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第2章 氷の王子と消えた託宣
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((( イヤダコワイコワイコワイコワイコワイ…… )))
周囲の異形たちの悲鳴のような声が頭に響いて来る。いつかの王城の騒ぎの再来のようで、リーゼロッテは自らの耳を両手で塞いだ。じわりと瞳に涙がにじむ。途端にすぐそばにいた異形の気配が変化した。
――ソレガホシイ
そう聞こえたような気がして、リーゼロッテははっと顔を上げた。
(そうだわ……あれを使えば)
ドレスのポケットから、震える指で丸い小瓶を取り出した。
リーゼロッテの手のひらに収まるくらいの、ころんとした小さなガラスの瓶だ。頭には丸っこいゴムのポンプがついていて、香水用に使われるその瓶の中には透明な液体が揺れていた。
(お願い、効いて……!)
ぎゅっとゴムをつまんで、黒い吹き溜まりのような異形に中身を吹き付ける。霧状の液が狭い範囲へと広がった。すぐそこで怯えていた異形の波動がふわりと軽くなる。視線を向けると、黒い影だった異形はリーゼロッテにきゅるんとした瞳を向けていた。
その瞬間、廊下に充満していた重たい空気が、波に洗い流されるかのように次々と澄んでいく。と同時にその辺りの廊下にいた異形たちの怯える声が掻き消えた。
ジークヴァルトと対峙していた騎士が、その場にへにゃりと崩れ落ちた。楽しい夢を見ているかのような顔つきで、そのまま床へと横たわる。体中にまとわりついていた黒いモヤも、いつの間にか霧散してすっかり見えなくなっている。
「ダーミッシュ嬢……お前、今、何をした……?」
香水瓶を手のひらに乗せ、ゴムをつまんだ状態で座り込んでいるリーゼロッテに、ジークヴァルトが驚きの声を向けた。
「涙を薄めた液を少々……」
香水瓶をおずおずと掲げると、その透明なはずの液体が仄かに緑色に揺らめいた。
以前、ジークヴァルトに涙をためておけと言われたリーゼロッテは、律儀に渡された空の小瓶に日々涙をため込んでいた。夜な夜な悲恋ものの小説を読んでは涙を浮かべ、せっせとその量を増やしていたのだ。
そんなある日、水差しに誤って涙が入ってしまった時に、小鬼たちがやけにそれに対して反応を示した。試しにその水差しを小さな異形に預けると、みな酔っぱらったようにご機嫌になったから驚いてしまった。
そこでリーゼロッテはどこまで涙を薄められるか確かめてみることにした。濃すぎると小鬼は浄化されてしまう。無理やり天に還すことを好まなかったリーゼロッテは、小鬼の観察日記をつけて、日々研究を重ねていった。そして、アンニュイな小鬼の気分が一気に浮上する濃度を、ある日とうとう突き止めたのだ。
香水瓶なみなみいっぱいの水に涙を二滴。それがベストバランスであるとリーゼロッテは結論付けた。
(名付けて1ppmの涙よ!)
実験を重ねに重ねた研究成果に、リーゼロッテはそんな名前をつけた。もちろんそのネーミングは誰にも言うつもりはない。
「……お前、本当に便利だな」
呆れたように言われ、リーゼロッテはぐっと口ごもる。しかし、見つめ合ったまま互いに頷き合った。その胸にしがみつくと同時に抱き上げられる。ふたりは再び王城の廊下をつき進んでいった。
大股で歩くジークヴァルトの腕の中で、頃合いを見計らって涙スプレーを噴射する。行く先の波動が重くなってきたと感じたら、ひと吹きすればあら不思議。通り過ぎた廊下に清々しい空気が広がって、臭いも汚れもこれ一本、まさにマジびっくりな状態だ。
「ちょっと、一体何なのそれ!」
途中で合流したアデライーデが驚愕の声を上げる。香水瓶が空になる頃、三人は守りの厚い控室へとたどり着いた。
周囲の異形たちの悲鳴のような声が頭に響いて来る。いつかの王城の騒ぎの再来のようで、リーゼロッテは自らの耳を両手で塞いだ。じわりと瞳に涙がにじむ。途端にすぐそばにいた異形の気配が変化した。
――ソレガホシイ
そう聞こえたような気がして、リーゼロッテははっと顔を上げた。
(そうだわ……あれを使えば)
ドレスのポケットから、震える指で丸い小瓶を取り出した。
リーゼロッテの手のひらに収まるくらいの、ころんとした小さなガラスの瓶だ。頭には丸っこいゴムのポンプがついていて、香水用に使われるその瓶の中には透明な液体が揺れていた。
(お願い、効いて……!)
ぎゅっとゴムをつまんで、黒い吹き溜まりのような異形に中身を吹き付ける。霧状の液が狭い範囲へと広がった。すぐそこで怯えていた異形の波動がふわりと軽くなる。視線を向けると、黒い影だった異形はリーゼロッテにきゅるんとした瞳を向けていた。
その瞬間、廊下に充満していた重たい空気が、波に洗い流されるかのように次々と澄んでいく。と同時にその辺りの廊下にいた異形たちの怯える声が掻き消えた。
ジークヴァルトと対峙していた騎士が、その場にへにゃりと崩れ落ちた。楽しい夢を見ているかのような顔つきで、そのまま床へと横たわる。体中にまとわりついていた黒いモヤも、いつの間にか霧散してすっかり見えなくなっている。
「ダーミッシュ嬢……お前、今、何をした……?」
香水瓶を手のひらに乗せ、ゴムをつまんだ状態で座り込んでいるリーゼロッテに、ジークヴァルトが驚きの声を向けた。
「涙を薄めた液を少々……」
香水瓶をおずおずと掲げると、その透明なはずの液体が仄かに緑色に揺らめいた。
以前、ジークヴァルトに涙をためておけと言われたリーゼロッテは、律儀に渡された空の小瓶に日々涙をため込んでいた。夜な夜な悲恋ものの小説を読んでは涙を浮かべ、せっせとその量を増やしていたのだ。
そんなある日、水差しに誤って涙が入ってしまった時に、小鬼たちがやけにそれに対して反応を示した。試しにその水差しを小さな異形に預けると、みな酔っぱらったようにご機嫌になったから驚いてしまった。
そこでリーゼロッテはどこまで涙を薄められるか確かめてみることにした。濃すぎると小鬼は浄化されてしまう。無理やり天に還すことを好まなかったリーゼロッテは、小鬼の観察日記をつけて、日々研究を重ねていった。そして、アンニュイな小鬼の気分が一気に浮上する濃度を、ある日とうとう突き止めたのだ。
香水瓶なみなみいっぱいの水に涙を二滴。それがベストバランスであるとリーゼロッテは結論付けた。
(名付けて1ppmの涙よ!)
実験を重ねに重ねた研究成果に、リーゼロッテはそんな名前をつけた。もちろんそのネーミングは誰にも言うつもりはない。
「……お前、本当に便利だな」
呆れたように言われ、リーゼロッテはぐっと口ごもる。しかし、見つめ合ったまま互いに頷き合った。その胸にしがみつくと同時に抱き上げられる。ふたりは再び王城の廊下をつき進んでいった。
大股で歩くジークヴァルトの腕の中で、頃合いを見計らって涙スプレーを噴射する。行く先の波動が重くなってきたと感じたら、ひと吹きすればあら不思議。通り過ぎた廊下に清々しい空気が広がって、臭いも汚れもこれ一本、まさにマジびっくりな状態だ。
「ちょっと、一体何なのそれ!」
途中で合流したアデライーデが驚愕の声を上げる。香水瓶が空になる頃、三人は守りの厚い控室へとたどり着いた。
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