米国海軍日本語情報将校ドナルド・キーン

ジユウ・ヒロヲカ

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イコロアポイント

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 1ヶ月後。

 ホノルルに雨が降っている。ハワイの冬は、寒くはないが、雨期に入るため、よく雨が降る。

 家具店に「休業中」の看板がかかっている。

 家具店の中の一室で、6人の兵士が何かを見ながら紙に書き込んでいる。その中に、ドナルドがいる。

 部屋の入口にオーティスがたった。

「ドナルド」

 ドナルドは左右を見て声の主を探す。入口にオーティスが立っているのを見つける。オーティスが「お茶しよう」というジェスチャー。ドナルドが「仕事を片付けてから行く」というジェスチャーで答える。


 ドナルドとオーティスが食堂で紅茶とコーヒーを飲んでいる。ドナルドが尋ねる。

「サイパンからいつ帰ってきたの?」

 オーティスが答える。

「さっきだよ」

 ドナルドが興味深そうに尋ねる。

「どうだった?」

 オーティスが話を変える。

「その話はあとでするけど、ボク、昇進したんだよ」

 ドナルドがビックリする。

「え? 早いね。おめでとう」

 オーティス、片手をヒョイとあげる。ドナルドが尋ねる。

「中尉になったの?」

 オーティスがうなづく。

「うん。サイパンで捕虜がたくさん出たのさ。だから今あるホノルルの収容所だけだと足りないから、イコロア・ポイントにも大きいヤツ作ったんだって」

 ドナルド、初めて聞く話で驚く。

「へー。知らなかった」

 オーティス、少し照れたように言う。

「そこの次長やれって」

 ドナルドが驚く。

「え? 次長って、ナンバー2だろ?」

 オーティスがうなづく。ドナルドが明るく言う。

「スゴいな。やったなー。キスカ島の手柄が効いたんだなー」

 オーティスが照れる。

「いやー、ま、それでさ、ドナルド、時々来て捕虜尋問しろよ。もっと日本人と話がしたいって言ってただろ?」

 ドナルド、うなづく。

「うん。やるよ。キミと違って会話の実力ないから」

 オーティスが笑う。

「だいじょぶだよ。キミ、頭いいから。数こなせば。ボクが教養の高い捕虜選んでおくから。『源氏物語』読んでるような、、、」

 ドナルドほほえむ。

「それは願ってもない話だなぁ。頼むよ」

 オーティス、うなづく。

「よし。よかった。そうしよう」

 ドナルドが言う。

「難しい日本語の文書あったら言いなよ。何でもやるから」

 オーティスがドナルドを指さす。

「そこだよ。そこ頼むよ。日本語堪能なはずのナンバー2が、日本語の文書渡された読めないんじゃカッコつかないからさ」

 ドナルドが笑う。オーティスも笑っている。


 春になった。

 ハワイではハッキリとした季節の切り替えはないが、イコロアポイントには新しい収容所ができ上がった。

 収容所の中の真新しい四畳半くらいの部屋に、メガネをかけた日本人捕虜が座っている。そこへ、軽い感じでドアを開けてドナルドが入ってきて日本語で挨拶する。

「やぁ、やぁ、どーも、どーも、こんにちは」

 日本人捕虜がちょっとビックリする。

「こ、こんにちは」

 ドナルド、捕虜の向かいに座って、日本語で話しかける。

「えーと、今日の尋問をするドナルド・キーンです。どうぞ、よろしく」

 日本人捕虜は、やっぱりちょっとビックリしながら言う。

「こちらこそ、よろしく。オオムラ キヨシです」

 ドナルドが手元の紙を見る。

「えーと、戦艦大和を見たことはありますか?」

 オオムラ、キョトンとする。

「いいえ」

 ドナルドが気難しい顔で、手元の紙に何かを書き込む。

「オーケー。次の質問です。戦艦長門を見たことはありますか?」

 オオムラ、やっぱりキョトンとする。

「いいえ」

 ドナルドが気難しい顔で「オーケー」とつぶやいて、手元の紙に何かを書き込んでから、姿勢をくずす。

「はい。質問は終わりです。お疲れさまでした」

 オオムラ、だいぶ驚く。

「えぇー?」

 ドナルド、楽しそうな顔で尋ねる。

「あなたは、東京外国語学校出たの?」

 オオムラがうなづく。

「え、えぇ」

 ドナルドは、オオムラの表情が硬いのを見て説明する。

「あのですね、もうただの雑談です。気軽に話しましょう」

 オオムラが反応する。

「あの、英語で喋ってもいいですか?」

 ドナルドがうなづく。オオムラが英語で喋りはじめる。

「あら、そうでござりますか。実は、わたくし、本から全てを学びまして候。外国の人と話すのは、あなたが初めてなり」

 ドナルドはビックリする。

「えぇ? 東京外国語学校に外国人いなかったの?」

 オオムラがうなづく。

「ご時世がご時世のため、外国人の先生は、みな何年も前に帰国されて候。日本に残った外国人の先生も、軽井沢に軟禁されて候」

 ドナルドが相づちをうつ。

「へー」

 オオムラが尋ねる。

「こんな話でよろしゅうござりますか?」

 ドナルドがほほえむ。

「いいですよ。いいですよ。今は、あなたと私の雑談の時間です」

 オオムラが大きくほほえむ。

「久しぶりで候。雑談は久しぶりなり。楽しいものですな」

 ドナルドが好意に満ちた笑顔を返す。

「あなたの英語は、ずいぶんヴィクトリア調だね」


 ドナルドが、別の真新しい四畳半くらいの部屋に入っていくと、憂鬱そうな顔をした日本人捕虜が座っていた。ドナルドが明るく日本語で話しかける。

「どーも、どーも、こんにちは」

 捕虜は表情を変えず、ペコリと頭を下げる。ドナルドが明るく言う。

「えー、では、今日の尋問を始めまーす」

 捕虜は表情を変えず、何も言わない。ドナルドが続ける。

「あなたは、戦艦大和を見たことはありますか?」

 捕虜は表情を変えず、首を振る。

 ドナルドが気難しい顔で、手元の紙に何かを書き込む。

「オーケー。次の質問です。戦艦長門を見たことはありますか?」

 捕虜は表情を変えず、首を振る。ドナルドが手元の紙に何かを書き込む。

「はい。質問は終わりです。お疲れさまでした」

 捕虜が、力無く、少しだけ笑う。

「もう?」

 ドナルド、体勢をくずす。

「ここからは雑談です。あなた、若いのに偉いんですねぇ」

 捕虜が、無表情に言う。

「そうですか?」

 外で鳥が鳴く。ドナルドと捕虜が、小さな窓から外を見る。ドナルドが顔を戻して捕虜を見る。

「東京大学ですか。学徒兵ですね」

 捕虜は外を見たまま。ドナルドがちょっととまどう。捕虜が外を見たまま、ボソッと口を開く。

「あなた、お若いけど、クニでは学生ですか?」

 ドナルドが答える。

「そうです」

 捕虜が外を見たまま言う。

「すいませんが、お互い学徒兵として話してもいいでしょうか?」

 ドナルドが答える。

「はい。そうしましょう」

 捕虜がドナルドに顔を向ける。

「私はこのところ、よく考えているんですが、このまま自分が生き続けなければならない理由が、何かあるんだろうか?」

 ドナルドは質問にビックリする。外でまた鳥が鳴いたので、捕虜が外を見た。ドナルドは何と答えようか考えて、少し時が過ぎる。

「この戦争が終わったら、新しい日本ができます。生きて帰って、新しい日本のために働けばどうですか?」

 捕虜は、外を見ている。また鳥が鳴いた。


 夜。ホノルルの一軒家に灯りがついている。

 3人掛けのソファにリリィが真ん中、ドナルドとオーティスがその左右にくっついて座ってレコードを聴いている。みんなのワインの入ったグラスを持っている。音楽は、ショパンのワルツの3番。ドナルドがしゃべっている。

「思いがけないこと尋ねてくるからビックリしちゃってさ、オーティスが言ってたことそのまんま言っちゃったよ」

 オーティスが笑う。

「ははは」

 リリィが言う。

「でも良かったじゃない。うまいこと言えて」

 ドナルドがうなづく。

「うん。でもさ、わかんないのは、何で彼はあんなに絶望してるの?「生き続けなければならない理由が、何かあるんだろうか?」なんてさ。負け戦に連れてこられて、ひどい装備で戦わされてさ」

 オーティスが言う。

「そーゆーヤツ多いよ。なんか、軍隊の階級が高いほど多くなる。それと、なぜか教育の程度が高いほど多い」

 ドナルドが言う。

「でもさ、日本で最も優れた大学出た人だよ? それがなんでそんなヘンな結論に至るの? それが不思議でさ」

 リリィが言う。

「たぶん共同体だと思うな」

 ドナルドが言う。

「共同体? 社会とか?」

 リリィが言う。

「小さい所だと両親や親戚、学校、地域、そして社会。そーゆー共同体から様々な要請があるじゃない。「こーゆー人間になれ」って。だから、優秀なほど、それに応えるような人間になるんじゃないの」

 ドナルドがうなづく。

「なるほど」

 リリィが続ける。

「あたぃ達の世界にもそれはあるけどさ、日本ではそれがすごくヘンなんじゃない? その人の問題じゃなく」

 オーティスが言う。

「なるほどなー。あ! 小樽の小学校の頃のこと思い出した。「肉弾三勇士」の話、知ってる?」

 リリィとドナルドが首を振る。オーティスが続ける。

「1932年の第一次上海事変で、日本軍がトーチカと鉄条網で守られた敵陣に侵入するために、まず鉄条網を破戒する必要があったんだって。で、その3人が点火した爆弾を持って突入して、鉄条網を破戒して死んだんだって」

 リリィが不思議そう。

「へー。でも、それは失敗なんじゃないの? 兵隊が死んじゃったら」

 ドナルドも不思議そう。

「なんでそんな話が有名なの?」

 オーティスが笑う。

「それが不思議なとこなんだけどさ、なぜか日本の人の心に響くらしいんだ。失敗だと見なされないんだ。「よく死んだ」みたいな賛辞が送られるんだよ」

 リリィがビックリする。

「えぇー! そんな鉄条網破壊する位でいちいち兵士が3人も死んでたら、戦争なんてできないじゃなーい」

 オーティスが苦笑する。

「そうなんだよ。でも、日本じゃその3人は神になって、映画は作られるわ、メンコにはなるわ、キャラメルは作られるわ、せんべいは作られるわで、大変な騒ぎになったんだよ。ボク小学校に入るあたりだったから、よく覚えてるんだ」

 ドナルドが不思議そうに尋ねる。

「国に命を捧げたって意味で称揚されるのかな?」

 オーティスが答える。

「そうなのかなー。ま、何だかよくわかんないけど、すごい騒ぎで、たぶん、それもリリィの言う「社会の要請」なんだよ。「国のために死ぬ」ってことが。それが完全な形なんだよ。だから、アッツ島の日本軍は勝ち目なんかないバンザイ突撃をするし、ドナルドが話した東京大学の学徒出陣は、国のために死ねなかったから生きる意味を見失ったんじゃないか?」

 リリィが嘆く。

「そんなにどんどん若い人が死んじゃったら、戦争も続けられないし、国も動かせなくなるじゃなーい。不合理な話ねー」

 ドナルドが同意する。

「ほんとだ。バカバカしいなー。若い命を何だと思ってるんだ。アッツ島の日本軍は「玉砕」したことになったらしいけど、あれってほんと不思議だったなぁ。何を求めてるんだろ?」

 リリィが言う。

「名誉じゃない? 死んだ後の。それがブシドーらしいけど、でもそれは江戸時代以降の武士道ね」

 オーティスが尋ねる。

「そうなの?」

 リリィがうなづく。

「そーよ。武士ってのは、そもそも武装農民よ。それが自分たちの権利っていうか、自分たちの開墾した土地の所有権を求めて朝廷に対して反乱を起こしたわけじゃない。それが鎌倉時代」

 ドナルドとオーティスがうなづく。リリィが続ける。

「そーゆー武士たちが、「肉弾三勇士」みたいな不合理で無益な死に方してたら、土地も一族郎党も守れないじゃない」

 ドナルドとオーティスがうなづく。リリィが続ける。

「だから、「玉砕」なんて、江戸時代にできたイビツな、不完全なブシドーの発展形なのよ。江戸時代の武士って、戦国時代のまま社会階級と武士の役割が止まっちゃったから、多くの武士はやることなくなっちゃったのよ」

 オーティスが尋ねる。

「そうなの? なんで?」

 リリィが答える。

「だって、戦国時代は戦争の時代だから、戦争を前提に役職が割り振られてるわけでしょ? それが平和な江戸時代になると、戦争を前提にした役職は必要なくなるから、やることなくなっちゃった武士がたくさんいたみたい。でもお給料は出るからさ、何か存在意義を見いださないといけないじゃない? 平和主義者で戦争嫌いのドナルドでも、何もしないで米国海軍からお給料もらってると悪いと思うように、、、」

 ドナルドが苦笑する。

「なるほど」

 リリィが続ける。

「だからブシドーは現実的な役職とかから離れて観念的なものになって、「笑いながら死んでいくのが良い」みたいなイビツなものになったんじゃないかな」

 ドナルドが感心する。

「そーか、そーか。それで不合理でイビツになった武士道の末裔たちとボクらは話してるのか。だから、よくわからないんだ」

 リリィが両手をあげてノビをする。

「あぁー、いいなー、あたぃも捕虜と話ししたーい! 戦地行きたーい!」

 オーティスが言う。

「リリィのことは、いつも頼んでるんだけどさぁ」

 リリィが口をとがらせる。

「なのに、なんであたぃはゼロ戦の操作マニュアルの翻訳ばっかりやってんんのよ?」

 オーティスが首をすくめる。

「わかんないよぉ。上の方のどっかで止まってるみたいで、ぜんぜん通らないんだ」

 ドナルドが笑う。

「おとーさんかおじーさんが止めてるんじゃないの? 二人は偉いんじゃない?」

 リリィが言う。

「うーん、まね。ヒラではないわね」

 オーティスが笑う。

「それじゃ、しょーがないよ」

 リリィが叫ぶ。

「あぁー! あんた達と一緒に仕事したーい! 日本行きたーい!」

 リリィが立ち上がって踊り始める。ドナルドが笑う。

「はははは。酔っ払ってる」

 オーティスも笑う。

「はははは。オレも踊ろ」

 オーティスも立ち上がって踊り出す。
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