つことなくフォークでケーキを切り分け、口と運んだ。

「美味い」

 口についたクリームを舐めながら、彼が言う。自然に少し上がった口角が、可愛かった。
 いつもなら、傍のティッシュを取って渡してやったかもしれない。しかし。今日の僕はその様子を無視して、彼に続いてケーキを細かく分け、頬張った。
 クリームはすごく濃厚で、それでいて甘すぎない上品な味わいだった。中のイチゴは酸味より甘味が強くて、これだとイチゴだけで食べても美味しいだろう。
 なるほど、と思う。絶対お高いものだ。今の僕には勿体ない。

「美味しいですね」

 出した声は、思ったよりも低くきこえた。それは、聖也くんも同じだったのだろう。ケーキを運ぶ手を止めた彼は、僕をじっと見つめてははと乾いた笑いをあげる。

「嘘つけ。それどころじゃない、って顔してる」
「バレましたか」

 僕が苦笑を零すと、彼は黙って僕の頭を摩った。

「どうしたんですか」
「お前が酷い顔してるから」

 彼の温もりが、僕を包んだ。出会って1年、付き合って1ヶ月の間に、1度だってこんなことはした事がなかったくせに。

「やめてください……また、泣くから……」
「泣けばいいじゃん」

 そうして彼は、ただ黙って僕を抱きしめて、背中を摩り続けた。
 そんなことをされるものだから、せっかく止まった涙もまた思い出したかのように溢れ出して。もう、きっと聖也くんに見せられない顔をしていたと思う。

「死にはしないよ」と彼は繰り返した。

 記憶が無いなら、死んだも同然じゃないのかと。そうは言えなかったけれど。でも納得するのにも程遠くて。僕はただ、なにも言葉を発さずに泣きじゃくり続けた。
 謝ろうと、そう思っていたのに。気づけばまた同じことを繰り返していた。せっかくの記念日だったのに。





 そうしてケーキを食べながら泣いて、聖也くんの家にあったカップラーメンを貰って食べて、また泣いて。更に、ベッドに入っても泣き続ける僕を見て、彼は笑った。

「ベッド貸してあげるから。ゆっくり休んで」

 一緒に寝ればいいだとかは言えなかった。かと言って、じゃあ僕が床に寝ると言っても聞く様子でもなくて。僕はただ、彼の言葉に曖昧に頷くのだった。
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