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第2部
発熱のち微熱、ところによりにわか熱
しおりを挟む――私ね、『アーコレード』を『敦房』みたいなお店にしたいんだ。美味しくて温かくて、居心地のいいお店。どんなお客様でも、大きく腕を広げて気持ちよく迎えることができる、懐の大っきなお店……
……誰の声だろう……えっと、……そう……私だ……こんな話をしたのは、確か……蓮兄……、……麻実ちゃんだったっけ……? ……母さんにも、話したかな……
薄っすらと霞が晴れるように視界が広がる。目に映るのは見慣れた、けれど普段よりやけに高く見える天井。
――あれ……なんで……ロフトじゃなくて、下に……
ゆっくり瞬きをして、記憶を辿ろうと頭を動かした時、明るい声が耳に飛んできた。
「――あ、葵? 起きた? 気分はどう?」
「……麻実ちゃん……?」
起き上がろうとする葵を「ちょい待ち」と押し止めるのは確かに麻実だ。
……どうしてここに、麻実ちゃんが……?
ジーンズにニットパーカーという軽装の彼女。仕事帰り……には見えないけれど。
ポカンと見上げる葵の額に手の平を当てた麻実は、わざとらしく眉根にしわを寄せて難しい顔をする。
「ビックリしたよもう。店で葵が倒れたって聞いてさ。……まだ熱っぽいみたいだね。汗かいた? 水分補給しようか」
「……えっと……今は、いつ……?」
我ながらおかしな質問である。だが、麻実の顔はますます心配そうに曇った。
「もしかして記憶もあやふや? えっと……葵がお店で倒れたのが昨日の夜遅く。そのまま夜間の救急病院に運ばれて一晩点滴を受けて、今朝帰ってきたって蓮さんは言ってたよ。ああ、蓮さんはどうしても外せない会議があるから、昼過ぎにアタシと交代したの。今は……午後三時十五分」
「……そっか……」
説明されれば、断片的な記憶のパーツが微かに瞬く。
病院で点滴を受けた記憶はある。今朝、病院からこのアパートに帰ってきたのは兄の車で……ロフト上にあったシングル布団を下ろしてきたのは兄じゃなかったか。今着ている部屋着は、ふらつきながら自分で着替えたもので……
あれ……? でも……昨日からずっと、傍にいたのは――
「ほら、これ飲んで。……まだ身体がキツいでしょ。こうしてクッションを……」
麻実に支えられて身体を起こせば、すかさず枕やらクッションやらを背にあてがってくれる。さらに、スポーツドリンクのキャップを自ら開けて、甲斐甲斐しく飲ませようとするので、葵はつい笑ってしまった。
生粋の末っ子である麻実は、病人の世話を焼く、という稀少な行為に一抹のあこがれを抱いていたようだ。
「聞いたよ。携帯がダメになったんだって? 宮崎に行ってたのもアタシ知らなくてさ。何日も前から葵と連絡がつかないからチョー心配した」
「……ごめん、麻実ちゃん」
「んふふ。許してあげる。……で、急遽イベントをやることが決まったから呼び戻されたってのも聞いた。ずいぶん大盛況だったらしいじゃん? 葵のことだから、忙しさでアドレナリン出しまくって、自分が発熱してることに気づかなかったんでしょ?」
「あー……まぁ」
まったくその通りである。
常に走っているような上気した感覚は、忙しすぎるせいだと思っていた。実際、あの場にいたスタッフ皆が、多かれ少なかれそんな状態だったのではないか。
再びペットボトルを口元にあてがおうとする麻実をやんわり断り、自分で冷たいスポーツドリンクをゆっくりと喉に流し込みながら、葵は己の身体を俯瞰してみた。
点滴が効いたのか薬のおかげか、昨日に比べればだいぶ楽だ。身体には気怠さが残るが、意識ははっきりしている。熱はさほど高くないはずだ。
ペットボトルに頬っぺたをくっつけて心地よい冷たさを味わっていると、葵を見守っていた麻実が急にしんみりとした顔になった。
「……濱野さん、亡くなったんだってね」
こくりと頷く葵の頭を、麻実は優しく撫でてくれる。
「蓮さんがね、『アーコレード』で開催される今回のイベントは、もしかしたらクロカワフーズが濱野さんへ向けた、弔い合戦なんじゃないか、って」
「うん……」
そうなのかもしれない。国武チーフはともかくとして、あの茂木顧問がわざわざ慧徳にやってきたことを考えれば、そういう意味合いが大きいのだろう。
しかし自分自身に関して言えば、昨日はそれどころではなかった。
濱野氏を思い出す暇がないほど、店は大盛況となったのだ。次々とひっきりなしに訪れる客を迎え入れもてなすことに必死で、余計なことを考える間など一切なかった。
……濱野さんに、薄情だと思われただろうか。それとも……
思いに沈む葵の頭を、麻実がポンポンと元気づけるように叩く。
「届いたと思うよ。葵やみんなの頑張りはさ。だって、四十度近い熱に気づかないほど、葵は楽しかったんでしょ?」
「……うん、楽しかった。私……昨日、本当に、楽しかった」
――仕事は楽しんだもの勝ちだよ、葵ちゃん。
脳裏に濱野氏の言葉が浮かんだのは、最後の客が帰り、柏木が本日の売り上げ見込みを声高に告げて皆の歓声が上がった時だ。
見ていてくれたかな、とサロンのポケットに忍ばせた写真を取り出した時、不意に身体が揺れて視界が暗くなって、そのままブラックアウトしたらしい。
……そういえば、あの写真はどこへ行ったのか……
「まったく、葵は昔っから本番に強すぎるんだよ。それで、後からその反動がドッと来るんだから。中学の時のテニス大会の後も熱出してぶっ倒れてたしさ。……あ、小学校のドッチボール縦割りクラスマッチの時も、優勝した次の日、インフルにかかってなかった?」
「……そんなこともあったね」
ずいぶん昔の話まで持ち出してくる幼馴染に、つい苦笑が漏れた。
しかし、昨日のことは笑い事じゃないだろう。迷惑をかけた上、今日も休んでしまっている。
急遽、前倒し決行となった昨日でさえ、あれだけの大盛況だったのだ。イベントが正式に始まる今日は、さらに輪をかけて客が詰めかけているのではないか。
「お店、大丈夫かな……」
ポツリと呟く葵に、麻実は、うーん、と唸る。
「アタシも店の前を通らず、直接ここに来ちゃったからなー。でも、ダメだよ葵。まだ熱があるんだし、せめて今日と明日くらいは休まないと」
麻実がメッと睨みを利かせた時、軽快なJ-POPの着信音が。
「えー。誰さ」と言いながら、麻実が身体を伸ばしてバッグを引き寄せ、携帯端末を取り出す。
画面を見るなり、ニヤリと笑んだように見えたのは気のせいか。
「――はいはーい、麻実です。……ええ、さっき目を覚ましたんですよー……うーん、まだ少し熱がありますね……、……え、そうなんですか……、……ダメですよ、まだ無理。葵には休息が必要です……、……はぁ? ……モンモンするならさっさと来ればいーじゃん。……あ、杉浦さんもそう思う? ……でしょー? うんうん……、……あっはは、わっかりましたー! じゃあ待ってまーす。……ヌフフ、そんなこと言われなくてもジャマしませんって……、……はいはーい、……じゃまたー」
通話が終わっても、麻実はなんだか意味ありげにほくそ笑んでいる。
「杉浦さん、だったの?」
「そ」と言った麻実は、もう一度、ヌフフと含み笑いながら勢いよく立ち上がった。
「さぁて、お薬もあることだし、なんか食べなきゃ! 待ってて! 麻実さんが特製おかゆを作ってあげる!」
「え……麻実ちゃんが……?」
密かに頬を引きつらせた葵をよそに、麻実はやけに上機嫌でキッチンへ向かった。
が、すぐにひょこっと顔だけ出す。その手にはレトルトのおかゆ。
「――葵ー、これって、このままレンチン、いけるー?」
……ダメです。
麻実が用意してくれたおかゆを食し、薬を飲んでシャワーを浴び、ひと心地ついたところで時刻はすでに夕方五時を回っていた。
「これ、地獄の出張ラッシュのお土産ね。 “お好み焼き煎餅” にするか “たこ焼き煎餅” にしようか、ちょー迷ったんだけど」
という割には満面のドヤ顔。渡された紙袋に入っていたのは “ソース焼き煎餅” ……なるほど。麻実らしい最終チョイスだ。
「あ、ごめん。私、宮崎のお土産、買ってない……」
頭にも浮かばなかった……というのが正直なところだけれど。
麻実が「そんなのいいってー」とカラカラ笑ったちょうどその時、玄関のチャイムがピンポンと鳴った。
それを聞くなり、パッと顔を輝かせた麻実が「よし」と立ち上がり、部屋の片隅に脱ぎっぱなしのコートをサッと広げて素早く着込む。
「杉浦さんがね、さっき電話で言ってたよ。黒河さん、今日は朝からそわそわイライラ……だったんだって」
「え……」
「昨日も、意識を失った葵を病院へ運び込む時、ずっと彼が抱きかかえてたんでしょ? なんか相当アセってたらしいよ? しかも一晩中、葵のそばに付きっきりで……ムフフ……じゃあね、ちゃんと休むんだよ!」
「あ、麻実ちゃん……」
引き止める間もなく、麻実はバッグを掴んでスキップするように部屋を出て行ってしまう。玄関のドアが開く音に次いで、何やら誰かと話す声。そしてすぐに玄関ドアの閉まる音。
しばしの後、部屋に入ってきたのは――
「黒河さん」
現れたのは白いシャツに真っ黒いスラックスの彼。
それが給仕服だとすぐにわかった。店を抜け出して来てくれたのだろうか。着替えることもせず。
「……大丈夫か」
侑司は真っ直ぐ、布団の上にいる葵の元へやってくると、床に膝をついて葵を覗き込んだ。彼についてきた冷たい外気がふわりと空気を揺らす。
途端に恥ずかしさがブアッとこみ上げた。化粧っ気のない顔とか、色気も可愛げもない部屋着とか。
「すみません……お店が大変な時に、ご迷惑をかけてしまって……」
もごもご言いながら顔を隠すように頭を下げれば、侑司は手に持っていたコートを無造作に置いて、躊躇いなく床に腰を下ろす。
葵のすぐ傍。距離が近い。心配そうな表情が間近にある。
「済まなかった。具合が悪かったんだろう? 熱があったのに気づけなかった」
「い、いえ、自分でも気づかなかったので……それより、病院に連れて行ってくれて、ありがとうございました」
倒れた時、遠くで侑司の声が聞こえた。そこから意識は途切れ途切れで覚束ないが、彼はずっと傍にいてくれた覚えがある。病院へ行く道中も、病院で診察を受ける時も点滴を受けている時も。
……肩を抱き、手を握ってくれた感触が、残っているから。
と、思わず彼の武骨な手に目をやってしまい、頬が熱くなった。……マズい、熱がぶり返しそうだ。
「あ、ああ、あの、お店は、大丈夫でしたか? 昨日より忙しかったんじゃ……」
「まぁな。このままいけば、売り上げは昨日よりさらに上がるだろう。でも皆がよくやってくれている。ヘルプも相当な数だ。……心配いらない」
侑司の話によると、今日のランチは昨日に引き続き国武チーフと茂木顧問が入り、杉浦も朝から入っているらしい。それに加えてフロアには麻布の穂積支配人と赤坂の若いフロア担当が一人、厨房には日比谷のサブチーフと汐留の若いコックが一人入ったそうだ。
ディナーにはまた何人かが交代で入ってくれるようで、侑司もこの後、店に戻るつもりだから人員的には不足なしだという。
「そうですか……よかった」
そう答えるも、自分が居なくても大丈夫だ、と言われれば、それはそれで少々複雑な気もするから勝手なものだ。あれだけ被害妄想に憑りつかれ、店に立つことが怖くて仕方がなかったのに、今は店に立てない自分がもどかしくてならない。
そんな葵の心中を宥めるかのように、侑司は他にも、ぽつぽつと店の様子を話してくれた。
今日は朝から、橘ちひろの熱狂的な大ファンだという客が一番乗りで入ってきたことや、何故こんなに行列ができているのかわからないまま律儀に並んでくれた常連の客のことなど。
それから、慧徳のアルバイトたちが予想以上の奮闘を見せていることや、ヘルプで入ってくれるスタッフから、とてもいい店だと感心の声が上がっていることも。
「国武チーフや綿貫チーフが、矢沢を褒めていた。是非本店に入れて、もっと伸ばしてやりたい、と」
「ふふ……それは嬉しいですね」
そう言えば、昨日一緒にフロアを回した坪井も、池谷や篠崎の機敏で的確な動きを見て「ホントにただのアルバイト?」と首を傾げていた。葵は自分のこと以上に誇らしく、鼻高々な気分になったものだ。
我知らず、ほぅ、と溜息が漏れ出てしまった。
聞けば聞くほどに店が恋しくなる。今すぐ飛んで行って店に立ちたい。
何より、来店してくれた客から与えられた充実感は、かつてないほど大きかった。
どれだけたくさんの「美味しかった」や「ごちそうさま」の言葉をいただいただろう。
何度、期待に満ちた顔がふわっと綻び、満足そうな笑顔に変わる瞬間を目にしただろう。
それらは最高の報酬だった。何物にも代えがたい至極の喜びだ。やはり自分はこの仕事が好きなのだと、改めて実感させられた瞬間でもあった。
「……明日は、出たいな」
ポツリと呟いた葵の言葉に、侑司の眼もとが和らいだ。
「……もう、大丈夫みたいだな」
そして、スラックスのポケットから取り出したものを葵に差し出す。
「あ」
例の写真だ。侑司が持っていてくれたのか。
「よかった……無くしてしまったのかと思いました」
ホッと安心しつつ、丁重な手つきで写真を受け取れば、侑司が眩しそうな眼で葵を見た。
「昨日のお前は……ずいぶん楽しそうだった」
それを言われると、やはりちょっと気恥ずかしい。怖気づいて逃げ出そうとした自分を、彼には知られている。
――でも、それでもいい。……黒河さんになら。
「はい。私、やっぱり仕事もみんなも、あのお店も大好きです。それがよくわかりました。……黒河さんとみんなのおかげです」
特に侑司には、感謝してもしきれないと思う。
わざわざ宮崎まで迎えに来てくれた。腕を引いて背中を押してくれたのは彼だ。
「あ、そうだ、黒河さん。この写真……焼き増しさせてもらってもいいですか?」
「あ……ああ」
「ふふ……ありがとうございます。お店の事務室に飾りたいなーと思って」
葵は目を細めて、写真を眺めた。
何故か見入ってしまう古き良き時代の面々。
亡き濱野氏だけじゃない。見れば見るほど不思議と心が和むのは、おそらくここに写る人々――昔の本店スタッフ皆から、信頼感だとか充足感だとか、結束力だとかが伝わってくるからなのかもしれない。
まさに理想の雰囲気だ。慧徳の店も、こんな風にありたいと思う。
……そうだ、うちも今度、みんなで写真を撮りたいな。
写真を見つめたまま、つい口元が綻ぶ。
ふと、視線を感じて目を上げると、侑司が葵を見ていた。
真っ直ぐ向けられた視線は、ドキッとさせる何かを孕んでいる。
「……辞めてしまうと思った」
「え……」
「俺のせいで、ずいぶん辛い思いをさせた……辞めたいと望むなら仕方がない、苦しいのなら解放してやるべきだと思った。でも……俺から離れていくと思うと……耐えがたかった」
深海のような色の瞳に、儚い光が揺らめいている。
「昨日、お前が倒れた瞬間……生きた心地がしなかった」
侑司の手が伸びて葵の頬に触れた。いつもは温かい手が今日は冷たく感じる。
「だから、手に入れることにした」
おもむろに身体が引き寄せられた。手に持った写真がはらりと舞う。
まるでそこが所定位置であるかのように、葵の身体は侑司の腕の中へ収まった。
シャツから仄かなミントが香る。さらに深く抱き寄せられて、ひんやりとした彼の頬が葵の頬に触れる。身体に伝わるのは、力強い彼の鼓動。
「俺は、お前が――」
――耳元で低く告げられた、たった三文字の、ありふれた告白の言葉。
こんな時なのに、自分の耳に録音機能が付いていればいいのに、と思ってしまった。きっとこの先、彼の口から二度と同じ言葉を聞くことはない気がする。
――だって、伝わる鼓動があり得ないほど大きい。こめかみに触れた彼の耳が、熱い。
笑ったつもりはないけれど、漏れ出た吐息が伝わったのか、抱きしめる腕に力がこもる。ちょっと息が苦しい。
「……黒河さん」
そろそろと腕を彼の背に回す。
初めは苦手な上司。やがて尊敬する上司。そして、信頼できる彼。いつも守ってくれる彼。
――いつの間にか、大好きな人。何よりも大切な人。
だから葵は、彼の耳に同じ言葉を返す。
「――私も、あなたが、大好きです」
ゆっくりと彼の腕の力が抜けていく。
彼の唇の感触を頬に感じた。次いで閉じた瞼に。そして――唇に。
ふわっと浮き上がりそうな感覚に目を開ける。
耳だけを妙に赤くした侑司は、離れそうになった葵の身体を再び引き寄せた。
「……まだ熱があるな」
ボソリと怒ったような声音。
葵は火照った熱を、彼の肩口に埋めた。
* * * * *
翌日、葵はディナーから店に立った。
あれから熱は急速に引いて、朝にはすっかり平熱に戻ったのだが、もう一日休めという侑司からの厳命、反して今すぐ店に出たいという葵の主張――その妥協点が、ディナーからの出勤となったわけだ。
休んでしまった一日半を取り戻すべく、葵はいよいよ精力的に客を迎え、もてなすことに全力を注いだ。
それから約二週間、あいだに水曜定休日は挟んだものの、来る日も来る日も店は大盛況であった。
聞けば、同じイベントを催した渋谷店と恵比寿店も、慧徳には及ばないものの、普段の三、四割増しの集客が続き、こちらも “大人のお子様ランチ” は大好評であったようだ。
元々二月は売り上げが全体的に落ち込む月ということもあって、今年の前年比率は三店舗共に、過去最高を記録するとみて間違いないだろう。
それに加えて、後から聞いた話だが、このイベントをきっかけに、社内全体を通して大きな変化がみられるようになったという。
毎日『櫻華亭』や『紫櫻庵』のスタッフ数名ずつが、入れ代わり立ち代わり『アーコレード』の三店舗にヘルプとして入ったのだが、最初は乗り気でなかったり、面倒がったりする者もいたようだ。
しかし日を追うごとに不満そうな顔は目に見えて減っていき、イベント終盤の頃には、ぜひ自分が、とヘルプを志願するスタッフが何人もいたという。
さらに興味深いことは、二月の売り上げが『アーコレード』のみならず、すべての店舗において伸び調子になったというのだから、今回のイベントは社内の活性化にも大きく貢献したのだろう。
侑司曰く、「社長の目論見通り」なのだそうだが、葵としては自分と同じように、このイベントが皆のモチベーションを少しでも上げるきっかけになったのだとすれば、それは喜ばしいことだと思った。
こうして “大人のお子様ランチ” フェアは終了した。
そのまま続行してもまだまだ集客につながりそうな勢いがあったのだが、ここは上の判断ですっぱり終了となり、その代わり、三月に行われる慧徳店の四周年記念ではまた、この “大人のお子様ランチ” フェアを開催すると決定された。
そして、二月の第三週水曜日。クロカワフーズ月定例会議。
午前の総会議において、黒河沙紀絵統括部長から、重大発表が下された。
――『櫻華亭』日比谷店、及び汐留店は、店舗移転につきホテルテナント撤退。
あくまでも移転であり閉店ではない、というその計画は、汐留店が二年以内、日比谷店が五年以内に決行される予定だという。
その大規模な事業計画に伴い、今後社内では大幅な人事異動が行われること。しかし社員個人の事情や希望を無視するつもりはなく、何かあれば遠慮なく申し出てほしいということ。
統括部長と共に人事を担当する徳永GMが、いくつかの補足説明を施した。
そして、最後に――
――二月当初から催された『アーコレード』でのイベントにおいて、私はすべての社員のプロ意識というものを多分に見ることができた。感謝すると同時に、皆を誇りに思う。
これからクロカワフーズは、新たな躍動期へ入るだろう。そして皆にも、少なからずの負担をかけることになるだろう。しかしながら、社員全員が手と手を取り合い、共に助け合い、個々の遣り甲斐を見出しながら、クロカワフーズのさらなる発展のために尽力してくれることを、私は心から信じている。
君たち社員一人一人が、クロカワフーズの宝であるということを、どうか忘れないでほしい――
――黒河紀生社長は慈愛の籠った眼で会議出席者全員を見渡し、そう締めくくった。
それから約二週間後。各店舗に四月一日付の人事異動における異動者リストが正式に発信された。
いまだかつてない人事大異動であるのは、列挙された異動者の数を見ても明白であった。
その最下部に載った “水奈瀬葵” の名。
葵は、『アーコレード』慧徳学園前店を離れることになった。
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