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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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     ◇
「ふん、それで、当のリーゼロッテは見舞いにもやってこないのね」

 見舞いは直接ウルリーケの寝室に通された。それだけ体調がよくないだろうことが伺える。実際にウルリーケは顔色も悪く、昨年訪問したとき以上にやせ細っていた。

 エラがそば仕えのメイドにリーゼロッテのハンカチと手紙を手渡すと、ウルリーケはすんなりそれを受け取った。

「お前はいいわ、下がりなさい」
 会話はおろか、その顔を見ることもなく、ウルリーケはエラに言った。

「仰せのままに」
 礼を取ってエラはその場を辞そうとした。その瞬間、エーミールに手首をつかまれる。

「久しぶりに顔を見せたと思ったら……エーミール、お前の相手はわたくしが用意するといつも言っているでしょう? そんな卑しい娘は捨て置きなさい」

 冷たく震える声で言う。病床に伏していても、その威圧感は衰えることはない。

「お言葉ですが、彼女はリーゼロッテ様の正式な使者としてここにいます」
「同じこと」

 馬鹿にしたように鼻で嗤うと、ウルリーケは気だるそうに枕へと背をうずめた。

「アデライーデが無理だというなら、レルナー家のツェツィーリアがいたわね。あの家もここ何代も龍から託宣をたまわっていない。お前との縁談に向こうも前向きよ」
「ツェツィーリアはまだ子供です!」
「あと数年もすれば子は産めるでしょう? どこに問題があると言うのです。貴族の婚姻に感情など必要ないわ。お前は今まで通り、黙ってわたくしに従っていればいい。貴族としての自覚をお持ちなさい」

 ぐっと言葉をつまらせて、エーミールはそのままウルリーケの寝室を足早に出ていってしまった。もう一度ウルリーケに対して礼を取ったエラは、慌ててその背を追った。

 廊下の途中で、エーミールはうつむきがちに立っていた。その下げられた拳は、やはりきつく結ばれている。こんな冷たい家で、エーミールは育ってきたのだ。誇り高い彼を形取るものが、ここで作られてきたのかと思うと、エラの胸は強く締め付けられた。

 貴族とは見栄みえかたまりだ。矜持きょうじと言えば聞こえはいいが、こういった貴族のしがらみに嫌気がさして、エデラー家は王より賜った爵位を返上しようと決めている。
 様々な手続きもあり、いまだそれは叶っていないが、近いうちにエラは男爵令嬢という立場から、一介の平民になるだろう。

「……エーミール様、帰りましょう」
 その背に静かに言った。今、エラにできることは、たったそれだけだ。

 黙ったまま歩き出したエーミールの背を、少し遅れてついていく。廊下の窓から外を見ると、薄曇りの空が広がっていた。

「エーミール?」

 小さめのサンルームを通り過ぎようとしたとき、声がかけられた。エーミールは足を止め、サンルームで車いすに座っていた男に礼を取った。

「エルヴィン兄上、ご無沙汰しております」

 エラも慌てて礼を取った。エルヴィンはエーミールの兄、グレーデン家の跡取りだ。エーミールに似た顔立ちをしているが、エルヴィンは色白で、線の細いはかなげな印象の青年だった。

「本当にしばらくぶりだ。今日はお婆様のお見舞いにでもきたのかな?」
「はい、今顔を出して帰る所です」
「よかったら少し話をしないか? 今日はなんだか体の調子がいいんだ」

 そちらのお嬢さんも、と付け加えてエルヴィンは車いすの向きを変えた。どこからともなく現れた使用人が、さっとティーセットを用意してすぐさま姿を消した。エーミールがソファに座った横に、エラも伏し目がちに静かに腰をかけた。

「エーミールが恋人を連れてくるなんて初めての事だね。わたしにも紹介してくれるかい?」
「恐れながら。わたしはエーミール様とはそういった関係ではございません」

 やさしげに微笑まれ、エラは思わず顔を上げた。

「彼女はエラ・エデラー男爵令嬢、リーゼロッテ様付きの侍女です」
「ああ、妖精姫のお使いかな? わたしも彼女に一度会ってみたいな」
「今はジークヴァルト様が、この家に近づくことを禁止していますので」
「この前はたいへんだったみたいだね。この屋敷に星を堕とす者が現れるなんて」

 はい、とそっけなく返事をしたエーミールに、儚げな笑みを向けたあと、エルヴィンは弟の顔をじっと見つめた。

「またお婆様に何か言われたのかい?」
「いえ、いつものことですので」

 エーミールは先ほどから言葉少なだ。口をはさむことができる訳もなく、エラは弾まない会話をただじっと見守っていた。

「こんな体のわたしではなく、エーミールにこの家を継がせてあげられたらよかったのに」
「いえ、それは! 長兄である兄上が、この家を継ぐのは当然のことです」
「お婆様も変なところにこだわりを持っているからね」

 肩を軽くすくめてエルヴィンは苦笑いをした。家は長男が継ぐもの。そうは言うものの、病弱なエルヴィンは基本、一日中横になって過ごしている。

「まあ、おかげで変な縁談は断りやすいけど。今のところ、お婆様の都合のいい相手はいないようだから助かってるよ」

 その時、エルヴィンが激しくせき込んだ。使用人がさっと現れ、何か薬を手渡し、エルヴィンはそれを水でのみくだした。

「失礼……調子に乗って少しはしゃぎすぎたようだ。すまないけど、わたしはこれで失礼するよ。ふたりはゆっくりお茶を楽しんで」

 ぐったりした様子でエルヴィンは、使用人に車椅子を押されてサンルームを出ていった。エーミールは紅茶に口もつけずに、黙ったままガラス戸の外を見やっている。

「戻ろう」
 それだけ言ってエーミールは立ち上がった。エラも黙ってその背を追っていく。

 寒々としたエントランスを出ると、春の雨が降り始めていた。

     ◇
 エーミールはエラを公爵家の馬車に乗せると、自らもそれに乗り込んだ。行きは馬を走らせたが、この雨では道中危険をともなう。厚い雲が日差しをさえぎり、遠くの空から雷鳴が聞こえてくる。辺りはもう夕刻が来たかのような薄暗さだ。

 対面に座ろうとするエラを制して、隣の席に座らせた。戸惑いながらも、エラはおとなしく横にいる。
 馬車が静かに走り出した。打ち付ける雨が、窓を滝のように流れていく。

 この家に戻ってきて、こうなることは初めから分かっていた。ただ、エラと一緒に来たのが間違いだっただけだ。

 ――癒されたい

 ふと、ニコラウスがいつも言っている言葉が脳裏に浮かんだ。他人に癒しを求めるなど、骨頂こっちょうだと思っていた。おのれの感情などは、自分自身でコントロールするものだ。

 少し距離を開けて隣に座る、エラの姿を見やった。降りしきる雨の中、ぼんやりと映し出される窓の景色を、彼女はじっと見つめている。

 膝の上で行儀よく重ねられた手を握り、エーミールは何も言わずにエラの体を引き寄せた。エラの口から息を飲むような声が漏れる。身をこわばらせたまま固まるその耳もとで、エーミールは小さくささやいた。

「今だけだ――今だけ、こうしていてくれ」

 はっと顔を上げようとしたエラのうなじを、拘束するように手で押さえた。今は顔を見られたくない。雨音だけが響く中、馬車は速度を落として進んでいく。

 力を抜いたエラの腕が、そっと背に回された。こたえるようにエーミールは、さらにきつくエラを抱きしめた。





【次回予告】
 はーい、わたしリーゼロッテ。カイ様と共にダーミッシュ家の書庫の調査を続けるわたし。そんな中、異形が視える様子の行儀見習いの少女がやってきて。カイ様がダーミッシュ領へと赴いた、本当の理由とは……?
 次回、3章第7話「もうひとつの託宣」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
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