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第十一章
散歩姉さん
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「あー、いいお湯だった」
魔王城のとある廊下。入浴を終えたメイリスはお風呂上がりのプロテインドリンクを手にし、ご満悦の表情で歩いていた。
夜間のみ活動、あるいは睡眠を必要としない魔族もいるため、城内は未明の時刻でも真昼のように賑わっていた。
「このお城って色んなものがあるから退屈しないわねぇ」
魔王城内の散歩。それが今の彼女のささやかな楽しみの一つであった。大浴場や訓練場、大図書館やゲームコーナーなどバラエティ豊かな魔王城の設備はエキョウ王国にある冒険者ギルド本部のものとは比べ物にならないほどのものであり、メイリスの探求心をくすぐるには十二分であった。
もちろん、立ち入り禁止の区域もいくつかは存在しており、さすがのメイリスもその辺りはわきまえたうえで行動している。
「こっちの方はまだ行ったことないわね」
『ワンダフルな人気者になろう!』という妙なスローガンを掲げた雑コラのようなデザインの眼鏡をかけた黒犬の魔族のポスターを挟んだT字路。普段は左に曲がって大浴場から居室に戻っているのだが、さらなる見聞を広めるためにメイリスは右側へ足を運んだ。
「こっちにも居住区がある…ってとこかしら?」
等間隔に並んだ扉が多く見られる廊下。その光景はメイリスの居室がある居住区とほぼ同じであった。各々の扉には名札が付いており、どの部屋からも人の気配が感じられる。
「この辺りは…人間用の居住区ね」
周囲の気配と時折すれ違う顔触れからメイリスはそう推測した。廊下を歩く人間達の顔は以前、クイーン・ゼイナル号の任務で見覚えがある。
ゾート王国やクイーン・ゼイナル号で奴隷などの過酷な扱いを受ける予定だった人間達。魔王軍は捕虜という名目で彼らを確保し、仕事と給料と衣食住を与えてこの区画で生活させていた。
「ま、ボロ雑巾みたいに使い潰されるよりはマシな暮らしよね」
メイリスは部屋を出て仕事に向かおうとこそこそと歩くメイドの少女に向け、笑顔で手を振った。驚いたメイドはそそくさと走り去っていった。
「あら…?この扉は?」
少し歩くと、ファイン大陸各地の街にある教会でよく見られる神々しい扉が目に入った。
「入っても大丈夫…みたいね」
静かに扉を開くと、その中は厳かにこじんまりとした礼拝堂であった。
「教会…そしてあれは…」
メイリスが奥に目を向けると、そこには人間達にとって馴染み深い聖の女神――パルティアを象った石像が祀られていた。
そして、その足元で身をかがめ、静かに祈りを捧げる人間、否、魔族がいた。山羊の頭を持ち、執事服に身を包んだ魔王の側近、ゴードンである。
「おや…?これはメイリス殿」
背後から近寄る気配に気づいたゴードンは祈りを中断し、後ろを振り向いた。
「こんにちは」
「珍しいですな。あなた様がこちらに出向くとは」
「ちょっとお散歩でね。ところでここは?」
メイリスは神々しい天使のような美しい翼を生やした女神像を見上げた。
「見ての通り、パルティア教の礼拝堂でございます」
「パルティア教?」
パルティア教とは、聖の女神パルティアを信仰する宗教である。ほとんどの人間族はそれを信仰している。
「ここで暮らす人間達のために建てたの?」
「いえ。彼らが魔王城に来る前から存在しております。むしろ、ここに合わせて人間の居住区を作らせてもらったのです」
「ということは、魔族にもパルティア教の信者がいるってこと?」
「さよう。驚かれるのも当然でしょうな」
聖の女神パルティアと対を為す魔の女神ファナトス。魔族の多くはファナトス教を信仰し、パルティア教を邪教として忌み嫌っている。それが人間達の一般的なイメージであった。
「我々魔族は特にパルティアを忌み嫌ってはおりません。そもそも、かつては人間も魔族もパルティアとファナトスの二神を平等に崇めていたのです」
「そうなの?それは初耳だわ」
メイリスが騎士として活動していた二百年前にはすでにファナトスは魔族が崇める邪神というイメージが定着していた。
「今の人間側はファナトスを崇めることはもちろん、研究することすらも禁じているからね。わからないことが多いのよ」
「そのようですな」
当時、メイリスは騎士団の任務としていくつかのファナトス教会を襲撃、信者の殲滅を経験していた。手にかけた信者は魔族だけでなく人間も含まれていた。
「聖の女神パルティアが人間や動物を創造し、魔の女神ファナトスが魔族と魔物を創造した――という言い伝えはご存知でしょう?」
「ええ。子供のころから聞かされていたわ」
「さらに、パルティアは人間と魔族に知恵を、ファナトスは力を授けたという言い伝えがあるのです。いつの間にか失われてしまったようですが」
ゴードンは懐から聖書らしき書物を取り出した。
「ゆえに、魔族が人間と同じように文化を築くことができるのはパルティア様の恩恵であり、人間が魔族と同じように魔法や技を使いこなせるのはファナトス様の恩恵であるのです」
「言われてみればそうね」
「ゆえに私は週一でここに祈りを捧げるために足を運んでいるのです」
「ふふ。意外と変わり者ね。あなたも」
「魔勇者様方ほどではないと自負しておりますがね」
「あら、嬉しいわ」
メイリスとゴードンは互いをほめ、笑いあった。
魔王城のとある廊下。入浴を終えたメイリスはお風呂上がりのプロテインドリンクを手にし、ご満悦の表情で歩いていた。
夜間のみ活動、あるいは睡眠を必要としない魔族もいるため、城内は未明の時刻でも真昼のように賑わっていた。
「このお城って色んなものがあるから退屈しないわねぇ」
魔王城内の散歩。それが今の彼女のささやかな楽しみの一つであった。大浴場や訓練場、大図書館やゲームコーナーなどバラエティ豊かな魔王城の設備はエキョウ王国にある冒険者ギルド本部のものとは比べ物にならないほどのものであり、メイリスの探求心をくすぐるには十二分であった。
もちろん、立ち入り禁止の区域もいくつかは存在しており、さすがのメイリスもその辺りはわきまえたうえで行動している。
「こっちの方はまだ行ったことないわね」
『ワンダフルな人気者になろう!』という妙なスローガンを掲げた雑コラのようなデザインの眼鏡をかけた黒犬の魔族のポスターを挟んだT字路。普段は左に曲がって大浴場から居室に戻っているのだが、さらなる見聞を広めるためにメイリスは右側へ足を運んだ。
「こっちにも居住区がある…ってとこかしら?」
等間隔に並んだ扉が多く見られる廊下。その光景はメイリスの居室がある居住区とほぼ同じであった。各々の扉には名札が付いており、どの部屋からも人の気配が感じられる。
「この辺りは…人間用の居住区ね」
周囲の気配と時折すれ違う顔触れからメイリスはそう推測した。廊下を歩く人間達の顔は以前、クイーン・ゼイナル号の任務で見覚えがある。
ゾート王国やクイーン・ゼイナル号で奴隷などの過酷な扱いを受ける予定だった人間達。魔王軍は捕虜という名目で彼らを確保し、仕事と給料と衣食住を与えてこの区画で生活させていた。
「ま、ボロ雑巾みたいに使い潰されるよりはマシな暮らしよね」
メイリスは部屋を出て仕事に向かおうとこそこそと歩くメイドの少女に向け、笑顔で手を振った。驚いたメイドはそそくさと走り去っていった。
「あら…?この扉は?」
少し歩くと、ファイン大陸各地の街にある教会でよく見られる神々しい扉が目に入った。
「入っても大丈夫…みたいね」
静かに扉を開くと、その中は厳かにこじんまりとした礼拝堂であった。
「教会…そしてあれは…」
メイリスが奥に目を向けると、そこには人間達にとって馴染み深い聖の女神――パルティアを象った石像が祀られていた。
そして、その足元で身をかがめ、静かに祈りを捧げる人間、否、魔族がいた。山羊の頭を持ち、執事服に身を包んだ魔王の側近、ゴードンである。
「おや…?これはメイリス殿」
背後から近寄る気配に気づいたゴードンは祈りを中断し、後ろを振り向いた。
「こんにちは」
「珍しいですな。あなた様がこちらに出向くとは」
「ちょっとお散歩でね。ところでここは?」
メイリスは神々しい天使のような美しい翼を生やした女神像を見上げた。
「見ての通り、パルティア教の礼拝堂でございます」
「パルティア教?」
パルティア教とは、聖の女神パルティアを信仰する宗教である。ほとんどの人間族はそれを信仰している。
「ここで暮らす人間達のために建てたの?」
「いえ。彼らが魔王城に来る前から存在しております。むしろ、ここに合わせて人間の居住区を作らせてもらったのです」
「ということは、魔族にもパルティア教の信者がいるってこと?」
「さよう。驚かれるのも当然でしょうな」
聖の女神パルティアと対を為す魔の女神ファナトス。魔族の多くはファナトス教を信仰し、パルティア教を邪教として忌み嫌っている。それが人間達の一般的なイメージであった。
「我々魔族は特にパルティアを忌み嫌ってはおりません。そもそも、かつては人間も魔族もパルティアとファナトスの二神を平等に崇めていたのです」
「そうなの?それは初耳だわ」
メイリスが騎士として活動していた二百年前にはすでにファナトスは魔族が崇める邪神というイメージが定着していた。
「今の人間側はファナトスを崇めることはもちろん、研究することすらも禁じているからね。わからないことが多いのよ」
「そのようですな」
当時、メイリスは騎士団の任務としていくつかのファナトス教会を襲撃、信者の殲滅を経験していた。手にかけた信者は魔族だけでなく人間も含まれていた。
「聖の女神パルティアが人間や動物を創造し、魔の女神ファナトスが魔族と魔物を創造した――という言い伝えはご存知でしょう?」
「ええ。子供のころから聞かされていたわ」
「さらに、パルティアは人間と魔族に知恵を、ファナトスは力を授けたという言い伝えがあるのです。いつの間にか失われてしまったようですが」
ゴードンは懐から聖書らしき書物を取り出した。
「ゆえに、魔族が人間と同じように文化を築くことができるのはパルティア様の恩恵であり、人間が魔族と同じように魔法や技を使いこなせるのはファナトス様の恩恵であるのです」
「言われてみればそうね」
「ゆえに私は週一でここに祈りを捧げるために足を運んでいるのです」
「ふふ。意外と変わり者ね。あなたも」
「魔勇者様方ほどではないと自負しておりますがね」
「あら、嬉しいわ」
メイリスとゴードンは互いをほめ、笑いあった。
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