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第1部 第1章
5 試練の森-2
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目玉の追撃を交わして森をひとつ抜けた。正確にはまだスタートではない。入口を開けたにすぎない。
次の森まで小休止だ。小さな小川のある岸辺にシャドウとディルは腰を下ろした。
雪を肩から下ろし、木に寄り掛からせた。服はボロボロで切り傷やら擦り傷で埋められていた。
「呪がかけられているな」
シャドウは雪の顎を上げて喉元に顔を近づけた。痣のように黒ずんでいる箇所に唇を近づけ、
「汝 縛を解き放て」
早口で唱えた。大抵の呪いは解ける言葉だ。王からの任務を遂行させる為に、王から賜った呪文だ。呪いを解くにも呪い。あまり有効な手立てではないが、それでもこれで雪の声は出るだろう。
雪を草の上に寝かせ、傷の上に消毒と止血の葉を落としテープを貼った。傷が多すぎて応急処置も一苦労だ。シャドウは火を焚き、魔除けの葉も一緒に燃やした。灰色の煙が3人を囲む。結界だ。シャドウは荷物の中から残りの包帯と薬を出した。気休めにしかならなくても止血だけでも施さないとこの先には進めない。
「薬湯を」
作るから水を汲んでくれないか?とディルの方を向いた。が、
「そんなものより」
さっき聞こえたんだよね~とディルはニヤニヤしながら横たわる雪の上に跨った。ディルには心の声を読む能力があった。四本足が牢屋の柱のように雪を挟む。
「おい…」
シャドウは頭を抱え込む。ディルの次なる行動が手に取るようにわかるからだ。
長い舌を出して雪の頬をベロンと舐めた。
「ショック療法。この方が早いだろ。おーい起きろよ。朝だぞー」
う、ううん…
雪の瞼がピクピクと動いた。
全身の痛みが酷いけれど、なんだろう喉に引っかかった棘が取れたみたいですっきりしている。
雪はゆっくりと目を開けた。眼前にハアハアと息遣いが聞こえた。切れ長の瞳と流れるような美しい毛並みに、大きく裂ける口。赤い舌の先から唾液が滴り落ちた。
「…お前を食ってやろうか?」
ディルの凄味に雪は一瞬固まるが、すぐさま大声を張り上げた。
「ギャー!イヤー!犬ー!!」
体を仰け反りバタバタと四つん這いに走った。手当てしたばかりの膝の包帯にまた血が滲み出た。
「くぅーー、はっはっは!いい反応だなぁ。まだまだやれそうだなぁ」
ディルはパタパタと尻尾を振ってニヒヒヒと笑った。
「犬が喋った!犬が!いやっ動いた!あっ!あっ!私、声が出た!」
シャドウは雪が目を覚ましたことに安堵した。ディルに対して、恐れおののく反応の良さや声が出るようになったことにホッとした。呪いが解けた事を確認して頷き、忙しないなとぼやいた。
雪の慌てふためく姿にディルはニヤニヤしつつ、シャドウを振り返った。
ぼくの言った通りじゃない?と自慢気に笑った。
「…悪ふざけもほどほどにしとけよ」
犬と言われるのが一番毛嫌いしているのは他ならぬディルなのだ。なのに何故このような行動を取るのかが未だにわからない。
「まあまあ、ぼくのことはいいじゃない。この人、まだ続きがあるんだろ?」
「…そうだな」
シャドウの言わんがしてることは重々承知だよ。ディルはシャドウの横に座った。相棒らしく。
「時間がない」
おい、とシャドウは雪に向いた。木の影に隠れていた雪に薬草を煎じたものを渡した。
「これ、なんですか?」
胡桃色の濁った液体。これをどうしろと?まさか飲めとは言わないよね?変な匂いがするし何か浮いてるし。
(それにこの人達は誰?さっきの声の人だとは思うけど…)
雪は不審な面持ちでシャドウを見た。今まで見たことかないタイプの人だった。長い手足に長髪。逞しい体格に波動を感じる。あと隣にいるディルとかいう犬?喋る犬って何?私一体どんな夢を見てるのだろう。こんなの欲してないよ?
「夜が明けるまでにこの森から出なければならない。ぐずぐずしてる暇はないぞ」
シャドウは荷物を片付けながら話した。包帯も薬草も底がついた。
「森って…あの森?」
雪はつい先刻までギョロ目玉に襲われていたのを思い出した。ざあっと寒気が起きた。
またあんなところに行かなきゃいけないの?そんなの嫌だ!
「嫌です!あんな怖いところ行きたくない」
雪はシャドウを突っぱねた。踵を返してシャドウに背を向けた。視界を上げると、空と地面との距離を広く感じた。境界線がないみたい。焚き火のおかげでほんのりと明るいだけであとは闇色一色だ。
四方八方に森がある。この場所は吹き溜まりみたいで木は少なく小川が流れていた。行く先に森。振り返っても森。逃げ場がない!
「行かなければお前は一生ここに漂うことになるぞ」
シャドウは「影付き」の話を始めた。「影付き」として来た以上は全ての未練を断ち切ってこの世界の住人にならなければならない。
「影付き?た、漂うって何がですか?」
雪にはさっぱり何のことかわからなかった。
「いずれ影を抜かれ、あいつらと同じになるということだ」
(あの青白い炎?人魂?まさか目玉の?)
雪はシャドウの話を全く理解できなかったが、黙ってもいられなかった。でも何を聞いていいか分からない。分からないところが多すぎて何を聞いていいか混乱するばかりだった。
「本来ならばお前自身で森を抜けなければならんが、その足では無理だろう。いざという時は補佐をしてやる」
足元を見ると両足に包帯がぐるぐる巻かれていて、地下足袋のようなものを履かされていた。お父さんが畑作業をする時に履いていたものだ。懐かしい。大きくて指先が余る。
「あの、あれは何?私はどうしてこんな場所にいるの?これは夢なの?私どうしたらいいの?」
雪は口を開いた。分からないことだらけだが、うやむやにはしたくない。たとえ夢であってもだ。こんなストーリーがある夢なんて初めてだ。夢だけど意味があることかもしれない。疲労感や痛みは全身に感じるけれど、あんな恐怖から目を覚ましたい。
「…夢から覚めてもお前の行き場はない。元には戻れない」
「…どういう意味ですか?」
ああ、この人は私の身にあったことを言っているんだ。
夢オチで片付けてもまるで意味がないと。お得意の都合のいいところだけ切り取るのかと。そんな自分は嫌だと私が思っていると気づいているんだ。でも怖くて足が動かないのも事実なのよ。
シャドウは雪の表情を読み取った。沈痛な面持ちで袖の端を握りしめて黙り込んでしまった。これは試練だ。この先を生きていくための課題なんだ。逃げるな。逃げても事実は変わらない!
シャドウは自分が犯した罪の深さに飲まれぬよう、自分にも言い聞かせるよう呟いた。
「いいか?森に入っても決して奴らと目を合わすな。口もきくな。会話をしたら取り込まれるぞ。名前を呼ばれても振り返るな。ただひたすら歩き、森を抜けろ」
こちらの世界では影のない者と会話は禁止されていた。
「…さっきみたいな怖いのは出てくる?」
答えるに躊躇したが誤魔化しても意味がないのはよくわかっているはずだ。
「あれはお前の未練だ。お前の心残りや後悔の念だ。消化できずにこちらに来てしまったんだな」
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確かに歴代の「影付き」はすべてを清算して送られて来るのもあまり例がない。
心の奥にしまわれた想いまでは見透せはしないということか。
「…あなたは誰なの?」
シャドウの言葉に雪は唇を噛み締めた。当てはまることがあり過ぎて不安になった。
私にはまだやり残して来たことがたくさんある。
「無事に森から出られたら教えてやる」
シャドウは右手を差し出し、雪の手を取った。握り締められた手に緊張感が走った
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