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第2章 氷の王子と消えた託宣

第23話 求めゆく者

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【前回のあらすじ】
 ハインリヒ王子とアンネマリーの思いがそれぞれ交錯する中、リーゼロッテはジークヴァルトと共に泣き虫ジョンの元へと向かいます。
 リーゼロッテに反応を見せないジョンは、カークへとその憎悪を向けて。ジョンの過去の記憶を垣間見たリーゼロッテは、その暴走を止めようと力を使い果たしてしまい……。糖蜜をジークヴァルトから口移しで飲まされて、一命をとりとめたリーゼロッテ。
 そんな中、リーゼロッテの実父イグナーツが、王都の街へと降り立つのでした。





 リーゼロッテの寝顔を、傍らに座ったジークヴァルトがじっと見守っている。その背中をエラは黙って見つめていた。仄かな明かりが灯った寝室に、時計の針が進む音だけが規則正しく響いている。
 ひそやかな寝息とともに、リーゼロッテが僅かに身じろいだ。うなされるように、ぎゅっとつらそうな顔になる。

「ジョ……ン……」
「大丈夫だ。何も問題ない」

 聞き取れないようなうわ言に、ジークヴァルトが耳元で囁いた。
 額にはりついた前髪を、その指でそっと梳く。続けてやさしく頬を撫でると、リーゼロッテは安心したように再び深い眠りへとついた。

「旦那様。そろそろタイムリミットです」

 控えめなノックのあと、開け放したままの扉の向こうからマテアスの声がした。中まで入ってこないのは、リーゼロッテへの配慮だろう。

 婚約者と言えど眠るリーゼロッテに公爵を近づけるなど、本来なら全力で阻止するところだ。だが自分が同席することを条件に、エラはこの状況を許容した。むしろそこにいるようにと言われては、ジークヴァルトを信用するよりほかなかった。

「王城からベッティさんが到着したようです。あとは彼女に任せて、旦那様は執務にお戻りください」
「どうして……!」

 エラは弾かれたように顔を上げた。ジークヴァルトの背中を見つめたまま、わなわなと唇が震えてしまう。

「どうしてわたしでは駄目なのですか? わたしはずっと、お嬢様に……っ」

 それ以上言葉にならない。公爵家に客人のように迎えられ、自分は常に蚊帳かやの外だ。

 リーゼロッテは病気の療養も兼ねて、公爵家へと赴いている。何事もあちらに任せるように。ダーミッシュ伯爵からはそう言われていた。
 だが王城でも、この公爵家でも、リーゼロッテが医師の診察をうけている様子はまったくなかった。それでも何かがあるのは確かのようで、周囲はみな、リーゼロッテに対して並々ならぬ気遣いを示す。

 一言で言えば疎外感だ。公爵家の人間にだけならまだしも、リーゼロッテに対してさえそれを感じる自分がいる。それがたまらなく歯がゆかった。

 そんなときに先ほどの騒ぎだ。ようやく王城から戻ってくると知らせを受けた矢先に、血相を変えた公爵がリーゼロッテを抱えて飛び込んできた。苛立った王兄に、負傷したような幾人もの騎士たち。騒然となる公爵家を前にして、何もなかったなどと誤魔化されるはずもないだろう。

「目覚めたら、直接たずねるといい」
 静かに立ち上がり、公爵はこちらを振り返った。

「彼女の言葉を信じてやってくれ」

 そう静かに言うと、再びリーゼロッテの寝顔を覗き込む。その指を這わせてそっと頬を撫でていく。

「明日の朝、彼女は腹を空かせているだろう。厨房には伝えてある。目が覚めたら、以前のように食べさせてくれ」

 公爵は最後に、蜂蜜色の髪をひと房持ち上げた。愛おしそうにその先に口づけると、髪はするりと指から滑り落ちていった。そのままマテアスの待つ居間へと向かい、ぱたんと扉は閉められた。

 残されたエラは寝台へと近づき、その寝顔を確かめる。

「リーゼロッテお嬢様……」

 先日のグレーデン家での騒ぎ。その直後に王城へと連れていかれたリーゼロッテ。あの裏庭で、リーゼロッテを呼ぶように声を荒げたバルバナス。
 リーゼロッテもあの場所に連れていかれたのではないか。昨日、手にしていた小瓶が突然割れたことを思い出し、言い知れない不安ばかりが胸に込み上げる。

(どうか、どうかお嬢様が、恐ろしい目に合っていませんように――)
 エラは寝台の傍らに膝をつき、天に祈った。

     ◇
 バルバナスは苛立たし気に廊下を進んでいた。リーゼロッテの力は規格外だ。王城での騒ぎは聞いてはいたが、まるで常識が通じない。

 最早もはや、ここにいる意味はなかった。意識を失った騎士団員の回復を待ち、すぐにでも城塞へ帰還だ。あの異形の監視は公爵家に任せておけばいいだろう。

「おい、アデライーデはどこにいる?」

 道案内を務めていた家令のエッカルトに問う。連れてきた騎士の半数は気を失ったが、公爵家の人間は、最後まで全員が意識を保ったままだった。そのことにも苛立ちを覚える。

「アデライーデお嬢様は、朝一番でお出かけになられました」
「ああ? 誰がそんなことを許した?」

 アデライーデが自分に黙ってどこかへ行くなどあり得ない。バルバナスは足を止めてエッカルトを睨みつけた。

「恐れながら、お嬢様は休暇中と伺っております。どこへ出かけるのもアデライーデお嬢様の自由かと」
「お前……ふざけてんのか?」
「そのようなこと、とんでもございません」

 地を這うような声を上げるバルバナスに、エッカルトは臆することなく背筋を正した。そこに普段のやさし気な表情はない。慇懃いんぎん無礼に鋭い視線を向けるエッカルトを見やり、バルバナスはその胸ぐらを乱暴につかんだ。

「オレはそんな許可を出した覚えはねぇ」
「恐れながら王兄殿下。アデライーデお嬢様がお帰りになった折には、お嬢様の自由にさせてよいと、大旦那様から申し付けられております」

 エッカルトはそれでも臆さない。不敬と切り捨てられようとも、引くつもりはないとその目が語っていた。

「バルバナス様よ。アデライーデはあんたの玩具おもちゃじゃないんだ」

 不意に横から声が割り込んだ。ぎろりと見やると、そこに立っていたのは不遜な表情をしたユリウスだっだ。

「ユリウス・レルナー……貴様まで」
「っていうのが、我が従弟いとこ、ジークフリートの口癖でしてね」

 怒りの矛先ほこさきが自分に向けられたことが分かると、ユリウスは降参を示すように軽く両手を上げた。バルバナスに向けてにかっと笑う。
 その様子に舌打ちをすると、バルバナスは忌々し気にエッカルトからその手を離した。

「アデライーデはどこへ行った?」
「グレーデン家ですよ。物好きなことに、女帝に会いにね」

 ユリウスの言葉に再び舌打ちをしてから、バルバナスは来た廊下へときびすを返す。

「馬を用意しろ。アデライーデを連れ戻しにいく」

 遠のいていくその背に向かって、エッカルトは「仰せのままに」と深々頭を下げた。隣で見送っていたユリウスが、肩の力を抜いたように息をつく。

「っは、がらにもないことはするもんじゃないな」

 軽く肩をすくませ、懐からひと粒の守り石を取り出した。深い青だったそれは、くすんだ灰色になり果てている。軽く握り込んだだけで砂状に崩れて、床の上へさらさらとこぼれていった。

「まったく、これ、いくらすると思ってるんだ」

 守り石だった残骸を見て呆れたように首を振る。これがなかったら、今頃自分はどうなっていただろう。今さらながらに身震いが来る。

「しかし、アデライーデも難儀なこった」

 他人事のように言うユリウスを横目に、エッカルトは悲し気に目を細めた。
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