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第一章
57.
しおりを挟む「ふぁー…こんんなにお腹いっぱい食べたのはじめて…」
水母で量増しした料理を一人で四人前もぺろりと平らげて、ルルナはぱんぱんに膨れた腹を撫で擦っている。そして瞼はとろんと落ちかけていて、満腹で睡魔が襲って来ているようだった。
「水母料理美味しかったわねぇ…。ふふ、明日はきっともちぷるお肌よ!」
アエラウェも自分の頬に手を当て撫でながら、上機嫌で寛いでいる。
「いや、だからコラーゲンは食べたからといって、お肌がぷるっとするわけでは…」
誤解を何度も正そうとするが、アエラウェは全く聞いてくれない。マリールは仕方なさ気に溜息をひとつ零すと、寛ぐ二人に食後のお茶を淹れるべく、手鍋を背負い鞄から取り出した。
「アエラウェさん、御寛ぎのところ申し訳ないんですが、お水ってまだ出せますか?」
「お水? …あら、ちょっと魔力足りない感じだわ」
アエラウェがいつものように水を出そうと、つぃ、と空中に指を滑らせる。
いつもなら透き通った魔力たっぷりの水がみるみると球状になって沸いてくるのに、今はじわりと指先の前に水が現れ、蠢いて球体を作ろうと踠いているように見えた。だが、それも直ぐに霧散してしまった。
「ああ…」
消えてしまった水を見て、マリールが眉尻を下げる。アエラウェはそれも仕方ないのだと肩を竦ませた。
「光魔法だけでもかなり魔力を消費するんだけど、風魔法も水魔法も沢山使い過ぎちゃったわね…その上、氷魔法まで使っちゃったもの」
「氷魔法!? 使えるようになったんです?」
「ええ。怒ったら出ちゃったの。私が落ちた隣の部屋で、大水母が氷漬けになってるわ」
「凄い! 流石です、アエラウェさん!! 天才!!」
「いやあねぇ。それほどでもあるけどぉ」
渦巻き水母はまだまだ大量にストックされているが、いざとなったらその氷漬け大水母も確保出切る。それにアエラウェが氷魔法を使えるようになったら、色々と調理の幅が広がるではないか。マリールはキラキラと瞳を輝かせて、アエラウェを絶賛褒め称えた。これから開く予定である冒険者ギルドの食堂で、扱使う気満々である。
マリールはやたら上機嫌で背負い鞄に手を突っ込むと、今度は布玉を三つ取り出した。挨拶代わりにアエラウェにあげたものと同じものだ。
「それじゃ、この魔力回復の布玉でちょっと魔力回復させてみてくれませんか?」
「あら、新しいの貰って良いの?」
「はい。それで出せそうになったら、この手鍋に水をお願いします!」
マリールに見せられた布玉は、アエラウェ好みの白レースと透ける布のもの、小花柄のもの、リーフ柄のものとある。アエラウェが白レースの布玉を手に取ると、マリールはルルナに振り返った。
「ルルナちゃん。ちょっといいですか?」
マリールは眠そうなルルナの下瞼を小さな指でちょいと下げると、さっと瞼の裏側の色を確認し、直ぐに手を離した。
「ルルナちゃんも沢山火魔法を使ったから、魔力切れし掛かっているみたいです。香りを嗅いでみて?」
ルルナがやたら眠たそうにしているのは腹が満たされただけではなく、体内の魔力量が著しく低下しているからだ。血には多くの魔力が含まれており、自然回復では追い付かない程の魔力を急激に使うと、それは貧血として表れ、放って置くと生命にまで危険を及ぼす状態となる。アエラウェは己の限界を知っているから制限していたようだが、ルルナの場合は考えずに魔力を消費してしまったのだろう。
ルルナはマリールに促されて小花柄の布玉を手に取ると、小さな鼻をひくつかせた。
「匂い袋…?」
「はい!」
ルルナとアエラウェは鼻先に布玉を当てて、すぅっと深く香りを吸い込んだ。
甘い果実と花の香りに、草の爽やかな香り。リラックスするその香りを嗅いでいると、僅かに身体の奥底から湧き水のように静かに染み出てくる何かに気付く。
アエラウェは驚きに目を瞠り、手の平に乗る小さな布玉を見つめた。
「…本当に回復するのね」
「ほんの少しだけですけどね~。お茶で飲むともう少し実感できると思いますよ?」
僅かにだが、確かにいつもより早く魔力が回復している。アエラウェは驚きつつも、手鍋に半分程の水を満たしてやった。その水は澄んだ魔力が含まれていて、いつも出す水と同じようにとても綺麗なものだった。
「これで精一杯ね…。足りるかしら?」
「十分です! ではでは、これに布玉の中身を入れて~」
マリールはリーフ柄の布玉のリボンを解して、茶葉を鍋へと入れる。薬草茶は水から弱火で煎じた方が成分が抽出しやすい。水だけで一晩抽出する方法もまろやかで飲みやすいが、成分はそれ程抽出されないので今回は煎じる方法を取った。
薪をくべながら火力を調整して軽く煮詰める。それからマリールは薬を作った時と同じように、薬草茶へと術式を展開し始めた。
小さく紡ぐ言葉が記号となり、マリールの周囲を回り出す。そうしてマリールの身体から押し出された淡い光と共に手鍋の中へと溶けてゆけば、薬術士特性、魔力回復の薬草茶の完成だ。これに飲みやすいようにと、蜂蜜をたっぷり入れてやる。
ぐい飲み程の小さなカップに、ゆっくりと黒に近い茶色の液体を注いでいく。とろりとしたその液体は、お茶と言うよりも見慣れたポーションに近いように見えた。
マリールの薬術を初めて見たルルナは、驚きに目を丸くする。
孤児院のある教会では、時折高位の回復術士がその魔法を信者に見せる事がある。だがマリールのように紡いだ言葉が目に見える形になるのは初めて見た。しかも見た事も無い記号だらけだ。薬術士は皆があの記号を覚えていて、だからポーションはあんなに高いのかと、ルルナは感心したように ほぅ、と吐息を零した。
尤も、冒険者ギルドで稀に貰える低級ポーションは全く効かなかったのだが。
「成る程。このお茶も、ちゃんとお薬って事なのね…」
「お茶を淹れるのと同じ要領でも回復するんですが、ちょっと今回はルルナちゃんの緊急性が高いので特別に。けど魔力回復薬としては物足りない回復量なんですけどね。ささ、ぐびっと一気にどうぞ!」
アエラウェがその赤い舌でちろりと舐めてみるが、甘さで隠しても正にポーションの苦味だ。アエラウェの眉間に寄る皺を見て、これは言われた通りに一気飲みが正解だと、ルルナも一息に飲む覚悟を決めた。そうして二人は目配せをすると、同時に薬草茶を仰ぎ飲む。
「にっが甘…!!」
「うぇぇぇ! 不味いよう…!!」
蜂蜜のお陰で飲めなくはないが、慣れるまでに時間が掛かりそうな味だ。
だが確かに魔力は三割近く回復しているし、アエラウよりも魔力量が少ないルルナに至っては、恐らく全回復近くまでいっているだろう。アエラウェは強い苦味にえづきそうな口を手で押さえ、苦味に慣れるまでやり過ごそうと目を瞑った。
ルルナの方はと言えば、不味さを紛らわせようと舌をぺっぺと出してみるが、舌に残る味は早々に消えてくれそうもない。あまりの不味さに涙が勝手に滲んで来ていた。
その様子に、マリールが申し訳無さそうに眉を寄せる。
「あー…やっぱりこの配合だと獣人さんには不味いみたいですね」
「私でも十分苦くて酷い味だと思うけど、獣人だと不味いの?」
「薬草って、私達では大丈夫でも、獣人さんにとっては毒になるものが多いんです。今回作った薬草茶の中には毒になるものは無いんですが、苦味の他にも私達では気付かない味が出てしまう薬草が入ってるんですよね…。その味が、特に獣人さんには耐えられない程らしくて…。本当にごめんね、ルルナちゃん…」
緊急事態とは言え、説明もせずに騙すように薬草茶を飲ませてしまった事にマリールが心から詫びれば、ルルナはふるふると首を横に振る。そして何故だかお腹を擦り出した。
「ううん、大丈夫…。でもなんだか、おなかがすいてきちゃった…」
「ほわ!?」
「自然回復の時にでも栄養が消化されるから、一気に魔力回復したその分、一気に消化されたのかもしれないわねぇ…」
体力仕事で腹は減るが、魔力を使う事でも腹が減る。
それは皆同じだが、ルルナの場合はどちらも通常より多く栄養摂取が必要なようだった。
驚きの燃費の悪さに、マリールもアエラウェも呆れと感心を込めてルルナを見れば、ルルナの腹がまたタイミング良く鳴くものだから、ルルナは頬を赤くして俯いてしまった。
残しておいたホルホル肉を焼くべきか、それとも大水母だけでまた何か作るべきかとマリールが悩んでいると、アエラウェがマリールも気になっていた事をルルナに聞き始めた。
「そういえば、ルルナはどうして落とし穴に落ちたの?」
「モルガお姉ちゃんが、お客さんが居ない時は偶にお店に入れてくれるの。それで、あの日もお店に行ってみたらお客さんが居ないみたいだったから、扉を開けて声を掛けたら奥から物音がして…そこにモルガお姉ちゃんがいるのかと思って」
「試着室の中に入ったのね?」
「うん。カーテンも開いてたから、着替えてる訳ではないと思って…」
ルルナはその時の事を思い出しながら、段々と声を小さく萎ませた。
「でも、そこには誰も居なくて。隣の試着室かなって出ようとしたら、いきなり床が抜けて落ちちゃった。…きっと勝手に店に入った罰なんだよね?」
モルガがいつも優しくしてくれるから、客が居なければ店に入っても大丈夫だと勘違いしてしまったのだ。だが本来、あんな綺麗なお店に孤児の、それも獣人のルルナが入ってはいけなかったのだ。
長い耳をペタリと畳み俯くルルナに、今度はマリールが尋ねた。
「脚が骨折して、圧迫されてたのは?」
「…えっとね、落ちた時はビックリしたけど、壁をジグザグに蹴って地面に降りたんだ。落ちた穴から出ようとしたけど、いくら蹴っても開かなくて」
「うん」
「それで眠くなって寝て、目を覚ました時には重くて大きいものが上に乗ってて足が動かせなくなってたの。なんとか這い出して壁伝いに歩いたら扉を見つけたんだけど、また開かなくて…。諦めて座ってたら、マリーちゃんが落ちてきたんだ」
「それじゃあ、自然に目が覚める明け方前には大水母の下敷きになってたって事ですね…」
孤児院の規則正しい時間でルルナの腹時計が正確なように、就寝時間も起床時間も恐らく正確に身体が覚えているのだろう。睡眠が深い時間帯に大水母が落とされ、寝ている間は痛みを感じなかったのかもしれない。
ルルナの言葉を聞いて、良く間に合ってくれたとマリールはそっと息を吐き出した。
二時間以上重量物の下敷きになった場合、筋肉細胞が壊死を起こす。蛋白質やカリウム等が血中に混ざり循環されることなく蓄積されると毒性の高い物質が発生し、圧迫から開放されたと同時に蓄積された毒素が急激に身体を回り、心臓機能を悪化させ、やがて死に至る。救出された時は元気でも数時間で急変する症例で、速やかな透析が必要となる。
震災等で家具や倒壊した家屋によって下敷きになった被災者が、救出された直後は元気に見えても、数時間後に亡くなってしまう者が多く出た事で広く知られるようになった症例だ。
「…マリーちゃんは、前世でも薬術士や回復術士みたいな仕事をしていたの?」
マリールの様子をじっと見つめていたアエラウェが、探るような口調で言った。
手足に激しい損傷を負った場合、切断して切断面を焼き血止めをするということは冒険者も騎士達も知っている処置方法だが、骨折程度では切断しない。あの時のルルナの脚は骨折しているのは目に見えて分かったが、壊死しているとは言っても、アエラウェには判断が出来ない程度の変色だった。
『異界の迷い子』は魂を失った肉体の能力はそのままに、異界の魂の記憶による能力も加味される。
肉体の特性以外にも生前培ったものを継承させて現れるからには、マリールも恐らく似たような仕事に就いていたのだろう。でなければいくら『異界の迷い子』とは言え、治療知識があり過ぎる。アエラウェはそうアタリをつけて尋ねたのだが。
「…私、」
「なんだぁ? 汚い野兎まで紛れているではないか」
少しの間を置いてマリールが答え掛けたと同時に、背後から知らない男の声が被せられる。
マリールが驚いて振り返れば、アエラウェが破壊した扉の入り口から、バルドよりも僅かに小さいが十分巨体と言える重鎧の男が、ガチャガチャと金属音を立てながらマリール達の座る側へと歩み寄って来ていた。その後ろには軽鎧を着けた警備兵が5人。
突然現れた男達皆が、にやにやと下卑た笑いを浮かべている。その視線はアエラウェに対し、無遠慮に向けられているようだった。
苦虫を食んだような顔で、忌々し気にアエラウェが男の名を呟く。
「…ガルクス」
「見たぞぉ、エルフ。お前が落ちた穴の氷漬けも、破壊した跡もな。さぞ魔力を使ってくれた事だろう?」
「なあ?」と厭らしい笑みを浮かべたまま、ガルクスは小馬鹿にするように眉を上げて見せる。だがアエラウェは、ふ、と口元を緩めてから、挑発するように顎を反らして言った。
「…さあ? どうかしらね?」
「っ。何を強がりを…!」
妙に落ち着き払い余裕を見せるアエラウェに、ガルクスも後ろに控える警備兵達もが僅かに身じろぐ。だがガルクスは強者に対峙して焦る本能を無視して、アエラウェに掴みかかろうと腕を伸ばした。
「アエラウェさん…!!」
「アエラウェ様…!!」
―――カラン
マリールとルルナが悲鳴を上げたと同時に、背後から乾いた音が鳴る。
そして。
「マリール!!」
マリールが恋し、ずっと待ち望んだ声が頭上から降り注ぐ。
信じられない思いでマリールが目を見開きゆっくりと振り返り見上げれば、マリール達が落ちた穴から、バルドが飛び込んでくるのが見えた。
「っ…旦那様ー!!」
バルドの姿を見るなりくしゃくしゃに顔を歪めて、マリールが愛しいバルドを呼び叫ぶ。
そしてその小さな身体で両手を広げ、落ちてくるバルドの元へと駆け出した。
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