大人のためのファンタジア

深水 酉

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第2章

4 ナイトメア

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 あ、
 目が覚めちゃった。
 普段より早く寝ると必ず夜中に起きてしまう。朝までまだあるはず。このまま起き上がらずに目を閉じればまた眠れるはずだ。
 雪は自分に語りかけながら目を閉じた。真っ暗で何も見えてないはずなのに、瞼の奥で幾何学模様の点線が動いているように見えた。見えないはずのものが見える。なんとも気持ちの悪い現象だ。
 雪は起き上がりシャドウとディルの間を抜けて、外套の上に毛布を被りテントの外に出た。
 「寒っぅ」
 昼間は耐え難い程の灼熱世界に対し、夜は夜で極寒だ。
 今まで蓄積していた体温があっという間に奪い去られてしまった。砂漠の海に。
 「ふっ、はぁ。…すごいきれい」
 奪われたのは体温だけじゃない。頭上に広がる深い夜空に瞬く星々に魂を抜かれそうだった。
 「ひゃー、すごいすごい!あ!流れ星!」
 いくつものシューティングスターに雪はうっとりと眺めていた。
 「いいなぁ。きれいだなぁ」
 こんな満天の星空の下では私の悩みなど、なんてちっぽけなんだろう。バカバカしい…
 「…とは思わないけどね」
 比べる規模が違うわ。こっちだって切実だ。
 私一人で悩んでも答えは出ないままなんだけどさ。
 雪は砂の上に寝転び、両腕を広げた。
 私が帰ることを望んでも、待っててくれる人はいるのかな。
 だいたい今、何時何分何十秒?今日何曜日?この世界に来て何日経ってる?
 ここでは時間と曜日の概念がないから、時間の経過がわからない。
 以前、森の中で見た美紅ちゃんの記憶の中では、私が退社してから数ヶ月が経っていた。そうだ、会社に退職手続きの書類を提出してない。郵送でいいからと言われたけどやってない。アパートの家賃も携帯電話代も振り込んでない!こういう時の為の口座振替なんだろうけど、切替が面倒でずっとコンビニ精算のままだ。面倒くてもやるべきだったな。
 「あと、実家に送金…」
 毎月三万~五万を振り込んでいた。芳くん達に使ってとお父さんの口座に。ちゃんと管理しているか心配だな。そもそも気がついてる?
 お父さんは農業に掛り切りでその他のことにはほとんど関心がない。家族がバラバラになっても何にも言わない。
 お母さんも元気にしてるかな?
 二カ月に一度くらいメールが来るけど、「元気?」「仕事が忙しい」「体に気をつけて」「お母さんもね」こんな感じで終わる。毎回同じテンプレート。仲が悪いわけではないけど、特別に話すこともない。
 「…どうしてるかな。みんな」
 私がいなくて心配してくれてる?
 雪は溜息をつきながら呟いた。

 「お前を待っている者などいない」
 不意に耳元で囁かれた言葉に反応して、雪はすぐに起き上がった。ぞくっとした。咄嗟に掴んだ砂が爪の間には無数に入り込んだ。前にも同じ声を聞いた。
 どこで?
 そうだ、レアシスさんと話していた時だ。王城で。この旅の出発前夜だ。
 「誰なの!?」
 雪は何枚も着込んだ服の下からレアシスから貰った石のネックレスを取り出した。魔除けにもなるという石を目の高さまで持ち上げて辺りを警戒した。石はぼんやりと足元を照らす程の光がついた。

 「教えてあげるよ」
 声だけが耳元に囁いてくる。雪は耳を引っ掻くように払いのけた。光のついた石を掲げても人影も何も見えなかった。ただ、声だけが雪を惑わす。
 「おいで。みんなの声を聞かせてあげるから」
 「おいで」
 声だけが雪を支配する。
 操り人形のように手足が一緒に動く。一歩二歩とだいぶぎごちない。
 待って、テントから離れちゃう。シャドウさんにもディルさんにも声をかけてない。外に出る時は一言かけろと言われている。雪は口を動かすが、音が出てこない。あの森の中のように声を封じられてしまっていた。
 ただ「おいで」の単語にだけ体が反応した。勝手に動かされて、恐怖に満ち溢れているはずなのに、みんなの本音が聞きたいと期待で胸がざわついているのも確かな感覚だった。
 人の本音などそうそう聞けるものでもない。自分が周りにどう思われているか、確かめたい気持ちは誰もが持つ。
 今がそのチャンスなら恐怖におののいている場合ではない。
 額から滲み出る汗が目に染みる。私は元の世界に帰るべきか。それともこの世界で生き直すべきか。自分で答えが出ないのであれば、他力本願でも仕方がない。納得するにはまだ早い気もするが、それも手のうちだ。
 「…お前はおもしろいね。おもしろいやつは大好きだよ」
 声の主は、雪の考えを読み取り、声を頬から首筋にかけて滑るように這わせた。輪郭や耳朶をなぶるように風が通り過ぎた。

 
 「……」
  シャドウもまた、暗闇の中で目を覚ました。子どもの頃の夢を見ていたような、なんとなくの記憶が残っていた。
 懐かしさと複雑な想いを抱えては憂いを帯びた顔をした。あの頃を羨むような気に何度も引き戻されそうになるも、振り払うように何度か瞬きをした。
 次第に暗闇の中でも目が慣れて来た。丸くなって眠るディルと、そのディルの毛皮目当てに寄り添って眠る雪の姿がなかった。
 雪がいたとされる場所を触るが既に冷たくなっていた。
 だいぶ前にいなくなったとみえる。
 「ディル、起きろ」
 シャドウはテントの出入り口に顔を近づけ、外を窺うように目だけを動かした。
 「うう~ん、なんだよ。まだ夜じゃないか」
 「雪がいない」
 「…花でも摘んでるんじゃないの?まだ寝かせてよ」
 緊張感が走るシャドウとは対照的に、ディルは睡魔に勝てそうにない。片目を開けてシャドウを見るが、すぐに閉じてしまった。
 「外を見てくる。警戒は解くなよ」
 シャドウはディルを残し、外に出た。
 ディルはふわああと大きなあくびをした。過保護なやつだなと内心思いながら、前足に力を込めてう~んと伸びをした。
 「まったく世話のかかるやつだ」
 ディルは鼻先だけテントの外に出した。いつもと変わらない冷えた風が鼻先をかすめる。こんな風が昼間に吹けばいいのにとぼやいた。
 外に出ると雪とシャドウの足跡を見つけた。足跡は砂漠と森の境を沿うように続いていた。砂漠化とはいえ、少しは木々がまだ残っていた。
 そこに入ったなら用足しだろう。帰り道に迷ったとかだろ?林とはいえ鬱蒼と生い茂っている訳ではない。木々の隙間から向こう側が見える度合いだ。暗闇で足を取られたか。結構鈍臭いからなぁ。あいつ。
 ディルは、さして心配をする風でもなくのんびりと構えていた。が、一歩踏み出した途端に舞台が変わった。砂漠でも森でもない世界。
 「…ん?誰かの場に入ったな。嫌な臭いだ」
 空気が変わった。髭の先がピリリと動く。地面を踏みしめている感覚がない。空中を歩いているようだ。視界は青緑色で沼の底みたいだ。生臭く、生き物が腐食したような濁りが見えた。
 「こんな場を作るのはあいつしかいないじゃないか!」
 また変なのに引っかかりやがって!
 ディルは雪の顔を思い出しながら悪態をついた。



 「ちょっと待ってよ!」
 何度となく口を動かしたが、声は発することなく闇夜に消えた。雪を招く声だけが闇夜に浮かぶ。
 もうずいぶんと歩かされた。野営していた場所からはだいぶ遠い。ちゃんとテントに帰れるか不安になった。
 雪は己れの浅はかさにようやく気がつき、またシャドウとディルに迷惑をかけると頭を抱えた。
 「ククク」
 声は嘲笑した。雪の考えなど全てお見通しだ。
 「犬二匹従えて、かしづかれて良い気分だろう。この世界なら、おまえを受け入れてくれるぞ」
 マリオネットの糸が両手両足に絡みつき乱雑に引き上げては地面に叩きつけられた。鈍い音がした。地面は砂漠より固く、砂利状だった。
 雪は顎の下を打ち付けて切り傷を負った。血が滲み出した。肘や膝。打ち付けた場所は全てに傷を追った。痛みは現実で、じわじわと全身に広がっていった。
 「ククク。ほうら見えてきた。よく見ろ。あれが水鏡だ」
 空間を裂いて、別のものが現れた。勢いよく渦のように中心が巻かれ、その中心に透明な部分を見つけた。あれが水鏡というものだろうか。鏡というなら姿が写るはず。今の状態を見たい。
 雪は拘束されたままの体を引きづるように、水鏡に体を近づけたが、傷の痛みで思うようには動けなかった。
 動けない雪を声の主は嘲笑う。次第に灰黒い靄が人型に形成されていった。作り出された空間と一体化していて、個体としていない。人間の形をした靄だ。触れたりは出来なさそうだ。靄は雪の背後に周り体を持ち上げた。見えない力で体が浮き上がる。
 雪は体を捻り、拘束された糸から逃げ出そうと試みるが鉄のワイヤーのように強張った糸は切れそうにない。
 「んんー!んんー!」
 閉ざされた口からは呻き声しか出ない。眼前に広がるのは、人一人容易たやすく飲み込めるほどに空いた鏡だ。鏡とはいえ平らなものではない。水面だ。水の波紋がいくつも見えた。
 「落ちる!!」
 体が前のめりになって頭が下に向いていた。もう何の手立てがない。踏ん張る地面も、しがみつく腕も、助けを呼ぶ声も。
 「!!」
 声にならない声を叫んだ。浅はかな行動を悔やんでも悔やみきれない。私は抗うことも許されないのか。
「汝  いましめを解放せよ!」
 風が吹いた。聞き慣れた声で紡がれた呪文は、瞬く間に雪の周りを囲み爆風を起こした。
 「シャドウさん!」
 爆風の中、声と体の拘束が解けた。雪は、両腕を広げ助けに来てくれたシャドウにしがみついた。
 「無事だな」
 シャドウは探し当てた仲間の無事に安堵し、雪の背中を支えた。傷は多少はあるものの大事には至らなさそうだ。シャドウは雪の背中をさする。肩を上下に震わせ、呼吸が定まらず脈が早鐘を打っている。
 「落ち着け」
 シャドウの声に、雪は脳内に荒立つ海面を思い浮かべた。いくつもの波が岩礁を乗り上げる。目を瞑る。心も瞑る。次第に冷静さを取り戻していく。
 子どもの頃から、痛みやパニックになった時の精神統一法だ。波は自分。
 「落ち着け、落ち着け」
 自分でも呟く。
 肩の震えが収まるのを確認し、シャドウは雪から手を離した。
 一度、二度と深呼吸。
 だいぶ落ち着いた。
 「すみませんでした…」
 真っ青な顔をして頭を下げる雪に、シャドウは安堵だけで何も言わなかった。
 「こんのバカカス!!ナイトメアなんかに引っかかりやがって!」
 ひと吠えしてやって来たディルは、雪を噛み付く勢いで耳元で牙を剥いた。


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