亡霊戎遊

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天戒 ー壱ー

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蝉のつんざく声に気押され、重たい瞼を開く。
湿った朝日に白けた寝間着が、その熱を伝えてきた。

起き上がると、重い湿気に寝汗をかいた皮膚が彼をより一層気だるさを醸し出した。

「はあ…」

カタ、と障子を開けると既に舎弟の数人が広い庭で訓練をしていた。
ばし、ばし。
彼らが手に構える居合刀が藁にぶつかる音に気づいたのは、まさに今なのである。
寝過ぎたことに後悔を抱きつつ、ふとあくびを噛むと、縁側から見慣れた姿を捉えた。

「なんだ今起きたのか、燐。」

彼は燐と呼ばれ、少しだけ萎縮した。
急に名前で呼ぶなど、そんな優しさがあったのかと驚いたのが本当のところだ。
「すまねえ親父、俺もすぐに稽古に着くよ。」
歳を感じる肌の下に、たくさんの筋肉がついているのが伺える。
親父と呼ばれた初老の、とてもコワモテな彼はその渋い顔をさらに顰めた。
「支度をしろ、門下生達はもう」
「わぁってるって。ごめんって。すぐ着替えまあす。」
燐は適当にかわしながら相槌を打ち、ひらひらを手を振った。

「っせぇなあ…。…ふあ、顔洗お…」

ぶつぶつと独りでに話しながら、燐は頭を掻いて脱衣所へと向かった。

この時期の稽古は本当に気が滅入る。
元来、燐はこの暑い気候をとことん嫌う質であった。

脱衣所で道着を羽織ると、バシャバシャと雑に顔を濯いでからそそくさ道場へ向かう。
するとまたしても向こう側からトタトタと、今度は男のものではない、軽い足音が木の上で踊っているのが聞こえた。

「燐さん、おはようございます。」
軽く駆け足だった彼女はその足を止めると、燐に向かって丁寧なお辞儀をした。
元結に髷を乗せた、上品な女性であった。
背のほどは燐よりずっと低く、彼女は眩しそうにこちらを見上げていた。
「おはよう、椿。今日も綺麗だねえ。」
揶揄うように笑うと、椿もつられてはにかんだ。
だがすぐにハッと顔を戻すと、今度は少し怒ったような顔をしている。
「ダメではありませんか。お顔を濡らしたままでは風邪をひきます。」
持っていた手拭いをぐいぐいと燐に押し付ける。
が、すぐに慌てて二歩ほど引き下がった。
「し、失礼いたしました。」
「大丈夫だよ、気にしすぎ。そのうちそれも当たり前になるよ。」
少し頬を赤めた椿の肩を、燐は慰めるように叩くとその横を通り抜ける。

彼らは見合いの席で許婚者になったばかりであった。
両家の顔合わせが決まった時、お互いの面識はなかったばかりか、椿は父親以外の男性と話すことも初めてだったため、距離感が掴みづらかったことを燐は今でも覚えている。

「どうしたら慣れてくれるかなあ…。」

未だにあまり近づけさせてくれない椿にせめて優しく接することが、ここ半年の燐の目標であった。
せめて許嫁とは普通に話したいと思う一方、自分の感情に目を向けてはいけないことも重々承知だったため、彼の心労は後を絶たなかった。

「せめてもう少し目の下の隈が消えてくれたら怖がらせないかな。」

彼の目下の悩みはその隈であった。
幼少期から不眠の病を持つ彼にとって、安眠はずっと遅い時間にやってくるのである。

「俺、でかいし怖いよな。」

ふと歩きながら呟く。
身長が6.17尺(約187㌢)もある彼はさらに無駄のない筋肉でその体を覆われているため、まさに巨漢と言わざるを得ない見た目であった。
さらに寝不足続きの隈が目立つとなると、なんともチグハグな見た目をしている。
まるで三日三晩熊と戦ったかのような。

「恋ってなんだろう…トキメク?フワフワ?ホワワン?…ん~、ピンとこない。」

目をこすりながらまたしてもポツリと呟くと、門下生の数名がいつもの爽やかな汗をきらびかせながら声をかけた。

「おそようございます!大宮師範代!」
「あは、また寝坊ですか?全く、奥さんに叩き起こしてもらいましょうよ!」

燐は苦虫を噛み潰すかのような顔で舌を出すと、門下生達は笑いながら朝の床掃除を始めた。それを横目にやれやれと肩を落としながら、道着をきちんと着付ける。

「まだ奥さんじゃねぇよぉ…っと。」

ふと目の端に大荷物を持った人影が写った。
そちらに顔を向けると、よく見知った顔が荷台を引いて門をくぐるところであった。
今日は新しく打ってもらった居合刀が届く日であることを、燐は今になって思い出す。

「あ、若旦那!刀、いつものところでいいですか?」
「あー、うん。あと俺まだここ継いでないからな?」

ニカっと爽やかな笑顔を見せた彼に、念を押すついでに返事をした。
逆立つ髪をさらにかきあげて、彼はどっこいせ、という掛け声と共に荷台から刀の入った木箱を数個、持ち上げた。
三白眼で高価な着物に身を包む彼に、燐はもう一度声をかけた。

「そうだ、なきり。今日も俺の稽古中は椿の練習相手を頼んでもいいかな?」

なきりと呼ばれた彼は一瞬キョトンとした顔をすると、もう一度ニカっと笑って親指を立てた。まかせろの合図だろう。
燐はふん、と鼻を鳴らすと、門下生達に声をかけた。

「今日は型の復習ね!皆納刀して座って~~~、挨拶するから。」

大きな声でそう呼びかけると、門下生は皆ウキウキと同情の床に座った。
もちろん、刀は右に置く。

今日も一日が始まったことに安心しつつ、皆で稽古を始めた。





陽が落ちる頃、道場は慌ただしかった。
「ごめーん、あっちの弾幕こっちに持ってきてくれる?明日の演舞に必要なんだよ~~。」
燐の間延びした声と、むさ苦しい空気と野太い声が混じる。
「師範代、これ持っていくんですか!?」
「だってせっかくなら豪華な方がいいじゃん?ね~!」
「ちょっと邪魔ですよこれ…。」
ね~!とそばにいた門下生の1人、大吾にそう話しかけるも邪魔だと一蹴され、燐はむすっと唇を尖らせた。

「あのっ、お疲れ様です…!」

ガヤガヤと騒がしい中に、カランとした声が響く。
いつの間にか燐のそばに椿が立っていた。

「えっいつの間に!?…ていうかそれ握り飯?皆に?」
こくこくと必死に頷く椿の腕にはたくさんのおにぎりが抱えられている。
「あの…お義母様と作りましたのでよければ皆様で召し上がってください…!」
そっと、落とさないように慎重に渡された大量のおにぎりをみて、燐は大声を出した。

「わああ!!お~い皆~!!シャケだ!シャケ!!」

子供のようにはしゃぐ燐につられて、他の皆もワイワイと集まってきた。
椿は燐の後ろにさっと隠れると、少しだけ裾を掴んだ。

「あ。ごめんね椿。びっくりしちゃったよね。」

今度はブンブンと首を振る彼女に気を遣いながら、燐が門下生一人一人におにぎりを手渡していく。その度に「ありがとうございます!」「いただきます!」と声をかけられ、椿はオロオロとしていた。

きり、とした顔だちの割に怯えがちな椿はよく揶揄われていたので、素直に話しかけられるとどういった反応をしていいのかわからないというのは、なきりが燐に教えてくれたことだった。

皆がおにぎりに夢中になっている様子を見ながら、燐が長椅子に座っていた椿に話しかける。
「どうだった?今日の練習は。」
どかっ、と椿の横に座ると、汗を手拭いで拭きながら目線を合わせてみる。
ふい、と顔はそらされたが、今朝よりも平気そうだ。
「はい、あの…。少しだけ会話が上達したかと。」
「いいじゃん、その調子だよ。」
にこ、と笑ってみせると燐もおにぎりを頬張った。塩が効いていてこの時期にはピッタリな味付けだ。

「ですが。」
振り向いた燐に今度こそ目線を合わせると、彼女は困惑したような、覚悟したような振る舞いで呟いた。
「会話の練習相手が、なきりさんでいいのでしょうか…。」
「へ?なんで?」
モゴモゴと米を頬張りながら、燐は聞き返す。
信頼もおける、気のいい奴だと知っているからなんの心配もなかったのだ。
「だって、私が結婚するのは燐さんであって…。その燐さんと話を重ねなければ、意味がないって思って…。」
申し訳なさそうに小声になっていくが、燐は一蹴した。
「大丈夫だって!なきりはいい奴だし、なんも心配いらないよ。」
大丈夫大丈夫、そう言いながら燐はヘラヘラとして見せた。

本当は自分が練習相手になれたなら良かったのだろうが、そうなると嫌でも恋路の話になる。夫婦としての話になってしまう。
燐はそれを恐れていた。
「俺は友人関係みたいにくったくない話がしたいからさ。」
「…はい、頑張ります。」

少し寂しそうな顔をした椿に、燐はこの時気付けなかったのだった。
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