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第2部 第1章
11 迷い子達 (1)
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ムジが村に着いたところ、広場の周りには大勢の人が集まっていた。
ちらほら旅装束がいるものの、大半はどうもいつもと様子が違う。
「…戻りか?珍しいなぁ」
戻りとは、森の国境を越境してきた旅人が、街から再び戻って来ること。この村は一方通行で通過していく旅人が多いので、戻って来る客は珍しかった。
「あら、あなた。いたの?」
ふくよかな体型の女性が、人だかりを前に悩まし気なポーズを決めていた。
「ヲリ」
ムジの奥方のヲリは、腕組みをしていた指先を顎に当てた。ふう、とため息が漏れた。元芸妓のヲリは、佇まいから華があり、人を魅了させた。現役の頃と比べて贅肉は付いたが、ため息でさえ色気を漂わせた。
ちらちらとこちらを見ては、頬を赤らめている旅人が数人いた。
「今しがた」とだけ告げ、ヲリと同じ方向を見つめた。
後ろに付いていた獣人の男は茂みに隠れた。
「有難い人数ではあるけどねぇ」
ヲリは、あの団体客が来たら支度が大変だわぁとぼやいた。嬉しい悲鳴の裏側は、いつだってバタバタだ。
「…森から来る客を招く方が多いからな」
大世帯の旅団を前にムジは低く唸った。80か90。それ以上か。旅人というか甲冑を纏う姿は武人だ。隊列を崩さず歩く姿は武人そのものだ。
戦の跡だと思わせる傷ついた鎧姿は、物々しい雰囲気を醸し出していた。
「変な匂いがするわね」
ヲリは鼻をツンと刺す匂いに顔をしかめた。
「よせ。そんな風に顔に出すな。何か事情があるんだろう」
失礼だと諭すようにムジはヲリの鼻先を指で払った。
ヲリが顔をしかめるのは無理もない。湿った血生臭さがそこらじゅうから感じられた。
まるで戦場にでも行ってきた後かと懸念する。血と焦げた肉の匂いだ。あと生臭さ。まさに今捌いてきたかのような新鮮さも相まって最悪だった。
彼らに背を向けた獣人の気持ちがよくわかる。人間より嗅覚が強い獣人は、これほどまでにむせ返る匂いからは逃げ出したくなって当然だ。
ムジは、「こちらでお待ちください」と男に告げ、水筒を手渡した。男は先ほどのキアと同じくらい青ざめた顔をしていた。
そうだ、キアのことを忘れていた。ムジは振り返り森の中を見た。姿が見えるはずもないが、目を細めて探してしまう。ひどく辛そうにしていたが大丈夫だろうか。アンジェの薬を飲んでいるはずだから心配はいらないか?気にはなるが、今すぐこの場を離れることは難しかった。ムジはむうと低く唸った。
この村での争いごとは御法度だ。村と森を統治する主神のたっての願いが安穏な暮らしだ。それを妨げることは絶対に侵してはならない。しかも、その主神の番が体調不良でぶっ倒れた。このまま放置していたら、俺がドヤされる。
ムジは、人だかりと森とを交互に見た。
にしたってタイミングが悪過ぎる。ムジは空を見上げて月を探した。消えかけている細い影に、さらに焦りが出た。新月になれば森は封鎖される。事情を知らない旅人が入ればたまったものじゃない。
「とにかく、連中と話をしてくる。返答によっては門所にも連絡を。門所を抜けた客をも迎えていたら、とてもじゃないけど部屋が足りないからな」
立地の悪いナユタの宿でさえ使うことになるだろう。
ヲリは、ええと頷き、側にいた従業員にそのことを伝えた。
「あと、ナユタとアドルを連れ戻せ」
人手が足りないのは否めない。
実際のところ、そこで待てと言われてもついついその場を離れてしまうのはよくあることだ。目先のものに興味が出てしまう。迷子のあるあるだ。
気分が落ち着き、余裕ができたせいか足取りも幾分楽になった。キアは道なりに歩いた。鬱蒼とした木々の間から、わずかに溢れる太陽の光を頼りにトコトコと進んだ。
道には草花の印影がぼんやりと写っていた。肌寒い。裾の隙間から風が入ってきた。
念のためにと持って来ていたストールを肩に掛けた。淡い紫色をしたストール。庭先に咲いたユーリアの花で染めたとナノハが言っていた。
草花は目で愛でるだけでなく、食用にしたり、染め粉にしたり、工芸品にしたりと用途がたくさんあるのよと楽しそうに話していた。
ナノハは、宿屋の仕事や庭先の手入れだけでなく、手先の器用さもある。キアは本当に何でもできる人だと感心した。
私は、掃除や洗濯など瑣末な手伝いしかできないから、羨ましいとぼやいていたら、「キアは子どもの面倒見がいい。ずいぶん慣れてるように見えるよ」と言われた。
子守について得意だと考えたことはない。子どもを産んだという感覚もない。ただ、子どもは好きだなと思う。
思えば、アーシャは泣き虫で癇癪持ちで子守は大変よと言われたけれど、出会ったその日のうちに、遊んで食事をして寝かしつけた。
子どもの行動は毎日変わる。何が好きで何が嫌いかは日によって違う。気分屋のアーシャについて行けず、今までの子守役はお手上げ状態だった。
でも、そんなことはよくあることだろうと思っていた。初めて会う者同士なのだから、状況が変われば行動も違う。大人だって戸惑うこともある。
その場の雰囲気に敏感なのは子どもの方だ。なら、大人がその状況に合わせればいいだけのこと。
自分の考えを押し付けずに、受け入れればいいだけのことだ。
いきなりダッシュとか、虫を投げ込まれたりするのは骨が折れるけれど、大抵のことは対応できた。
子どもの目線で見る世界は、何もかもが新鮮で真新しかった。
記憶のない私にとっては、アーシャとの時間は学校の授業のようで、とても楽しくて、いい勉強になった。
「そうやって対応できることがキアのすごいところ」とナノハとナユタが褒めてくれた。母親だって我が子の世話は大変だ。誰かに任せたいと思うこともある。
記憶がなくても出来ることはあると認めてくれたのが一番嬉しい。自信を持っていいんだと背中を押してくれた。
「うちは子どもがいないから、子守というのは本や人づてに見聞きしたことしかできないんだよ。柔軟に対応が出来るということは大したものだよ」
「できないことが多いなら、できるようにしてみようか。草木染めに興味があるなら、教えてあげるよ」
できないと嘆いてばかりでなく、経験をしてみるのも大事だ。見識を深めていけば、必ず自分の武器になる。
キアは村に戻ったら、草木染めをナノハに教えてもらおうと決めた。
心の靄がひとつ晴れた気がした。パッと開いて煙のように消える。簡単に何でも消えればいいけれど、体の奥底に沈んだ重苦しい靄は、姿さえ見えないが、今もずっと蔓延っている。
踠いて、縺れて、ひっくり返って、のたまう姿を誰かが笑っているのだろう。
そう考えると怒りが込み上げて来るが、焦ってばかりではどうにもならないのだ。
ため息。
そして深呼吸。
心の中で分身達がああしろ、こうしろと会議をしていた。それらに蓋をして、今は目の前の事に目を向けよう。
キアは目を閉じて深呼吸を二度繰り返した。風の音、虫の声、水の流れ、体のあらゆる器官でキャッチした音にしばらく耳を傾けた。
森の静けさが心を穏やかにしてくれた。
目を開けて、森の奥へと続く道を見た。門所まで、ひたすら直進しろとだけ言って村に戻ってしまったムジ。すぐ戻ると言ったけれどまだ来る気配がない。門所にはナユタ達がいるはずだ。キアは時折後ろを振り返るも迷わず前に歩んだ。
鼻の脇がむず痒い。指先で擦ると小さな蜘蛛が自分の糸に絡まってジタバタしていた。枝の先から伝って来たのだろう。
以前の私なら、ひぃぃと奇声を上げていただろうが、アーシャとの生活でだいぶ耐性がついた。彼は虫好きで、捕まえては宿で放し、ナユタとナノハに怒られていた。その都度、一緒に探して野に放つ。
そのせいか、蜘蛛のような小虫ならなんとも思わなくなった。
キアは草木の葉に蜘蛛を乗せた。手助けは無用のようだ。草の葉に糸を括り付けて器用に外していた。その姿を見て気合いが入る。
「よし。私もがんばろう」
一歩。また一歩と進んだ。気合いをよそに、空から降って来た鳥の羽ばたきと甲高い声で、次の一歩は妨げられた。
「えっ、何?何?」
数メートル先の道の斜面に、鳥の巣が引っかかっていた。落ちた時の衝撃だろうか。巣はおよそ3分の2ほど壊れてひしゃげていた。中には雛が一羽いた。落ちた衝撃で羽根の向きがおかしい。頭と尾っぽのみ赤色で、全身は黒羽で覆われていた。この鳥は確か…
キアは頭をひねった。
「そうだ。確か…」
王仕鳥だ。あの時出てきた王様の名前は、今は出て来ない。
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