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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
王太子の執務室に入り、ハインリヒは疲れた様子でどさりと椅子に腰かけた。式典用の豪華な衣装が窮屈に感じるが、着替えるどころか、しばらくは立ち上がる気力も湧かなさそうだ。
護衛としてついてきたカイも、同じように執務室に入ってくる。ハインリヒを見やるカイの顔は何か言いたげで、しかし、何も言ってくることはなかった。
「……なんだ?」
しばらく目を閉じてしかめ面をしていたハインリヒだったが、その視線に耐えかねて、不機嫌な声をカイに向ける。カイはもの言いたげな表情はそのままに「いえ、別に」と返した。
「別にという顔ではないだろう。言いたいことがあったら言えばいい」
「では、お言葉に甘えまして」
そう言ってカイは、リーゼロッテから預かってきた小箱を懐から取り出した。
それを目の前の机の上にポンと差し出され、ハインリヒは訝しげな顔をする。しかし、すぐに何かに気づいたように、はっとした表情になった。
「リーゼロッテ嬢経由で返されました。こちらの手紙もお渡ししておきます。オレ宛てですが、オレは読んでいませんから。読むも処分するも、ハインリヒ様におまかせします」
小箱の横にアンネマリーの手紙を置き、スライドさせるようにハインリヒの目の前にずいと差し出した。
ハインリヒは震えそうになる手を伸ばしてそっと小箱を開けた。丁寧に梱包された懐中時計が、箱の中から覗いている。
大切に扱ってくれていたのだろう。そのことがまざまざと感じられる。懐中時計は、自分が持っていた時よりも隅々まで綺麗に磨かれ、アンティークならではの柔らかな輝きを放っていた。
隣の手紙を手に取り、封筒の文字を確かめる。初めて見るアンネマリーの文字だ。女性らしい繊細なその文字は、それでいて力強いしなやかさが感じられる。とても彼女らしいとハインリヒは思った。
封筒を開いた瞬間、ふわりと甘い香りがハインリヒの鼻腔をくすぐった。一瞬で記憶があの庭に引き戻される。王城の奥庭でいつもアンネマリーから香っていたその芳香は、ハインリヒの胸を締めつけるのには十分すぎた。
アンネマリーの朗らかな笑顔と、今にも泣きそうにゆがんだ顔が、交互に脳裏をよぎっていく。ハインリヒは息を詰め、無意識に唇をかみしめた。
「あの日、アンネマリー嬢、泣いてましたよ」
カイの言葉が追い打ちをかける。
「一体彼女に何をおっしゃったんです?」
「……二度と顔を見せるなと……そう言った……」
呻くような低い声でハインリヒが答える。そんな苦し気な表情は、言った本人がするべきものではないだろうに。アンネマリーの涙を思い出しながら「はあ……よりにもよって」とカイが呆れたようにため息をついた。
これまでも近づいて来た令嬢たちを辛らつな言葉で撃退していたが、アンネマリーに向かって今までで一番ひどい言葉を投げつけるとは。
「どうしようもなかったんだ……でないと、いつかわたしは……」
「そんなに思いつめるくらいなら、彼女に事情をお話しになればよかったのに」
その言葉にハインリヒが顔を上げ、カイを睨みつけた。
「そんなこと、龍が許すわけがない」
「龍が目隠しするかなんて、言ってみなければわからないじゃないですか。それに素直に話せば、アンネマリー嬢ならきっと分かってくれたと思いますよ」
「はっ、そうして託宣が果たされるその日まで、彼女にずっと待っていろと言うのか! 託宣の相手を王妃に据えて、その裏でアンネマリーを日陰者にして! そんなことできるはずもないだろう!」
「できますよ。あなたはこの国で、それができる立場にある」
乱暴に立ち上がって声を荒げたハインリヒに、カイは静かだが、冷たい語調で返した。らしからぬ冷めた視線を真っ直ぐにハインリヒへと向ける。
真正面からカイと視線をぶつけあって、ハインリヒは はっと我に返った。そして、苦しそうに顔をゆがませると、そのまま瞳を閉じて先ほどと同じようにどさりと椅子に腰かけた。
背もたれに背中を預け大きく息を吐いた後、ハインリヒは上向いて目を閉じたまま小さな声で言った。
「……すまない……少し、感情的になりすぎた……」
「いえ、オレも出過ぎたことを申し上げました」
カイは一度瞳を伏せてから、すぐに顔を上げた。その顔は、普段の明るい表情にもどっている。
「ハインリヒ様、オレ、そろそろ元のお役目に戻らせてもらいます。約束より少し早いですけど、白の夜会まではハインリヒ様の大きな公務はないですし、ジークヴァルト様もリーゼロッテ嬢にかかりきりでなくてよくなったようですから」
「……ああ、フーゲンベルク家に行ってきたんだったな」
「はい。すごくおもしろいことになってますよ、リーゼロッテ嬢」
冗談めかして言うカイは、もう普段通りだ。ハインリヒは冷静さを取り戻すように、もう一度大きく息を吐いた。
「まともな報告書を書いてよこせよ」
「ええ、もちろんです。今までの調書の中で、いちばんの最高傑作に仕上げてみせますよ」
悪びれた様子もないカイに、ハインリヒは暗くなる自身の気持ちを戒めた。
(思いあがるな……苦しいのは自分ひとりだけではない……)
王族として、受けた託宣は果たすべきだ。この国の未来の王として、それは義務であり、国民に対して負うべき責務だ。そう教えられて今日までやってきた。そして自分は、これからもそうであらねばならない。
「カイ……長い間、拘束して悪かった」
「いえ、久々に王城でゆっくりと過ごすこともできましたので。今までの再確認も含めて、いろいろと有益な情報も集まりましたし」
王太子の執務室に入り、ハインリヒは疲れた様子でどさりと椅子に腰かけた。式典用の豪華な衣装が窮屈に感じるが、着替えるどころか、しばらくは立ち上がる気力も湧かなさそうだ。
護衛としてついてきたカイも、同じように執務室に入ってくる。ハインリヒを見やるカイの顔は何か言いたげで、しかし、何も言ってくることはなかった。
「……なんだ?」
しばらく目を閉じてしかめ面をしていたハインリヒだったが、その視線に耐えかねて、不機嫌な声をカイに向ける。カイはもの言いたげな表情はそのままに「いえ、別に」と返した。
「別にという顔ではないだろう。言いたいことがあったら言えばいい」
「では、お言葉に甘えまして」
そう言ってカイは、リーゼロッテから預かってきた小箱を懐から取り出した。
それを目の前の机の上にポンと差し出され、ハインリヒは訝しげな顔をする。しかし、すぐに何かに気づいたように、はっとした表情になった。
「リーゼロッテ嬢経由で返されました。こちらの手紙もお渡ししておきます。オレ宛てですが、オレは読んでいませんから。読むも処分するも、ハインリヒ様におまかせします」
小箱の横にアンネマリーの手紙を置き、スライドさせるようにハインリヒの目の前にずいと差し出した。
ハインリヒは震えそうになる手を伸ばしてそっと小箱を開けた。丁寧に梱包された懐中時計が、箱の中から覗いている。
大切に扱ってくれていたのだろう。そのことがまざまざと感じられる。懐中時計は、自分が持っていた時よりも隅々まで綺麗に磨かれ、アンティークならではの柔らかな輝きを放っていた。
隣の手紙を手に取り、封筒の文字を確かめる。初めて見るアンネマリーの文字だ。女性らしい繊細なその文字は、それでいて力強いしなやかさが感じられる。とても彼女らしいとハインリヒは思った。
封筒を開いた瞬間、ふわりと甘い香りがハインリヒの鼻腔をくすぐった。一瞬で記憶があの庭に引き戻される。王城の奥庭でいつもアンネマリーから香っていたその芳香は、ハインリヒの胸を締めつけるのには十分すぎた。
アンネマリーの朗らかな笑顔と、今にも泣きそうにゆがんだ顔が、交互に脳裏をよぎっていく。ハインリヒは息を詰め、無意識に唇をかみしめた。
「あの日、アンネマリー嬢、泣いてましたよ」
カイの言葉が追い打ちをかける。
「一体彼女に何をおっしゃったんです?」
「……二度と顔を見せるなと……そう言った……」
呻くような低い声でハインリヒが答える。そんな苦し気な表情は、言った本人がするべきものではないだろうに。アンネマリーの涙を思い出しながら「はあ……よりにもよって」とカイが呆れたようにため息をついた。
これまでも近づいて来た令嬢たちを辛らつな言葉で撃退していたが、アンネマリーに向かって今までで一番ひどい言葉を投げつけるとは。
「どうしようもなかったんだ……でないと、いつかわたしは……」
「そんなに思いつめるくらいなら、彼女に事情をお話しになればよかったのに」
その言葉にハインリヒが顔を上げ、カイを睨みつけた。
「そんなこと、龍が許すわけがない」
「龍が目隠しするかなんて、言ってみなければわからないじゃないですか。それに素直に話せば、アンネマリー嬢ならきっと分かってくれたと思いますよ」
「はっ、そうして託宣が果たされるその日まで、彼女にずっと待っていろと言うのか! 託宣の相手を王妃に据えて、その裏でアンネマリーを日陰者にして! そんなことできるはずもないだろう!」
「できますよ。あなたはこの国で、それができる立場にある」
乱暴に立ち上がって声を荒げたハインリヒに、カイは静かだが、冷たい語調で返した。らしからぬ冷めた視線を真っ直ぐにハインリヒへと向ける。
真正面からカイと視線をぶつけあって、ハインリヒは はっと我に返った。そして、苦しそうに顔をゆがませると、そのまま瞳を閉じて先ほどと同じようにどさりと椅子に腰かけた。
背もたれに背中を預け大きく息を吐いた後、ハインリヒは上向いて目を閉じたまま小さな声で言った。
「……すまない……少し、感情的になりすぎた……」
「いえ、オレも出過ぎたことを申し上げました」
カイは一度瞳を伏せてから、すぐに顔を上げた。その顔は、普段の明るい表情にもどっている。
「ハインリヒ様、オレ、そろそろ元のお役目に戻らせてもらいます。約束より少し早いですけど、白の夜会まではハインリヒ様の大きな公務はないですし、ジークヴァルト様もリーゼロッテ嬢にかかりきりでなくてよくなったようですから」
「……ああ、フーゲンベルク家に行ってきたんだったな」
「はい。すごくおもしろいことになってますよ、リーゼロッテ嬢」
冗談めかして言うカイは、もう普段通りだ。ハインリヒは冷静さを取り戻すように、もう一度大きく息を吐いた。
「まともな報告書を書いてよこせよ」
「ええ、もちろんです。今までの調書の中で、いちばんの最高傑作に仕上げてみせますよ」
悪びれた様子もないカイに、ハインリヒは暗くなる自身の気持ちを戒めた。
(思いあがるな……苦しいのは自分ひとりだけではない……)
王族として、受けた託宣は果たすべきだ。この国の未来の王として、それは義務であり、国民に対して負うべき責務だ。そう教えられて今日までやってきた。そして自分は、これからもそうであらねばならない。
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