神本くんの忍者稼業

忍者の佐藤

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引きこもり少女編

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身体中の痛みを感じながら私は目を開けた。視界の先では鬱蒼と枝葉を茂らせた木々の間から微かに空が覗いている。どうやら私が仰向けに倒れている場所は杉林の中のようだ。どうして私はこんな所に……。確か休憩から立ち上がった時に変な音がして、振り返ったら……。
そうだ、ツギノワグマは?!  私は痛む身体を起こして辺りを見渡した。幸いなことにクマらしき影は確認出来ない。私が凄い速さで落ちていったのでクマの方が諦めたのか、そもそも人間に興味が無かったのか。その時、私が転がり落ちて来た斜面の上からカラスの鳴く声が聞こえてきた。まるで私をあざ笑うかのようだ。……もしかして、私が見たのはツキノワグマじゃなくてただのカラスだったか。いや、多分そうだ。あの時は恐怖で何も考えられなかったけど、冷静に考えたら茂みに見えた黒い影はクマにしては小さすぎた。だけどホッとするのはまだ早い。このまま道を外れて座っていても救助が来る保証はない。今は何とか元の道に戻ることを考えよう。私は脇に転がっていたリュックサックを拾おうと立ち上がった。その時鋭い痛みが左の足首を貫く。
「痛っ」
踏ん張りの利かなくなった私は再び座り込んでしまった。痛い。左足を完全に捻っている。多分つまづいて道から外れた時、変な角度で左足に体重が掛かってしまったのが原因だ。どうしよう。これじゃあ登れない。私はもう一度自分が落ちてきた山の斜面を眺めてみた。傾斜はこれでもかというくらいに急で、辛うじて見える山道の縁は遥か高くに感じられる。とても怪我人一人で登れるような生易しいものでは無さそうだ。不意に近くで獣の鳴き声がして、私は弾かれたようにそっちを見た。木々のざわめき、落ち葉のかすれる音、薄暗い視界、さっきまで何でもなかったはずの山の中。その全てが今は恐怖だった。今にも得体のしれない何かが飛び出してきそうだ。怖い。怪我でまともに動けないのに、何かに襲われたらもう逃げられない。死ぬしかない。
「誰か……助けて……」
大声で助けを呼んだつもりが恐怖のあまり全く声量が出ない。私は馬鹿だ。ここに着いた時点で登頂を諦めていればこんな事にはならなかった。いやそれより先に神本くんの言う事を聞いていたら……。恐怖と後悔で涙があふれてきた。
「助けて……!」
しかしそんな私の感情なんて無視するかのように、今度は斜面の方から落ち葉を巻き上げるような音が響いてきた。こちらに近づいてくる。もしかしてツキノワグマ? カラスだと思ってたけどやっぱりクマだったの?!
「い、嫌……来ないで……!」
なおも音は近づいてくる。あ、私の人生終わった。呆然と身動きも取れずに座っていると、木の茂みの間から黒い影が現れた。
「助太刀参上」
上下黒い忍び装束に目元だけのぞかせた頭巾。それは見慣れた少年の姿だった。
「か、神本くん!?」
「違うぞ、俺はツキノワグマだ」
「何で0秒でバレる嘘つくの?」
間違いない。この意図の分からない会話を挟んでくるのは神本くんだ。
「茜、大丈夫か」
「ううん、足を捻っちゃって……じゃなくて、どうしてこんな所にいるの? 私がどうしてここだと分かったの?」
神本くんは私の前にかがんで目線を合わせた。
「この前のお前の態度が気になっていた。もしかしたら4月1日、つまり今日大岳山に登るつもりなんじゃないかと。それで今朝早くお前の家を訪ねてみたら居なかった。だから直感的にここだと思った」
すごい。まるで神本くんとは思えないような(非常に失礼だけど)、素晴らしい推理力だ。
「で、でも登る山は分かっても、私がここに落ちているのはどうやって……」
すると神本くんは私のリュックに手を突っ込み、白い手のひら大の機械を取り出した。待って、それ入れたの私じゃない。
「発信機を仕込んでおいた」
「嘘ぉ!?」
「まあ発信機というと聞こえはいいが」
「良くない良くない!」
やっぱりこの人は忍者じゃなくてただの変態なんじゃないだろうか。
「これは普通にネットショップで市販されているものだ。例えばスキー場やライブ会場など、同行者とはぐれやすい場所で使う。これを持っていると、盤面に表示された数字が相手との距離を知らせてくれる」
神本くんは懐から同じ発信器を取り出して言った。なるほど、それの盤面にお互いの距離が表示される仕組みなんだ。いや、なるほどじゃないが。
「……それ、いつから仕込んでたの?」
「お前がそのリュックサックを買った時からだ」
うーん、このプライベート侵害野郎。まあ引きこもりだから居場所はほぼ家の中だったわけだけど。それに彼の性格からしてこの機材を悪用しようとして仕込んだわけではないんだろう。単純に私と山ではぐれないためだったに違いない。現にこうして私は命を救われた。それに神本くんの顔を見た時、すごくほっとしたんだ。これでもう大丈夫だと思った。だって(ある意味)彼より頼りがいのある男の人を私は知らないから。
「さあ、元の道に戻るぞ」
神本くんは私に背を向けて傅いた。
「乗れ」
「まさか私を担いで元の道に戻る気なの?」
「そうだ」
「無理だよ! 幾ら神本くんが力持ちでも……」
「出来る。俺は忍者だ」
いや何の理由にもなっていないんだけど。でも神本くんがその言葉を使うと何故か説得力があるように聞こえてしまうから不思議だ。
「お前は足を捻っているんだろう。早くしろ」
私は何故かドキドキしながら神本くんに体を預けた。

「ねえ神本くん、大丈夫? 私重たくない?」
私は神本くんの背中に揺られながら聞いてみた。
「重たくない。木の葉一枚分の重さもない」
お世辞なのか、私に気を使っているのか、それとも神本くん特有の冗談なのか。しかし私が考えているうちに、神本くんはあっという間に山道までたどり着いてしまった。しかもその後再び私のリュックを回収するため降りていき、すぐにリュックを担いで戻って来てくれた。すごい、流石忍者。こんな観光地まで忍び装束のままやってくるだけある。その後再び私を背負い、神本くんは山道を下り始めた。私も彼も無言である。何か色々と神本くんに言わなければならないことがあることを分かっていたんだけど、一杯ありすぎて何を口にしたらいいのか分からなかった。
「その、今日はもしかして大切な日、だったの?」
私は恐る恐る聞いてみた。
「姉が」
神本くんは一度間を置いてから、また喋り始める。
「姉が下宿先から帰ってきてくれているんだ。俺の誕生日だったから」
私はとてつもない後悔と罪悪感に襲われた。やはり神本くんの大切な日だったんだ。それを私が意地を張ったせいで完全に潰してしまった。
「ごめんね」
私は絞り出すように謝った。謝らなければならないことは一つや二つではないけれど、それが今の私の精一杯の言葉だった。
「いい」
神本くんはそれだけしか言わなかった。
「私が一人で登ったばっかりに」
「気にするな」
神本くんの声はいつものように冷静で落ち着いている。凄いなあ。予定をつぶされて怒っているはずなのに、私を気遣ってくれているんだ。時々強引な事もあるけど本当に優しい人だ。この時私はもっと人の気持ちを思いやれる人になろうという決意が沸々と湧いてきていた。神本くんみたいにとはいかないけれど、困っている人がいたら見て見ぬふりをせず助けてあげられる人間になりたいと誓ったのだ。
「それに俺の方も謝らなければならないことがある」
ん?
「お前に無断で発信器を仕込んでおいたのはすまなかった」
「そんなのいいよ、私のことを考えてくれてたんでしょ?」
「それから」
「あれ、まだあるの」
「押入れからお前の部屋に侵入した時、外した天井の板が元に戻らなくなってしまったんだ、本当にすまない」
「……ま、まあいいよ。あんまり押入れ使わないし、今度直しておいてくれたら」
「それから」
「まだあるんかい」
「お前の部屋でくしゃみをしてしまった時、誤ってお前のカッターシャツで鼻をかんでしまったことがある」
「ちょっと何してるの! っていうかどうやったら間違うのよ!」
「白かったから」
「アンタは牛か!」
「洗って戻しておいたから安心しろ」
「もっかい洗っとこ」
「それから」
「まだあるんかい!」
「お前がトイレに行っている間、ちょっとだけゲームをさせてもらおうと思ってだな……」
「ああ、勝手にFPSやっただけなら別にいいよ。気にしてないから」
「いや、ゲームをしようとしたらデスクトップの中に『ガチムチ野球部男子とインテリメガネ男子 俺のバットがウッホホホー』というゲームを見つけてしまったんだ」
「それ、ここでしなきゃいけない報告!?」
「本当にすまない」
「そしてそれ何の謝罪なのよ!」
うん、神本くんは本当にブレないなあ。



***



通っていた中学の新学期が始まり、私は8か月ぶりに通学を開始した。よーし、これから勉強の遅れを取り戻し、一年生の時は出来なかった友達をたくさん作るぞー! ……と意気込んではいない。学校に復帰するにはしたけれど、今のところは保健室通学なので同級生たちと顔を合わせるのは登下校の時しかない。でも、これで良いんだ。元の教室に戻れるのはいつになるか分からないけれど焦る必要は無い。自分のペースでいい。立ち止まってもいい。大事な事は生きて下山することであり、その速さや山頂に着くことではない。神本くんが教えてくれたことだ。私は通学路の空を見上げた。今や桜が満開で、雨のように花びらが降り注いできている。そうそう、来月改めて大岳山へ登ることになった。今度は神本くんと一緒だ。……次こそは自分の気持ちを伝えられたらいいな。私は桜の舞う並木道を、大きく息を吸い込み一歩一歩ゆっくりと歩いて行った。



引きこもり少女編 おわり
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