373 / 548
第2章 氷の王子と消えた託宣
4
しおりを挟む
◇
「で、それがリーゼロッテの涙を薄めた液なのね」
残り僅かな香水瓶を片手に、アデライーデが感心したように言った。
「リーゼロッテ……あなた、なんて言うかとても便利ね」
「……お役に立てて何よりですわ」
足手まといの自分にしてみれば、よくやったと言える功績だ。少しでもジークヴァルトの役に立てるならばと、リーゼロッテは前向きに考えることにした。
「これをみなに渡せば、この騒ぎもなんとかなりそうね」
しかし涙の原液は公爵家の部屋に置いてきてしまった。夜会の合間に、廊下にいる異形たちの苦しみを少しでも軽くできればと、薄めた香水瓶だけを忍ばせてきたのだ。
「申し訳ございません。わたくし、涙をすべて持ってくればよかったのに……」
うなだれたかと思うと、リーゼロッテはがばりと顔を起こした。
「わたくし今ここで泣きますわ!」
力強くこぶしを掲げ、ぐっと顔に力を入れる。唇をへの字に曲げて、懸命にふるふると震わせる。
「…………ちっとも泣けないっ!」
若干涙目になるものの、粒はひとつも溢れてこない。
(こんな時に出ないなんて!)
普段は必要以上に出るくせに、やはり自分は役立たずだ。リーゼロッテの顔が悲しそうに歪む。その勢いで泣いてしまえばいいものの、こんな時に限って涙は一滴も出てこなかった。
「ヴァルト様! 今すぐわたくしを泣かせてくださいませっ」
ジャケットの胸元を勢いで掴む。ぐいぐいと引っ張りながら、その顔を見上げて懸命に訴えた。
「いや、いきなり泣かせろと言われても……」
「何かございますでしょう? 日頃わたくしに言いたいこととか不満に思っていることとか。悪口でも構いませんわ。さあ、遠慮なくぶつけてくださいませ!」
「日頃お前に言いたいこと……?」
必死の懇願にジークヴァルトが眉根を寄せる。
もっとこちらを向いてほしい。いつだって笑っていてほしい。自分以外の人間を見ないでほしい。ずっとこの腕の中にいてほしい。
しかし、ジークヴァルトの頭の中で駆け巡ったのはそんな言葉だった。
「いや、そんなものは特にない」
すいとそらされた視線を受けて、リーゼロッテは逃すまいとジークヴァルトの顔を自分に向けさせた。
「お顔をそらすのは何かある証拠ですわ! さあ、遠慮なく言ってくださいませ。わたくしどんな言葉も受け止めますから!」
ぐいぐい胸元をひっぱられ、ジークヴァルトは前にめりにリーゼロッテと見つめ合った。可愛らしい小さな唇が目に入る。いっそこのまま口づけてしまえ。
そうしてしまえば彼女は驚いて泣くかもしれない。一瞬だけそんな思いがよぎるも、ジークヴァルトは必死の抵抗で顔をそらそうとした。
「いや、ない。ないと言ったならない」
「嘘をおっしゃらないでくださいませ。ヴァルト様は何かを誤魔化そうとするとき、必ずお顔をそらすではありませんか」
「それでもないものはない」
頑なに拒否するジークヴァルトの目の前で、リーゼロッテはむうと唇を尖らせた。
「そんなはずはございませんわ! 例えばわたくしの容姿の事とか……」
「お前の容姿?」
一瞬口をつぐんでリーゼロッテは、意を決したようにジークヴァルトをじっと見上げた。
「例えば『お前、自分の顔を鏡で見たことはあるのか』とか、そういったことですわ」
「鏡くらいお前だって自分でのぞくことはあるだろう」
何を言っているんだというふうの返しに、リーゼロッテは再びぐっと口をつぐんだ。
「ですから、お前は醜女だとか、つまりはそういうことですわ」
この異世界では自分の容姿は可愛くはないのだ。リーゼロッテはそう信じて疑わない。どうしてわからないのかと、頬を膨らませてジークヴァルトを不満げに見やった。
「何を馬鹿な事を……お前は一体何が言いたいんだ?」
あきれた様子のジークヴァルトは本当に理解できないといった様子だ。
「でしたらほかにもございますわ。例えば……」
「例えば?」
「む、胸が小さすぎるとか」
「胸が?」
青い瞳がリーゼロッテの胸元を凝視する。
「……別にそのくらいでちょうどいいだろう」
「ちょ、ちょうどいい!?」
途端にリーゼロッテが涙目になった。
(コルセットで寄せに寄せた上に、詰め物を詰めに詰めて、盛りに盛ったこのニセ乳を、よりにもよって『そのくらいでちょうどいい』ですってぇ!?)
わたし脱いだらしょぼいんです。それが確定となってしまったリーゼロッテの瞳から、もりもりと涙が溢れだす。
「なぜだ」
ぎゅっと眉根を寄せて、ジークヴァルトは助けを求めるようにアデライーデの顔を見た。アデライーデはうつむいて口元に手を当てている。肩が小刻みに震えているのは、笑いを必死にこらえているからだ。
その間にリーゼロッテの頬から滑り落ちた涙が水差しへと零れ落ちていく。一粒一粒落ちるたびに、水面に緑の波紋が広がった。
「うう、これを騎士団のみな様でお使いくださいませ。量が足りないかもしれませんが……」
涙ながらにその水差しを差し出すと、リーゼロッテは小さくすんと鼻をすすった。
「わたしにいい考えがるからこれだけあれば十分よ。ありがたく使わせてもらうわ。それに安心して、リーゼロッテ。あとでジークヴァルトは粛清しておいてあげるから。それとヴァルト、いくらここが安全だからって変な気を起こすんじゃないわよ」
くぎを刺すように言って、アデライーデは再び王城の混乱へと飛び込んでいった。
「で、それがリーゼロッテの涙を薄めた液なのね」
残り僅かな香水瓶を片手に、アデライーデが感心したように言った。
「リーゼロッテ……あなた、なんて言うかとても便利ね」
「……お役に立てて何よりですわ」
足手まといの自分にしてみれば、よくやったと言える功績だ。少しでもジークヴァルトの役に立てるならばと、リーゼロッテは前向きに考えることにした。
「これをみなに渡せば、この騒ぎもなんとかなりそうね」
しかし涙の原液は公爵家の部屋に置いてきてしまった。夜会の合間に、廊下にいる異形たちの苦しみを少しでも軽くできればと、薄めた香水瓶だけを忍ばせてきたのだ。
「申し訳ございません。わたくし、涙をすべて持ってくればよかったのに……」
うなだれたかと思うと、リーゼロッテはがばりと顔を起こした。
「わたくし今ここで泣きますわ!」
力強くこぶしを掲げ、ぐっと顔に力を入れる。唇をへの字に曲げて、懸命にふるふると震わせる。
「…………ちっとも泣けないっ!」
若干涙目になるものの、粒はひとつも溢れてこない。
(こんな時に出ないなんて!)
普段は必要以上に出るくせに、やはり自分は役立たずだ。リーゼロッテの顔が悲しそうに歪む。その勢いで泣いてしまえばいいものの、こんな時に限って涙は一滴も出てこなかった。
「ヴァルト様! 今すぐわたくしを泣かせてくださいませっ」
ジャケットの胸元を勢いで掴む。ぐいぐいと引っ張りながら、その顔を見上げて懸命に訴えた。
「いや、いきなり泣かせろと言われても……」
「何かございますでしょう? 日頃わたくしに言いたいこととか不満に思っていることとか。悪口でも構いませんわ。さあ、遠慮なくぶつけてくださいませ!」
「日頃お前に言いたいこと……?」
必死の懇願にジークヴァルトが眉根を寄せる。
もっとこちらを向いてほしい。いつだって笑っていてほしい。自分以外の人間を見ないでほしい。ずっとこの腕の中にいてほしい。
しかし、ジークヴァルトの頭の中で駆け巡ったのはそんな言葉だった。
「いや、そんなものは特にない」
すいとそらされた視線を受けて、リーゼロッテは逃すまいとジークヴァルトの顔を自分に向けさせた。
「お顔をそらすのは何かある証拠ですわ! さあ、遠慮なく言ってくださいませ。わたくしどんな言葉も受け止めますから!」
ぐいぐい胸元をひっぱられ、ジークヴァルトは前にめりにリーゼロッテと見つめ合った。可愛らしい小さな唇が目に入る。いっそこのまま口づけてしまえ。
そうしてしまえば彼女は驚いて泣くかもしれない。一瞬だけそんな思いがよぎるも、ジークヴァルトは必死の抵抗で顔をそらそうとした。
「いや、ない。ないと言ったならない」
「嘘をおっしゃらないでくださいませ。ヴァルト様は何かを誤魔化そうとするとき、必ずお顔をそらすではありませんか」
「それでもないものはない」
頑なに拒否するジークヴァルトの目の前で、リーゼロッテはむうと唇を尖らせた。
「そんなはずはございませんわ! 例えばわたくしの容姿の事とか……」
「お前の容姿?」
一瞬口をつぐんでリーゼロッテは、意を決したようにジークヴァルトをじっと見上げた。
「例えば『お前、自分の顔を鏡で見たことはあるのか』とか、そういったことですわ」
「鏡くらいお前だって自分でのぞくことはあるだろう」
何を言っているんだというふうの返しに、リーゼロッテは再びぐっと口をつぐんだ。
「ですから、お前は醜女だとか、つまりはそういうことですわ」
この異世界では自分の容姿は可愛くはないのだ。リーゼロッテはそう信じて疑わない。どうしてわからないのかと、頬を膨らませてジークヴァルトを不満げに見やった。
「何を馬鹿な事を……お前は一体何が言いたいんだ?」
あきれた様子のジークヴァルトは本当に理解できないといった様子だ。
「でしたらほかにもございますわ。例えば……」
「例えば?」
「む、胸が小さすぎるとか」
「胸が?」
青い瞳がリーゼロッテの胸元を凝視する。
「……別にそのくらいでちょうどいいだろう」
「ちょ、ちょうどいい!?」
途端にリーゼロッテが涙目になった。
(コルセットで寄せに寄せた上に、詰め物を詰めに詰めて、盛りに盛ったこのニセ乳を、よりにもよって『そのくらいでちょうどいい』ですってぇ!?)
わたし脱いだらしょぼいんです。それが確定となってしまったリーゼロッテの瞳から、もりもりと涙が溢れだす。
「なぜだ」
ぎゅっと眉根を寄せて、ジークヴァルトは助けを求めるようにアデライーデの顔を見た。アデライーデはうつむいて口元に手を当てている。肩が小刻みに震えているのは、笑いを必死にこらえているからだ。
その間にリーゼロッテの頬から滑り落ちた涙が水差しへと零れ落ちていく。一粒一粒落ちるたびに、水面に緑の波紋が広がった。
「うう、これを騎士団のみな様でお使いくださいませ。量が足りないかもしれませんが……」
涙ながらにその水差しを差し出すと、リーゼロッテは小さくすんと鼻をすすった。
「わたしにいい考えがるからこれだけあれば十分よ。ありがたく使わせてもらうわ。それに安心して、リーゼロッテ。あとでジークヴァルトは粛清しておいてあげるから。それとヴァルト、いくらここが安全だからって変な気を起こすんじゃないわよ」
くぎを刺すように言って、アデライーデは再び王城の混乱へと飛び込んでいった。
10
あなたにおすすめの小説
【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む
浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。
「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」
一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。
傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語
変人令息は悪女を憎む
くきの助
恋愛
「ブリジット=バールトン。あなたを愛する事はない。」
ああ、ようやく言えた。
目の前の彼女は14歳にしてこれが二度目の結婚。
こんなあどけない顔をしてとんでもない悪女なのだ。
私もそのことを知った時には腹も立ったものだが、こちらにも利がある結婚だと割り切ることにした。
「当初話した通り2年間の契約婚だ。離婚後は十分な慰謝料も払おう。ただ、白い結婚などと主張されてはこちらも面倒だ。一晩だけ付き合ってもらうよ。」
初夜だというのに腹立たしい気持ちだ。
私だって悪女と知る前は契約なんて結ぶ気はなかった。
政略といえど大事にしようと思っていたんだ。
なのになぜこんな事になったのか。
それは半年ほど前に遡る。
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
結婚したけど夫の不倫が発覚して兄に相談した。相手は親友で2児の母に慰謝料を請求した。
佐藤 美奈
恋愛
伯爵令嬢のアメリアは幼馴染のジェームズと結婚して公爵夫人になった。
結婚して半年が経過したよく晴れたある日、アメリアはジェームズとのすれ違いの生活に悩んでいた。そんな時、机の脇に置き忘れたような手紙を発見して中身を確かめた。
アメリアは手紙を読んで衝撃を受けた。夫のジェームズは不倫をしていた。しかも相手はアメリアの親しい友人のエリー。彼女は既婚者で2児の母でもある。ジェームズの不倫相手は他にもいました。
アメリアは信頼する兄のニコラスの元を訪ね相談して意見を求めた。
【完結】恋につける薬は、なし
ちよのまつこ
恋愛
異世界の田舎の村に転移して五年、十八歳のエマは王都へ行くことに。
着いた王都は春の大祭前、庶民も参加できる城の催しでの出来事がきっかけで出会った青年貴族にエマはいきなり嫌悪を向けられ…
初恋の呪縛
緑谷めい
恋愛
「エミリ。すまないが、これから暫くの間、俺の同僚のアーダの家に食事を作りに行ってくれないだろうか?」
王国騎士団の騎士である夫デニスにそう頼まれたエミリは、もちろん二つ返事で引き受けた。女性騎士のアーダは夫と同期だと聞いている。半年前にエミリとデニスが結婚した際に結婚パーティーの席で他の同僚達と共にデニスから紹介され、面識もある。
※ 全6話完結予定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる