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第5章
26 もしも願いが叶うならば
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もしも。
私が、私の意思を通したことであなたを傷つけてしまったのなら、私はその手を離すべきではなかった。その手をとって、新しく生き直すべきだったのかもしれない。
この世界で、あなたと一緒に。
もしも。
私が、うんとせがんで駄々をこねて、がむしゃらにしがみついてあなたを困らせていたら、事態は変わっていたのだろうか。
私の意思を通したことであなたを傷つけてしまったのなら、私はその手を離すべきではなかった。家族の為と言い、自分のことしか考えてなかった。もっと周りを見ていれば、あなたの苦しむ姿や泣く姿を見ずに済んだ。
もっとあなたを求めて、名前を呼んで、その手をとって、新しく生き直すべきだったのかもしれない。
あなたと、一緒に。
かき消された記憶を上書きして、新たに生きる。
あなたの枷にならないように、糧になれる存在になりたい。
あなたの、そして私自身の。
*
「お客様の様子を見に行っていいかしら」
ニーナは同僚にそう告げて、人だかりの輪の中から抜け出した。
ニーナは神殿の女官の1人だ。シャドウやマリーと同じように孤児として神殿に引き取られて育てられた。歳はマリーより少し上で、落ち着きのある控えめな女性だ。髪は長く、色素の薄い色をしていた。左右を編み込み、残りの髪はひとつに束ねた。手足は長く華奢で、美人だと評判だ。神殿では、広報活動を任されていた。仕事内容は、礼拝に来る信者を出迎えたり、神殿の歴史を紹介したり、宿舎の手入れなど様々だ。今もマリー目当てに押し寄せて来ている村人達の対応に追われていた。何日経っても人々の列は絶えない。村人も神殿人にも疲労の色が出てきていた。中庭から一階のスペースは村人達に解放し、軽めの食事や飲み物を配ったが、数は減るどころか増えるばかりで貯蔵庫の食料も補充をしないと底がついてしまいそうだった。夜も居座られるので寝具類も貸し出している。宿舎には、礼拝者と村人が共に休んでいた。
神殿人は一息つく間もない。食事どころか腰を下ろす場所もないのだ。
そんな重労働の最中、ニーナは客人の看護を理由にして、こっそりと抜け出した。
新しい着替えと包帯と食事を持ち、客人が眠る部屋を訪れた。客人の世話を買って出ていたソインとは入れ違いになったようで、すでに着替えも包帯も替えられていた。
ニーナは持って来た荷物を机に置いた。調度品は机とランプとベッド。簡素な部屋に客人は横たわっていた。
「…シャ…ドウ?」
何十年ぶりだろうか。
子ども時代を共に生きてきた。年上で無口でクールな男の子。普段はマリーの世話につきっきりだったけれど、神官修行の真っ白な衣装が一番良く似合っていて素敵だった。しゃんとした真っ直ぐな姿勢が目に焼き付いていた。
憧れていた。好意ももちろんあったが、私はただの下級生の1人だった。緊張してあまり話せた記憶がない。
それでも想いを告げようと気持ちをしたためたこともあったが、突然のシャドウの追放宣言により、神殿内は騒然となった。それを機に大人達の監視の目はより一層強まった。気軽に男女で会話をしたり、出かけることさえ禁じられたのだ。
理由を問い詰めると皆口々に「シャドウのせいだ」と罵ったのだ。つい先日まで、シャドウは良い神官になると持て囃していたというのに。急激な対応の変化についていけなかったのを子ども心に覚えていた。
あれから十数年経ち、今は別の事情で神殿内は大慌てだ。まさかこんなタイミングで、シャドウに再会できるとは思わなかった。しかもこんなに傷だらけの酷い有様でだなんて…。
ニーナはシャドウを覗き込んだ。昔とはだいぶ顔も体つきが変わっていた。がっしりとした骨格に筋肉がつき、髪もずいぶん伸びた。背も高い。だが、精悍な顔はやつれて、悲壮感が漂っていた。
「…シャドウ」
ニーナはベッドの縁に腰を下ろし、包帯が巻かれた指先に自分の手を重ねた。
包帯越しに伝わってくる体温を感じて目を閉じた。
夢を見た。
「雪!」
暗闇の中でこちらに背を向けた雪がいた。声をかけても反応がない。駆け寄って手を伸ばしても、空を切るばかりで何も掴めるものはなかった。風に揺れる髪の毛と白い服が体の輪郭をぼんやりと映し出していた。
「雪!俺は、お前が望むようにしてやりたかった!元の世界に戻りたいと言うのなら、いくらでも手助けをしてやる!」
行く道を示すことが仕事だった。
「お前の意思を曲げることはしたくないが…でも、出来ることなら、お前を失いたくない!…離れたくない。…一緒にいてくれ!頼む」
「…頼むから」
シャドウは何度も訴えた。不器用でたどたどしい愛の言葉は、蹴つまずいて膝を崩し、床に突っ伏した。普段なら絶対に口に出さない言葉も夢の中なら何度でも言えた。
みっともなく、踠いて泣き叫んでもいくらでも言えた。縋るような強い想い。そこには恥も外聞もない。
「雪…」
何度も空をかいた。その場にいるはずなのに、いくら距離を詰めてもシャドウと雪の間は縮まることはなかった。
顔も見えない。ただ、寂しそうな後ろ姿。儚げで、脆く、今にもかき消さされそうだった。
「…チドリを責めきれなかったことを怒っているのか?お前をこんな形で失うことになるなんて思ってもいなかったんだ」
「許してくれはとは言えない。ディルにも愛想つかれた。お前を助けたいと望んでいたのに、傷ついたのはお前ばかりで…俺は何もできなかった!」
守ると誓うばかりで何も得られなかった。何も捨てられなかった。
シャドウは情けないと頭を抱えた。
「どうしたらいい?お前に触れるにはどうしたらいいんだ?」
白く霞みがかってきた背中に向かってシャドウは声を上げた。
今、この場でどうにかしないと対処出来なくなる。何故だか不意にそう思った。
「雪!」
何故、あの時、手を離したのか。
何故、ひとりにしてしまったのか。
なぜなぜと繰り返しても答えは出ない。
「…お前をひとりにしたくないんだ!!」
両手を伸ばして雪を抱きしめようとするが、悪寒に近い身震いが全身を覆った。
戦闘の負荷で体の傷が骨を軋む。ミシミシと何かが侵略して来る音が耳元で響いた。抵抗しようにも指先ひとつ動かせなかった。蔦の蔓が体に巻き付いてきた。
マリーが見せた幻覚か?暴走か?俺はマリーにも許されていないのか?
シャドウは全身を覆い尽くそうとしている蔓にがんじがらめにされた。解こうと試みても、神経を圧迫されてうまく動けなかった。動けば動くほど体に巻き付いてきた。
己れの心の弱さと甘さを痛感した。大事にすればするほど、俺から遠ざかっていく。結果はついてこない。失ったものはもう元には戻らない。
許されるわけがない。俺はまた罪を重ねただけだ。許されずとも償いたいとは思う。どうすればいいのか。
本当にもう終わりなのか?このまま、雪は消えたままなのか?影を抜かれた影付きはどうなったのか?
シャドウは体は動かずとも心の中で葛藤しながら叫んだ。
「…雪」
うわごとのように呟かれた名前に、ニーナは顔を上げた。聞き覚えのない女性の名前に、重ねていた手を離してしまった。呟きと共に流れ出た涙に、何も言えなくなってしまった。後ろ髪を引かれながらも、ニーナは部屋から出た。しばらく佇むも、振り返らずに階下に戻った。
考えるのは雪のことばかりだ。初めて出会った時から、怖がらせて不安がらせて危険な目にばかり遭わせてきた。
弱々しくも、頼りなさげでも諦めない。それでいて、他者の心配を欠かさず、優しく接する。自分を過小評価していたのは気になるが、決して曲げない精神力もある。
雪は最後まで諦めなかった。だから俺もその意思を継ぐべきだ。それが別れに繋がる道だとしても。
「…やはりそうなるのか?」
触れたいと思った時はもう遅い。
シャドウは自分が出した答えに納得ができずにいた。
共に生きる道を選ぶ方法はないのか?
雪の想いに反した希望に、シャドウはまた頭を抱えた。
大事な人の願いを叶えたいのは至極当然な事だ。
己れの願いを突き通すのは我儘な事だ。
折り合いをつけるべきだ。それが分別のある大人だ。
「…」
頭ではわかっていても、それが雪の為になるとはどうしても答えられなかった。雪の為というよりは俺の為だ。俺の願いだ。
我儘なのも身勝手なのもわかりきっている。二度とない機会なら、このまま気持ちを貫きたい。
もう二度と離れたくないとシャドウは強く願った。
はっとして目が覚めた。体を締め付けていた痛みも解けていた。暗闇はどこにもなく、日中の日差しが部屋の中に差し込んでいた。
「必ずお前を迎えに行く」
振り返させる。
もう一度、誓いを立てた。
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