米国海軍日本語情報将校ドナルド・キーン

ジユウ・ヒロヲカ

文字の大きさ
18 / 20

谷中

しおりを挟む
 十数日後の昼時。

 東京谷中の一角に米国海軍のジープが止まる。リリィが運転席に座り、ドナルドが助手席で地図を見て困っている。

「このあたりだと思うんだけど、、、」

「なによー、地図もあるのに、、、」

 ドナルドが地図を縦にしたり横にしたり、回したり何だりして、必死に探していると、向こうでリリィの声がする。

「おかーさん、ここはどこですか?」

 ドナルドが声の方向を見て苦笑。

「オーティスみたいだ」


 リリィとドナルドが、道端にジープを止めて、小さな路地に入っていく。路地の両側にには長屋が続いている。真ん中のあたりの井戸のそばで、洗濯をしている3人の年配の女が二人をジロジロ見る。

 ドナルドが、ある家の表札を確認する。「吉田」と記載がある。

「ごめんくださーい」

 返事がない。

「ごめんくださーい」

 洗濯していた年配の女が立ち上がって、近寄ってくる。

「なーにー? 吉田さん、留守だよ」

 ドナルドが残念そう。

「あらー、お留守ですかー」

 年配の女が驚く。

「あら、あなた、外人みたいな顔してるのに、日本語上手なのねぇ」

 ドナルドが笑顔で答える。

「はい。日本語専門の軍人なんです。吉田さんのトモダチなんですよ。奥さんとお子さんに手紙を持ってきたんですが、、、」

 年配の女が一層驚く。

「えー!! 吉田さん、生きてるの!??」

 年配の女、小走りに洗濯している女達の方に向かっていき、何か言う。洗濯している女達も驚く。

「えー!!」

 洗濯女たち、みんなそれぞれの方向に走り出す。


 リリィとドナルドが神妙な顔で、長屋の中の畳の上に、座布団を敷いて、あぐらで座っている。

 二人の前に、あまりスペースを空けないで、女3人と子供5人が座っている。みんな、リリィとドナルドの前に置いてあるモノを凝視している。

 ドナルドが、お茶を飲む。女3人と子供5人、みんなドナルドを凝視する。ドナルドが視線を感じて困った顔になる。

「あのー、、、」

 年配の女が答える。

「はい?」

 ドナルドが困った顔で、

「やっぱり、この羊羹はいただけませんよ」

 リリィとドナルドの前に、それぞれお茶わんが置いてあり、別に羊羹が皿に一個づつ載っている。年配の女が不思議がる。

「なんで?」

「だって、貴重なものなんでしょ? すごく」

 年配の女の横に座っていた、ちょっと若い女が手を伸ばす。

「じゃ、あたしがいただこうかな」

 年配の女、ちょっと若い女の出した手をピシャリと叩く。

「えぇ、えぇ、貴重ですけどね、あたし達なんか、もう2~3年も食べてないけどね、大家さんが言ってるのよ。「そんなありがたいトモダチが訪ねてきてくれたんなら、あいつのかわりに俺が羊羹出してやろう」ってさ」

 ドナルドがなんだかわかんない顔でうなづく。

「はぁ」

 年配の女、少し大きな声になる。

「ここは大家さんの顔立ててさ、召し上がってよ」

 女3人と子供5人、みんな羊羹を見ている。リリィが英語でドナルドに話しかける。

「みんな、スゴイ羊羹見てるけど、ここはいただくべきじゃないの? これが「メンツを立てる」ってことでしょ?」

 ドナルドが日本語で年配の女に尋ねる。

「これは「メンツを立てる」という状況ですか?」

 年配の女、楽しそうに笑う。

「ははは。そうそう。あなた、ほんとに日本語うまいねぇ」

 ドナルドが微笑する。

「では、いただきましょう」

 リリィとドナルドが羊羹を切って、口に入れてモグモグする。洗濯女3人と子供5人、みんなジッと見ながら、一緒にモグモグしている。リリィとドナルドが飲み込むと、洗濯女3人と子供5人も飲み込むような仕草。

 すると、玄関の引き戸の向こうでドタバタする音がした。玄関の引き戸のところに、紋付き袴を着た、初老の、ハゲちゃびんで黒メガネをかけた大家が出てくる。イナセな、よく通る良い声。

「おーい、アメリカさん、まだいらっしゃるかぃ?」

 女3人が一斉に立ち上がる。

「いらっしゃるよ、こっちこっち、ほら、ここあけて、ここあけて、あっ、さっちゃん、しっかりね。気をしっかりね、、、」

 玄関の向こうに立っている大家の横に、いつのまにか吉田さんの奥さんが小さな子を抱いて立っている。

 大家が気難しい顔をして、手刀で空間を切りながら、長屋の中に入っていく。そのあとを、吉田さんの奥さんが子を抱いてついていく。

 大家と吉田さんの奥さんがリリィとドナルドの目の前に正座する。うしろの方で、年配の女をはじめ、いろんな人が見ている。玄関の外にも人だかり。
 大家が重々しく一礼した。

「えぇー、このたびは、大層なご厚意をいただきまして、御礼の言葉もございません。あたくし、不肖ながら、このあたりの大家を勤めておりますものです。ヤツになりかわりまして、深く深く御礼申し上げます」

 大家と吉田さんの奥さん、深々と一礼する。リリィとドナルドが正座しようとすると、大家が止める。

「あ、そのまま、そのまま、どうぞ、どうぞ、、、」

 大家、うしろを振り返る。

「おぃ、新しいお茶ぁおつぎしな」

 年配の女、そそくさと出てきて、リリィとドナルドの茶わんを持っていく。大家、芝居がかった動きをやめて、リラックする。

「で、やつは元気ですか?」

 ドナルドが困ったような顔をしている。

「はい。すごく元気です。あのー」

 大家が不思議そうな顔になる。

「はい?」

 ドナルドが続ける。

「こんなに、たくさんの方の前で話していいんですか?」

 ドナルドは吉田さんの奥さんに尋ねるが、大家が引き取る。

「いいんです、いいんです。みんな、家族みたいなもんですから」

 ドナルドが合点したようにうなづく。

「そうですか。私ね、ハワイでヨシダさんから江戸文化を学びました」

 大家が不思議そう。

「江戸の文化?」

 ドナルドがうなづく。

「はい。つまり、みなさんのような方々のお話です」

 大家が微笑する。

「へぇー、そう?」

 ドナルドがうなづく。

「はい。ヨシダさんに落語を聞いて、たくさん話をうかがいました。そして、今日みなさんとお会いできて、「あぁ、これが吉田さんの話していた世界なのか。これが江戸っ子なのか」と、感銘を受けています」

 大家が破顔する。

「へー。そりゃ、うれしーや。よぉし!」

 大家、うしろを向いて大きな声を出す。

「おぃ、酒と肴、じゃんじゃん持ってきな。お代はおいらが持つ。全部持つっ!」

 横に座っている吉田さんの奥さんが困惑する。

「大家さん、大家さん、そんなことしてもらっては困ります」

 大家さんがイナセな、よく通る良い声で、満場に聞かせるように話す。

「ご新造さん、何も言わないでくんな。おいらの気持ちだぁ!」

 年配の女がすっとんきょうな声を出す。

「あらー、ケチで聞こえた大家さんが、あんなこと言ってるよー」

 大家よく通る良い声を出す。

「てやんでぃ、ケチってのはな、本当に使うべき時のためにムダ遣いしないことでぃ」

 大家の後ろに座っている女たちがはやし立てる。

「よっ、大家さん」

「よーっう!」

 みんなの笑い声が起こる。リリィとドナルドも笑っている。


 たくさんの笑い声が起こっている。

 吉田さん宅の狭い玄関で、年配の女がどじょうすくいを踊っている。

 部屋の中からリリィとドナルドがおちょこで日本酒を飲みながら見ている。二人の前にはお盆に載って魚の塩焼きに、たくあん、コブじめ。

 大家さんも吉田さんの奥さんも見ている。

 年配の女は踊りながら玄関から外に出ていく。外には大勢の人がいて、ヤンヤの喝采。

 ドナルドが吉田さんの奥さんに尋ねる。

「奥さん、小学生の子どもさん、あるでしょ?」

 吉田さんの奥さん、驚く。

「はい。よくご存知で。この子と、こんど小学生になるのが一人」

 ドナルドが好意に満ちた微笑で尋ねる。

「小学生のお子さんを、クリスマスに招待させてくれませんか?」

 吉田さんの奥さん、驚く。

「え? お邪魔じゃありませんか?」

 ドナルドが好意に満ちた微笑で

「いえいえ、ぜひ来てください。アレでしたら、大家さんもご一緒に」

 大家、驚く。

「へ? そりゃ、楽しそうだけど、クリスマスってなに?」

 吉田さんの奥さんが説明する。

「キリスト様の亡くなった日なんですって。ほら、昔やってたじゃないですか。三越とか松坂屋で」

 大家が少し昔を思い出すように上を見上げる。

「あぁー、やってたね。昔ね。あれがクリスマスなんだ」

 ドナルドが説明する。

「アメリカでは、家族みんなで祝うんですよ。大家さん、お孫さんは?」

 大家がドナルドを見る。

「小さいのが3人いるけど、面白そうだけど、いいのかぃ? おいらみたいなのが伺っても」

 ドナルド、好意に満ちた微笑を返す。

「ぜひ。ほら、奥さんだけだと心細いかもしれないから」

 大家が合点する。

「あぁ、そーか、そーか。あんた、アメリカさんのくせに、よく気がつくねぇー」

 ドナルド、笑う。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする

夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】 主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。 そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。 「え?私たち、付き合ってますよね?」 なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。 「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...