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9話 現実
しおりを挟む5月24日
妙な蒸し暑さが広がっていた。天気は清々しいほどに晴れている。もう蝉が鳴いていてもおかしくない状況で俺はうなだれていた。さっきまでの感動が嘘のように今の気持ちは穏やかだった。
つい数分前までは女子の試合で初勝利をし、ベンチでその瞬間を見届けた俺は興奮と共にその喜びを選手のみんなと味わっていた。
しかし今はこうだ。
「あつい。」
ーさっきからこれしか言ってないなー
残りの試合を行っているこの時間。俺は外の日陰を見つけるとそこに腰を下ろした。体育館からはかすかに試合の音が聞こえてくる。それに混じり選手の話し声が耳に届くが俺の頭の中はこの暑さへの苛立ちしかなかった。
「今からこんなに暑かったら夏とか溶けるだろ」
無情にもその声は宙に消える。だから涼しくなる訳でもなかった。そろそろかな、と腰を上げ体育館に戻ると案の定最終試合は終わっていた。
「いやー、やっと終わりましたね。それで今日の勝利記念は肉ですか?」
「そうか、勝ったもんな。」
やった!と後輩たちが手を合わせている。まあたまにはいいかな。目で人数を数える。案外多いな。少し憂鬱だった。
「あー、めっちゃ食べた」
みんながお腹を押さえながら店を後にする。俺らの団体は少しずつバラけていきやがて最後には俺と元彼女だけになっていた。若干のお酒も入ってたし久しぶりの勝利で気分を良くした元彼女は良く喋った。元々一人家が遠く歩いて帰らすのは心配で家まで送る。ということになった。
「はー、なんな喋り疲れちゃった。ちょっと休もっと」
無意識なのか、意識しているのか。彼女が入ったのはあの公園だった。思わず言葉が詰まる。俺の足取りを気にすることなくどんどんと進んでいく後を追う。そしてあのベンチに腰を下ろした。多分無意識なのだろう。そこに大きなカバンを置くとそこに頭を乗せその場に寝転んだ。
ー何をしてるんだろうー
「早く帰らないと。風邪引くよ」
「うん。でももうちょっと」
言うことを聞こうとしない。仕方ない。今は赤の他人なのだから。聞く義理もないのは当たり前だ。彼女はそのままじっと空を見つめていた。
ー言うんじゃなかったー
一向に動こうとしない彼女をよそに俺は近くの木にもたれかかりポケットから携帯を取り出し表示される通知に目を通す。お疲れ様でした。のメッセージが大量に画面に並ぶ。既読をつけるが返信はしない。別に自分宛ではないしこういう意味のない社交辞令は嫌いだった。カサカサと木々が揺れ風が通り過ぎた。この季節は難しい。昼間はあんなに熱くて今は半袖なのにこうやって風が吹けば一気に体温が下がる。カバンから上着を取り出し肩にかけようとした。
「......」
目の前で腕をさする彼女。上着がないのだろう。ずっと試合後の練習着のままだった。ため息が思わず吐き出される。
「風邪引くって言ったろ」
上着を彼女の体にかける。胸が痛かった。痛々しくて見れない。でもほっとけない。
ー何なんだよ、これー
再び距離を開け元の位置に戻る。
「ねえ、こっちに来て」
思わず体が反応する。あの声であんな事言うのは反則だって言いたかった。逆らえないじゃないか。ゆっくりと歩み寄る俺に座る場所を開けた彼女は乱れた髪を直している。
「何?」
思わず聞いてしまった。
「ううん、特に何かあるわけじゃないの」
なら帰ろう、と俺は立ち上がる。
「!」
「...行かないで」
とっさに彼女が俺のシャツを掴んだ。くん、と引かれた俺はあと一歩出せばその手を振り切れたが俺は歩みを止めた。そして振り返る。その時の彼女の表情を見た時、俺は心の奥底で立ち止まった事を悔やんだ。ほのかに赤めいた頬と若干虚ろな目。綺麗にうち巻いた髪。どれもこれも全てが好きだった。大好きだった。今すぐにでも抱きしめたいと思った。
ーなんで...ー
あんなに好きでたまらなかった。何をされても許したし何でもしようと思った。ずっと一緒にいたかった。でも...
ーでもお前が俺を拒んだんだー
すうっと感情の波が引いていく。途端かわりに何か別のものが自分の中に満ちていくのが分かる。とても冷たい。鋭く尖っている感情。怒り。悲しみ。どれも違う。
ーもう何もないよー
時が止まったように2人は動かない。俺は黙って彼女を見つめる。俺のシャツを掴んだ手がするりと離れた。
「なんでこんな事するんだよ」
俺が沈黙を破る。彼女は顔を伏せたまま上げようとしない。
「お前が。お前が俺をふったんだろ。なのになんで今頃俺を必要とするんだよ」
俺ももうどうすればいいのか分からなかった。もう何もないはずなのに。押し込めていた感情が爆発する。
「...私ね。とっても後悔してるの。前に一回別れてから言ってくれたじゃん。俺の幸せを望むならもう一回付き合ってくれって」
言った。別れてからすぐにまだ連絡をとっていた時期の事だ。
「無理なの。私ね新しい彼氏が出来たの。」
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