魔界公務員と代行者

まかろん まよね

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2 自己紹介

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    2 馴れ初め


 「こちらをご確認ください」

 謎の男とフェンスの前で向かい合ったまま。
 フリーズしていた善夜の思考を再稼働させたのは、彼が差し出した黒地に白い文字の印刷されたカードだった。
 彼女は「あ……」と、反射的に受け取ると――自分に注がれる視線から逃れようと、この黒いカードをじっと見つめた。サイズと内容からして、名刺だろうか。

「まかい、がい……ざい……ざい、りゅう…………?」
「魔界外在留管理局 人間界支局 在留管理及び捜査・取締課に所属するオフィサーと申します」

 カードに顔を近づけて懸命に読み上げる善夜を見かねてか、謎の男・オフィサーが淀みなく自己紹介をする。

「一言であらわせば『魔界の公務員』です」
「ま、魔界の……公務員……」

 オウム返しに繰り返し。彼女は戸惑い気味に目の前で姿勢よく立っているオフィサーを眺めた。

(だから、『オフィサー』さん……?)

 改めて善夜は、目の前の男を怖々ながらも見上げる。
 彼はかなり背が高い。自分の身長は160センチを超えたぐらいだから、彼は180センチを優に超えている。見上げすぎて首の後ろが痛い。

「ご確認いただけたでしょうか?」
「!」

 オフィサーの声で我に返った善夜は、慌ててカードに視線を戻す。細かい文字にもカードの裏にもまだ目は通していないが、

「は、はい……」

 待たせるのも怖くて、とりあえずコクンと小さく頷いた。すると、

「では次に――」

 彼は彼女の手からカードをさっと取り上げると、

「お名前をうかがってもよろしいでしょうか」

 カードを上着の内側にしまいながら尋ねてきた。
 その手を何となく目で追っていて気付いたが、彼の装備も本人に劣らず異様だった。黒を基調とした軍服のような制服には見たことのないマークが描かれた腕章がついている。腰の剣帯には漆黒の剣と先ほどのガラケーのような黒い端末――そして、何に使うのかわからない小さな扉のキーホルダーのようなものが吊ってあった。
 やっぱり、普通の人間じゃ……

「――あなたのお名前を聞いています」
「! ごめんなさいっ……」

 我に返り、善夜は慌てて謝罪すると、

「ゴメンナサイ……?」

 オフィサーは僅かに眉をひそめて続けた。

「それがあなたのお名前ですか……?」
「違いますっ!」

 思わずツッコミを入れるように答えてしまった。
 善夜は仕切り直すようにコホン、と小さく咳払いをしたのち自己紹介をした。

「よ、善夜……です」
「ヨヨヨさん」
「善夜、です……!」
「善夜さん」

 善夜から訂正がないことを確認し、オフィサーは改めて告げた。

「あなたには私の公務を代行していただきます」

 善夜はきょとんとした顔で彼を見上げる。

「だいこう……?」
「あなたの身体を支配させていただきます」
「――え?」

 聞き返す間もなく、オフィサーがこちらに向かって手を差し伸べ――彼女は思わず自分を庇うように両手を上げて目を閉じる。

 直後、右手に掴まれたような温かい圧迫感。今度は驚いて肩を弾ませ、

「……」

 それだけだった。
 謎の沈黙に耐えられず怖々と目を開けると、

「!?」

 オフィサーの姿がない。

「……あれ?」
『――私に支配されるだけの簡単な仕事です』
「――!!?」

 それでもすぐ近くで聞こえる彼の声に、驚き周囲を見回す善夜。

「えっ……お……」

 そんな彼女の右手がグン、と大きく上がった。
 自分が驚くよりも先に響いた金属音に、善夜は思わず目を閉じて、

(今度はなに……!?)

 心の中で愚痴りつつ、慎重に目を開けて。

「…………――!!?」

 音のした方向――すなわち上がったままの自分の右手を確認し、絶句した。
 いつの間にか、剣が握られている。オフィサーの剣帯に吊ってあったものだ。柄から剣先まで黒一色。光すら反射しないそれは、剣の輪郭をした底なしの暗闇を思わせた。
 不意に、視界の奥から銀色の鎖が飛んでくるのが見えた。風切り音とともに殺到するそれを、善夜の右腕が――

「――え!?」

 勝手に動いた。
 振るわれた剣が、きんっ! と鎖を弾き飛ばす。もちろん彼女にそんな技術はない。

「え……勝手に……!?」
『時間固定されているため、固定対象への損害は発生しません』

 パニックで言葉が出にくい善夜に、オフィサーの声が淡々と説明する。
 飛ばされた鎖は屋上のアンテナに引っかかるように絡みつき、そのままどこかへ続く足場のようにピンと張られた。
 さらに再び飛んできた次の鎖も、善夜の右腕の剣によって――

 かんっ! ……ごつ。

 弾かれ、屋上に佇む児童の1人に直撃した。

「あっ……!!」
『ですので、損害は発生しません』
「あ、そうなんですね……よかっ……」

 間髪入れずに善夜の右腕が剣を振るう。
 タイミングを外すように素早く撃ち込まれた鎖も黒い刃が難なく弾き、職員の男に絡みつき――これもまた、足場のようにどこかと結ばれているようにピンと張られた。

「――うわあああああああああ!!!!?」
『……どうしましたか?』

 突如目を剥いて絶叫する彼女に、オフィサーの声が怪訝そうに尋ねる。

「すいません……ビックリしちゃって……」
『今、驚かれるのですね』
「すいません……感情が追いつかな……」

 言いかけて彼女はハッと我に返り、

「ってそうじゃなくてオフィサーさん、どこにいるんですか? 何が、どうなって……」

 不安いっぱいに周囲を見回しながら改めて尋ねる。
 その時だった。

「……え……?」

 視界の端に、見たことのない色のモヤが漂っているのが見えた。
 ドライアイスの煙のような見た目だが、温度は感じない。ただ、雨雲よりも暗い色が不気味だった。

「何、これ……?」

 反射的にモヤが出ている場所を探して視線を下げて――自分の身体から出ていた。

「ほわあああああ!!?」

 この鈍色のモヤを掻き消そうと、半狂乱になって両手を振り回した途端――

「…………え?」

 糸の切れた操り人形のようにクタリと、その場に崩れ落ちた。

(…………体が、動かない……?)

 意志に反して動かぬ四肢に怯えながら、善夜は屋上の床に口づけしている顔を何とか横に向ける。

(あ……頭は動いた……)
『人間界において』

 再び、オフィサーの声がすぐ近くから聞こえる。

『我々――魔人はアニマを消費しなければ実体状態を保つことができません』

 所在不明の彼が滔々と語っている間にも、幾条もの鎖が床に転がったままの彼女めがけて降り注ぐ。

 かんっ、ききんっ、かきんっ

 金属音が連続する。
 善夜の右腕が、まるで独立した生き物のように躍動し、降り注ぐ鎖を次々と弾いていく。
 弾かれた鎖は寮舎や庭木、人々に絡まり、足場を作っていく。

『しかし実体状態にならなければ公務を執行できません』

 不意に右腕が左方向にググッと旋回し、

「わっ……!?」

 善夜は引きずられるように仰向けにひっくり返る。一瞬遅れて彼女の足があった場所に鎖が叩きつけられた。

『よって、元々実体のある人間の身体を「支配」することでアニマの消費を抑えています』
「アニマ……!? 支配って……!?」

 目の前で、剣を持った自分の右腕が降り注ぐ鎖を捌き続ける光景に圧倒されながら、喚くように尋ねる善夜。

『詳細はあとで説明いたします。ひとまずは立ち上がって私に従ってください』
「わっ……」

 前方に真っ直ぐ伸びる右腕に引っ張られるように身を起こし、彼女は相変わらずどこにいるかもわからないオフィサーに向かって話しかけようとした時。

「そんなこと、急に言われて……――きゃあっ!?」

 再び動いた善夜の右腕の剣が、しつこく飛来した鎖を絡め取った。

「補足します」

 声がした瞬間――

「――ぅわあああっ!?」

 自分の手から滲み出た漆黒のモヤが、一瞬にして人の形を形成し――オフィサーになった。
 尻もちをついた善夜を見下ろす彼の右手には、彼女が持っていたはずの剣がある。
 鎖は変わらず、漆黒の剣身に絡め取られていた。
 驚きで目を丸くした彼女の体から、再び鈍色のもやが滲み昇っていく。

「『契約』を交わした以上、私の命令なしに動くことはできません」
「け、契約……って……?」

 善夜の胸の奥がずん、と重くなる。
 知らない世界が自分を飲み込もうとしてるようで、怖い。
 オフィサーは剣に絡めた鎖を振り飛ばすと、懐から取り出した先ほどの黒いカードの裏面を善夜に見せた。

「あなたの印が、この特別臨時契約書にあります」

 カードの裏面には『特別臨時契約書』というタイトル。
 その下に、太字で『以下の内容を確認のうえ了承いただける場合は、親指・人差し指・中指・薬指・小指のいずれかの指で押捺してください』という一文。
 続く細かな文字列の上に――善夜の指紋が、人差し指から小指まで白く押捺されていた。
 ハッとした善夜は立ち上がり――遠慮気味ではあるが非難するようにオフィサーを見る。

「こんなの……さ、詐欺じゃないですか……!」

 契約って、双方の同意が必要なはず。なのに、名刺のフリをしたカードに触れただけで……こんなの、理不尽すぎる。それ以前に――彼の公務に協力する気はさらさらない。自分なんかができるわけない。勉強も運動も苦手で、何の取り柄もない自分が、魔界の公務員の仕事を代行するなんて……

「いいえ。詐欺ではありません」

 彼女の思考を遮り、オフィサーは言い切った。
 そして、先ほどと全く同じように再び彼女に手を伸ばす。反射的に自分を庇う形に両手を上げて目を閉じる善夜。右手を握られる感覚。

「ひ、開き直らないでください……!」

 やはり先ほどと全く同じように右手に出現した黒い剣が飛来する鎖を剣で次々と捌いていく中、善夜は精一杯のしかめっ面を浮かべる。

『あなたの質問に答えただけですが』
「っ……とにかく、もう放っといて……」
『迫害が止まるとしてもですか?』
「――!?」

 善夜の心臓が、大きく跳ねた。

 迫害が、止まる――?

 17年間、耐え続けてきた日々が、終わる?

「それって、どういう……」

 続きを聞こうとした瞬間――

 チッ。

 舌打ちが聞こえた。

「――!?」

 善夜の身体が、反射的に強張る。
 あの職員の男と同じ、威圧的な音。でも――振り向くと、高橋は相変わらず時間固定されたまま動いていない。
 じゃあ、今の舌打ちは――

「少しは当たれよな……!」

 落ち着きのないトゲトゲしい声が、上から降ってきた。
 振り返り見上げると――
 いつの間にか張り巡らされていた鎖の足場の1本に、男が立っていた。
 両耳のピアス、緑がかった短髪、着崩したシャツ――ショッピング街で時折見かけるような、ガラの悪そうな若い男。年齢は二十代前半といったところか。
 でも、右腕だけが異様だった。
 甲冑のような白銀色の篭手に覆われ、甲の部分からは無数の鎖が――まるで生き物のように、ゆらゆらと揺れている。
 男は明らかにイラついた顔で、鎖の足場の上にチンピラのようにしゃがんだ。
 彼の細められた目に睨まれ、善夜の背筋がゾクリと凍った。

 この人、危ない――

 言葉にならない恐怖が、彼女の喉を締め付け呼吸を忘れさせる。
 その時――善夜の右手から、闇色のモヤが流れ出た。人の形を作ったそれがオフィサーの姿になるやいなや、彼の背中に隠れるようにして彼女は身を縮める。
 ここでようやく、忘れていた呼吸を再開した。

結紮する者リゲーター・ヒドゥン」

 オフィサーは男に向かって淡々と告げる。

「在留資格不正取得罪及び人間襲撃の現行犯で身柄を確保します。おとなしくご同行ください」
「はっ、冗談じゃねぇ」

 ヒドゥンは鎖の足場の上で吐き捨て、

連合政府上のやつらが勝手に作ったルールなんて、知ったこっちゃねーよ!」

 言うが早いか――篭手に覆われた右腕を、善夜めがけて振り下ろした。
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