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第三章
29.
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※中盤まで残酷な表現がありますので、注意。
床に倒れたヴォルターを、無表情でウルリッヒは見下ろしていた。
肩で深く息をして、ただ、赤い液体が床を侵食するのを眺めていた。
「…………黙って儂の言うことを聞けばいいものを」
吐き捨てた言葉は、部屋の中に響いた。ヴォルターの腹に片足をかけ、両手で剣を引き抜く。
ずるりと音がした。ヴォルターは蹴られたまま、天を向く。
赤く染まった剣は、その液体が滴となり、ぽたりぽたりと床に落ちた。
「……リゼット様」
ヴォルターに呼ばれ、リゼットは身を震わせた。その視線は揺らいでいた。
「リゼット様、聞こえなかったのですか」
「……」
「やめろ」
ジェラルドは母子を庇いながら、思案した結果、土魔法を紡いだ。
リゼットとウルリッヒの間に、土の壁を作る。
一時的にでも、リゼットへ近づくことを回避したかった。
自身がリゼットのところへ向かうには、距離がある。しかし、迎えば母子に危害が及ぶ可能性もある。背後の母は、子を胸に抱きしめて、震えている。
(……積んだか?いや、まだリゼット様を)
リゼットを見る。
こちらに誘導できるかと思ったが、両手で自分の体をを抱きすくめて、動けなくなっている。
小さく浅い呼吸をしている。
「……っ、……っは……」
「おやおや、可哀想に。リゼット様には何もせぬ。安心してくだされ。貴女は大事な竜の力の継承者じゃ」
リゼットに近づくウルリッヒ、土壁を蹴り上げ崩す。
あと数歩というところで、足を止めた。
「コーウェンスの、邪魔をするな。儂はリゼット様には無事でいてほしいからの」
ジェラルドを睨む。
ウルリッヒは剣を一振りし、血を払う。それはリゼットの頬にも付いた。
しかし、ウルリッヒは気にせず、リゼットを立ち上がらせようと、その手を引き立ち上がらせようとした。
リゼットは引かれるままに立ち上がる。そしてもう片方の手で、頬に触れる。手に付いた赤い液体を、ぼんやりと見つめる。
そうして、ウルリッヒを見た。
「リゼット様、どうかされましたか?」
何もなかった時のように、ウルリッヒが話しかける。しかし、返事はなかった。
その代わりに、言葉を紡ぐ声が聞こえたかと思うと、ウルリッヒは部屋の隅まで吹き飛ばされた。
一瞬のことだった。
「 ――リゼット様!?」
リゼットは、ウルリッヒに向かい、もう一度言葉を紡ごうとした。
手をウルリッヒに向け、強く赤い魔力が集まっていた。
ジェラルドは「こりゃまずい」とリゼットの方へ駆け出した。
ウルリッヒは先程、意識も飛んだらしく動かない。
長く言葉を紡ぐリゼット。
――終わる前に、あれを止めないと!
ジェラルドは叫ぶ。
「それは駄目です!!ヴォルターも巻き込まれます!!!」
いや、もうどうなったかわからない友の名も巻き込んだ。でも、本当にあれはこの部屋全てを焼き尽くすだろう。
「そ、それに!貴女が命を奪ったら、レオナード様も悲しみます!!ノーです!ストップですっ!!」
『レオナード様』という言葉に、リゼットは反応する。
手の中の魔力が小さくなり、消え去るとジェラルドを見た。
「レオン……?」
「ええ、そうです。リゼット様はレオナード様を悲しませたくないでしょ」
「そうね……でも、あの人は許せないっ」
またウルリッヒに憎しみの顔を向ける。それは、リゼットだけの感情ではなかった。
リゼットの体の中に、過去の竜の力の継承者の感情が沸き起こっていた。
「あの人が、わたくしたちを閉じ込めて、苦しませた。もう家族に会えなかった人もいる。地下の、自由がない世界で……」
リゼットがまた手をかざそうとして、それをジェラルドが抑える。
「だめ。だめだよ、リゼット様。もう気絶してるから、後は騎士団に任せて」
ジェラルドが魔法の鳥で、騎士団を呼ぶ。リゼットたちとは別に、城付近で待機していたものたちへ。
「では、わたくしはどうすればいいの?こんなに怒りがこみ上げて、あの人に何もできないのは嫌よ」
何もしていないわけではないだろう、とジェラルドは心の中で突っ込んだ。
風魔法で壁にぶち当てて、手足がおかしな方向を向いている。重症じゃないだろうか。
「それに、わたくしのせいでヴォルターは……」
リゼットはヴォルターに近づく。
血の気が引き、青ざめた顔をしている。リゼットは血溜まりも気にせず、ヴォルターの前に跪いた。
両手で頬に触れる。その体温はもう感じられなかった。
ヴォルターの両手を取り、呟く。
「ごめんなさい、ヴォルター。ごめんなさい……」
リゼットが大粒の涙をこぼしながら、謝った。
ヴォルターの手に触れ、そおっとさする。自分がされていたように、優しく。
ジェラルドは、どうしたものかと腰に手を当てた。
「まさか呆気なく倒れると思わなかったぞ。お前、どうすんだよこれ」
ヴォルターに声をかける。もう返事などないのだけれど。
部屋の扉をノックする音と、騎士団の到着を告げる声がした。
「ああ。今開ける」
ジェラルドは、扉の前の椅子を寄せて、扉を開けた。
兵士が城の中の使用人を捕らえたことと、とりあえず安全になったことを告げる。
「わかった、この母子もそちらに頼む。あと辺境伯が怪我をしている。何人か手を貸してくれ」
兵士が中の様子を見て、母子を連れて慌てて戻って行った。ヴォルターの様子も見られたのだろうか。
ジェラルドは大きくため息をついた。
後ろを振り返り、リゼットの様子を見る。
先程と変わらず、ヴォルターから離れていなかった。
「リゼット様……、ん、何だ?」
リゼットの手から淡い黄色い光が溢れていた。それらは、ヴォルターの身体中を巡っていた。
ふわふわと巡る光が、ヴォルターの傷口に集まる。光が触れる場所が、少しずつ時間を巻き戻すように、傷を消していた。
「おいおい、回復魔法かよ」
ジェラルドも、その魔法を初めて見た。魔法文化が発展しているフォルトデリアでも、回復魔法は珍しかった。
傷がすべて消えると、ヴォルターの指先が微かに動いた。
リゼットは今もぼんやりと手を撫でている。
「……リゼット?」
触れる温もりに気がつき、リゼットに視線をやる。
ぼんやりと手を撫でるリゼットの頬に、手を触れる。
ゆっくりと、視線が合うと、リゼットも気がついたようだった。
「……ヴォ、ルター……?」
「……どうして泣いているのですか?」
ヴォルターの顔はまだ青ざめている。けれども、頬に触れる手は確かに温かかった。
ヴォルターはゆっくりと起き上がる。それをリゼットは支えた。
「ヴォルター、あなたは大怪我をしたのです」
「そうそう、ウルリッヒ様が……」
「ああ、そうだった。しかしどうして?」
「リゼット様が魔法で……」
「わたくしが、回復してほしいと願ったのです」
「そうでしたか。ありがとうございます」
「ねぇ!僕のこと無視してない!?リゼット様は素で気がついてないでしょ!」
ヴォルターが「そうか?」と、友人に笑いかけた。どうやら、からかっていたらしい。
リゼットは謝った。本当に、ヴォルターの目が覚めたことばかりに、安堵していたからだった。
ジェラルドは、拗ねた振りをした。そして、リゼットの手を取り仔犬のような目でお願いする。
「リゼット様、僕にも ――」
「……断る。触れるな」
辛辣な言葉とともに、リゼットに触れた手をヴォルターは払い退けた。
ジェラルドは「まだ何も言っていない!」と言うが、どうせリゼットを困らせるのだろうとヴォルターは察しただけだった。
リゼットは2人のやりとりを見て、クスクス笑った。
ヴォルターはふと真面目な顔になり、リゼットを抱き寄せた。
「え、え?」
「リゼット、めまいなどしていないですか?」
「いいえ、大丈夫です」
「そうですか。もし辛くなったら言ってください」
「いいえ、そんな。ヴォルターのほうが……」
「あ、帰ってきた……」
部屋の外からぞろぞろと足音がして、会話を止める。リゼットはさっと離れた。
兵士が担架を2つ持って、部屋に入ってきた。
ひとつはウルリッヒを乗せる。手足を添え木で固定してから運ぶ。相変わらず失神していたが、呼吸も脈もあったので無事なのだろう。
もうひとつは、ヴォルター用だったが、本人が頑なに拒んだ。
「大丈夫だ」
「ふらふらしてるじゃないか、使えよ」
ジェラルドが小突くと、少しふらりとしたが、知らないふりを決めていた。ヴォルターが兵士に担架を片付けるように言い、下がらせる。
「本当に、大丈夫なのですか?」
ふらついたヴォルターをみて、リゼットは心配をした。しかし、ヴォルターは無言でリゼットを横抱きして答えた。
「回復させてくださったのは、リゼットです。これくらいできますよ?」
「……で、でも ――」
まだ言葉を続けようとするリゼットに、ヴォルターは顔を寄せた。
その両目に、リゼット自身が良く映っている。
リゼットは息を飲んだ。
「では、帰りましょうか。ここにいても仕方がないでしょう?後のことは、ジェラルドに任せましょう」
「……は、はい」
ジェラルドは2人を見送った。
あのまま残られてしまったら、処理が大変なのだ。ヴォルターが強制的に連れていき、良かったと思った。
誰もいない部屋で呟く。
「あの出血量で、本当に全部回復したの?まじかよ。これ僕が掃除するの??」
床には血溜まりが残っている。傷が回復しても、床の血が綺麗になったわけでなかった。兵士を呼び、掃除をすることにした。
その後は、王への報告や、今後の処分や、雑務が多い。
――僕だって、お姫様抱っこしたかった!!
声に出せない心のうちを、吐き出した。
◇◇◇
リゼットたちは、騎士団が用意した馬車に乗り込む。
「屋敷の方も、警護の兵士がいます。マノンもアルフォン様も無事です。でも、一部の兵士が裏切っていたとの情報がありました、」
「ええ。……裏切ったのは、エヴィンのことね」
エヴィンはミヨゾティースの領民と結婚した。その妻子を人質に取られたエヴィンが、リゼットたちを裏切ったのだろう。
リゼットは子どもの話をしてくれた日を思い出す。ひっかかれたと言っていた傷を、回復させたことも。
「エヴィンはどこにいるのでしょうか?」
「ジェラルドが調べているでしょう。屋敷に一度戻りましょう。騎士団の兵士たちも、王宮から来たものだけを残しています」
ジェラルドが先ほど、魔法の鳥を飛ばした時に、そう指示したそうだった。
湖が見えてきた。もうすぐ祠を通る。
ヴォルターはリゼットの名を呼び、抱き寄せる。
「……?」
「また祠に意識を取られては困ります。このまま通過するのを待たせてください」
リゼットは返事もできず、じっとしていた。しかし、祠が近くなると、めまいが強くなった。
「ヴォルター……っ」
名前を呼ぶと、ヴォルターの腕の力が強くなる。
けれども、女性たちの声も頭のなかを支配してくる。
「たすけて、くるしい……っ。 ――お願い、馬車を止めてっ!」
「リゼット、しっかりしろ!」
ヴォルターの声が聞こえないように、リゼットは声の通りに馬車の扉を開けて、飛び出した。
ヴォルターも御者に叫び、馬車から飛び降りる。
転がったけれど、すぐに立ち上がる。
リゼットは、ふらふらとした足取りで、祠の前まで歩いていた。
走って追いつき、腕を掴むが、強い力で振り払われてしまう。
リゼットは祠の前で跪いた。
そうして、祈りを捧げるように、両手を組んだ。
リゼットの唇は、ヴォルターが教えた水の魔法を紡いでいた。
「彼女たちがずっと欲しがっていたのは、この祈りの言葉。気がつくのが遅くなってごめんなさい……」
すべてが終わると、リゼットは倒れた。ヴォルターが馬車まで抱える。
晴天の空から雨が降り注ぐ。
その雨はミヨゾティース一帯に降り注いだ。
農作業をしていた領民たちは、慌てて雨宿りをする。そうして噂しあった。
「きっとこの雨は竜の力に違いない」
「ああ、伝承の通りだ」
「しかしおかしいな、祭りまでまだ早いぞ」
「いやいや、祭りの儀式の雨はこんなにあたたかくないだろう。きっとリゼット様だよ」
「ああ、そうだ。リゼット様が恵みの雨を降らせたんだ」
雨は2日ほど降り注いだ。
この数年は、雨の量が少なかったミヨゾティースにとって、本当に恵みの雨となっていた。
その2日間、リゼットはベッドの中で過ごした。
ウルリッヒの屋敷で大きな魔法を使ったうえ、祠でもミヨゾティース一帯に水の魔法を使ったのだ。
魔力が減りすぎて、動けなくなっていた。
マノンにもたくさん叱られた。
ヴォルターもジェラルドが帰ってくるまでは警護をしたが、交代するとまる1日眠りについた。
「かっこつけたんだろ?」
ジェラルドに指摘されても、無視をした。リゼットに心配をかけたくなかっただけだと言いたかった。
けれど、この友人にはどちらにしても悟られてしまう。
「どちらでも。だが、身体が鈍っては困る。後で稽古に付き合ってくれ」
ジェラルドは大きくため息をついて、了承した。
床に倒れたヴォルターを、無表情でウルリッヒは見下ろしていた。
肩で深く息をして、ただ、赤い液体が床を侵食するのを眺めていた。
「…………黙って儂の言うことを聞けばいいものを」
吐き捨てた言葉は、部屋の中に響いた。ヴォルターの腹に片足をかけ、両手で剣を引き抜く。
ずるりと音がした。ヴォルターは蹴られたまま、天を向く。
赤く染まった剣は、その液体が滴となり、ぽたりぽたりと床に落ちた。
「……リゼット様」
ヴォルターに呼ばれ、リゼットは身を震わせた。その視線は揺らいでいた。
「リゼット様、聞こえなかったのですか」
「……」
「やめろ」
ジェラルドは母子を庇いながら、思案した結果、土魔法を紡いだ。
リゼットとウルリッヒの間に、土の壁を作る。
一時的にでも、リゼットへ近づくことを回避したかった。
自身がリゼットのところへ向かうには、距離がある。しかし、迎えば母子に危害が及ぶ可能性もある。背後の母は、子を胸に抱きしめて、震えている。
(……積んだか?いや、まだリゼット様を)
リゼットを見る。
こちらに誘導できるかと思ったが、両手で自分の体をを抱きすくめて、動けなくなっている。
小さく浅い呼吸をしている。
「……っ、……っは……」
「おやおや、可哀想に。リゼット様には何もせぬ。安心してくだされ。貴女は大事な竜の力の継承者じゃ」
リゼットに近づくウルリッヒ、土壁を蹴り上げ崩す。
あと数歩というところで、足を止めた。
「コーウェンスの、邪魔をするな。儂はリゼット様には無事でいてほしいからの」
ジェラルドを睨む。
ウルリッヒは剣を一振りし、血を払う。それはリゼットの頬にも付いた。
しかし、ウルリッヒは気にせず、リゼットを立ち上がらせようと、その手を引き立ち上がらせようとした。
リゼットは引かれるままに立ち上がる。そしてもう片方の手で、頬に触れる。手に付いた赤い液体を、ぼんやりと見つめる。
そうして、ウルリッヒを見た。
「リゼット様、どうかされましたか?」
何もなかった時のように、ウルリッヒが話しかける。しかし、返事はなかった。
その代わりに、言葉を紡ぐ声が聞こえたかと思うと、ウルリッヒは部屋の隅まで吹き飛ばされた。
一瞬のことだった。
「 ――リゼット様!?」
リゼットは、ウルリッヒに向かい、もう一度言葉を紡ごうとした。
手をウルリッヒに向け、強く赤い魔力が集まっていた。
ジェラルドは「こりゃまずい」とリゼットの方へ駆け出した。
ウルリッヒは先程、意識も飛んだらしく動かない。
長く言葉を紡ぐリゼット。
――終わる前に、あれを止めないと!
ジェラルドは叫ぶ。
「それは駄目です!!ヴォルターも巻き込まれます!!!」
いや、もうどうなったかわからない友の名も巻き込んだ。でも、本当にあれはこの部屋全てを焼き尽くすだろう。
「そ、それに!貴女が命を奪ったら、レオナード様も悲しみます!!ノーです!ストップですっ!!」
『レオナード様』という言葉に、リゼットは反応する。
手の中の魔力が小さくなり、消え去るとジェラルドを見た。
「レオン……?」
「ええ、そうです。リゼット様はレオナード様を悲しませたくないでしょ」
「そうね……でも、あの人は許せないっ」
またウルリッヒに憎しみの顔を向ける。それは、リゼットだけの感情ではなかった。
リゼットの体の中に、過去の竜の力の継承者の感情が沸き起こっていた。
「あの人が、わたくしたちを閉じ込めて、苦しませた。もう家族に会えなかった人もいる。地下の、自由がない世界で……」
リゼットがまた手をかざそうとして、それをジェラルドが抑える。
「だめ。だめだよ、リゼット様。もう気絶してるから、後は騎士団に任せて」
ジェラルドが魔法の鳥で、騎士団を呼ぶ。リゼットたちとは別に、城付近で待機していたものたちへ。
「では、わたくしはどうすればいいの?こんなに怒りがこみ上げて、あの人に何もできないのは嫌よ」
何もしていないわけではないだろう、とジェラルドは心の中で突っ込んだ。
風魔法で壁にぶち当てて、手足がおかしな方向を向いている。重症じゃないだろうか。
「それに、わたくしのせいでヴォルターは……」
リゼットはヴォルターに近づく。
血の気が引き、青ざめた顔をしている。リゼットは血溜まりも気にせず、ヴォルターの前に跪いた。
両手で頬に触れる。その体温はもう感じられなかった。
ヴォルターの両手を取り、呟く。
「ごめんなさい、ヴォルター。ごめんなさい……」
リゼットが大粒の涙をこぼしながら、謝った。
ヴォルターの手に触れ、そおっとさする。自分がされていたように、優しく。
ジェラルドは、どうしたものかと腰に手を当てた。
「まさか呆気なく倒れると思わなかったぞ。お前、どうすんだよこれ」
ヴォルターに声をかける。もう返事などないのだけれど。
部屋の扉をノックする音と、騎士団の到着を告げる声がした。
「ああ。今開ける」
ジェラルドは、扉の前の椅子を寄せて、扉を開けた。
兵士が城の中の使用人を捕らえたことと、とりあえず安全になったことを告げる。
「わかった、この母子もそちらに頼む。あと辺境伯が怪我をしている。何人か手を貸してくれ」
兵士が中の様子を見て、母子を連れて慌てて戻って行った。ヴォルターの様子も見られたのだろうか。
ジェラルドは大きくため息をついた。
後ろを振り返り、リゼットの様子を見る。
先程と変わらず、ヴォルターから離れていなかった。
「リゼット様……、ん、何だ?」
リゼットの手から淡い黄色い光が溢れていた。それらは、ヴォルターの身体中を巡っていた。
ふわふわと巡る光が、ヴォルターの傷口に集まる。光が触れる場所が、少しずつ時間を巻き戻すように、傷を消していた。
「おいおい、回復魔法かよ」
ジェラルドも、その魔法を初めて見た。魔法文化が発展しているフォルトデリアでも、回復魔法は珍しかった。
傷がすべて消えると、ヴォルターの指先が微かに動いた。
リゼットは今もぼんやりと手を撫でている。
「……リゼット?」
触れる温もりに気がつき、リゼットに視線をやる。
ぼんやりと手を撫でるリゼットの頬に、手を触れる。
ゆっくりと、視線が合うと、リゼットも気がついたようだった。
「……ヴォ、ルター……?」
「……どうして泣いているのですか?」
ヴォルターの顔はまだ青ざめている。けれども、頬に触れる手は確かに温かかった。
ヴォルターはゆっくりと起き上がる。それをリゼットは支えた。
「ヴォルター、あなたは大怪我をしたのです」
「そうそう、ウルリッヒ様が……」
「ああ、そうだった。しかしどうして?」
「リゼット様が魔法で……」
「わたくしが、回復してほしいと願ったのです」
「そうでしたか。ありがとうございます」
「ねぇ!僕のこと無視してない!?リゼット様は素で気がついてないでしょ!」
ヴォルターが「そうか?」と、友人に笑いかけた。どうやら、からかっていたらしい。
リゼットは謝った。本当に、ヴォルターの目が覚めたことばかりに、安堵していたからだった。
ジェラルドは、拗ねた振りをした。そして、リゼットの手を取り仔犬のような目でお願いする。
「リゼット様、僕にも ――」
「……断る。触れるな」
辛辣な言葉とともに、リゼットに触れた手をヴォルターは払い退けた。
ジェラルドは「まだ何も言っていない!」と言うが、どうせリゼットを困らせるのだろうとヴォルターは察しただけだった。
リゼットは2人のやりとりを見て、クスクス笑った。
ヴォルターはふと真面目な顔になり、リゼットを抱き寄せた。
「え、え?」
「リゼット、めまいなどしていないですか?」
「いいえ、大丈夫です」
「そうですか。もし辛くなったら言ってください」
「いいえ、そんな。ヴォルターのほうが……」
「あ、帰ってきた……」
部屋の外からぞろぞろと足音がして、会話を止める。リゼットはさっと離れた。
兵士が担架を2つ持って、部屋に入ってきた。
ひとつはウルリッヒを乗せる。手足を添え木で固定してから運ぶ。相変わらず失神していたが、呼吸も脈もあったので無事なのだろう。
もうひとつは、ヴォルター用だったが、本人が頑なに拒んだ。
「大丈夫だ」
「ふらふらしてるじゃないか、使えよ」
ジェラルドが小突くと、少しふらりとしたが、知らないふりを決めていた。ヴォルターが兵士に担架を片付けるように言い、下がらせる。
「本当に、大丈夫なのですか?」
ふらついたヴォルターをみて、リゼットは心配をした。しかし、ヴォルターは無言でリゼットを横抱きして答えた。
「回復させてくださったのは、リゼットです。これくらいできますよ?」
「……で、でも ――」
まだ言葉を続けようとするリゼットに、ヴォルターは顔を寄せた。
その両目に、リゼット自身が良く映っている。
リゼットは息を飲んだ。
「では、帰りましょうか。ここにいても仕方がないでしょう?後のことは、ジェラルドに任せましょう」
「……は、はい」
ジェラルドは2人を見送った。
あのまま残られてしまったら、処理が大変なのだ。ヴォルターが強制的に連れていき、良かったと思った。
誰もいない部屋で呟く。
「あの出血量で、本当に全部回復したの?まじかよ。これ僕が掃除するの??」
床には血溜まりが残っている。傷が回復しても、床の血が綺麗になったわけでなかった。兵士を呼び、掃除をすることにした。
その後は、王への報告や、今後の処分や、雑務が多い。
――僕だって、お姫様抱っこしたかった!!
声に出せない心のうちを、吐き出した。
◇◇◇
リゼットたちは、騎士団が用意した馬車に乗り込む。
「屋敷の方も、警護の兵士がいます。マノンもアルフォン様も無事です。でも、一部の兵士が裏切っていたとの情報がありました、」
「ええ。……裏切ったのは、エヴィンのことね」
エヴィンはミヨゾティースの領民と結婚した。その妻子を人質に取られたエヴィンが、リゼットたちを裏切ったのだろう。
リゼットは子どもの話をしてくれた日を思い出す。ひっかかれたと言っていた傷を、回復させたことも。
「エヴィンはどこにいるのでしょうか?」
「ジェラルドが調べているでしょう。屋敷に一度戻りましょう。騎士団の兵士たちも、王宮から来たものだけを残しています」
ジェラルドが先ほど、魔法の鳥を飛ばした時に、そう指示したそうだった。
湖が見えてきた。もうすぐ祠を通る。
ヴォルターはリゼットの名を呼び、抱き寄せる。
「……?」
「また祠に意識を取られては困ります。このまま通過するのを待たせてください」
リゼットは返事もできず、じっとしていた。しかし、祠が近くなると、めまいが強くなった。
「ヴォルター……っ」
名前を呼ぶと、ヴォルターの腕の力が強くなる。
けれども、女性たちの声も頭のなかを支配してくる。
「たすけて、くるしい……っ。 ――お願い、馬車を止めてっ!」
「リゼット、しっかりしろ!」
ヴォルターの声が聞こえないように、リゼットは声の通りに馬車の扉を開けて、飛び出した。
ヴォルターも御者に叫び、馬車から飛び降りる。
転がったけれど、すぐに立ち上がる。
リゼットは、ふらふらとした足取りで、祠の前まで歩いていた。
走って追いつき、腕を掴むが、強い力で振り払われてしまう。
リゼットは祠の前で跪いた。
そうして、祈りを捧げるように、両手を組んだ。
リゼットの唇は、ヴォルターが教えた水の魔法を紡いでいた。
「彼女たちがずっと欲しがっていたのは、この祈りの言葉。気がつくのが遅くなってごめんなさい……」
すべてが終わると、リゼットは倒れた。ヴォルターが馬車まで抱える。
晴天の空から雨が降り注ぐ。
その雨はミヨゾティース一帯に降り注いだ。
農作業をしていた領民たちは、慌てて雨宿りをする。そうして噂しあった。
「きっとこの雨は竜の力に違いない」
「ああ、伝承の通りだ」
「しかしおかしいな、祭りまでまだ早いぞ」
「いやいや、祭りの儀式の雨はこんなにあたたかくないだろう。きっとリゼット様だよ」
「ああ、そうだ。リゼット様が恵みの雨を降らせたんだ」
雨は2日ほど降り注いだ。
この数年は、雨の量が少なかったミヨゾティースにとって、本当に恵みの雨となっていた。
その2日間、リゼットはベッドの中で過ごした。
ウルリッヒの屋敷で大きな魔法を使ったうえ、祠でもミヨゾティース一帯に水の魔法を使ったのだ。
魔力が減りすぎて、動けなくなっていた。
マノンにもたくさん叱られた。
ヴォルターもジェラルドが帰ってくるまでは警護をしたが、交代するとまる1日眠りについた。
「かっこつけたんだろ?」
ジェラルドに指摘されても、無視をした。リゼットに心配をかけたくなかっただけだと言いたかった。
けれど、この友人にはどちらにしても悟られてしまう。
「どちらでも。だが、身体が鈍っては困る。後で稽古に付き合ってくれ」
ジェラルドは大きくため息をついて、了承した。
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