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松穂

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第1部

難事、一部解凍

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「……というわけで、彼に、斎藤さんへの害意はなかったようです。学業や進路のことなどでストレスもあったようですし、池谷さんと斎藤さんの仲を誤解したことも一因のようですね。保護者の方へは昨夜のうちに連絡しまして、この件に関しては一応、未成年の夜間不当外出ということで厳重注意がなされました……が」

 そう言って一旦言葉を切った若い警官は、ちらりと意味ありげな視線を隣に向けた。隣に立つずんぐりとした壮年の警官は、小さく頷くとその後を引き継ぐ。

「店長さん、ここ最近ここの店に、無言電話がありましたね?」
 いかつい顔の警官は、やんわりとした口調で葵に尋ねた。
「あ……はい」
「頻度でいうと、どのくらい」
「初めは……六月に入った頃でしょうか、週に一回ほどだったのが、次第に週三、四回になって……先週あたりから急に増えて、一日十五、六回になることもありました。なので、先日、電話会社に連絡して着信拒否の設定をしたんです。それからはまったく……」

 葵は、もしや、という気持ちがせり上がってくるのを抑えながら答える。
 果たして、壮年の警官は「間違いないようだね」と、若い警官と目配せし合った。

「昨夜、水奈瀬萩さんの話にその無言電話の件が出てきましてね。その途端、少年が目に見えて狼狽したので、追及してみればあっさりと自供しました。期間や頻度も本人の話と合致します。どうされますか? 被害届を出されるならば……」

 思いがけない犯人発覚に、葵は唖然としたまま、続く警官の話を聞いていた。


* * * * *


「……へぇ? つーことはだ。あの少年は、不埒で、、、多情、、、で、最低な、、、、男の魔の手から、 “憧れの彼女” を救おうと思い立ったわけだ」
 切れ長の瞳を不愉快そうに吊り上げて、池谷夏輝は吐き捨てるように言う。
「……まぁ……そういうこと、みたいよ……?」
 葵は自分が責められているような気分で、バター香るインゲン豆のソテーをミジミジと口の中に噛み入れた。

 時刻は賄いタイム。
 佐々木、遼平、吉田と、篠崎、葵がテーブルで賄い(今日はサーモングリルと焼き野菜)を食す中、その傍らで池谷が一人、私服のまま話に加わっている。(賄いはいらないらしい)
 彼は今日夕方からシフトに入っているのだが、昨夜の騒動の顛末が気になったようで、少し早めに店へやってきた。
 一方、渦中の亜美はというと、夕方からのシフトを急遽休んで篠崎と交代している。やはりショックが大きかったようだ。

「少年の母親も謝罪に来られたんですよね? 警官二人が帰った後に」
 これは神妙なクマ顔の篠崎だ。
 昨夜いなかった篠崎や吉田にも、騒動の経緯は一通り話してある。亜美の代わりに快くシフトに入ってくれた彼だけれど、今朝がた警官が店を訪れた時からずっと、難しい顔になりがちであった。
「うん。その後にクラス担任の先生と学年主任だっていう先生も。何か大事になっちゃって……申し訳なかったな……」
 あの少年の心情を思うと、色艶やかな茄子をつつく葵の箸も彷徨いがちだ。
 すると、ご飯粒を口元につけた吉田が、神妙とは程遠い顔で訊いてくる。
「じゃあ、今までの無言電話の犯人は、その少年ってことで間違いないんすか?」
「そうみたい。……でも、悪気があったわけじゃないって、……反省してるって、言ってたから……」
 つい弱々しくなる葵の言葉は、苦々しく言い放った池谷にぺしゃんと叩き潰された。

「悪気があってもなくても、そーゆーの世の中じゃ “ストーカー” っていうんじゃねーの?」


 ――少年は、斎藤亜美が好きだった、という。

 慧徳学園高等部二年のその少年が、校舎も敷地も離れた慧徳大学生である斎藤亜美をいつどこで見染めたのか、詳しいことはわからない。
 毎日夕方、大学の正門周辺で彼女を待ち伏せたという少年。
 元々大人しい性格で目立つ容姿でもなく、それゆえ年上の彼女に告白する勇気も持てず、ただ、陰からひっそりと見つめていられればいい……そんな幼気いたいけな恋心であった。

 そんなある日少年は、 “憧れの彼女” の傍でよく見かける一人の青年に気がついた。
 一緒に並んで正門から出てくるのを何度か見かけ、ある時は駅から、大学とは逆方向に連れだって行くのも目にした。
 明るく元気で、いつも男女問わず友人に囲まれていることの多い彼女だが、男と二人っきりで一緒にいるというのは、その青年とだけだ。
 ……彼氏かもしれない、と少年は思ったらしい。
 あんな恰好のいい人が彼氏なら、ますます自分など出る幕はない……年下で地味で凡庸な自分は、彼女の隣に立つ資格もないのだ……と一度は諦めようとした。抱いた思慕は、人知れず静かに消えていくはずだったのだ。
 しかし、淡い初恋のまま終わるはずの少年の想いは、ある事実を知った時、少しずつ捻じ曲がっていくこととなる――


「――たまたま一緒にバイト先へ行ったってだけだろ?」
 池谷は苛立たし気に足を鳴らした。
「大体、並んで歩いただけでつき合ってるとか、んなのありえねーじゃん。だったらシノだって誤解されるはずじゃね?」
「僕の工学部は正門から離れてるからね。東門から出た方が店に近いし、大学の帰りに亜美と一緒にここに来たことはないよ」
「俺だって別に約束して来たわけじゃねーって。たまたま門のところで会ったとか……それで行く先が一緒なら別々に行く方がおかしいじゃねーか。それに、なんで俺が高等部でそんなに知られてんだよ。隠し撮りとか、犯罪じゃね?」
 どんどんイラつき度が増していく池谷に、葵は慌てて補足する。
「あ、さっきいらっしゃった先生方の話ではね、今回のこととは別に、そういったモラルの問題についても厳しく指導していきますから、って言ってたよ?」
「ちっ……今更、遅いっつーの」
 そこへ、無邪気な明るい声が上がった。
「池さん、有名人だったんすねー」
 吉田は案外、怖れ知らずで空気を読まない。

 ――そう、池谷夏輝は、ちょっとした有名人であった。……本人のまったくあずかり知らぬ所で。


 そもそもの発端は、去年のある一時期、池谷夏輝が高等部の生活科担当教諭である若い女性教師と噂になったことにある。
 生徒たち(おもに女子生徒)の間でまことしやかに囁かれたその噂は、池谷という大学生が色気のある美青年だったことも大きく影響して、思わぬ方向へと発展してしまった。
 池谷夏輝は、一部の女子生徒の間でアイドル化、、、、、してしまったのである。
 年上キラー、魔性の王子、流し目の貴公子、熟女ハンター……お相手の女性が変わっていくたびに、低俗な呼称が次々に誕生し、まるで芸能人の熱愛報道を見るかのように、女子生徒たちは興奮していった。この年頃の女子生徒にしてみれば、キャイキャイと騒ぐことに意義があるのであって、事実の真偽は大した問題ではないのだ。
 初め少年は、周りで騒がれている池谷夏輝という名前こそ耳にしていたけれどその顔は知らず、まったく気にも留めていなかったという。
 だがある日、同じクラスの女の子に、ある携帯画像を見せられて愕然とした。
「ほら、見る? これが魔性の王子」
 明らかに隠し撮りしたかのような写真の中に、あの青年、、、、が、いかにもOL風な女性と腕を絡ませて歩いていた。

  “憧れの彼女” と一緒にいた、あの青年。
 彼女の恋人だと思っていたのに。
 ならば仕方がないと諦めたのに。
 二股、とかいうやつか。
 まさか、彼女は、騙されている――? 

 考えるだけで居ても立っても居られない。
 思いを寄せる彼女が、女ったらしの毒牙にかかったと思い込んだ少年は、悶々鬱々とした日々を過ごし、その中でようやく彼女のバイト先を突きとめる。だが最悪なことに、池谷という例の青年も同じ店でアルバイトをしていると知ってしまう。
 いよいよじっとしていられなくなった少年は、そのバイト先である洋食レストランへ、偵察に行くこと思いついたのである。
 それが、あのゴールデンウィーク中日の、現役高校生四人組来店、というわけだ。
 少年の話では、同じ塾に通う一番仲の良い友人と、塾をさぼって二人だけで行くつもりだったのだが、クラスの中でもお調子者の二人が話を聞きつけ、結局四人になってしまった、とのこと。塾をさぼる後ろめたさもあって、どうしても断れなかったという。
 だがその経緯いきさつが、かえって葵の目を惹くことになった。
 葵がその少年を覚えていた理由は、あの時の四人組が現役高校生で珍しかったこともあるのだが、その四人のうち、茶髪二人と黒髪二人の温度差が、妙に目についたからだ。
「ケー番教えて」だとか「彼氏いるの?」だとか、うるさく騒いでいたのは茶髪の二人で、あとの黒髪二人は曖昧に笑うだけであった。二人の黒髪のうちの一人が、その少年だった。

 少年はその時、浮かれはしゃぐ友人二人に愛想笑いしながらも、仲良く働く亜美と池谷の姿を何度となく目の端に捕らえ、猛烈に羨ましくなったという。
 いつも遠くから垣間見ることしかできなかった “憧れの彼女” のギャルソン姿、自分は共有できない環境で楽しそうに働く溌剌とした様子……そして、そこはかとなく生まれてくる、池谷への強烈な嫉妬の念。
 時期的にちょうど大学はテスト期間に入り、正門で彼女を見かけることが難しくなってきた頃だった。夏休みに入れば、陰から垣間見ることさえできなくなる。
 彼の行き場のないフラストレーションは日ごとに募っていき、とうとうある日少年は、彼女がアルバイトをする店へ電話をかけてしまう。彼女が出るとは限らないのだけれど、切羽詰まった彼にはそれが唯一残された接触方法に思えたのかもしれない。
 しかし奇しくも、その電話を取ったのは亜美だったのだ。
  “憧れの彼女” の声を、耳元で聞けた少年はその偶然に舞い上がり、つい「あ、あの……そちらで、アルバイトをしたいのですが」と言ってしまったらしい。
 慧徳学園高等部は原則的にアルバイト禁止なので、少年も本気で望んだわけではないだろう。何とかして彼女との会話を続けたかったのかもしれないし、池谷と彼女の間にどうにかして入り込めないかという想いが強すぎたのかもしれない。
 けれど、舞い上がってしまった少年の心は、無残にも突き落される。
『少々お待ちくださいね』という断りの後、『池さーん、高校生はバイト不可ですよねー?』という甘やかな高めの声が遠くに聞こえ、その直後その声は、『ごめんなさい、高校生は受け付けてなくて……』と、少年を優しく拒絶した。

 ――少年の若く不完全な理性に、ピキッと亀裂が入った瞬間、だった。


「そういえば、無言電話が始まったのって、あのアルバイト希望の電話の後くらいからでしたよね……もっと早く気づけばよかったな……」
「仕方ないよ。非通知だし、出てもすぐ切れちゃうし、手掛かりはまったくなかったんだから」
 篠崎と葵が小難しい顔をすれば、吉田がお椀の味噌汁を一気に飲み干して、訊く。
「でも、どうしてここ最近で、急に無言電話が増えたんすか? 初めは週一回とか……多くても週三~四回程度でしたよね? でもこないだなんか一日十六回もあったじゃないすか。そこまで増えたのって、確か……先々週くらいっすよね?」
 吉田がくるっとした目でその場を見回し、その到達点が葵だったものだから、ぐ、と詰まってしまう。
 この先は……ここで話していいものか……
「う……ん……何かね、……ちょっと誤解するような場面を、目にしたらしくて……」
 言い淀む葵の傍らで、池谷は「くっそ」と悪態をつき、篠崎が「やっぱりね……」と溜息をつく。


 ――抱きあっている二人を見てしまった。
 少年は、そう証言したらしい。

 二週間ほど前のある夜、塾帰りの少年は、駅前の通りから少し入った場所にある住宅街の中の小さな公園で、 “憧れの彼女” とあの池谷夏輝が、ベンチに座っているのを見たという。
 しかも、彼女は泣いていて、池谷がそれを宥めるように彼女の肩を抱いている。少年の目には、彼女が池谷に涙ながらにすがっているように映り、果てはそれを受け入れた池谷が彼女を抱きしめるように見えたらしい。
 もちろん、それは少年の思いこみによる見間違いだ。
 池谷の話では、その夜、亜美の相談に乗っていたそうなのだ。(池谷は “泣きつかれたんだよ” と言った)
 相談内容はもちろん、遼平のことについて。
 遼平から『放っておいてくれ』と怒鳴られ拒絶された亜美は、葵が思っている以上に傷つき打ちのめされていた。バイトを辞めようか、というところまで思い詰めていたらしい。
 その辺のことを相談に乗ってもらうべく、たまたま店からの帰り道途中にある公園で話をしたという。
 ――その場面を、偶然にも少年が見てしまった。


「何すか? 誤解するような場面って……、あ! さっき、池さんの魔の手から “憧れの彼女” を救うだのなんだのって……まさか、池さん、亜美さんに……」
「――っざけんなっ! 俺と亜美がどうこうなるわけねーだろ! 大体、こうなったそもそもの原因は遼――」
「池谷くん……!」
 葵が咄嗟に叫んで遮ると同時に、テーブルの端で遼平が「……ちそうさまでした」と小さく呟いて立ち上がった。食べ終わった食器類を持って、そのまま厨房内へ戻っていってしまう。
 去り際に一瞬だけ葵と目を合わせたが、その瞳からは何の感情も読み取れなかった。
 葵が咎めるような目線を池谷に向けたところで、篠崎がカタ、と箸を置いた。
「……池、自業自得だよ。日頃無節操な行動してるからこんなことになるんだ。去年の暮れ頃、女性教諭との噂は、うちの工学部まで流れてきていた……ということは、女子高生の間でどれだけ騒がれたか、想像つくだろう?」
「……あれは、ちょっとした知り合いだ。……別につき合ってたわけじゃない」
「でも、それがきっかけで少年が誤解したのは事実だよ。好きになった女性が悪い噂しかない男と一緒にいれば、誰だって不安になる。例えただのバイト仲間だとしても、だ。あのくらいの年代だったら思い詰めてしまうのも当然だよ」
「……それは、わかってるけどさ……」

 普段は優しく穏やかな篠崎なので、彼のいつになく厳しい言葉はダイレクトに響く。返す池谷の口調もおのずと弱い。
 葵は何とも言えない複雑な気持ちで、視線を落とした。


 結局、偶然見かけてしまったその場面がきっかけで、少年の無言電話は急増した。
 急激に膨らんだ焦りや嫉妬、不安や満たされない少年の想いは、携帯の発信ボタンへと向かったのであろう。最初の一回以来、 “憧れの彼女” が電話に出ることがなかったことも、彼の迷惑行為に拍車をかけた。
 そしてさらに、追い討ちをかけるような着信拒否。……繰り返される『その電話にお繋ぎすることができません』というアナウンス。
 通じない電話に苛立ちを募らせた少年は、ついに直接、彼女に直談判する手段をとることにしたのである。

 昨晩少年は、八時近くから店の前をウロウロしていたらしい。裏口に入る側とは反対の、植え込みの陰に潜むようにいたため、その後出入りした侑司や萩には気づかれなかったようだ。
 窓に下ろされたスクリーンの隙間から、何とか “憧れの彼女” を一目見ることはできないか、と密やかに店周辺を探ったが、耐え切れなくなった夜九時過ぎ頃、店の裏手へ忍びこんだ。
 そして、自転車置き場にいた彼女を目にした途端、理性を抑えるたがが外れてしまい、闇雲に詰め寄ってしまったという。
 折しもその時出現した第三者(葵)の声を聞いた瞬間、少年ははっと我に返り、その場を逃げ出してしまった。心のどこかに、無言電話に関する罪悪感が根づいていたのかもしれない。
 そうして、盲目的に猛追した萩の浅はかさも加わり、警察も巻き込む大騒動となってしまったのだった。


「――ま、もう終わったことだ。今更掘り返してみたところでどうにもならんだろ、篠。勘弁してやれぃ」
 今まで黙って聞いていた佐々木が苦笑気味に諭せば、篠崎も少々ばつの悪そうな表情で黙り込む。池谷も同じような表情をしているのが、こんな時でも葵の目に微笑ましく映った。
 誠実、真面目を絵にかいたような篠崎と、口が悪く天の邪鬼な池谷。まるで正反対の二人だが意外にもかなり仲がいい。誤解されやすい性格の池谷を篠崎は放っておけず、池谷も篠崎の真っ直ぐさだけはねつけることなく受け止める。
 『アーコレード』で知り合ったこの二人の間に、バイト仲間以上の信頼関係ができているのは、スタッフ皆が知っていることだ。

 葵はすっかり冷めてしまった食べかけの賄いをぼんやり見つめた。
 結局、すれ違いや誤解が重なって、事態が複雑に、大げさになってしまったんだな、と思う。
 遼平とのことが原因で亜美は泣き、泣きつく亜美を池谷が宥めた……その池谷は誤解した少年に恨まれ、少年はこれまた誤解した萩に追いかけられて――

 ――……え? ちょっと待って……誤解、、、した?
 突如引っかかった出っ張りに、混沌する思考が一気に向きを変えた。

 今朝、萩は葵に電話をかけてきた。
 昨日の夜は迎えに来た蓮と一緒に、渋々自宅マンションへ帰ったらしいが、今夜は再び葵のアパートに戻って来るという。大騒ぎになってしまったことは反省していたようだが、葵の送り迎えはやめるつもりはないらしい。
 葵は今になって、萩が漏らした言葉に、おかしい、、、、と感じた。

『……ちょっと勘違いしちまってさ……ああ、葵は気にすんな……とにかく、悪かったよ……』

 ―― “勘違い” ? 一体、萩は、何を、、、勘違いした? 何を……まさか、……誰か、、、と……?

 不意に浮かんだ小さな疑問が、じわじわと葵の胸中を不快な色に染めていく。
 この感覚は、もうずいぶん前から、何かの折につけ葵をさいなんでいるものだ。
 ――やっぱり、おかしい……自分は何か、とんでもないことを見逃しているんじゃ……ううん、違う……ちゃんと考えなきゃいけないことを、後回し後回しにしてしまって……

「おぉい、みーなせー」
 のんびりとした佐々木の声が、葵の意識をぐいと引き戻した。
「お前が気に病むことはねーぞ。どんな事情があったとしても、その少年が無言電話っつー迷惑行為を続けたのは事実だ。こちとら営業妨害で被害届を出してもいい立場なんだぞ? 水奈瀬がそれをしないってぇなら、俺らは従うがな。あの少年に対し過剰な同情心や憐憫は禁物だ」
「は、い……」
「それより、だいぶ騒ぎになったらしいからな、客から何か訊かれた時の対応だけは、きっちり考えとけよ」
「そうですね……わかりました」
 至極最もな佐々木の言葉に、葵もコクリと頷く。
 さてと、と立ち上がった佐々木に、他の面々も各々食器を重ねだした。
 気づけばほとんどみんな食事し終わっている。葵は慌てて冷めきったサーモンの大きな一片を口に押し込んだ。
「しっかし……お前も生傷絶えねーなぁ。そのたんびに侑坊が世話してんじゃねーか?」
「――……っ」
「ちゃんとお礼言っとけよ?」
 ゲッホゲッホとむせる葵を尻目に、佐々木はカカカ、と笑う。

 ――と、その時、カランコロンとドアベルが鳴った。
 現れたのはパリッとしたグレーストライプのスーツ姿。目にするなり葵の気管はさらに激しく波打った。

「――お、侑坊。昨日はご苦労さんだったな。……水奈瀬ー、ちゃんと侑坊に報告しとけー。今朝からの一切合財全部だ。わかったなー」
 そう言って佐々木は、後ろ手をひらひら振りながら厨房の中に消えた。
 入ってきた侑司が、問うようにこちらへ顔を向ける。見た限り、昨晩の疲れなど微塵も残っていないような、凛とした立ち姿で。

「お……ゲッホ……つかれ、さ……ッホ……です……」
「……動揺しすぎ」
 冷ややかな一言とともに、隣の池谷がお冷を葵へ押しやった。




 
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