大人のためのファンタジア

深水 酉

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第2章

8 港の夜

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 ドエドに案内所の二階に部屋を用意してもらった。書類作成には時間がいるという。く気持ちはあったものの、久しぶりに屋根のある場所で眠れるという安堵感と、熱い湯に体を沈めた時の体じゅうからの解放感に、気持ちにゆとりが生まれた。
 少し休むか。
 「いい湯だった。ありがとう」
 ほっこり茹で上がった体は、真新しい寝間着で包んだ。頭髪も久しぶりに全部洗い、スッキリした。
 「あら。いい男がますます男前になった」
 マヌエラは笑顔でシャドウを迎えた。シャドウは気恥ずかしくてタオルで顔を隠した。
 「ふふふ。お酒にする?お食事にする?それとも~」
 マヌエラは身を屈め、お盆に乗せた料理が入った皿をシャドウの前に出した。釜茹で小魚のおろし和えと海藻と貝の酒蒸しと活魚の刺身。
 「うちの人が釣ってきたものよ。遠慮せずどうぞ!」
 漁師でもあるドエドの自慢の料理だとご満悦だ。
 ドエドは料理もでき、マヌエラよりずっと上手だという。
 「お酒はメリメリよ。十年物!お兄さんいい男だからサービスしちゃう」
 メリメリは赤と白い実の果実だ。色別に蒸してから実を潰す。そこから抽出された果汁を長い時間をかけて寝かせて酒を作る。この辺りでは有名だった。
 「…やめろ」
 瓶に入ったメリメリは光に反射して、鮮やかな金色をしていた。
 「魚によく合うのよ」
 グラスに酒を注ごうとするマヌエラの手を制止した。
 「酒は飲めん」
 「え~そうなの~?意っ外~!」
 でもでも、これを飲まないともったいない!限定だよとマヌエラはしつこくシャドウを誘った。
 騒がしいなと厨房からドエドが顔を出した。マヌエラは酒好きが高じて、下戸とわかっている相手でもつい酒を勧めてしまうという悪い癖がある。ドエドはいつものかと頭を抱え、すまないねとシャドウに両手を合わせた。
 シャドウは、ドエドは妻には頭が上がらないのかと諦めたようにため息をついた。仲が良すぎるのも如何なるものかとぼやいた。
 「…魚も生で食べるんだな」
 地方に来て驚くことはたくさんあった。食事の方法がだいぶ違った。
 そもそもシャドウは魚貝類を食べる習慣がなかった。王都でも周りは森だらけで、肉や野菜を食べることが多かった。神殿に至っては、肉や魚を食べることは全くなく、野菜や果実を中心に食事をしていた。
 「新鮮だから刺身で出せるんだ。脂が乗ってうまいぜ。でも生が嫌なら、焼いたり煮たりもできるよ」
 ドエドの説明を聞くも、シャドウは箸が伸びない。脂のりの良さは認めるが、どうにも食欲が沸かなかった。身を開いて切り出した肉をそのまま口に入れるのは、少々躊躇いがあった。だが、せっかくのもてなしを邪険にしてはならないと、調理法を変えてもらうことにした。
 「兄さんが食えるようなうまいやつ作ってやるよ!」
 ドエドは刺身の皿を下げた。
 「悪いな」
 「お安い御用だ!」
 ドエドはいきいきした顔つきで厨房に戻って行った。厨房からは、調理の音や、料理人たちの声がわあわあと聞こえた。ひっきりなしに厨房から料理が運ばれて来る。みんな魚介類だ。何の魚か、貝か、見たことがない物が皿の上に乗せられて客の元に運ばれていった。シャドウは周りを見回した。店の中は客で埋め尽くされていた。
 「ずいぶん繁盛しているんだな」
 隣の席に配膳に来た店員に声をかけた。
 「ええ!おかげさまで毎日大繁盛です!!ドエドさんの料理が評判のお店なんです」
 女性店員は笑顔で答えた。
 「ほう」
 シャドウは、店の外にまで客の列があるのを見た。見慣れない料理に気後れしていたが、先に運ばれていた海藻と蒸し貝を口に運んだ。肉厚な海藻と、貝の旨み成分が煮汁に溢れていて、スープを飲み干した。
「…うまい」
「でしょう!!みんなおいしいのでたくさん食べてくださいね!」

 「今日はずいぶんとにぎやかだね」
 シャドウのふたつ席をあけたとなりに、外套を着たままの客が来た。右手には杖。左手には小さな手提げ袋。外套のフードの下からはみ出した毛は夕焼けに似た赤朱色。注文表を手にした指先には年波を感じた。小柄な風体の女性だった。一瞬だけ、店の中の喧騒が止んだ。
 「あら、エマ。いらっしゃい。今日は何にする?」
 マヌエラの一言で再び喧騒に戻った
 「貝の網焼きと小魚の丸揚げを」
 「はーい」
 常連客のようだった。マヌエラは気さくに声をかけ、ドエドも厨房からひょこっと顔を出した。
 「いらっしゃい。エマ。あんたが考案した料理は評判が良いよ。手間暇がかからないから、こっちは大助かりだ」
 「そうかい。そりゃ嬉しい限りだね。ドエドの捌きも上々じゃないか。魚の身を傷つけずに捌くから新鮮さも保つ。魚や貝ってのは、下手にあれこれ味付けするより、魚本来の味を楽しむものだ」
 素材そのものの味を食す。味付けや薬味はほんの少しでいい。
 エマの前に置かれた焼き網の上で、貝の蓋がパカッと開いた。ぷりぷりっとした肉厚の身に調味料を一滴、ニ滴。
 「さあ。これだこれだ」
 エマは貝をつまみ上げ、煮汁と共に身を口の中に入れた。
 「うん。うまい」
 エマは満足気に貝を頬張った。
 「さあ。魚も揚がったよ。兄さんも熱いうちに食べてよ」
 ドエドはエマとシャドウの前に料理を出した。エマのは小魚を丸ごと揚げたもの。
 シャドウのは、一口大に切った身に薄く衣を付けて揚げたものだった。
 「塩を少し振るといいよ」
 エマはシャドウの前に塩が入った器を置いた。
 「あ、ああ」
 姿形が変わっても魚は魚だ。
 シャドウはエマとドエドを交互に見ながら、恐る恐る口に運んだ。
 サクッと薄い衣が弾け、中身はふわふわな食感だった。気休めにかけた塩が良いアクセントになっていた。初めて食べる魚の味は、驚くほどしなやかで、かつ弾力があり、ほろほろと溶けた。
 「どうよ?兄さん。お味は?」
 「…うまい」
 シャドウは口を開けた途端、その一言が出た。
 「よっしゃー!」
 ドエドはガッツポーズをして大喜びをした。
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