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第一章
44.
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バルドは震える手でハウノの冷たくなった頬に触れる。
血が固まりこびり付いた髪は元の色も判らぬ程で、その身体の前面に多く付けられた傷は、ハウノが最後まで戦い抜いた事を物語っていた。
「そんな…ウソだろう…? なぜハウノ程の男が…。」
バルドはマリールから預かっていた薬瓶を思い出す。
確かホビット達は、四日前の早朝に出掛けたと言っていた。カロルクまで一日半、護衛対象にも依るが一泊してからカロルクを出発したとしてメルクに戻って来たならば、もしかしたら間に合うかもしれない。
バルドはハウノを磔にしているナイフを引き抜き、地面へと下ろしてやった。それから薬瓶を取り出そうと鞄に手を掛けたバルドを、突如鳥型の魔物が襲った。
バルドがイラ立ちを隠さず振り上げた手の甲でその魔物を叩き落すと、魔物は炎に包まれてあっという間に燃え尽きていった。空を見れば、先程まで相手をしていた鳥の魔物がじわじわと集まり、バルドに襲い掛かる隙を狙い、旋回している。
バルドはこの場から獣型の魔物が逃げた途端、鳥型の魔物が集まって来ている事に気付く。
「…これか!?」
ハウノの首には常ならば付けていなかった袋が掛かけられていた。バルドはハウノの首に掛けられている袋の紐を、ぶちりと乱暴に引きちぎる。
百合の花のような強い香りは、この袋から発せられている。恐らくこれが魔物寄せの香だ。バルドは香り袋を燃やしてやろうと怒りの炎を纏った。
だが焼いてしまえば煙が焚かれ、さらに香りが広がってしまう。危険なものだが持ち帰り、マリールに確認して貰った方が良いかもしれない。バルドは忌々しい魔物寄せの香り袋を、匂いが漏れぬように革袋へと入れて拡張鞄に仕舞った。
これで漸く薬瓶を取り出せる。バルドの指程しかない小さな瓶。赤青黄の飴のような小さな薬の粒を、赤だけをひとつ選んで摘んだ。
「…頼むぞ、マリール。」
赤色の薬を飲ませる為に、ハウノの鼻を摘み、僅かに硬直が始まっている口を強引に開かせて喉の奥へと押し込む。
確か喉や腹が無くなっていた従者は助かる事が出来なかった。ハウノは喉も腹も傷は多いが無事だから、きっと助かる筈だ。時間が間に合ってくれさえすれば。
バルドは手を祈りの形に組み、額に当てる。教会の教えに出て来る神でもなく、小さなマリールに祈った。
「頼む…!!」
バルドが祈ると願いは聞き遂げられたのか、ハウノの指がピクリと動く。
そして信じられないものを見るようにバルドが見守る中、ハウノの傷は新旧問わずにみるみると癒えて行った。ナイフで磔られていた穴も見事に塞がっている。
暫く呆然と眺めていれば、ハウノの瞼がゆっくり開かれて、そのブルーグレーの瞳がバルドを映しだした。
「…ぐっ…ぬ。…ここは…。」
「ハウノ! ハウノ、ハウノ、ハウノ!!」
バルドは感極まって生還を果たしたハウノを抱き締めた。大きな身体の岩みたいな筋肉で、全力でぶつかって行く。
ハウノは目覚めるなり受けた熱苦しい抱擁に目を丸くした。
―確か自分は指名依頼が入り、カロルクから護衛対象の商人一家とその従者を連れてメルクに戻った。門付近の森で盗賊に襲われて、それから…。
「俺は奴に負けたのか…。」
「ハウノ?」
ハウノはバルドを押し退け立ち上がると、山と積まれた遺骸を漁る。
獣に粗方食い尽くされた遺骸は、食いでがある馬から骨となっていた。初夏の暑さで一晩で腐敗が進んでいる。
人の遺骸は七体。商人一家は夫婦と娘に小さな息子、それと祖母。四台の馬車を操縦する従者が四人、メイドが一人。国外へ出るとかで、かなりの荷物を三台の馬車に積んでいた。
そして護衛は自分の他にも十六人。たった1日半の距離でも財産とも言える商品を運ぶ際は、慎重な程に護衛を雇うのは常識だ。
だがそれでも十六人という数は護衛としては十分過ぎる数で、ハウノはカロルクで知らされるなり断ろうかとも思ったのだ。だが商人に真剣な眼差しで是非にと縋る様に頼まれて、引き受けざるをえなかった。
恐らく商人は疑っていたのだろう。カロルクの冒険者ギルドで薦められた護衛達が、盗賊ではないかと言う事を。そして商人の予想通りに裏切った護衛が、一斉にハウノに襲い掛かり、数でも勝てないと判ると商人達を盾にしてきたのだ。
それからそうだ。奴が出てきて、無抵抗のハウノを甚振るだけ甚振った後に、まるでコレクションを標本するように木に磔た。そして目の前で商人一家と従者達を甚振り始めて…。
ハウノはギリリと拳を握り締めた。せっかく身体中の傷が治ったのに、食い込んだ爪がぽたぽたと鮮血を落とす。
「…遺骸の数が合わない。恐らく荷物と共に連れて行かれたのは商人の妻と娘に小さな息子。残る商人とその祖母、従者とメイドは嬲られ殺された。」
その時の凄惨な場面を思い出しているのだろう。助けてやれなかった悔しさが、ハウノを苦悩の表情に染めていた。
「…そうか。うちにも殺されて助かった商人と従者を匿っている。」
「俺の命がまだあるのと同じ理由か?」
バルトの言葉に、ハウノがぴくりと片眉をあげる。殺されて助かったなんて、普通なら考えられない事だ。
「…薬売りの子供がメルクに来た。恐らくハウノがカロルクへ向かった前日だ。その子供の薬が、何故かこの国でだけ販売許可が下りなかったそうだ。…この薬がそうだ。」
「…飴か?」
バルドが手にしていた小さな瓶には、赤色が一つ、黄色が二つ、青色が五つ。
赤一つは先程ハウノに使い、青一つはピピ角牛狩りの時にマリールに使っていた。
飴玉にしか見えないそれに、ハウノは意外そうに目を開いた。出回っている薬と言えば液体のポーションタイプと言われる物ばかりで、こんなに小さなものは見たことも無い。
「青いのは傷も軽度の病も治る。他にも色々と効果があるようだが…。それと黄色はさらに欠損修復。赤は蘇生だ。信じられないだろうが…。」
自分も見るまでは信じられなかった。それどころか薬術士会で許可が下りず、困り果てて冒険者ギルドに買取に来たマリールを、最初は断ろうとさえしたのだ。
「…いや、確かに俺は死んだんだ。信じるさ。…その子供と、奴が商人を襲っている事と何か関係するのかは判らんが。…それとも偶然か?」
ハウノも俄かには信じ難いが、実際蘇っているのだから信じない訳にもいかないだろう。
それに噂もあった。メルクからカロルクに行く途中出会った年老いた農夫が、天使が現れて奇跡を起こしたのを見たと興奮したように話し掛けてきたのだ。ボケた老人の戯言かと適当に相槌を打って逃げたが、恐らくあの農夫はその子供が薬で誰かを救ったのを見ていたのかもしれない。
そして以前から時折あった盗賊の被害が、ここ最近頻度を増している。しかもそれを奴が指揮していたなら、その上にいる何者かの指示があっての事だろう。
奇跡の薬を売る子供とどう繋がるのか、それとも唯の偶然か。
わかっているのは情報に敏感な商人が国外へ逃げようとする程の嫌な空気が、メルク周辺に立ち込めている事だけだ。
「奴とは?」
「居るだろう。図体ばかり無駄にでかくて、いつも重い騎士鎧を身につけて偉そうにしているのが。」
「…ガルクスか。」
履き捨てるように言うハウノの出した名前に、バルドも嫌そうに眉を顰める。バルドやハウノ等、自分よりも強い者には近付きもしないくせに、弱い者は執拗に甚振るのが好きな嫌な男だ。今回ガルクス自らが出て来たのも、自分より格上のハウノを甚振れる算段があったからだろう。そして自分が強者だと知らしめる為に磔にした、卑怯な男だ。
「警備兵全部が奴の手下とは思わんが、襲ってきた盗賊は護衛として冒険者ギルドで薦められたと言っていたから、この国の冒険者ギルドも信用しない方がいい。」
「…これからどうする、ハウノ。」
「出国するにも他の街に行くにも、死んだ事になっているからな…。メルクに戻る事も出来ん。さて、どうするか…。」
バルドとハウノが頭を悩ませていると、待っていろと言った筈のホビット達が子供達と共に来てしまった。時間が掛かっているから心配になったのだろう。
「ギルマスー! 大丈夫か?」
「あれ、ハウノのおっさんじゃん!」
「うわっ、なんだこの遺骸の山…。」
「ハウノおじさんだー!」
「「「おじさーん!」」」
「おう。ちびども! 元気か?」
ハウノが遺骸の山を見せないように子供達の元へ両手を広げて駆けて行けば、子供達も嬉しそうにして、わらわらとハウノに抱きついていく。子供達から全幅の信頼を受けるハウノに、バルドは羨望の眼差しを送った。
「あの商人と同じかー…。いよいよヤバイね、ここ。」
「ご丁寧に今回、魔物寄せまで使われたんでしょ? そこまでやるかー?」
「寄ってきた魔物が街に来るじゃんな? アホなのかな。」
「ガルクスは馬鹿だぞ。だから重用される。」
「「「うへぇ。」」」
軽くバルドから説明を受けて、ホビット達は嫌そうに舌を出して顔を歪める。それを真似して子供達も「うへぇ。」と舌を出し嫌そうな顔をして見せた。
ガルクスと言う騎士は、孤児院の子供達を見ると剣の鞘でつついたり、時には殴ってくる事も蹴る事もある。特に獣人に対する暴力が執拗で、獣人の子供は帽子と服に尻尾を隠し、見つからないように気をつけていた。
「商人の時みたいにギルマスが荷物に偽装して担いでくにも、ハウノのおっさんでかいからなぁ…。」
「俺も嫌だぞ、担がれるなんて。」
年下のバルドに担がれるなんて介護でもされてるみたいじゃないかと、ハウノはムッと眉間に皺を寄せた。ハウノは五十七歳。孫や曾孫が居てもおかしくない年齢だが、まだまだ現役なのだ。
「取り敢えずもっと奥の方に隠れる? 俺等で簡易の家造るけど。」
「奥の方でもハウノのおっさんなら平気でしょ?」
「魔物寄せを使われでもしない限りはな。」
肩を竦めるハウノに、笑えないとホビットも肩を竦めて首を振る。
一行はハウノの一先ずの棲みかを建てるべく、ハウノの案内で森の深部へと向かった。先程バルドが回収した魔物寄せの効果が切れたからか、襲ってくる魔物の数は激減している。
「そうだ、ハウノ。月桂樹の若木を知らないか。」
「月桂樹の若木? 知ってるが、どうするんだ。」
バルドが思い出したと月桂樹の事をハウノに聞けば、突然すぎる話にハウノも片眉を上げる。
「街に持ち帰って、エドナの畑で栽培する。子供達が安全に月桂樹の葉を収穫出来るようになるんだ。」
「本当か!? 魔力がどうとか言われてただろう?」
子供達の引率で森に来る度に、何度月桂樹を持ち帰れたらと思ったことか。ハウノはバルドの話に喜び、興奮したように振り返った。
それにバルドも嬉しそうに頷く。
「ああ。薬売りの子供が教えてくれた。詳しくは後でな。」
「…わかった。こっちだ。」
若木の生えていた場所は、薄暗い森の奥でも日が僅かに差し込む開けた場所だ。鳥が種を運んだのかは謎だが、そこには背丈がまだ二メートルあるかないかの若木が、雌株も雄株も混ざって何本も生えていた。
「花の色が違うらしいんだが、わかるか?」
いくら見比べても違いが判らない。同じ木なのだから当然と言えば当然なのだが。マリールが見たら花が無くとも違いが判るのだろうか。
「いや…適当に数本持って帰ればどうだ? 入るだろう、この大きさなら。」
「それもそうか。」
ハウノにも聞いてみるが、やはり判らないようだ。無作為に選ぶしかない。
四本の月桂樹を選び、ホビット達に土魔法で根から掘り起こして貰い、それから土魔法で作った、酒樽程の大きさの容器に植え替えて拡張鞄へと仕舞う。
「ふかふかしてる土が良いって言ってたぞ、マリーちゃん。」
「こんくらいかなー?」
「もっと要るんじゃない?」
マリールが言うことには、ふかふかの土は落ち葉が腐ったもので、微生物や栄養が豊富に含まれて居るのだそうだ。そのふかふかの土をホビット達が選び、酒樽六つ程の土も一緒に拡張鞄へとしまった。これだけあれば十分だろう。
月桂樹を四本採取してさらに広くなったこの場所を見渡して、トートが思案するように顎に手を当ててから、ハウノを見上げる。
「ついでにここに家建てる? 開けてるし。」
まだ残っている月桂樹と木を掘り起こした跡を利用すれば、良い感じの家が建つだろう。トートの中では既にイメージが出来上がっているようだ。
「ハウノおじさん帰らないのか?」
「ここに住むの?」
家を建てるという事は、もうメルクには戻らないのかと不安そうに聞いてくる子供達に、ハウノは目線を合わせるように屈む。
「そうだぞ。これから悪者と戦う準備するからな。だから絶対秘密だぞ? わかったな、ちび達。」
ハウノは、ぽんぽん、と子供達の頭を軽く叩いてから、これから秘密の任務をすると言う風に、キリッと引き締めた顔で、子供達に言い聞かせた。
「「「「わかった!」」」」
真面目なハウノの顔に、子供達もハっ息を呑み、それから唇を引き締める。自分達も重要な任務を負った一端の冒険者だという、頼もしい表情だ。
ハウノが上手く子供達を言い包めたところで、ラルムとサルムが、若木を掘り起こした窪みをさらに掘り下げていった。そこに固い土の短い柱を何十本も立ててから、雨が降っても浸水しないように溝を掘り、溝から繋がる排水口を深く何本も掘っていく。
柱の上にはトートが鋼蜘蛛の糸で板状に伐採した生木を、バルドが炎で炙り、焼き板にしたもので小屋サイズの四角い部屋を組み立てた。それを覆うように土魔法で固い壁を作り、目立たないように横から鉤型に伸びる煙突の穴も開けてある。
さらに柔らかい土を被せてその上に木を何本か植え込めば、半地下造りの簡易ホビットの家が完成だ。下草でも生えれば見事にただの小山である。今はまだ土剥き出しの小山の滑り台で、さっそく子供達が余った板材に乗って滑って遊んでいた。
入り口は月桂樹側に付けられているから、此方からは見えない。これなら再びガルクス達が森にやって来ても、早々見つかる事は無いだろう。
「あ…やべ。嫁捕まえてないのに建てちゃったよ。」
ラルムが、しまった、と言う風に額をぺしりと叩く。
「自分の家じゃないからいいんじゃないか?」
「練習と思えばな!」
トートとサルムがそう言えば、ラルムも「そっか!」とすぐに納得したようだ。ジンクス的中立百パーセントの確立が崩されるのか見ものである。
「ちび共ありがとうな。随分立派なの建ててくれたもんだ。」
ハウノがホビット達の頭を乱暴に掻き混ぜる。ぼさぼさにされた髪に情けなそうな顔をして手を当てながら、ホビット達は笑った。
「「「礼はタグが使えるようになったら酒で!」」」
「はいはい。わかったよ。」
しっかり請求してくるホビット達に、ハウノも白い歯を見せて笑う。
「後で他に必要そうなもの持ってくるよ。なんかある?」
ハウノはガルクス達に武器も拡張鞄も盗られてしまったので、手持ちの物が何も無い。バルドやホビット達がある程度の物資を提供したが、それでも暫く潜伏するには足りないだろう。特に武器が。
「そうさなぁ。肉はその辺で狩れるが、調味料や酒が欲しいな。武器はコイツを使うさ。」
ハウノが手の平で弄んでいる武器は、自分を磔にしたナイフだ。それを言った時のハウノの顔は凶悪で、子供達も怯えて思わずバルドの後ろに隠れる程だった。
「それじゃあ、ハウノ。くれぐれも気をつけてくれ。」
「あ、そうだ、ハウノのおっさん! これ使って!」
ラルムから何かを投げられ、頭上でキャッチしたのは布で出来た玉のようだった。爽やかな草の香りがする。
「それ、嗅覚のある魔物や獣が寄って来ないんだって。狩りする時以外は肌身離さず持ってて!」
「わかった! ありがとうな!」
ハウノが手を振れば、子供達もホビット達も手を振り返す。バルドも軽く手を上げて、入ってきた森の道を辿っていった。
夕刻までには帰ると言ったのに、もう陽が落ちかけている。今から戻るとその陽も完全に落ちている頃だろう。バルドは留守番を約束させた時の、少し拗ねたマリールの顔を思い出していた。
「…急ぐぞ。」
「「「りょうかーい!」」」
バルドが呟くようにそう言えば、ホビット達も異論無しと声を上げる。
バルドは子供達を両肩に二人ずつ座らせて、落ちないように手を添えてやった。
「こ、怖いおっさん、落とすなよ!?」
「大丈夫だ。」
「絶対だぞ!?」
急に高所に置かれるものだから、マルクもビートもおっかなびっくりでバルドに何度も確認してしまう。だが常とは違うその視界に、ティーヨとクリルは楽しそうに目を輝かせていた。
「「きゃーっ。」」
「「うわーっっ!!」」
バルドが子供四人を肩に乗せたまま走り出す。
最初はおっかなびっくり怖がっていた子供達も、乗り物のように早く走るバルドに次第に楽しくなったようだった。
行きの時とはウソのように違い、帰りは獣も魔物も一匹も飛び出して来ず、順調に冒険者ギルドへと戻る事が出来た。だがいつもは通りまで窓から明かりが漏れている筈なのに、今日は暗いままだ。
「あれ? 灯かり点いてなくね?」
「ほんとだ。アエラウェさん達まだなのか?」
「俺、帰ったら即マリーちゃんの作った晩御飯食べるつもりでいたのに…。」
サルムが「ぐぅっ」と鳴る腹を抑えて、眉を情けなく八の字にして呟いた。
子供達も同じように腹を抑えていた。
バルドも不思議に思いながら、冒険者ギルドの扉を開けるが、しんと静まり返ったギルド内にはアエラウェもマリールも居ないようだった。
月明かりで僅かには見えるが、いつもはアエラウェが付けてくれている照明を明かり取りの魔石で付けた。
「いないな…。」
改めて見回してみても、アエラウェとマリールの気配は無い。二階に居る二つの気配は商人とその従者だろう。
「なあ、怖いおっさん。俺達早く孤児院に帰らないと…。」
バルドの太ももの服を、不安そうな顔をしたマルクが、つんつん、と引っ張る。
こんなに遅くなったのは初めての事だから、きっと孤児院のちび達も心配しているだろう。
「あ、ああ、そうだな。ちょっと待ってろ。」
不安そうにマルクに言われて、バルドも慌てて受付カウンター内に入る。
受理した依頼を完遂した事をタグに記すのは、商業ギルドにあった、黒曜石のように真っ黒な石に、細かな文字がみっしりと刻まれていたものと全く同じものだ。その台座に子供達のタグを置き、バルドが依頼完遂の魔術式を展開する。術式は鈍く光ると四つに分岐して、それぞれのタグヘと吸い込まれていった。
これで依頼達成の信頼度も蓄積され、正確に人数分で割られた報酬が、それぞれのタグに入金された事になる。
「良くがんばったな。もう暗いから送っていこう。」
バルドが子供達を送って行こうと、受付カウンター内から出ようとすれば、トートが大丈夫だと言う様にバルドを手で止めた。
「俺等で行って来るよ。ギルマスはマリーちゃんの帰り待っててやって。」
「そうか…頼む。」
トートの気遣いに、バルドも素直に甘える事にした。マリールの顔を少しでも早く見て安心したいと思ったからだ。
「腹減ったから買い食いしてこうぜ! 孤児院の飯もう終わってるだろ?」
「あ…そうかも。」
「もう無いよな…。」
「「おなかすいた…。」」
ラルムがそう言えば、子供達も晩飯の事を思い出し、悲しそうにお腹を摩る。
孤児院の食事時間はきっちり決まっていて、少しでも遅れれば食事抜きなんて事は当たり前だった。きっとご飯抜きで叱られてしまうだろう。
「なら、俺のを使え。肉以外もあったら食わせてやってくれ。あと、ギルドに戻って来る時に俺達の分も頼む。一応またエドナ達のもな。」
「「「了解。」」」
バルドが投げて渡したのは、先日ホビット達が夕飯を買って来るのに使った半欠けのタグだ。トートが受け取って、子供達を送りに出掛けていった。
ホビット達が出掛けた途端、再び しん、と静まり返るギルド内に、バルドは言いようの無い不安を覚える。偶にホビット達が馬鹿騒ぎをしていたが、たった四日とは言え、連日賑やかだったのは初めてだった。
アエラウェが一緒だから心配は要らないのだろうが、早く元気な顔が見たいと心が急いていく。バルドは鞄から薬瓶を取り出し、手に乗せて眺めた。
「マリール…。早く帰って来い。」
バルドの呟くような声は、ギィっと重そうな扉を開ける音で掻き消された。
血が固まりこびり付いた髪は元の色も判らぬ程で、その身体の前面に多く付けられた傷は、ハウノが最後まで戦い抜いた事を物語っていた。
「そんな…ウソだろう…? なぜハウノ程の男が…。」
バルドはマリールから預かっていた薬瓶を思い出す。
確かホビット達は、四日前の早朝に出掛けたと言っていた。カロルクまで一日半、護衛対象にも依るが一泊してからカロルクを出発したとしてメルクに戻って来たならば、もしかしたら間に合うかもしれない。
バルドはハウノを磔にしているナイフを引き抜き、地面へと下ろしてやった。それから薬瓶を取り出そうと鞄に手を掛けたバルドを、突如鳥型の魔物が襲った。
バルドがイラ立ちを隠さず振り上げた手の甲でその魔物を叩き落すと、魔物は炎に包まれてあっという間に燃え尽きていった。空を見れば、先程まで相手をしていた鳥の魔物がじわじわと集まり、バルドに襲い掛かる隙を狙い、旋回している。
バルドはこの場から獣型の魔物が逃げた途端、鳥型の魔物が集まって来ている事に気付く。
「…これか!?」
ハウノの首には常ならば付けていなかった袋が掛かけられていた。バルドはハウノの首に掛けられている袋の紐を、ぶちりと乱暴に引きちぎる。
百合の花のような強い香りは、この袋から発せられている。恐らくこれが魔物寄せの香だ。バルドは香り袋を燃やしてやろうと怒りの炎を纏った。
だが焼いてしまえば煙が焚かれ、さらに香りが広がってしまう。危険なものだが持ち帰り、マリールに確認して貰った方が良いかもしれない。バルドは忌々しい魔物寄せの香り袋を、匂いが漏れぬように革袋へと入れて拡張鞄に仕舞った。
これで漸く薬瓶を取り出せる。バルドの指程しかない小さな瓶。赤青黄の飴のような小さな薬の粒を、赤だけをひとつ選んで摘んだ。
「…頼むぞ、マリール。」
赤色の薬を飲ませる為に、ハウノの鼻を摘み、僅かに硬直が始まっている口を強引に開かせて喉の奥へと押し込む。
確か喉や腹が無くなっていた従者は助かる事が出来なかった。ハウノは喉も腹も傷は多いが無事だから、きっと助かる筈だ。時間が間に合ってくれさえすれば。
バルドは手を祈りの形に組み、額に当てる。教会の教えに出て来る神でもなく、小さなマリールに祈った。
「頼む…!!」
バルドが祈ると願いは聞き遂げられたのか、ハウノの指がピクリと動く。
そして信じられないものを見るようにバルドが見守る中、ハウノの傷は新旧問わずにみるみると癒えて行った。ナイフで磔られていた穴も見事に塞がっている。
暫く呆然と眺めていれば、ハウノの瞼がゆっくり開かれて、そのブルーグレーの瞳がバルドを映しだした。
「…ぐっ…ぬ。…ここは…。」
「ハウノ! ハウノ、ハウノ、ハウノ!!」
バルドは感極まって生還を果たしたハウノを抱き締めた。大きな身体の岩みたいな筋肉で、全力でぶつかって行く。
ハウノは目覚めるなり受けた熱苦しい抱擁に目を丸くした。
―確か自分は指名依頼が入り、カロルクから護衛対象の商人一家とその従者を連れてメルクに戻った。門付近の森で盗賊に襲われて、それから…。
「俺は奴に負けたのか…。」
「ハウノ?」
ハウノはバルドを押し退け立ち上がると、山と積まれた遺骸を漁る。
獣に粗方食い尽くされた遺骸は、食いでがある馬から骨となっていた。初夏の暑さで一晩で腐敗が進んでいる。
人の遺骸は七体。商人一家は夫婦と娘に小さな息子、それと祖母。四台の馬車を操縦する従者が四人、メイドが一人。国外へ出るとかで、かなりの荷物を三台の馬車に積んでいた。
そして護衛は自分の他にも十六人。たった1日半の距離でも財産とも言える商品を運ぶ際は、慎重な程に護衛を雇うのは常識だ。
だがそれでも十六人という数は護衛としては十分過ぎる数で、ハウノはカロルクで知らされるなり断ろうかとも思ったのだ。だが商人に真剣な眼差しで是非にと縋る様に頼まれて、引き受けざるをえなかった。
恐らく商人は疑っていたのだろう。カロルクの冒険者ギルドで薦められた護衛達が、盗賊ではないかと言う事を。そして商人の予想通りに裏切った護衛が、一斉にハウノに襲い掛かり、数でも勝てないと判ると商人達を盾にしてきたのだ。
それからそうだ。奴が出てきて、無抵抗のハウノを甚振るだけ甚振った後に、まるでコレクションを標本するように木に磔た。そして目の前で商人一家と従者達を甚振り始めて…。
ハウノはギリリと拳を握り締めた。せっかく身体中の傷が治ったのに、食い込んだ爪がぽたぽたと鮮血を落とす。
「…遺骸の数が合わない。恐らく荷物と共に連れて行かれたのは商人の妻と娘に小さな息子。残る商人とその祖母、従者とメイドは嬲られ殺された。」
その時の凄惨な場面を思い出しているのだろう。助けてやれなかった悔しさが、ハウノを苦悩の表情に染めていた。
「…そうか。うちにも殺されて助かった商人と従者を匿っている。」
「俺の命がまだあるのと同じ理由か?」
バルトの言葉に、ハウノがぴくりと片眉をあげる。殺されて助かったなんて、普通なら考えられない事だ。
「…薬売りの子供がメルクに来た。恐らくハウノがカロルクへ向かった前日だ。その子供の薬が、何故かこの国でだけ販売許可が下りなかったそうだ。…この薬がそうだ。」
「…飴か?」
バルドが手にしていた小さな瓶には、赤色が一つ、黄色が二つ、青色が五つ。
赤一つは先程ハウノに使い、青一つはピピ角牛狩りの時にマリールに使っていた。
飴玉にしか見えないそれに、ハウノは意外そうに目を開いた。出回っている薬と言えば液体のポーションタイプと言われる物ばかりで、こんなに小さなものは見たことも無い。
「青いのは傷も軽度の病も治る。他にも色々と効果があるようだが…。それと黄色はさらに欠損修復。赤は蘇生だ。信じられないだろうが…。」
自分も見るまでは信じられなかった。それどころか薬術士会で許可が下りず、困り果てて冒険者ギルドに買取に来たマリールを、最初は断ろうとさえしたのだ。
「…いや、確かに俺は死んだんだ。信じるさ。…その子供と、奴が商人を襲っている事と何か関係するのかは判らんが。…それとも偶然か?」
ハウノも俄かには信じ難いが、実際蘇っているのだから信じない訳にもいかないだろう。
それに噂もあった。メルクからカロルクに行く途中出会った年老いた農夫が、天使が現れて奇跡を起こしたのを見たと興奮したように話し掛けてきたのだ。ボケた老人の戯言かと適当に相槌を打って逃げたが、恐らくあの農夫はその子供が薬で誰かを救ったのを見ていたのかもしれない。
そして以前から時折あった盗賊の被害が、ここ最近頻度を増している。しかもそれを奴が指揮していたなら、その上にいる何者かの指示があっての事だろう。
奇跡の薬を売る子供とどう繋がるのか、それとも唯の偶然か。
わかっているのは情報に敏感な商人が国外へ逃げようとする程の嫌な空気が、メルク周辺に立ち込めている事だけだ。
「奴とは?」
「居るだろう。図体ばかり無駄にでかくて、いつも重い騎士鎧を身につけて偉そうにしているのが。」
「…ガルクスか。」
履き捨てるように言うハウノの出した名前に、バルドも嫌そうに眉を顰める。バルドやハウノ等、自分よりも強い者には近付きもしないくせに、弱い者は執拗に甚振るのが好きな嫌な男だ。今回ガルクス自らが出て来たのも、自分より格上のハウノを甚振れる算段があったからだろう。そして自分が強者だと知らしめる為に磔にした、卑怯な男だ。
「警備兵全部が奴の手下とは思わんが、襲ってきた盗賊は護衛として冒険者ギルドで薦められたと言っていたから、この国の冒険者ギルドも信用しない方がいい。」
「…これからどうする、ハウノ。」
「出国するにも他の街に行くにも、死んだ事になっているからな…。メルクに戻る事も出来ん。さて、どうするか…。」
バルドとハウノが頭を悩ませていると、待っていろと言った筈のホビット達が子供達と共に来てしまった。時間が掛かっているから心配になったのだろう。
「ギルマスー! 大丈夫か?」
「あれ、ハウノのおっさんじゃん!」
「うわっ、なんだこの遺骸の山…。」
「ハウノおじさんだー!」
「「「おじさーん!」」」
「おう。ちびども! 元気か?」
ハウノが遺骸の山を見せないように子供達の元へ両手を広げて駆けて行けば、子供達も嬉しそうにして、わらわらとハウノに抱きついていく。子供達から全幅の信頼を受けるハウノに、バルドは羨望の眼差しを送った。
「あの商人と同じかー…。いよいよヤバイね、ここ。」
「ご丁寧に今回、魔物寄せまで使われたんでしょ? そこまでやるかー?」
「寄ってきた魔物が街に来るじゃんな? アホなのかな。」
「ガルクスは馬鹿だぞ。だから重用される。」
「「「うへぇ。」」」
軽くバルドから説明を受けて、ホビット達は嫌そうに舌を出して顔を歪める。それを真似して子供達も「うへぇ。」と舌を出し嫌そうな顔をして見せた。
ガルクスと言う騎士は、孤児院の子供達を見ると剣の鞘でつついたり、時には殴ってくる事も蹴る事もある。特に獣人に対する暴力が執拗で、獣人の子供は帽子と服に尻尾を隠し、見つからないように気をつけていた。
「商人の時みたいにギルマスが荷物に偽装して担いでくにも、ハウノのおっさんでかいからなぁ…。」
「俺も嫌だぞ、担がれるなんて。」
年下のバルドに担がれるなんて介護でもされてるみたいじゃないかと、ハウノはムッと眉間に皺を寄せた。ハウノは五十七歳。孫や曾孫が居てもおかしくない年齢だが、まだまだ現役なのだ。
「取り敢えずもっと奥の方に隠れる? 俺等で簡易の家造るけど。」
「奥の方でもハウノのおっさんなら平気でしょ?」
「魔物寄せを使われでもしない限りはな。」
肩を竦めるハウノに、笑えないとホビットも肩を竦めて首を振る。
一行はハウノの一先ずの棲みかを建てるべく、ハウノの案内で森の深部へと向かった。先程バルドが回収した魔物寄せの効果が切れたからか、襲ってくる魔物の数は激減している。
「そうだ、ハウノ。月桂樹の若木を知らないか。」
「月桂樹の若木? 知ってるが、どうするんだ。」
バルドが思い出したと月桂樹の事をハウノに聞けば、突然すぎる話にハウノも片眉を上げる。
「街に持ち帰って、エドナの畑で栽培する。子供達が安全に月桂樹の葉を収穫出来るようになるんだ。」
「本当か!? 魔力がどうとか言われてただろう?」
子供達の引率で森に来る度に、何度月桂樹を持ち帰れたらと思ったことか。ハウノはバルドの話に喜び、興奮したように振り返った。
それにバルドも嬉しそうに頷く。
「ああ。薬売りの子供が教えてくれた。詳しくは後でな。」
「…わかった。こっちだ。」
若木の生えていた場所は、薄暗い森の奥でも日が僅かに差し込む開けた場所だ。鳥が種を運んだのかは謎だが、そこには背丈がまだ二メートルあるかないかの若木が、雌株も雄株も混ざって何本も生えていた。
「花の色が違うらしいんだが、わかるか?」
いくら見比べても違いが判らない。同じ木なのだから当然と言えば当然なのだが。マリールが見たら花が無くとも違いが判るのだろうか。
「いや…適当に数本持って帰ればどうだ? 入るだろう、この大きさなら。」
「それもそうか。」
ハウノにも聞いてみるが、やはり判らないようだ。無作為に選ぶしかない。
四本の月桂樹を選び、ホビット達に土魔法で根から掘り起こして貰い、それから土魔法で作った、酒樽程の大きさの容器に植え替えて拡張鞄へと仕舞う。
「ふかふかしてる土が良いって言ってたぞ、マリーちゃん。」
「こんくらいかなー?」
「もっと要るんじゃない?」
マリールが言うことには、ふかふかの土は落ち葉が腐ったもので、微生物や栄養が豊富に含まれて居るのだそうだ。そのふかふかの土をホビット達が選び、酒樽六つ程の土も一緒に拡張鞄へとしまった。これだけあれば十分だろう。
月桂樹を四本採取してさらに広くなったこの場所を見渡して、トートが思案するように顎に手を当ててから、ハウノを見上げる。
「ついでにここに家建てる? 開けてるし。」
まだ残っている月桂樹と木を掘り起こした跡を利用すれば、良い感じの家が建つだろう。トートの中では既にイメージが出来上がっているようだ。
「ハウノおじさん帰らないのか?」
「ここに住むの?」
家を建てるという事は、もうメルクには戻らないのかと不安そうに聞いてくる子供達に、ハウノは目線を合わせるように屈む。
「そうだぞ。これから悪者と戦う準備するからな。だから絶対秘密だぞ? わかったな、ちび達。」
ハウノは、ぽんぽん、と子供達の頭を軽く叩いてから、これから秘密の任務をすると言う風に、キリッと引き締めた顔で、子供達に言い聞かせた。
「「「「わかった!」」」」
真面目なハウノの顔に、子供達もハっ息を呑み、それから唇を引き締める。自分達も重要な任務を負った一端の冒険者だという、頼もしい表情だ。
ハウノが上手く子供達を言い包めたところで、ラルムとサルムが、若木を掘り起こした窪みをさらに掘り下げていった。そこに固い土の短い柱を何十本も立ててから、雨が降っても浸水しないように溝を掘り、溝から繋がる排水口を深く何本も掘っていく。
柱の上にはトートが鋼蜘蛛の糸で板状に伐採した生木を、バルドが炎で炙り、焼き板にしたもので小屋サイズの四角い部屋を組み立てた。それを覆うように土魔法で固い壁を作り、目立たないように横から鉤型に伸びる煙突の穴も開けてある。
さらに柔らかい土を被せてその上に木を何本か植え込めば、半地下造りの簡易ホビットの家が完成だ。下草でも生えれば見事にただの小山である。今はまだ土剥き出しの小山の滑り台で、さっそく子供達が余った板材に乗って滑って遊んでいた。
入り口は月桂樹側に付けられているから、此方からは見えない。これなら再びガルクス達が森にやって来ても、早々見つかる事は無いだろう。
「あ…やべ。嫁捕まえてないのに建てちゃったよ。」
ラルムが、しまった、と言う風に額をぺしりと叩く。
「自分の家じゃないからいいんじゃないか?」
「練習と思えばな!」
トートとサルムがそう言えば、ラルムも「そっか!」とすぐに納得したようだ。ジンクス的中立百パーセントの確立が崩されるのか見ものである。
「ちび共ありがとうな。随分立派なの建ててくれたもんだ。」
ハウノがホビット達の頭を乱暴に掻き混ぜる。ぼさぼさにされた髪に情けなそうな顔をして手を当てながら、ホビット達は笑った。
「「「礼はタグが使えるようになったら酒で!」」」
「はいはい。わかったよ。」
しっかり請求してくるホビット達に、ハウノも白い歯を見せて笑う。
「後で他に必要そうなもの持ってくるよ。なんかある?」
ハウノはガルクス達に武器も拡張鞄も盗られてしまったので、手持ちの物が何も無い。バルドやホビット達がある程度の物資を提供したが、それでも暫く潜伏するには足りないだろう。特に武器が。
「そうさなぁ。肉はその辺で狩れるが、調味料や酒が欲しいな。武器はコイツを使うさ。」
ハウノが手の平で弄んでいる武器は、自分を磔にしたナイフだ。それを言った時のハウノの顔は凶悪で、子供達も怯えて思わずバルドの後ろに隠れる程だった。
「それじゃあ、ハウノ。くれぐれも気をつけてくれ。」
「あ、そうだ、ハウノのおっさん! これ使って!」
ラルムから何かを投げられ、頭上でキャッチしたのは布で出来た玉のようだった。爽やかな草の香りがする。
「それ、嗅覚のある魔物や獣が寄って来ないんだって。狩りする時以外は肌身離さず持ってて!」
「わかった! ありがとうな!」
ハウノが手を振れば、子供達もホビット達も手を振り返す。バルドも軽く手を上げて、入ってきた森の道を辿っていった。
夕刻までには帰ると言ったのに、もう陽が落ちかけている。今から戻るとその陽も完全に落ちている頃だろう。バルドは留守番を約束させた時の、少し拗ねたマリールの顔を思い出していた。
「…急ぐぞ。」
「「「りょうかーい!」」」
バルドが呟くようにそう言えば、ホビット達も異論無しと声を上げる。
バルドは子供達を両肩に二人ずつ座らせて、落ちないように手を添えてやった。
「こ、怖いおっさん、落とすなよ!?」
「大丈夫だ。」
「絶対だぞ!?」
急に高所に置かれるものだから、マルクもビートもおっかなびっくりでバルドに何度も確認してしまう。だが常とは違うその視界に、ティーヨとクリルは楽しそうに目を輝かせていた。
「「きゃーっ。」」
「「うわーっっ!!」」
バルドが子供四人を肩に乗せたまま走り出す。
最初はおっかなびっくり怖がっていた子供達も、乗り物のように早く走るバルドに次第に楽しくなったようだった。
行きの時とはウソのように違い、帰りは獣も魔物も一匹も飛び出して来ず、順調に冒険者ギルドへと戻る事が出来た。だがいつもは通りまで窓から明かりが漏れている筈なのに、今日は暗いままだ。
「あれ? 灯かり点いてなくね?」
「ほんとだ。アエラウェさん達まだなのか?」
「俺、帰ったら即マリーちゃんの作った晩御飯食べるつもりでいたのに…。」
サルムが「ぐぅっ」と鳴る腹を抑えて、眉を情けなく八の字にして呟いた。
子供達も同じように腹を抑えていた。
バルドも不思議に思いながら、冒険者ギルドの扉を開けるが、しんと静まり返ったギルド内にはアエラウェもマリールも居ないようだった。
月明かりで僅かには見えるが、いつもはアエラウェが付けてくれている照明を明かり取りの魔石で付けた。
「いないな…。」
改めて見回してみても、アエラウェとマリールの気配は無い。二階に居る二つの気配は商人とその従者だろう。
「なあ、怖いおっさん。俺達早く孤児院に帰らないと…。」
バルドの太ももの服を、不安そうな顔をしたマルクが、つんつん、と引っ張る。
こんなに遅くなったのは初めての事だから、きっと孤児院のちび達も心配しているだろう。
「あ、ああ、そうだな。ちょっと待ってろ。」
不安そうにマルクに言われて、バルドも慌てて受付カウンター内に入る。
受理した依頼を完遂した事をタグに記すのは、商業ギルドにあった、黒曜石のように真っ黒な石に、細かな文字がみっしりと刻まれていたものと全く同じものだ。その台座に子供達のタグを置き、バルドが依頼完遂の魔術式を展開する。術式は鈍く光ると四つに分岐して、それぞれのタグヘと吸い込まれていった。
これで依頼達成の信頼度も蓄積され、正確に人数分で割られた報酬が、それぞれのタグに入金された事になる。
「良くがんばったな。もう暗いから送っていこう。」
バルドが子供達を送って行こうと、受付カウンター内から出ようとすれば、トートが大丈夫だと言う様にバルドを手で止めた。
「俺等で行って来るよ。ギルマスはマリーちゃんの帰り待っててやって。」
「そうか…頼む。」
トートの気遣いに、バルドも素直に甘える事にした。マリールの顔を少しでも早く見て安心したいと思ったからだ。
「腹減ったから買い食いしてこうぜ! 孤児院の飯もう終わってるだろ?」
「あ…そうかも。」
「もう無いよな…。」
「「おなかすいた…。」」
ラルムがそう言えば、子供達も晩飯の事を思い出し、悲しそうにお腹を摩る。
孤児院の食事時間はきっちり決まっていて、少しでも遅れれば食事抜きなんて事は当たり前だった。きっとご飯抜きで叱られてしまうだろう。
「なら、俺のを使え。肉以外もあったら食わせてやってくれ。あと、ギルドに戻って来る時に俺達の分も頼む。一応またエドナ達のもな。」
「「「了解。」」」
バルドが投げて渡したのは、先日ホビット達が夕飯を買って来るのに使った半欠けのタグだ。トートが受け取って、子供達を送りに出掛けていった。
ホビット達が出掛けた途端、再び しん、と静まり返るギルド内に、バルドは言いようの無い不安を覚える。偶にホビット達が馬鹿騒ぎをしていたが、たった四日とは言え、連日賑やかだったのは初めてだった。
アエラウェが一緒だから心配は要らないのだろうが、早く元気な顔が見たいと心が急いていく。バルドは鞄から薬瓶を取り出し、手に乗せて眺めた。
「マリール…。早く帰って来い。」
バルドの呟くような声は、ギィっと重そうな扉を開ける音で掻き消された。
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