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8話 心と身体
しおりを挟む5月10日
「どうって、何もないよ。ちょっと酔い覚ましをしてるだけ」
突然の訪問に驚いた俺は手に持っていた枝を水面に落としてしまった。あー、と奈々が水面を見つめる。初めの内は浮いていた木の枝も徐々にバランスを崩し底の暗闇に消えていった。
ーこんな風に消えれたら楽なのにー
「横、座っていい?」
俺は無言で少し座っていた位置をずらすとその場所に奈々は腰を下ろした。はあ、と一息つく。まだ視線を奈々には向けずじっと水面を眺め続ける。
「まだ気にしてんの?」
「...」
何も言えなかった。奈々は人の事をよく分かっている。実際の年齢も1つ上だし俺が知らない世界もたくさん知っている。正直言って俺の何倍も大人なのは間違いない。恋愛経験だってもちろん俺よりはあるしこういう時の気持ちはすぐに筒抜けになってしまう。
「まあ、あんた達が別れたの知って正直驚いたけどさ、まあ、あんまり悩んでも仕方ないよ」
「...」
ー無理ー
「今は辛いけどさ、きっといつか良くなるって。それに梨沙がいるじゃん」
わずかに反応する俺を見逃さない奈々。立ち上がると同時に俺の背中を叩き、んっ、と手招きで立ち上がれ、と言っている。それに促され重い腰を上げると再び、んっ、と奈々は空に向かって指で上を指した。
「...!」
そこには満天の星空が限りなく広がっている。ここは木々に囲まれていて辺りの街灯の影響を受けることなく星空が見えていた。そういえば通っていた高校の時も山の中でこんな景色を見た気がする。圧倒的なその景色は他の星空に比べたら何て事ないのかもしれない、でも今の俺の心にはとても感動できる光景だった。ふふん、と満足げに俺を見たが何かを察したのか自然と手を後ろに回し夜空を眺めていた。
「綺麗でしょ。これを見とけば少しは気分も晴れるよ、それに下ばっか向いてたらこんなに良いもん見えないんだからもっと前を向きなさい。私もそうだったし。分かった?」
不思議と涙が流れるのを必死に手で拭う。嗚咽を漏らしながら
「...ありがとう」
それを聞いた奈々は少し満足そうに微笑むと先にコテージの方へと歩き出した。それに続き少し早足でもう一度空を見上げ俺は奈々を追った。
「あー、もう二人共どこ行ってたの?」
泊まり先のコテージの扉を開けると真斗の横に座っていた
梨沙が駆け寄ってくる。そのまま俺に飛び込んで完全に俺に体重を預ける形になった。柔らかい感触が伝わってくる。
「おい、やめろって」
「だって真斗、近いんだもん」
ボソッと俺にしか聞こえない声で呟く。柔らかく、少し熱い体を引き剥がし梨沙を再び真斗の前に座らせると梨沙と共に4人でテーブルを囲んだ。
ー真斗は嫌だからって俺に来るのはどうかとー
でも心のどこかでは俺を頼ってくれるのはまんざらではない気分だった。真斗は少しばかり俺にちょっかいを出すとかなりのペースでお酒を飲み進める。奈々は元々強いからそんなには気にしていなかったが一番の心配は梨沙だった。さっきのバーベキューで大分酔っ払っているのか。未だに顔を赤くしているのにもかかわらず真斗の飲む瓶のお酒を美味しいと言いながらテンポよく口に運んでいく。
「梨沙。そこらへんにしとけよ、俺風呂入ってくる」
もう時間は0時を回りみんなは既にお風呂を済ましている。そう言って俺は席を外し荷物から着替えを取ると梨沙の、ちょっと待て、という制止を難なく、くぐり抜け風呂場に向かった。
湯船に浸かると自然に髪の毛についた炭の匂いが微かにかおる。はあっ、と何度もため息が漏れる中あっちからは楽しい話し声が聞こえる。目を閉じると自然に周りの音は消え1秒間隔で落ちる水の音しか聞こえなくなった。
「そろそろ忘れないとダメだよな」
ー忘れられないー
「忘れないと、進めない」
ー全部忘れて違う女を探すのか。それでまた...ー
「こうなるんだろうな」
ー怖いよ。もうこんな気持ちになるのは...ー
自問自答は終わらない。あの日から。永遠に繰り返されるこの問いの答えは出ないままだった。
「誰もいない」
頭をタオルで拭きながら出て来た俺を迎えたのは静まりかえった部屋だった。果実酒の匂いとスルメの匂い。良い匂いではない。顔をしかめつつもふとベランダに目をやると真斗と奈々がタバコを吸っていた。梨沙もあっちか。履き替えた着替えを適当に部屋の隅に放り投げ座布団をお尻の下に敷くと膝から崩れるようにベッドの段差にもたれかかるようにその場に座り込んだ。
「ふう、なんか疲れた」
「...私も。」
「...!うわっ、びっくりした!」
声の主は梨沙だった。すぐ脇のベッドには既に出来上がった梨沙が寝ていたのだ。長い髪をかき分けるとさっきよりも少し赤みを増し、すごい満足感に浸っている梨沙が寝起きのようにゆっくりと体を起こす。すぐに梨沙の腕がスルリと俺の首に回されゆっくりと引き寄せられる。微かなお酒の匂いと女子特有の甘い匂いが一気に体に染み渡ってくる。俺も風呂上がりだったのか。自分の体温の上昇が分かる。鼓動も早い。
「なんかね、まだ元気ないねって話をしててね。さっき」
「俺が?」
「...うん。だからね」
言葉は出なかった。首にあった梨沙の腕は自然に俺の頬へと上がり優しく梨沙の顔へといざなう。あっという間だった。情けないほどに俺は抵抗出来ず、次の瞬間には俺は温もりを感じていた。
「......。」
「...。」
ー梨沙ー
1秒だったのか。10秒だったのか。分からない。唖然としている俺を見る梨沙はゆっくりと俺から離れるとニコリと笑い布団にくるまりすぐに、スー、スーと夢の世界へと行ってしまった。一人残された俺は微かに唇に残る温かさを感じながら二人が戻る前に眠りへと落ちた。
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