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第3章
1 疑心暗鬼
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或る男の言葉がある。
「我が領土欲する者は魂を置いていけ」
男の言葉は続く。
「魂の記憶を辿ればいずれお前に還る」
*
「呼んだか?」
シャドウは振り返り、ディルに声をかけた。
「呼んでない」とディルはかぶりを振る。
「そうか」とシャドウ。
しばらくしてまた「呼んだか?」と問う。
「呼んでないって。さっきから何だよ。幻聴か?シャドウも歳食ったからな!」
こんなやりとりは今日だけでもう五、六回繰り返していた。その都度ディルは声を荒げ、激高していた。ディルのこんな態度はらしくなかった。
いつもならこんな素人漫才など、笑い飛ばして終わりだったのに今日はやけに構う。シャドウのボケが度を超していて、普段は感じられない焦りみたいなものが垣間見れたからかもしれない。
雪の行方がわからなくなってから、ゆうに二日が経っていた。その間、二人は市場から離れて近隣を捜し回っていた。時には二手に分かれ、また時には市場の商人達にも手を借りた。
「若い娘を見ていないか?歳は22。背丈は中ぐらいで髪の色は黒で肩ぐらいだ。国賓の赤いチョーカーをつけている」
国賓のことはなるべく隠しておきたかったが、非常事態なので仕方がない。目印になるものが他になかったのだ。
「…レスがくれた魔除け石から何か見えないかよ」
レアシスの猫の目は未来視ができる。遠く離れた場所からでも、魔除け石を通して監視することも可能だ。
「今、レスに連絡するのは得策ではない。事が事だ。ヴァリウスに知られては面倒だ」
王の客人が行方不明と知られては、城も黙ってはない。追随したシャドウとディルにも責任を問われるはずだ。
「罰が怖いのかよ」
「そうじゃない。市場の商人達にも迷惑がかかる。捜索に手を貸してもらっているのに懲罰になるなんて割りに合わないだろう」
損得勘定で生きている商人達にとってはありがた迷惑だ。
「くそっ」
ディルは砂の山を蹴り飛ばした。
「何でいないんだよ!あのクソバカ女!」
商人達との喧嘩の際に、自分が食い止めるからシャドウを呼べと雪に告げて別れたきりだ。あの時、手を離さなければこんなことにはならなかった。自分が盾になることで危険を回避できる得策だと思っていたからだ。
「…ぼくのせいだ」
ディルは首を下げた。うなだれた体は所在無くて、いつもの威勢のいい姿からはかけ離れていた。
「そう自分を責めるな…」
シャドウはそれ以上のかける言葉が見つからなかった。
「…雪と別れた場所に戻ってみよう。何か手がかりがあるかもしれん」
シャドウはディルの肩を宥めるように手を置いた。うんと俯くディルの瞳には今にも溢れ落ちそうな涙の膜が見えた。
現場は市場から出て数百メートル先のあたりだった。側に干上がった川があった。無数の砂利とゴツゴツした岩場がいくつかあるが、身を潜めるような高さはなかった。せいぜい腰を下ろして一休みするぐらいだ。
「川には下りてないはずだよ。この先を一直線に走って行ったから」
指を指した方向を見た。周りには何もない砂原が延々と続いていた。
「そうだな。野営のテントを張ってたのはこの辺りだな」
道から少し外れた路肩に岩場を背にして日陰になるように張っていた。
「あの時はまだ二日酔いだったろ?ぼくら出かける時にはまだ寝てたもんね」
「…そうだな。お前達が出て行ったのは気がつかなかった。昼頃目覚めて、やっと起き上がれたぐらいだからな」
二人が戻ってきたらすぐに出発できるようにテントは片付けた。しばらく待ったが戻ってくる気配がないので市場に出向いた。
「市場まで一本道だから途中会うことも予測はできた。案の定、出会えたしな」
二人のうち一人のみ、だが。
ディルは溜息をつきながら髪の毛をかきむしる。
シャドウはディルを横目に捉えたまま、地面に膝をついた。無数の足跡の中に駱駝の足跡を見つけた。一頭分だ。どこから来たのか定かではないが、しばらく行った先でUターンしていた。
戻ってきた足跡の先に市場の入り口が見えた。市場は横一列に並び、出入り口は前後にあり必ず通らなければ行き来ができない。
駱駝は商人達の大事な足だ。荷物の運搬には必須だ。ただ、一頭だけで来るものだろうか?荷物の運搬に何頭も連れ歩くのが普通だろう。
「商人か?」
商人が雪を連れ去ったのか?ディルと喧嘩をしていた奴らとは別人が。チョーカーを狙った犯行か?にしても王の持ち物を手に入れたところで、売ればすぐに足がつく。それにチョーカーだけが狙いなら雪は必要ないはずだ。引っぺがして奪い取ればいいだけの話。雪諸共となると、話が変わって来る。雪を「影付き」だと知る者の犯行か?
影付きを手に入れれば国家は安泰とそう言われ続けて来たが、実際どうするのかは知らない。森に迷い込んだ者達を王に引き合わせるまでが仕事だ。引き合わせた後のことは知らないままだな。とシャドウは不意に思った。
「…ディル」
「なに」
「影付きのその先を知っているか?」
「…過去を消して生き直すってやつだろ?」
「過去を消すというのは具体的にどうやるんだ?呪術師でも呼ぶのだろうか。それとも医者とか。催眠療法とかかな」
「知らないよ。そんなこと」
ディルは怪訝な目つきでシャドウを見つめた。今はそんなことより雪を探すのが先決だろと言わんばかりの目だ。
架せられた重すぎる未練。過去。重圧。それらのものを肩から下ろしてみないかと囁かれたら、息苦しく生きて来た者達にとっては救いの声と言って喜んで耳を傾けるだろう。そうして救われた者達は晴れて新しい人生のやり直しができる。
だが、囁いた方は?こちら側には何のメリットがあるんだ?国家の安泰にどう繋がるのだろうか?
シャドウは腕組みをしながら悩みだした。眉間に何層も皺が集まり、塊ができていた。
「何か良い案でもあるのかよ」
ディルが痺れを切らして怒鳴りつけて来た。焦りが止まらないままだ。
「いや。…あ、待て」
シャドウは砂の中に麻袋の紐を見つけた。ごく一般な麻袋だ。荷物を入れる為に誰でも使う物だ。げんにシャドウもディルの荷物の中にもある。だから珍しい物でも何でもないのだが、それを触った瞬間に、問題視していた事柄が次々と頭に浮かんだ。
連れ去られた商人達。咲かない花。神殿の奇行。国家の安泰。影付き。。
「雪…?」
脳裏に映ったのは、チドリが乗っていた駱駝の背に積まれた麻袋。中にいたのは黒髪の…。
「まさか」
シャドウはふらふらと走り出した。砂に足を取られて膝をついてしまった。
「なんだよ、急に。大丈夫か?」
ディルは駆け寄り手を差し出した。その手は使わずにふらつきながらシャドウは立ち上がった。震える指も、うるさいくらいに鳴る心臓の早鐘も叩きつけた。怒気も衝動も抑えきれない。
「…神殿に行くぞ」
踏みしめた足跡が地面に色濃く形を残した。
**
今日もまた歌声が聞こえる。決して上手くはないけど、元気一杯に響く声。
咲かない花を咲かす為の歌。歌で咲く花とは珍しい。おとぎ話みたいだ。いや、この世界こそがおとぎ話か。本の中では囚われのお姫様は王子様に助け出されてめでたしめでたしとなるはずだから、あの子の助けはきっと来る。
けど、私は。
私には助けは、きっと来ないだろうな。だって、今まで会って来た人はみんなこの世界の人だし。みんな安泰を望むよね。私を使って、みんながハッピー。自己犠牲でみんながハッピー。
「…望んでないっつーの」
独り言もひとり。
昔なら、大事な人(家族)を守れるなら自己犠牲も厭わないと思ったことはあるけれど、国家なんてバカでかい物を救おうとか救えるとかは考えられない。悪いけど。私の記憶なんて大したことない。
「“過去や未練を消して生き直せ”ってこういうことか…」
弱ってる人間捕まえて、救済とかそれっぽいこと言って、必要事項を奪いとったあとは最終的には生き埋めか。
「…バカにして」
花なんか咲かなければいい。いっそのこと根っこごと引っこ抜いてやろうか。結婚式などぶっ潰してやりたい。
雪は立ち上がり石の壁を殴りつけた。鎖も何度も引きちぎろうとした。無駄だとわかっていても諦めることはできなかった。無駄死になどまっぴらだ。左足首にある忌々しいタトゥーにも何度も爪を立てた。血に滲む爪も、破れた皮膚も、枯らした声も、何もかもが無駄だとは思いたくなかった。
「シャドウさん…、ディルさん…」
二人を呼ぶ声も、無駄だと思いたくなかった。
或る男の言葉がある。
「我が領土欲する者は魂を置いていけ」
男の言葉は続く。
「魂の記憶を辿ればいずれお前に還る」
*
「呼んだか?」
シャドウは振り返り、ディルに声をかけた。
「呼んでない」とディルはかぶりを振る。
「そうか」とシャドウ。
しばらくしてまた「呼んだか?」と問う。
「呼んでないって。さっきから何だよ。幻聴か?シャドウも歳食ったからな!」
こんなやりとりは今日だけでもう五、六回繰り返していた。その都度ディルは声を荒げ、激高していた。ディルのこんな態度はらしくなかった。
いつもならこんな素人漫才など、笑い飛ばして終わりだったのに今日はやけに構う。シャドウのボケが度を超していて、普段は感じられない焦りみたいなものが垣間見れたからかもしれない。
雪の行方がわからなくなってから、ゆうに二日が経っていた。その間、二人は市場から離れて近隣を捜し回っていた。時には二手に分かれ、また時には市場の商人達にも手を借りた。
「若い娘を見ていないか?歳は22。背丈は中ぐらいで髪の色は黒で肩ぐらいだ。国賓の赤いチョーカーをつけている」
国賓のことはなるべく隠しておきたかったが、非常事態なので仕方がない。目印になるものが他になかったのだ。
「…レスがくれた魔除け石から何か見えないかよ」
レアシスの猫の目は未来視ができる。遠く離れた場所からでも、魔除け石を通して監視することも可能だ。
「今、レスに連絡するのは得策ではない。事が事だ。ヴァリウスに知られては面倒だ」
王の客人が行方不明と知られては、城も黙ってはない。追随したシャドウとディルにも責任を問われるはずだ。
「罰が怖いのかよ」
「そうじゃない。市場の商人達にも迷惑がかかる。捜索に手を貸してもらっているのに懲罰になるなんて割りに合わないだろう」
損得勘定で生きている商人達にとってはありがた迷惑だ。
「くそっ」
ディルは砂の山を蹴り飛ばした。
「何でいないんだよ!あのクソバカ女!」
商人達との喧嘩の際に、自分が食い止めるからシャドウを呼べと雪に告げて別れたきりだ。あの時、手を離さなければこんなことにはならなかった。自分が盾になることで危険を回避できる得策だと思っていたからだ。
「…ぼくのせいだ」
ディルは首を下げた。うなだれた体は所在無くて、いつもの威勢のいい姿からはかけ離れていた。
「そう自分を責めるな…」
シャドウはそれ以上のかける言葉が見つからなかった。
「…雪と別れた場所に戻ってみよう。何か手がかりがあるかもしれん」
シャドウはディルの肩を宥めるように手を置いた。うんと俯くディルの瞳には今にも溢れ落ちそうな涙の膜が見えた。
現場は市場から出て数百メートル先のあたりだった。側に干上がった川があった。無数の砂利とゴツゴツした岩場がいくつかあるが、身を潜めるような高さはなかった。せいぜい腰を下ろして一休みするぐらいだ。
「川には下りてないはずだよ。この先を一直線に走って行ったから」
指を指した方向を見た。周りには何もない砂原が延々と続いていた。
「そうだな。野営のテントを張ってたのはこの辺りだな」
道から少し外れた路肩に岩場を背にして日陰になるように張っていた。
「あの時はまだ二日酔いだったろ?ぼくら出かける時にはまだ寝てたもんね」
「…そうだな。お前達が出て行ったのは気がつかなかった。昼頃目覚めて、やっと起き上がれたぐらいだからな」
二人が戻ってきたらすぐに出発できるようにテントは片付けた。しばらく待ったが戻ってくる気配がないので市場に出向いた。
「市場まで一本道だから途中会うことも予測はできた。案の定、出会えたしな」
二人のうち一人のみ、だが。
ディルは溜息をつきながら髪の毛をかきむしる。
シャドウはディルを横目に捉えたまま、地面に膝をついた。無数の足跡の中に駱駝の足跡を見つけた。一頭分だ。どこから来たのか定かではないが、しばらく行った先でUターンしていた。
戻ってきた足跡の先に市場の入り口が見えた。市場は横一列に並び、出入り口は前後にあり必ず通らなければ行き来ができない。
駱駝は商人達の大事な足だ。荷物の運搬には必須だ。ただ、一頭だけで来るものだろうか?荷物の運搬に何頭も連れ歩くのが普通だろう。
「商人か?」
商人が雪を連れ去ったのか?ディルと喧嘩をしていた奴らとは別人が。チョーカーを狙った犯行か?にしても王の持ち物を手に入れたところで、売ればすぐに足がつく。それにチョーカーだけが狙いなら雪は必要ないはずだ。引っぺがして奪い取ればいいだけの話。雪諸共となると、話が変わって来る。雪を「影付き」だと知る者の犯行か?
影付きを手に入れれば国家は安泰とそう言われ続けて来たが、実際どうするのかは知らない。森に迷い込んだ者達を王に引き合わせるまでが仕事だ。引き合わせた後のことは知らないままだな。とシャドウは不意に思った。
「…ディル」
「なに」
「影付きのその先を知っているか?」
「…過去を消して生き直すってやつだろ?」
「過去を消すというのは具体的にどうやるんだ?呪術師でも呼ぶのだろうか。それとも医者とか。催眠療法とかかな」
「知らないよ。そんなこと」
ディルは怪訝な目つきでシャドウを見つめた。今はそんなことより雪を探すのが先決だろと言わんばかりの目だ。
架せられた重すぎる未練。過去。重圧。それらのものを肩から下ろしてみないかと囁かれたら、息苦しく生きて来た者達にとっては救いの声と言って喜んで耳を傾けるだろう。そうして救われた者達は晴れて新しい人生のやり直しができる。
だが、囁いた方は?こちら側には何のメリットがあるんだ?国家の安泰にどう繋がるのだろうか?
シャドウは腕組みをしながら悩みだした。眉間に何層も皺が集まり、塊ができていた。
「何か良い案でもあるのかよ」
ディルが痺れを切らして怒鳴りつけて来た。焦りが止まらないままだ。
「いや。…あ、待て」
シャドウは砂の中に麻袋の紐を見つけた。ごく一般な麻袋だ。荷物を入れる為に誰でも使う物だ。げんにシャドウもディルの荷物の中にもある。だから珍しい物でも何でもないのだが、それを触った瞬間に、問題視していた事柄が次々と頭に浮かんだ。
連れ去られた商人達。咲かない花。神殿の奇行。国家の安泰。影付き。。
「雪…?」
脳裏に映ったのは、チドリが乗っていた駱駝の背に積まれた麻袋。中にいたのは黒髪の…。
「まさか」
シャドウはふらふらと走り出した。砂に足を取られて膝をついてしまった。
「なんだよ、急に。大丈夫か?」
ディルは駆け寄り手を差し出した。その手は使わずにふらつきながらシャドウは立ち上がった。震える指も、うるさいくらいに鳴る心臓の早鐘も叩きつけた。怒気も衝動も抑えきれない。
「…神殿に行くぞ」
踏みしめた足跡が地面に色濃く形を残した。
**
今日もまた歌声が聞こえる。決して上手くはないけど、元気一杯に響く声。
咲かない花を咲かす為の歌。歌で咲く花とは珍しい。おとぎ話みたいだ。いや、この世界こそがおとぎ話か。本の中では囚われのお姫様は王子様に助け出されてめでたしめでたしとなるはずだから、あの子の助けはきっと来る。
けど、私は。
私には助けは、きっと来ないだろうな。だって、今まで会って来た人はみんなこの世界の人だし。みんな安泰を望むよね。私を使って、みんながハッピー。自己犠牲でみんながハッピー。
「…望んでないっつーの」
独り言もひとり。
昔なら、大事な人(家族)を守れるなら自己犠牲も厭わないと思ったことはあるけれど、国家なんてバカでかい物を救おうとか救えるとかは考えられない。悪いけど。私の記憶なんて大したことない。
「“過去や未練を消して生き直せ”ってこういうことか…」
弱ってる人間捕まえて、救済とかそれっぽいこと言って、必要事項を奪いとったあとは最終的には生き埋めか。
「…バカにして」
花なんか咲かなければいい。いっそのこと根っこごと引っこ抜いてやろうか。結婚式などぶっ潰してやりたい。
雪は立ち上がり石の壁を殴りつけた。鎖も何度も引きちぎろうとした。無駄だとわかっていても諦めることはできなかった。無駄死になどまっぴらだ。左足首にある忌々しいタトゥーにも何度も爪を立てた。血に滲む爪も、破れた皮膚も、枯らした声も、何もかもが無駄だとは思いたくなかった。
「シャドウさん…、ディルさん…」
二人を呼ぶ声も、無駄だと思いたくなかった。
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