溺愛の花

一朶色葉

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番外編

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other1の続きではないのであしからず
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 大きく枝を広げる木々に、天頂から容赦ない日差しが降り注いでいる。
「すいませーん。団長、います?」
 控えめなノックとともに開いた扉から覗いた顔は見慣れないものだった。額に玉のような汗を滲ませて、僅かに呼吸が乱れている。まだ若い顔つきに、纏うは軍服を模した黒の服。膝に届くほど丈のある上着を腰の上あたりでベルトで縛り、上着の下から伸びる足もこれまた黒のスラックスで覆われている。軍靴も黒く、見ているだけで暑くなるその装いは──魔力持ちが溢れるファルノン帝国でも魔力量の多い精鋭が集まる魔導士師団の団服である。
 夏場ですら着崩しのないその格好に、ファイは憐れみを通り越して感動すら覚えた。
「いるわよ。でもとりあえず中入りなさい。冷気が逃げるから開けっ放しにしないでね」
 ファルノン帝国の夏はそれなりに厳しい。内陸の国であるがために風があまり吹かないのだ。日差しも強く、気まぐれで風が吹いたとしてもそれすら熱気を纏っている。
 一歩外に出ると地獄だ。日差しに肌を焼かれ、動かなくても噴き出る汗のせいで体がべたつく。陽が沈めば気温は些か落ちるものの、それでも空気の湿度が高いせいで不快指数は右肩上がりである。
 しかしそれも外に出れば、の話だ。国民の九割が魔力持ちであるこの国は、魔術の発展も凄まじい。魔力に反応して発動する使い捨て用の冷却術符が至るところで売られているおかげで、厳しい夏も室内は快適な温度に保てている。
 壁に貼った術符が青から赤へと変化しているものを剥がして新しいものに張り替え、寿命を迎えた術符をゴミ箱へ放ったファイは、扉の前に突っ立っている団員に呆れ声を出した。
「座っていいわよ。ナーシェ、紅茶出してあげて」
「はーい」
「それで、ノスコルグ師団長だったわね。いることにはいるけれど、今呼ぶのは得策じゃないわ」
「へっ・・・?」
 そわそわと落ち着きなく座った団員から間の抜けた声が飛び出した。ナーシェから恐縮しながら受け取ったハンカチで額と首筋を拭く傍ら、空いた片手でぱたぱたと顔を扇いでいる。白い手袋ははめたまま。クラバットも緩めることなく首に巻かれていて、見るからに暑い。
 先ほどここを訪れた彼の上司は、上着は脱いでしまっていたしクラバットは首にかかっているだけだった。シャツのボタンもふたつほど外されていて、手袋に至っては脱いだ上着のポケットに無造作に捻じ込まれていたのだ。
 その緩さの中で壮絶な色気を放っていたヴィスタは、どこかぐったりした顔で来るなり「ルレ借りるよ」といいながら隣の休憩室に一時間ほど前から引きこもってしまっている。
 おそらく仮眠でも取っているのだろう。
「誰かに呼んで来いって言われたの? 新人君」
「あ・・・え、あの、副団長に団長の判が必要な書類が溜まってるからって」
「なら待たせておきなさい」
「えっ。それは僕、怒られちゃうんですが」
「ノスコルグ師団長が起きてくるまでここで待っておけばいいのよ。起きてきたら一緒に戻ればいいだけの話だわ。ついさっき隣国から戻って来たばっかりなんだから少しくらい休ませてあげなさい」
「え。団長、昨日までファルノンにいなかったんですか?」
「・・・・・・何も聞いてないの?」
 きょとんとしている団員に、ファイは思わず眉間を揉んだ。トレイ片手に戻って来たナーシェが苦笑している。
「各国の御偉方が集まる夜会があるとかで先月の半ばから殿下と一緒にお隣のアルリグア王国に行ってたのよ。一ヶ月間団長が不在だったのに何も聞かされてなかったの?」
「所用で皇都リルグを離れてるっては聞いてましたけどまさかファルノンからも出てたとは思わなくて、てっきり故郷にでも里帰りしてるのかなーって。ほら団長、ついひと月前くらいに元鞘にもど・・・・・・ご結婚されたばかりじゃないですか」
「それならルレインも一緒に戻るはずでしょう・・・」
「それもそう、ですね・・・。ってあれ、団長って夫人からひと月も離れてられたんですか?」
「離れてた結果が今のこの状況ね」
「あっ」
 事情を察したように口を噤んだ彼に、思わず溜息が漏れる。
 ルレインと復縁して一週間と経たずに殿下の護衛として国外への出張を命じられたヴィスタの機嫌は、恐ろしいほどに悪かった。とても護衛とは思えないような、下手したら護衛対象を始末するための刺客のような目つきで舌打ちしていたのをファイは目撃している。実際に、ヴィスタを護衛に指名した当の殿下は脛に蹴りを喰らって涙目で薬室を訪れていた。
「ん? そう言えば殿下はどうして団長を指名したんですかね? 近衛とか騎士団とかいるじゃないですか。別に新婚の団長じゃなくてもよくないですか?」
「コア=ミグリオンなんかに任せてられないからじゃないですか?」
 騎士団、という単語にナーシェの眉間に皺が寄った。あからさまに棘の含まれた言葉にファイが眉をひそめる。
「なあに、ナーシェ。ミグリオン団長と何かあったの?」
「個人的な恨みです。詳細はまあ、また後で」
 にっこりと綺麗に笑って見せるナーシェに顔を引き攣らせたのはファイではなく新人魔導士のほうだった。彼は覚えているのだ、約一ヶ月前にあった騎士団との合同訓練で何があったのかを。あの時あの場で騎士団団長に制裁を加えたのは何を隠そう彼の上司だったが、手当てのために応援に入っていたナーシェがひどく激昂していたのも覚えている。
「まあノスコルグ師団長が護衛に指名されたのは十中八九、彼が諸国から恐れられているからでしょうね。牽制の意味も込めて連れて行ったんだと思うわよ」
「ああ『立てば嗜虐趣味野郎サディスト座れば悪魔』ってやつですか? でも僕、団長がそう言われてることにあまりピンと来ないんですよね。やらかしたら怖いですが基本的に団長って放任主義なんでそんな鬼畜外道なことあまりされたことないですし。おふたりだって話に聞いただけで団長が魔力でそう頻繁に誰かを潰してるの、見たことないでしょう?」
「頻繁に潰してたら潰してたで問題だと思いますよ」
 以前、騎士団団長が叩きのめされる様を目撃してしまったナーシェは明言できずに曖昧に笑うしかない。
「そもそもその噂って団長が入団した時からのものって聞いたんですけど、新人時代は荒れてたんですかね?」
「荒れてはなかったわよ。ただねぇ、なんというか・・・。火のない所に煙は立たないって言うようにね、悪魔とか鬼畜外道とかいうあだ名が出回ったのにも理由があるのよ」
 城入りに半年の差があるとは言え、ファイとヴィスタは同期にあたる。そして何より彼女は、彼が悪魔と噂される原因となった場面に遭遇していた。
 ヴィスタが入団したのは八年ほど前。当時まだ十三だった彼は、当然ながら今よりも幼く、さらに言えばその幼さゆえに中性的で整った顔立ちが可愛らしくも見えたのだ。背も今ほど高くはなく、顔も中性的──どちらかと言えば女の子のような顔立ちをしていたため、当然の如く性質の悪い先輩に絡まれた。
「入団初日にね、ウォズリトが魔術の研究対象として絡みに行ったんだけど、それはまだよかったのよ。問題はタイミングだった。その時どうやら面倒な先輩たちを撒いた直後だったみたいで、ウォズリトに足止めを喰らったせいでせっかく撒いたのに見つかっちゃったのよね。それでウォズリトもあの時から研究馬鹿って噂が広まってたからふたりして絡まれて、ノスコルグ師団長の堪忍袋の緒が切れちゃったの」
 能力が高いと噂されちやほやされて入ってきた後輩に、無駄に自尊心の高かった先輩たちは我慢ならなかったのだろう。「田舎者は田舎に帰ったらどうだ?」「そんな女みたいな顔で剣使えんのか」「ちびっこいよなー、本当に魔力高いのかよ?」などと散々嘲笑した挙句、何も言い返さないヴィスタに焦れた彼らはけしかけるつもりで魔力を発動させたのだ。
「あのときは本当に焦ったわ。さすがに精鋭が集められてるだけあって先輩魔導士の力も強くて、あのふたりの周りは火の海になった。周りで無関係決め込んでたひとたちもやりすぎだって思ったみたいで慌ててたんだけど、でも心配する必要はまったくなかったわね。・・・高波がね、起こったのよ。その先輩たちに向かって」
「へ? 高波? 城でですか?」
「そう」
 突如として大理石の床から溢れ出た大量の水は炎を瞬く間に消し去って、大きく波打ちながら先輩魔導士たちに襲い掛かった。波にさらわれて壁にしたたかに背を打ち付けた先輩魔導士たちにヴィスタは酷く冷めた目を向けていて。
「全身びしょ濡れで何が起こったのかわからずに茫然としてた先輩たちに彼、にっこり笑って言ったのよ」
 ──〝ちょうどここに魔術本を貸してくれるひとがいまして、俺も魔力変換魔術とやらに興味あったんです。火属性の先輩なら、炎、怖いわけないですよね〟
「うわぁ・・・」
 台詞の意図を読み取って、ナーシェと新人団員が引き攣った顔をする。
「それからよ、ノスコルグ師団長が鬼畜外道とか悪魔とか言われ出したの。容赦なく先輩たちを叩きのめしたっていうのもあるけど、彼の場合容姿が中性的で整っているっていうのもあって、その外見と行動の落差に噂が出回るのは遅くなかったわ」
 当時のファイもその慈悲のなさには開いた口が塞がらなかった。目の前で起こった下剋上が衝撃的すぎて、直前に受けたショックなどどこかに吹き飛んだくらいだ。
 さらに騒ぎを聞きつけた上司に対しての彼はしれっとこうのたまった。
 ──〝ぼやが起こったので迅速に消化活動に励みました。火種は消さないといけないでしょう? 火元の管理はきちんとしないと駄目ですよ〟
 僅か十三歳の子どもの強かさを目の当たりにした瞬間だった。



***



 ファルノン帝国の夏を乗り切るための道具はふたつある。
 ひとつは使い捨て用の安価な冷却術符。もうひとつは少しばかり値の張る水晶のような形をした温度調整用魔術具──こちらは通年で使えるため冷暖水晶という通称がつけられている。
 さて、この冷暖水晶には温度感知機能と自動調整機能という優れた機能がついている。つまり言ってみれば個々の体温や人口密度に合わせて部屋の温度を調整してくれるという夢の道具である。そして薬室の休憩室にはお手軽に温度を調整してくれる冷暖水晶が設置されていた。
(・・・・・・動けない)
 本来ならば少し肌寒さを感じるほどに冷気の放出された空間にあって、ルレインは全身を包む温もりに船を漕ぎそうになっていた。体調不良者が体を休めるために設けられている簡易式の寝台で横になりながら、ともすれば落ちてしまいそうになる瞼を気力で押し上げる。
(・・・ねむい、でも一応勤務時間中だから寝れない・・・・・・)
 少し上に視線を向ければ安らかな寝息を立てる中性的な相貌が視界に飛び込んでくる。がっつり背に回された腕としっかり搦められた脚によって身動きがまったくできない。
 およそひと月ぶりに見た幼馴染兼夫の顔に少しの懐かしさも感じないのは、例によって離れていたひと月の間水鏡でやりとりしていたからだろう。
 国外出張に出ていたはずのヴィスタが突如として薬室を襲来した一時間前を思い出して、ルレインは遠い目になった。
 ──一時間前。ルレインを含めた薬室勤めの薬剤師がいつも通りの日常勤務に励んでいたとき、何の合図もなく扉を開け放ったヴィスタはまるで彼女がどこにいるのか初めからわかっていたような足取りで書架の裏側に回りこんで来た。そこで書架整理をしていたルレインは腕を掴まれ引きずられ、目を白黒させている間にファイに許可を取った彼によって休憩室に引っ張り込まれた。
 帰って来ていたことに驚き、ひとまず「おかえりなさい」と声をかけようとした矢先、不意打ちで唇を奪われ抱きしめられ一切の抵抗を封じられて、気づいたときには抱きしめられた体勢のまま彼に抱え上げられていたのである。──まずここで、既視感を覚えて目が死んだ。何故彼は度々拉致魔と化すのだろうか。
 腰に巻き付いた腕に持ち上げられ足元を襲う浮遊感に下手に動けず、何処に行くのかと首を回してみればヴィスタが一直線に目指す先に簡易式寝台が見えた。寝台といえ簡易式。家にあるものに比べれば楽に移動させられるぶん軽くて硬い。
 勢いを殺さぬまま寝台に突っ込んでいくヴィスタに、体への衝撃を覚悟したが、結局のところ彼が下敷きになってくれたので痛みはなかったのだが。
 寝台に寝転んでぎゅうぎゅうに体を拘束され、さらに足まで搦めてくる彼にルレインが発した一言と言えば「・・・何がしたいの」である。
「眠い。だからルレ、抱き枕になって」
「私、今まだ勤務時間中なんですけども」
「薬室長に許可は貰ったよ。何も言ってこなかっただろ」
「・・・・・・」
 確かに言葉では何も言われなかったが、休憩室に引きずり込まれる直前にルレインが見たものは頬を紅潮させてにっこり笑顔で手を振るファイの姿である。その翡翠の眸は雄弁に「ごゆっくり」と語っていて。
(・・・たしか東国に『目は口ほどに物を言う』っていう言葉があったような)
 何の返答もできず口を噤めば五分と経たないうちにすうすうという寝息が聞こえて来た。それから一時間、拘束はまったく緩む気配を見せず今の状態に至っている。
 身動きを封じられているせいでやることがなく、さらに言うなら近くに安心できる低めの体温があるせいで眠くて眠くて仕方がない。それでもヴィスタはともかくルレインは一応、まだ仕事の時間帯である。
(もう起こしていいのかな。お迎え来てるみたいだし)
 つい先ほど隣室にひとの話声が増えた。別に防音というわけでもないので何となく会話の内容は聞こえている。
 回収人が来たのなら起こして大人しく引き渡すべきなのだろうが、寝台に寝転がるなり即寝したところを見ると起こしてもいいのか悩みどころである。
 出張に出るひと月前までは袖を捲るくらいで済んでいた着崩しだったが、さすがに今日の暑さには耐えられなかったらしい。クラバットは完全に解かれボタンも上からふたつ外されている。ポケットに手袋が捻じ込まれた上着にいたっては休憩室に入った途端床に捨てられていた。
 開襟しているせいで普段は見えない白い肌や鎖骨が曝け出されている。胸元に顔を埋めてみるといつもの匂いに混じって少しだけ汗の匂いがした。開いた襟の隙間から手を差し込んで鎖骨下の肌にぴとっと這わせてみる。来たとき汗を掻いていたから未だ僅かにしっとりと汗ばんでいた。
「・・・・・・色っぽいなぁ」
 中性的な美貌は破壊力が凄まじい。女よりも色気があるってどういうことだと思いながら呟けば、背に回っていた腕に力が込められた。
「ぐえっ。・・・・・・・・・起きたなら離して」
「まだねてる」
「寝言は寝てから言って」
「じゃあ寝言言うためにもう一回寝る」
「・・・・・・・・・」
 ああ言えばこう言うとはまさにこのこと。
 半目になりながら抵抗して力が僅かに緩んだのを見逃さずに起き上れば、同じように上体を起こしたヴィスタがのしかかってきた。
「・・・重い」
「んー」
 寝台に逆戻りしそうになるのも肘をついて阻止する。抗議の声をまったく気にせず首筋に顔を埋めてきた彼は、何を思ったのか、突然ルレインの服の襟を指で軽く引いて肌蹴させた。
「っ!?」
 ぎょっとして身を捩る。制止の声を上げる間もなく鎖骨の下に吸い付いた唇によって赤い花が咲き、意図せずして肩が跳ねた。
 体を支えていた腕から力が抜けそうになるのをすんでのところで持ちこたえる。そんなルレインを嘲笑うかのようにヴィスタの唇が鎖骨、首筋、耳へと軽く触れながら移動し、額をこつりと合わせた後──綺麗にふわりと微笑んだ。
 だがそんな笑みひとつに騙されるようなルレインではない。彼の目的を瞬時に察知して、さらに近づいてこようとするその口元を滑り込ませた手のひらで間一髪覆って防ぐ。
 次はヴィスタが半目になる番だった。
「・・・・・・なんで」
「なんでもなにも仕事中ってことわかってる?」
「えー」
「えー、じゃない」
 ヴィスタが喋るたびに吐息が手のひらをくすぐってくる。そのこそばゆさを堪えながら軽く睨むと、中性的な顔がぐぐっと近づいてきた。それを渾身の力で押し返せば、押し返したぶんだけまた顔が近づいてくる。
 ──しばしの攻防の後、先に白旗を上げたのはヴィスタのほうだった。最初は口元だけを覆っていたルレインの手が、しつこく迫ってくる綺麗な顔をほとんど鷲掴みにして押し返したからである。
「はぁ、わかった。唇は諦める」
「わかっていただけたようで何より・・・・・・ん? 〝唇は〟?」
 聞き返した瞬間、体にのしかかっていた重さが増した。支えきれず寝台に沈んだルレインを抱きしめて、つむじ、額、頬へと宣言通り唇を除いたいたるところにヴィスタの唇が触れてくる。
「ちょっとヴィスタ・・・!」
「ひと月ぶりのルレなんだ、あと十分は離れない。・・・だめ?」
「っ、・・・・・・だめ」
 眉を下げて眸を覗きこんで来た夫に一瞬絆されそうになった。
(ひと月ぶりなのはこっちだって一緒だし)
「お迎えが来てるよ」
 ぐらっと精神を揺さぶってくる捨てられた子犬のような目を見ないようにもぞもぞと寝返りを打って背を向ける。だめだと確かに言ったはずなのに腹に回った腕は解かれるどころかますますルレインの体を抱き込んだ。
「じゃああと五分。・・・ん、そういえばルレ。ひと月くらいのまとまった休み取ってほしいんだけど」
 思い出したような声音にルレインはひとつ瞬きをする。腹の上で組まれている腕のせいで後ろを振り向けない。
「ひと月?」
「そう。帰って来る途中で思い出したんだけど、母さんから顔見せに帰ってこいって手紙来てたんだよね」
「おば様から?」
「うん、だから一度故郷に帰ろうかと思って」
「帰る・・・」
 故郷にルレインの血縁はもういない。もともと彼女は物心ついた頃に祖父に引き取られた身だ。その祖父も数年前に他界している。
 悩むような素振りを見せる妻の髪を弄びながらヴィスタは欠伸を噛み殺した。
「父さんがなんか怒ってるらしんだよ。一回離婚したってこと言ってないから、あっちから見たら結婚して二ヶ月以上経ってるのに全然帰ってこないのはどういう料簡なんだ、だって。・・・あとルレの爺さんの墓参り、行きたいと思ってさ」
「うん、・・・わかった。ファイ室長に相談し───」
 逡巡のため伏し目だった視線を上げて頷き、視界に入った扉を見てルレインは固まる。
 仕切りのカーテンを使用していなかった寝台からは出入り口の扉がなんの障害もなく見える。──僅かに開いている扉は、たしか、ヴィスタが入室時にしっかり閉めていたはずで。
「・・・・・・ヴィスタ、扉、いつ開いたの」
「ついさっきだよ。手紙の話したとき」
「・・・なんで言わないの」
「仕事中のルレ借りたからそのお礼はすべきかなーって」
「なにその無駄な気遣い。───ファイ室長」
 ヴィスタの拘束を解きながら呼びかければ、そろりと扉の隙間から白金プラチナが覗いた。
「・・・話し声が聞こえたから起きたのかなーと思ったのよ」
「申し訳なさそうな声出すなら顔もちゃんと付随させてください。にやけてますよ」
「本当、自分の欲求に素直だよね。ファイ殿」
「当たり前よ、私はノスコルグ夫妻あなたたち愛好者ファンだもの!」
 控えめに開いていた扉を開け放って入ってきた彼女は胸を張って訳の分からないことを言い始めた。起き上ったルレインの目から生気が消える。
 やれやれと言わんばかりに息を吐き出して寝台を離れ、床に落としていた上着を拾ったヴィスタはにっこりと口元に笑みを張り付けた。
「ウォズリトに対してもそれくらい素直になればいいのに」
「・・・ノスコルグ師団長単体はまっったく可愛げがないのに、ノスコルグ夫妻になると可愛く見えるのは何故かしらね?」
「ルレが可愛いからでしょ」
 ファイの嫌味をものともせず、それどころかさらりと惚気を吐き出すヴィスタに頬が引き攣った。そんな彼女から早々に視線を外した彼は、扉の向こう側で僅かに顔を赤くしている部下を見つけてげんなりした声を出す。
「それで、お前は何しに来たの」
「あ、団長! 副団長がお呼びですよ! なんでも団長の判が必要な書類が溜まってるとか」
「俺ついさっき戻ったばっかりなんだけど、帰っていいかな」
「ダメです。ついでに僕、戻るのが遅いって怒られちゃうと思うので一緒に怒られるか庇ってください」
 情けない部下の懇願を聞き流しながら仕事に戻っていくヴィスタを見送って、ルレインは疲労を滲ませた溜息を吐き出した。ついでに零れそうになる欠伸を噛み殺す。
(だめだ、ねむい。・・・あ、でも今日は安眠できそう)
 ──何せ、ここひと月離れていた低めの体温が今夜からまた隣りに戻ってくるのだから。
 すっかり白衣に移ってしまっている夫の匂いについつい口元が綻んでしまったのは、ここだけの話である。




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