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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙
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◇
昼食の席が整ったからとダイニングに移動したのはいいが、ジークヴァルトはまだ来ていなかった。急ごしらえとは思えない豪華な飾りつけに戸惑いながらも先に席に着く。
「まずは突き出しでございます」
今日の給仕は料理長自らが行っている。長いコック帽に左右にピンと伸びた口ひげが素敵なナイスミドルの料理長だ。
「でも、まだジークヴァルト様が……」
「旦那様はもうしばらくかかるとのことですので、リーゼロッテ様には先にお召し上がりになっていただくよう連絡がきております」
「そう……」
ジークヴァルトの誕生日を祝う席のはずだが、急なこともあり仕方ないと納得する。
目の前に置かれた皿には、一口サイズの料理が盛られた陶器のスプーンが乗っている。料理長に期待に満ちた目を向けられて、リーゼロッテはそれを口元へと運んだ。
(見られながら食べるのはやっぱり緊張するわ)
そんなことを思いつつ料理を口にすると、リーゼロッテの瞳がカッと見開かれた。熟れた果実の甘味の後に、程よい塩見が追ってくる。
「そちらはイチジクのアミューズとなっております」
「イチジクの甘さだけではないのね」
「はい、豆を発酵させたペーストにゴマを少々使っております」
(豆を発酵……確かにお味噌みたいな風味がするわ)
余韻を堪能するようにリーゼロッテは瞳を閉じて、満足げに小さく息を漏らした。
「続きましては、かぶとサーモンのオードブルでございます」
白いかぶに巻かれたサーモンが半分に切られたプチトマトと共に串に刺された状態で、ちょこんと大きな皿に盛られている。見た目も可愛らしい一品だ。それをおいしくいただくと、続いてスープが運ばれてきた。
「本日のスープはベーコンと玉ねぎのコンソメスープでございます」
玉ねぎの甘味がやさしいスープだ。ベーコンが生み出すコクとのバランスも絶妙で、何杯でもいけてしまいそうなおいしさだ。
「白身魚のポワレでございます。こちらはレモンと香草を使って爽やかな口当たりに仕上げております」
次に出てきたのは口直しのソルベだった。しゃりとした舌触りとともに、甘い香りが鼻から抜けていく。
「これは桃のソルベかしら?」
「さすがはリーゼロッテ様。おっしゃる通りでございます」
いたく感動したように料理長が相槌を打つ。その様子をリーゼロッテは少しすまなそうに見上げた。
「いつもおいしいものを用意してくれて本当にありがとう」
「そのようなお言葉、勿体のうございます! わたしどもシェフは、おいしく食べていただけることが至上のよろこび。お礼を申し上げたいのはむしろわたしどもでございます」
「でも今日は突然無理を言ったでしょう?」
「とんでもございません。普段から旦那様は、合間に食べられる簡単な料理をご希望なさいますので、リーゼロッテ様が公爵家に来ていただいてからというもの、厨房は活気に満ちております。旦那様が爵位を継がれてからは、茶会や夜会を催すこともございませんでした。リーゼロッテ様のお茶会では力の限りを尽くして、もてなしの料理をご用意させていただきます」
料理長が深々と頭を下げると、後ろで見守っていた他のシェフたちも同様にリーゼロッテへと頭を垂れた。
「そんな、頭を上げて。わたくしもみなの作る料理が毎日楽しみなの。本当にいつもありがとう」
そう言って微笑むと、周囲のシェフたちが感激で目を潤ませた。
「次はメインディッシュね。ふふ、どんなお料理が出てくるか楽しみだわ」
料理長の目配せで、肉料理が運ばれてくる。
「本日のアントレは、牛フィレのステーキ赤ワイン仕立てでございます」
やわらかく煮こまれた牛肉とコクのある赤ワインソースの相性は抜群で、つぶ胡椒のぴりりとしたアクセントがこれまた絶品だ。へにゃりと相好を崩しながら、リーゼロッテは時間をかけてその味を堪能した。
バゲットとサラダを食した後、艶やかなチョコでコーティングされたホールケーキが運ばれてきた。
「チョコレートのアントルメでございます」
「まあ!」
ケーキの上には美しい曲線を描く繊細なチョコレートが飾られ、その脇で赤い木苺が存在を主張している。芸術的に仕上がったホールケーキに、料理長は惜しげもなく長いナイフを入れていく。その熟練の手つきを、リーゼロッテは食い入るように見つめていた。
美しくカットされたピースは大きな平皿に移されて、リーゼロッテの目の前に運ばれた。ケーキの断面はチョコムースとなっていて、ラズベリーソースが心躍るような赤いラインを描いている。
目の前のケーキにくぎ付けとなっていたリーゼロッテは、すでにチョコレートの口になっていた。まさにそれを食そうと手を伸ばした瞬間、部屋にジークヴァルトが現れた。
「ジークヴァルト様!」
途端に我に返った。この席はジークヴァルトの誕生日を祝うために用意してもらったものだ。そんなこともすっかり忘れて、フルコースをばっちり堪能していた自分が恥ずかしく思えてくる。
慌てて立ち上がろうとするのを制されて、リーゼロッテはジークヴァルトが隣の席に座るのを見守った。
「申し訳ございません、わたくし先に……」
「問題ない。オレは適当に済ませてきた」
「え?」
驚くリーゼロッテをしり目に、ジークヴァルトは並べられていたデザート用のカトラリーを手に取った。皿の上のケーキをすくい上げると、迷いなくリーゼロッテの口元に差し出してくる。
「あーん」
面食らったままそれを口に押し込まれた。リーゼロッテの口にちょうどいい量で、適度にラズベリーソースを絡めているところに文句も言い出せない。
口内で広がるチョコムースとラズベリーの酸味が至福のハーモニーを奏でている。そのしあわせを噛み締めるようにほおと息をつくと、続けざまに「あーん」とひとすくいのケーキが差し出されてきた。
せっせと運ばれてくるケーキは、リーゼロッテに口をはさむ余地を与えない。これはジークヴァルトのための祝いの席だ。なぜ、自分ばかりが餌付けされているのか。
納得がいかないまま最後のひとくちを飲み込むと、唇についたソースを白いナプキンでジークヴァルトにぬぐわれた。
「満足したか?」
「はい、とても」
「そうか」
やさしい手つきで髪を梳くと、ジークヴァルトは手を引いてリーゼロッテを居間へと移動させた。すかさず目の前に食後の紅茶と小さな焼き菓子が用意され、料理長たちはさっと下がっていった。並ぶソファで沈黙が降りる。
おもむろに焼き菓子に手を伸ばすと、ジークヴァルトはあーんと再びそれを差し出してきた。ためらいなく口にして、お返しにジークヴァルトにも小さなクラッカーを差し出した。
「あーんですわ、ヴァルト様」
ジークヴァルトの口にそれを押し込むと、しばらくもぐもぐ見つめ合った。先ほどあったことなど気のせいと思えるような、普段通りのやり取りだった。
「突然、わがままを申し上げたりして、わたくし……」
「いい。問題ない」
静かに言って、ジークヴァルトはリーゼロッテの髪に手を伸ばしてくる。やさしく梳かれる手つきも普段のままだ。また気を遣われているのだと思うと、やるせない気持ちになってくる。
それでも今日はジークヴァルトの誕生日だ。リーゼロッテはせめて心を尽くそうと、笑顔になって青い瞳を見上げた。
「ジークヴァルト様、お誕生日おめでとうございます」
その言葉に、髪を梳く手が止められた。ジークヴァルトは面食らったような顔をして、「ああ、そうか」と小さく頷いた。
「……ご自分のお誕生日を忘れてらしたのですか?」
「オレが生まれた日というだけのことだろう」
そっけなく言って、ジークヴァルトは再び髪を梳き始めた。
「ジークヴァルト様がお生まれになった大切な日ですわ。毎年、お祝いも何もなさらないと聞きました」
「何も……していないわけではない」
非難めいたリーゼロッテの口調に、ジークヴァルトは困惑している様子だ。
「では何をなさっているのですか?」
純粋に疑問に思ってそう問うと、ジークヴァルトはすいと目をそらした。
「父上と母上に……手紙を書いて、送っている」
「お手紙を!」
(自分の誕生日にご両親にお手紙を……! きっと生んでくれてありがとう的な感謝を綴るんだわ!)
感動したように瞳を潤ませたリーゼロッテを前に、ジークヴァルトの眉根がぎゅっと寄せられた。
「年に一度は連絡をよこすように言われている。それでその日に書くようにしているだけだ」
そっけなく言うと、ジークヴァルトはちらりと時計に目をやった。
「お時間は大丈夫ですの?」
「時間が来ればマテアスが迎えに来る」
そう言うと、ジークヴァルトは再びリーゼロッテの髪に手を伸ばしてきた。リーゼロッテはそばで控えていたエラに目配せを送った。すぐにエラはラッピングが施された包みを差し出してくる。
「あの、ヴァルト様、心ばかりなのですが、お誕生日の贈り物を受け取っていただけますか?」
おずおずと包みを差し出すと、ジークヴァルトは表情なくそれを受け取った。
「開けてみてもいいか?」
「はい、気に入っていただけるとうれしいのですが……」
刺繍のハンカチの出来栄えは、子供の頃に比べて格段に上達している。それでもジークヴァルトが包みのリボンをほどいていく様子を、ドキドキしながら見守った。
包みを開いて、ジークヴァルトは三枚のハンカチを取り出した。綺麗に折りたたまれたそれを、一枚一枚、順に広げていく。
「そちらはジークヴァルト様のイニシャルと公爵家の家紋を、そちらは小さいですが走る馬を刺繍させていただきました」
「ああ、よくできている」
刺繍をなぞりながらジークヴァルトは静かに言った。
(よかった。迷惑がられてはいないみたい……)
だが三枚目のハンカチを広げると、一瞬だけ目を見開いたジークヴァルトは、すぐさまぎゅっと眉根を寄せた。何かをこらえるようなその様に、リーゼロッテは途端に不安が込み上げてくる。
あのハンカチには、ジークヴァルトが可愛がっていたという黒馬の姿を刺繍した。ジークヴァルトの子供の頃の肖像画に描かれていたものを、そのままそっくり模写したのだ。
目の前のジークヴァルトの表情は、何かつらい記憶に触れたかのように見えた。悲しい別れだったのだ。その時リーゼロッテは、軽率な自分の行為に気がついた。
「ジークヴァルト様……」
「ああ、大事にする」
そのタイミングで、マテアスが迎えにやってきた。ジークヴァルトは言葉の通り、大事そうにハンカチを懐にしまうと、リーゼロッテの髪をひとなでしてから部屋を出ていった。
「お嬢様?」
「エラ……わたくし、またやってしまったのね」
リーゼロッテは絶望したように立ち尽くす。エラはその後ろ姿を、不安げに見守っていた。
昼食の席が整ったからとダイニングに移動したのはいいが、ジークヴァルトはまだ来ていなかった。急ごしらえとは思えない豪華な飾りつけに戸惑いながらも先に席に着く。
「まずは突き出しでございます」
今日の給仕は料理長自らが行っている。長いコック帽に左右にピンと伸びた口ひげが素敵なナイスミドルの料理長だ。
「でも、まだジークヴァルト様が……」
「旦那様はもうしばらくかかるとのことですので、リーゼロッテ様には先にお召し上がりになっていただくよう連絡がきております」
「そう……」
ジークヴァルトの誕生日を祝う席のはずだが、急なこともあり仕方ないと納得する。
目の前に置かれた皿には、一口サイズの料理が盛られた陶器のスプーンが乗っている。料理長に期待に満ちた目を向けられて、リーゼロッテはそれを口元へと運んだ。
(見られながら食べるのはやっぱり緊張するわ)
そんなことを思いつつ料理を口にすると、リーゼロッテの瞳がカッと見開かれた。熟れた果実の甘味の後に、程よい塩見が追ってくる。
「そちらはイチジクのアミューズとなっております」
「イチジクの甘さだけではないのね」
「はい、豆を発酵させたペーストにゴマを少々使っております」
(豆を発酵……確かにお味噌みたいな風味がするわ)
余韻を堪能するようにリーゼロッテは瞳を閉じて、満足げに小さく息を漏らした。
「続きましては、かぶとサーモンのオードブルでございます」
白いかぶに巻かれたサーモンが半分に切られたプチトマトと共に串に刺された状態で、ちょこんと大きな皿に盛られている。見た目も可愛らしい一品だ。それをおいしくいただくと、続いてスープが運ばれてきた。
「本日のスープはベーコンと玉ねぎのコンソメスープでございます」
玉ねぎの甘味がやさしいスープだ。ベーコンが生み出すコクとのバランスも絶妙で、何杯でもいけてしまいそうなおいしさだ。
「白身魚のポワレでございます。こちらはレモンと香草を使って爽やかな口当たりに仕上げております」
次に出てきたのは口直しのソルベだった。しゃりとした舌触りとともに、甘い香りが鼻から抜けていく。
「これは桃のソルベかしら?」
「さすがはリーゼロッテ様。おっしゃる通りでございます」
いたく感動したように料理長が相槌を打つ。その様子をリーゼロッテは少しすまなそうに見上げた。
「いつもおいしいものを用意してくれて本当にありがとう」
「そのようなお言葉、勿体のうございます! わたしどもシェフは、おいしく食べていただけることが至上のよろこび。お礼を申し上げたいのはむしろわたしどもでございます」
「でも今日は突然無理を言ったでしょう?」
「とんでもございません。普段から旦那様は、合間に食べられる簡単な料理をご希望なさいますので、リーゼロッテ様が公爵家に来ていただいてからというもの、厨房は活気に満ちております。旦那様が爵位を継がれてからは、茶会や夜会を催すこともございませんでした。リーゼロッテ様のお茶会では力の限りを尽くして、もてなしの料理をご用意させていただきます」
料理長が深々と頭を下げると、後ろで見守っていた他のシェフたちも同様にリーゼロッテへと頭を垂れた。
「そんな、頭を上げて。わたくしもみなの作る料理が毎日楽しみなの。本当にいつもありがとう」
そう言って微笑むと、周囲のシェフたちが感激で目を潤ませた。
「次はメインディッシュね。ふふ、どんなお料理が出てくるか楽しみだわ」
料理長の目配せで、肉料理が運ばれてくる。
「本日のアントレは、牛フィレのステーキ赤ワイン仕立てでございます」
やわらかく煮こまれた牛肉とコクのある赤ワインソースの相性は抜群で、つぶ胡椒のぴりりとしたアクセントがこれまた絶品だ。へにゃりと相好を崩しながら、リーゼロッテは時間をかけてその味を堪能した。
バゲットとサラダを食した後、艶やかなチョコでコーティングされたホールケーキが運ばれてきた。
「チョコレートのアントルメでございます」
「まあ!」
ケーキの上には美しい曲線を描く繊細なチョコレートが飾られ、その脇で赤い木苺が存在を主張している。芸術的に仕上がったホールケーキに、料理長は惜しげもなく長いナイフを入れていく。その熟練の手つきを、リーゼロッテは食い入るように見つめていた。
美しくカットされたピースは大きな平皿に移されて、リーゼロッテの目の前に運ばれた。ケーキの断面はチョコムースとなっていて、ラズベリーソースが心躍るような赤いラインを描いている。
目の前のケーキにくぎ付けとなっていたリーゼロッテは、すでにチョコレートの口になっていた。まさにそれを食そうと手を伸ばした瞬間、部屋にジークヴァルトが現れた。
「ジークヴァルト様!」
途端に我に返った。この席はジークヴァルトの誕生日を祝うために用意してもらったものだ。そんなこともすっかり忘れて、フルコースをばっちり堪能していた自分が恥ずかしく思えてくる。
慌てて立ち上がろうとするのを制されて、リーゼロッテはジークヴァルトが隣の席に座るのを見守った。
「申し訳ございません、わたくし先に……」
「問題ない。オレは適当に済ませてきた」
「え?」
驚くリーゼロッテをしり目に、ジークヴァルトは並べられていたデザート用のカトラリーを手に取った。皿の上のケーキをすくい上げると、迷いなくリーゼロッテの口元に差し出してくる。
「あーん」
面食らったままそれを口に押し込まれた。リーゼロッテの口にちょうどいい量で、適度にラズベリーソースを絡めているところに文句も言い出せない。
口内で広がるチョコムースとラズベリーの酸味が至福のハーモニーを奏でている。そのしあわせを噛み締めるようにほおと息をつくと、続けざまに「あーん」とひとすくいのケーキが差し出されてきた。
せっせと運ばれてくるケーキは、リーゼロッテに口をはさむ余地を与えない。これはジークヴァルトのための祝いの席だ。なぜ、自分ばかりが餌付けされているのか。
納得がいかないまま最後のひとくちを飲み込むと、唇についたソースを白いナプキンでジークヴァルトにぬぐわれた。
「満足したか?」
「はい、とても」
「そうか」
やさしい手つきで髪を梳くと、ジークヴァルトは手を引いてリーゼロッテを居間へと移動させた。すかさず目の前に食後の紅茶と小さな焼き菓子が用意され、料理長たちはさっと下がっていった。並ぶソファで沈黙が降りる。
おもむろに焼き菓子に手を伸ばすと、ジークヴァルトはあーんと再びそれを差し出してきた。ためらいなく口にして、お返しにジークヴァルトにも小さなクラッカーを差し出した。
「あーんですわ、ヴァルト様」
ジークヴァルトの口にそれを押し込むと、しばらくもぐもぐ見つめ合った。先ほどあったことなど気のせいと思えるような、普段通りのやり取りだった。
「突然、わがままを申し上げたりして、わたくし……」
「いい。問題ない」
静かに言って、ジークヴァルトはリーゼロッテの髪に手を伸ばしてくる。やさしく梳かれる手つきも普段のままだ。また気を遣われているのだと思うと、やるせない気持ちになってくる。
それでも今日はジークヴァルトの誕生日だ。リーゼロッテはせめて心を尽くそうと、笑顔になって青い瞳を見上げた。
「ジークヴァルト様、お誕生日おめでとうございます」
その言葉に、髪を梳く手が止められた。ジークヴァルトは面食らったような顔をして、「ああ、そうか」と小さく頷いた。
「……ご自分のお誕生日を忘れてらしたのですか?」
「オレが生まれた日というだけのことだろう」
そっけなく言って、ジークヴァルトは再び髪を梳き始めた。
「ジークヴァルト様がお生まれになった大切な日ですわ。毎年、お祝いも何もなさらないと聞きました」
「何も……していないわけではない」
非難めいたリーゼロッテの口調に、ジークヴァルトは困惑している様子だ。
「では何をなさっているのですか?」
純粋に疑問に思ってそう問うと、ジークヴァルトはすいと目をそらした。
「父上と母上に……手紙を書いて、送っている」
「お手紙を!」
(自分の誕生日にご両親にお手紙を……! きっと生んでくれてありがとう的な感謝を綴るんだわ!)
感動したように瞳を潤ませたリーゼロッテを前に、ジークヴァルトの眉根がぎゅっと寄せられた。
「年に一度は連絡をよこすように言われている。それでその日に書くようにしているだけだ」
そっけなく言うと、ジークヴァルトはちらりと時計に目をやった。
「お時間は大丈夫ですの?」
「時間が来ればマテアスが迎えに来る」
そう言うと、ジークヴァルトは再びリーゼロッテの髪に手を伸ばしてきた。リーゼロッテはそばで控えていたエラに目配せを送った。すぐにエラはラッピングが施された包みを差し出してくる。
「あの、ヴァルト様、心ばかりなのですが、お誕生日の贈り物を受け取っていただけますか?」
おずおずと包みを差し出すと、ジークヴァルトは表情なくそれを受け取った。
「開けてみてもいいか?」
「はい、気に入っていただけるとうれしいのですが……」
刺繍のハンカチの出来栄えは、子供の頃に比べて格段に上達している。それでもジークヴァルトが包みのリボンをほどいていく様子を、ドキドキしながら見守った。
包みを開いて、ジークヴァルトは三枚のハンカチを取り出した。綺麗に折りたたまれたそれを、一枚一枚、順に広げていく。
「そちらはジークヴァルト様のイニシャルと公爵家の家紋を、そちらは小さいですが走る馬を刺繍させていただきました」
「ああ、よくできている」
刺繍をなぞりながらジークヴァルトは静かに言った。
(よかった。迷惑がられてはいないみたい……)
だが三枚目のハンカチを広げると、一瞬だけ目を見開いたジークヴァルトは、すぐさまぎゅっと眉根を寄せた。何かをこらえるようなその様に、リーゼロッテは途端に不安が込み上げてくる。
あのハンカチには、ジークヴァルトが可愛がっていたという黒馬の姿を刺繍した。ジークヴァルトの子供の頃の肖像画に描かれていたものを、そのままそっくり模写したのだ。
目の前のジークヴァルトの表情は、何かつらい記憶に触れたかのように見えた。悲しい別れだったのだ。その時リーゼロッテは、軽率な自分の行為に気がついた。
「ジークヴァルト様……」
「ああ、大事にする」
そのタイミングで、マテアスが迎えにやってきた。ジークヴァルトは言葉の通り、大事そうにハンカチを懐にしまうと、リーゼロッテの髪をひとなでしてから部屋を出ていった。
「お嬢様?」
「エラ……わたくし、またやってしまったのね」
リーゼロッテは絶望したように立ち尽くす。エラはその後ろ姿を、不安げに見守っていた。
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