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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
「リーゼは大丈夫かしら……?」
夜会会場の休憩室の一室で、クリスタは不安げに息を漏らした。
遠目にダンスフロアを眺めていたが、転んだのは別の令嬢でリーゼロッテはうまいこと避けていたようだ。フーゴは最愛の妻を安心させるように穏やかな笑顔を向けた。
「ジークヴァルト様がついていらっしゃるし、きっと大丈夫だよ。確認には行かせているから、今は待とう」
「ええ。そうね、あなた」
クリスタは自分に言い聞かせるように頷いてから、赤らんだ顔のフーゴの顔を心配そうにのぞき込んだ。
「あなた、少し飲みすぎたのではない?」
「ああ……今日はリーゼロッテの婚約で、挨拶に来る方が多いからね」
純粋に社交界デビューの祝辞を告げに来る者もいるが、そのほとんどが公爵との婚約の真偽を直接確かめに来た貴族たちだった。
昔から付き合いのある者から、お互い名前を知っている程度の者まで、ひっきりなしに呼び止められる。
公爵家と縁続きになると分かって、過度に媚を売ってくる貴族も少なくなかった。
ひたすら挨拶して、相手が満足する程度の情報を与えて。きりのない状況を何とか抜けだして、休憩室に入ったのはつい先ほどの事だ。
リーゼロッテの婚約を周知するためだ。公爵には特別、婚約披露の機会を設けるつもりはないと言われているため、今この場で知らしめるのがいちばん手っ取り早い。
二人の婚約は王命であると説明すれば、リーゼロッテに求婚してくる者たちも素直に引いてくれるだろう。
貴族である以上、社交は大事な務めだ。それは領地経営を円滑に行うために必要だし、自身を守るためにも不可欠なことだった。
中にはやはり悪意ある者もいる。この婚約は身分不相応だと不満を持つ貴族も少なからずいて、あからさまな言葉はないにしても、そういった類の人間を相手にするのは思いのほか精神が疲弊する。
だが、そういった手合いは対応も簡単である。リーゼロッテのためだと思えば、フーゴにとってはなんということはなかった。
フーゴを悩ませるのは、もっと根深い問題だ。
フーゴとクリスタに似ても似つかないリーゼロッテを見て、疑問を持つ者は多い。リーゼロッテが養子であることを伝えれば、それは問題ないのだが。
リーゼロッテの容姿は、見る者が見たら、彼女がラウエンシュタイン家の血筋であると言うことは容易にわかる。そのことこそ問題だった。
フーゴと同じ世代から上の貴族なら、マルグリットのことを知らぬ者はいないだろう。公爵令嬢だったマルグリットはその美しい容貌もあって、社交界では常に話題の人物だった。
その彼女に瓜二つのリーゼロッテが、なぜ縁もゆかりもない伯爵家の養子となったのか。
ラウエンシュタイン家は、女公爵が代々当主を務めることで知られている。
その跡取りと言える一人娘が、なぜ下位の家に養子に出されたというのか。しかもその養子縁組先で、王家によって嫁ぐ家まで決められている。
極めつけは、ラウエンシュタイン家の当主が今だマルグリットであるということだ。
フーゴ自身、リーゼロッテの実親が亡くなったという話は聞かされていない。その証拠に、王家から毎年出される貴族名鑑には、今もマルグリットとイグナーツが、ラウエンシュタイン公爵家の当主とその伴侶として載っている。
だがダーミッシュ家がリーゼロッテを養子に迎え入れる前後で、ふたりは社交界から忽然と姿を消した。王家からそのことに関しての情報は何もない。
知らされないと言うことは知る必要がない、いや、知るべきではないということだ。調べれば何か得られるかもしれないが、それは王家への背信を意味する。
なぜリーゼロッテがダーミッシュ家に養子に出されたのか。
フーゴはその問いに対する答えを持ちあわせていない。唯一分かっているのは、リーゼロッテが正真正銘ダーミッシュ家の人間であるということだけだ。
今日、王の前でそれが認められたのだ。公然たる事実として、そこに口を挟まれる余地はない。
リーゼロッテ自身は、本当の両親はすでに亡くなっていると思っているようだ。現状で、それを否定することも、肯定することも、フーゴにはどちらもできなかった。
リーゼロッテが辿る数奇な運命は、これからどうなっていくのか予想もつかない。ただ、嫁ぐ先で幸せな人生が歩めればそれでいいと、フーゴはただひたすら願う。今日は父として、改めて強くそう感じさせられる一日だ。
その時、休憩室にエラがやってきた。
「旦那様、奥様、こちらにいらしたのですね」
「リーゼロッテに何かあったの? エラはあのあとずっと一緒だったのでしょう?」
「お嬢様は大丈夫です。お怪我などはされていませんし、今は公爵様と別の休憩室にいらっしゃいます」
エラのその言葉にクリスタは安堵の息を漏らした。
「それと広間で先ほど、クラッセン侯爵様が到着されたと案内がされていました。旦那様もお顔を出された方がよろしいのでは」
「ああ、トビアス殿は間に合ったんだね。そうか、わかった」
フーゴとクリスタにとって、アンネマリーは可愛い姪だ。リーゼロッテ同様、デビューを祝ってやりたい。アンネマリーはリーゼロッテより一つ年上だが、デビューはふたり一緒にしようと幼いころから両家で決めていた。
酔いもだいぶ冷めてきた。リーゼロッテのためにも、もうひと踏ん張り挨拶回りを頑張ろうと、ダーミッシュ夫妻は夜会の喧騒の中へと戻っていった。
「リーゼは大丈夫かしら……?」
夜会会場の休憩室の一室で、クリスタは不安げに息を漏らした。
遠目にダンスフロアを眺めていたが、転んだのは別の令嬢でリーゼロッテはうまいこと避けていたようだ。フーゴは最愛の妻を安心させるように穏やかな笑顔を向けた。
「ジークヴァルト様がついていらっしゃるし、きっと大丈夫だよ。確認には行かせているから、今は待とう」
「ええ。そうね、あなた」
クリスタは自分に言い聞かせるように頷いてから、赤らんだ顔のフーゴの顔を心配そうにのぞき込んだ。
「あなた、少し飲みすぎたのではない?」
「ああ……今日はリーゼロッテの婚約で、挨拶に来る方が多いからね」
純粋に社交界デビューの祝辞を告げに来る者もいるが、そのほとんどが公爵との婚約の真偽を直接確かめに来た貴族たちだった。
昔から付き合いのある者から、お互い名前を知っている程度の者まで、ひっきりなしに呼び止められる。
公爵家と縁続きになると分かって、過度に媚を売ってくる貴族も少なくなかった。
ひたすら挨拶して、相手が満足する程度の情報を与えて。きりのない状況を何とか抜けだして、休憩室に入ったのはつい先ほどの事だ。
リーゼロッテの婚約を周知するためだ。公爵には特別、婚約披露の機会を設けるつもりはないと言われているため、今この場で知らしめるのがいちばん手っ取り早い。
二人の婚約は王命であると説明すれば、リーゼロッテに求婚してくる者たちも素直に引いてくれるだろう。
貴族である以上、社交は大事な務めだ。それは領地経営を円滑に行うために必要だし、自身を守るためにも不可欠なことだった。
中にはやはり悪意ある者もいる。この婚約は身分不相応だと不満を持つ貴族も少なからずいて、あからさまな言葉はないにしても、そういった類の人間を相手にするのは思いのほか精神が疲弊する。
だが、そういった手合いは対応も簡単である。リーゼロッテのためだと思えば、フーゴにとってはなんということはなかった。
フーゴを悩ませるのは、もっと根深い問題だ。
フーゴとクリスタに似ても似つかないリーゼロッテを見て、疑問を持つ者は多い。リーゼロッテが養子であることを伝えれば、それは問題ないのだが。
リーゼロッテの容姿は、見る者が見たら、彼女がラウエンシュタイン家の血筋であると言うことは容易にわかる。そのことこそ問題だった。
フーゴと同じ世代から上の貴族なら、マルグリットのことを知らぬ者はいないだろう。公爵令嬢だったマルグリットはその美しい容貌もあって、社交界では常に話題の人物だった。
その彼女に瓜二つのリーゼロッテが、なぜ縁もゆかりもない伯爵家の養子となったのか。
ラウエンシュタイン家は、女公爵が代々当主を務めることで知られている。
その跡取りと言える一人娘が、なぜ下位の家に養子に出されたというのか。しかもその養子縁組先で、王家によって嫁ぐ家まで決められている。
極めつけは、ラウエンシュタイン家の当主が今だマルグリットであるということだ。
フーゴ自身、リーゼロッテの実親が亡くなったという話は聞かされていない。その証拠に、王家から毎年出される貴族名鑑には、今もマルグリットとイグナーツが、ラウエンシュタイン公爵家の当主とその伴侶として載っている。
だがダーミッシュ家がリーゼロッテを養子に迎え入れる前後で、ふたりは社交界から忽然と姿を消した。王家からそのことに関しての情報は何もない。
知らされないと言うことは知る必要がない、いや、知るべきではないということだ。調べれば何か得られるかもしれないが、それは王家への背信を意味する。
なぜリーゼロッテがダーミッシュ家に養子に出されたのか。
フーゴはその問いに対する答えを持ちあわせていない。唯一分かっているのは、リーゼロッテが正真正銘ダーミッシュ家の人間であるということだけだ。
今日、王の前でそれが認められたのだ。公然たる事実として、そこに口を挟まれる余地はない。
リーゼロッテ自身は、本当の両親はすでに亡くなっていると思っているようだ。現状で、それを否定することも、肯定することも、フーゴにはどちらもできなかった。
リーゼロッテが辿る数奇な運命は、これからどうなっていくのか予想もつかない。ただ、嫁ぐ先で幸せな人生が歩めればそれでいいと、フーゴはただひたすら願う。今日は父として、改めて強くそう感じさせられる一日だ。
その時、休憩室にエラがやってきた。
「旦那様、奥様、こちらにいらしたのですね」
「リーゼロッテに何かあったの? エラはあのあとずっと一緒だったのでしょう?」
「お嬢様は大丈夫です。お怪我などはされていませんし、今は公爵様と別の休憩室にいらっしゃいます」
エラのその言葉にクリスタは安堵の息を漏らした。
「それと広間で先ほど、クラッセン侯爵様が到着されたと案内がされていました。旦那様もお顔を出された方がよろしいのでは」
「ああ、トビアス殿は間に合ったんだね。そうか、わかった」
フーゴとクリスタにとって、アンネマリーは可愛い姪だ。リーゼロッテ同様、デビューを祝ってやりたい。アンネマリーはリーゼロッテより一つ年上だが、デビューはふたり一緒にしようと幼いころから両家で決めていた。
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