底辺奴隷の逆襲譚

ふみくん

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第一章 奴隷編

商人の奴隷⑦

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 次の日、俺と母さんは、揃って仕事が休みだった。

 奴隷の仕事が休みになることなんて滅多にない。
 組合がある訳でも、協定があるわけでもない。
 そもそも奴隷には人権がない。
 病気や怪我以外での休みなど、与える必要がないのだ。

 それでも、体が壊れては主人も損するので、ごく稀に休みはある。
 ただ、この体の記憶を辿っても、母さんと休みが同じ日になったことなど、数えるくらいしかない。

 命がけの仕事をしてきた俺への、アマンダなりの心配りだろうか。

「疲れてるだろうし、今日はゆっくりなさい」

 そう言ってくれた母さんに対し、俺は首を横に振る。

「母さんと出かけたい」

 これはわがままだ。
 母さんだって普段働きづめで疲れているだろうから、いつもだったら休ませてあげるだろう。
 だが、今は思い出が欲しかった。
 借り物ではなく、本当の俺自身としての、母さんとの思い出が。

 俺がそう告げると、母さんはほんの一瞬だけ驚いたような表情を見せた後、優しい笑顔になった。

「それじゃあ出かけましょうか。お弁当作るから少し待ってね」

 俺は昨日、この世界の母さんと生きることを選択した。

 ミホのことは諦め、元の世界へ帰るのも諦めた。

 世界を救うなんて俺には無理だ。
 それどころか、自分自身の命さえおぼつかない。
 自由を得ることさえ、ハードルが高過ぎる。

 それならただ一人、母さんのために精一杯生きたい。

 とはいえ、今の俺と母さんとの記憶は、あくまで借り物だ。
 まずは今の俺本人と母さんとの記憶を作りたい。

 母さんの弁当ができた後、俺と母さんは外に出かけた。

 母さんはそっと俺の手を握る。
 ドキッとした俺は母さんの顔を見る。
 母さんは悪戯っぽく俺に笑いかける。

 十五歳で俺を産んだ母さんはまだ、二十七歳だ。
 十分若く、そして綺麗だった。
 元の世界の俺も、こちらの世界の俺も、女性と手をつないだ経験などない。

 相手は実の母親にも関わらず、俺はドキドキしてしまう。

「エディ、もしかして照れてるの?」

 母さんがからかうような目で俺を見る。

「か、母さん相手に照れるわけないよ」

 俺は慌てて否定する。

「あれ? 私はいい歳して母親と手を繋ぐことに照れてるのかなって思ったのに。もしかして母さんのこと、女性として意識してるの?」

 ますますからかって来る母さん。
 俺は手を振りほどこうとするが、母さんは両手で握って離さない。

「離してあげないよ」

 悪戯っ子のように微笑む母さん。

 母さんにこんな一面があることは、元の体の持ち主の記憶にもなかった。
 新鮮な姿が見られて嬉しい。
 今日は一緒に出かけてよかった。

 母さんと手をつないで歩く町は、そんなに大きくない。
 半日も歩けば一周できてしまう。

 俺と母さんは、町の中心とは逆に向かい、町の外れにある湖を目指していた。
 そこで湖を眺めながら母さんが作ってくれた弁当を食べる予定だった。

 雲一つない晴天の下、母さんと手を繋いで歩く道は、特に何かがあるわけではないが、最高に楽しかった。
 今日という日は、俺がこの先を生きるのに欠かせない、素晴らしい思い出になるはずだった。






 ……だが、そう上手くいかないのが、俺の人生らしい。







 しばらく道を進んだところで、突然、町中の鐘が鳴り出した。
 鐘は音の音の種類で何を伝えたいかが分かる。

ーーゴン、ゴン、ゴーンーー

 俺と母さんは顔を見合わせる。
 この音は非常事態を告げる音だ。

 非常時には町の中央広場へ、というのがこの町のルールだ。
 俺は母さんの手を引き、町の中央広場へ急いだ。

 何が起きたのかは分からない。
 でも、何が起きても母さんは俺が守る。

 対策を打つためにも、まずは情報収集を行わなければならない。
 中央広場へ行けば、何かしらの情報が得られるはずだ。




 中央広場に到着すると、そこには、既に多くの人が集まっていた。
 広場の前方にある台の上には町長が立っている。

「全員が集まるまでもう暫く、静かに待っていてください」

 かなりの距離があるにも関わらず、声は広場中に響き渡る。
 初めて見るが、これは拡声の魔法だろうか。
 地声にしてはあまりに大きい。

 不安そうな母さんの手を、俺はギュッと握る。
 母さんのことは俺が守るという意思を込めて。

 それから十分程経った頃、再び町長が台の上に立つ。

「皆様お集まりでしょうか? 今回皆様にお集まりいただきましたのは……」

「ごちゃごちゃうるさい!!!」

 突然大声がしたかと思うと、説明しようとする町長を押しのけて、俺と同じくらいの年齢の子供が台の上に立つ。

 ーーなんだこの子供は?

 俺を含めた全員がそう思ったはずだ。

 子供の正体は分からない。
 だが、子供が身に纏う全身真っ黒な服が、不吉さを象徴しているかのようだった。

「この町は俺が占拠した。解放して欲しければ、生贄を五匹差し出せ」

 この町を占拠?

 子供の冗談にしてもリアリティがなかった。

 小さな町とはいえ、町には軍の駐屯兵も自警団もいるはずだ。
 そう簡単に占拠出来るはずがない。
 しかも相手は子供一人。
 信じろという方が難しい。

 子供の言葉に、案の定、広場はざわめく。

「子供のイタズラ?」

「でもその割には鐘まで鳴ってたし……」

 人々は思い思いに口を開き出す。

「黙れ!!!」

 ざわめきをうるさく感じたのか、子供は雷鳴のような声で叫ぶ。

 ビリビリと響く声。
 耳ではなく、脳に直接叩き込まれるような声。
 この声を聞いた瞬間、この場にいる全員が理解した。
 この子供がただの子供ではないことを。

「生贄を選べないなら、俺が適当に選んでもいいんだぞ? これからこの広場に魔法をぶっ放して、生き残った奴を連れて行ってもいい。軍や自警団の奴らは全員ブチのめした。殺されたくなかったら、さっさと選べ」

 子供の言葉にざわめきはおさまる。

 軍や自警団をブチのめした?
 この子供は何者なんだ?

 誰かがその疑問に答えるわけもなく、時間だけが過ぎていく。

 当然、生贄に名乗り出る者などいない。

 遠目にも先ほどの子供がイライラし始めているのが分かった。

 ーーこのままでは良くないのでは?

 そう思った時、なぜか俺たちの主人であるアマンダが台の上に上り、正体不明の子供の横に立つと、何やら耳打ちしているのが目に入った。

 俺は直感的にマズイことが起きているのを悟った。

「母さん、この場を離れよう」

 母さんは首を傾げる。

「何で? 今、アマンダ様が重要な話をしてくださっているところでしょう?」

 俺は母さんの手を引く。

「いいから!」

 だが、俺の対応は遅過ぎた。

「たった今、この女から自分の奴隷を差し出すとの申し出があった。この女の奴隷達は速やかに前に出て来るように」

 俺の予感は的中した。

 生贄になると分かっていて、誰が前にいくものか。
 一刻も早くこの場を離れなければ。

 だが、次の瞬間、母さんの額に紋様が浮かび、輝き出した。
 母さんの視線を見るに、俺の額にも同じものがあるようだ。

『我が奴隷達よ。我の元へ集え』

 頭の中にその声が響くと、俺は自分の意思とは無関係に前に向かって歩き出していた。
 母さんも同様に前に歩き出している。

 ーーマズイマズイマズイマズイ……

 焦る心とは裏腹に、俺の足は着実に前へ進んでいく。
 人混みは、俺たちを避けるように開いていった。

 そしてついに、子供とアマンダが立つ台の前に俺たちは到着する。

 隣には俺たちと同じように、別の奴隷と思われる人達が、俺と母さんを除いて三名立っていた。
 若い女性が一人と、俺と同い年くらいの子供が男女一人ずつ。

 俺たちを生贄に差し出すよう命じた子供が、俺たち五人の顔を品定めするように見る。
 同じように、俺も子供の顔を詳しく見てみた。

 見た目は非常に顔が整ったただの子供に見えるが、真紅の瞳と鋭い牙のような八重歯が特徴的だった。

 真紅の瞳の子供は満足したようにアマンダを見る。

「上物じゃないか。こいつらをいただこう。軍や自警団の奴らでも良かったんだが、あいつらはまずそうだったからな。また入り用の場合は貴様に頼むとするか」

「ありがとうございます」

 アマンダが恭しく頭を下げる。

 俺はアマンダを睨みつけた。

「悪く思わないで。町のためよ」
 
 アマンダの顔は微笑んでいた。

 ふざけるな、と叫んでやりたかったが、アマンダの命令の支配下にある俺は言葉も発せられない。

 そんな俺たちを見ながら、町長がほっと胸をなでおろす。

「数人の奴隷の命程度で見逃していただけるなら、本当によかった」

 町長の言葉に、真紅の瞳の子供は、鋭い八重歯を見せながら笑う。

「俺は慈悲深いからな。たとえ人間が相手でも、食事以外に不必要な殺しはしない。五匹もいれば、しばらくは腹を空かせずに済む」

 真紅の瞳の子供は、舌なめずりをするように俺たち五人の顔を見る。

「どいつも美味そうだ。さっさと帰って飯にするか」

 そんなことを呟く真紅の瞳の子供へ、手揉みをしながらアマンダが近づく。

「奴隷の所有権を貴方に譲渡します。それでこいつらは貴方の命令に絶対服従するようになります」

 アマンダの言葉に、真紅の瞳の子供は笑みを浮かべる。

「なんと気がきくやつだ。その内また来るから、その時はよろしく頼む」

「お任せください」

「奴隷譲渡の手続きは簡単で……」

 そんな真紅の瞳の子供とアマンダの会話も全く耳に入っていないようで、俺と母さん以外の三人は恐怖に震えていた。
 特に子供二人は泣き叫んでおり、アマンダたちのやりとりが聞き取れないほどだ。

「うるさい。黙れ」

 譲渡の手続きが終わったのか、真紅の瞳の子供がそう命ずると、二人の子供はピタリと泣き止んだ。

「便利な魔法だな、これは。人間は魔力が低い代わりに便利な魔法を思いつく。それだけは褒めてやりたい」

 真紅の瞳の子供は、俺たちの方に視線を向けて言う。

「それでは行くぞ」

 今の発言を契約魔法が命令と捉えたのか、俺たち五人は自分の意思とは関係なく、真紅の瞳の子供について歩く。

「馬車も用意しておきましたのでよろしかったらお使いください」

 アマンダの言葉に、真紅の瞳の子供は頷く。

「そうか。どこまでもきのきくやつだ。それでは貴様の言葉に甘えるとするか」

 ……こうして俺の主人は変更された。

 名前も正体すらも分からない子供に。
 俺たちのことを生贄と呼び、食事と考えている子供に。
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