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第三章
30.
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あの日から数週間が経った。
大怪我をしたウルリッヒに代わり、ヴォルターのいとこが辺境伯代理となった。アルフォンを推す者もいたが、ウルリッヒも当初は「いずれアルフォンを辺境伯に」と言っていたこともあり、警戒された。
リゼットは、辺境伯代理とは夏の祭典の準備の際に、挨拶をした。
ヴォルターよりも屈強な男だが、綺麗な目は似ていると思った。
ウルリッヒは怪我の具合が良くなく、今は王都の病院に入院している。
ただし、檻のなかの個室に。
会話ができるようになり、あの日の凶行についても尋問がなくても、話してくれたそうだ。
◇◇◇
「リゼット様がミヨゾティースに来てくださったことは、本当に嬉しかったのじゃ。しかし儂は酷い事をした」
リゼット以前の「竜の力の継承者はその力を他に利用されない為」という理由のもと、城の奥のフォールドズのさらに地下の部屋に幽閉された。
領民の噂では、城への通いでの任務となっていたが、一度城へ出向くと帰る事はなかった。
彼女たちは、地下の部屋で過ごしさせた。恵みの雨を降らせるなど必要な時は、祠への通路「竜の道」を通り、外へ出られた。
それも許可が下りればの話だった。
竜の道までは行けても、扉を開けるには城で管理する鍵が必要だった。
リゼットたちが祠から外に出られたのは、誰かが鍵を外していたからだった。
「誰が鍵を開けたのですか?」
「それもウルリッヒ様だったそうです」
ヴォルターが答えた。それに辺境伯代理が頷いた。
「ウルリッヒ様が、その日に祠に祈りを捧げた際、扉を開閉して何か調べたそうなのです。そして鍵をかけ忘れたのだと言いました」
「そうですか……。偶然なのですね。しかしそれがなければ、わたくしたちは脱出できませんでした」
ヴォルターが同意する。
そんな仕掛けが祠にあるとは、ヴォルターも知らなかった。
「今まで竜の力の継承者になった娘たちは、亡くなった後も家族のもとに帰れたのでしょうか?」
リゼットの質問に、辺境伯代理が答えた。
「調べましたが、帰れなかったものがほとんどです。亡くなった後は湖に葬られたそうです」
「家族は、それを知っているのですか?」
「おそらくは知らないと思います。けれども辺境伯、シュメリング一族の長に、訴えることは、この地に居られなくなることも同じ」
「……それでは、あの娘たちの悲しみが深まり、蓄積するだけではありませんか。わたくしたちは、自ら竜の力の継承者を選んだわけではありません。家族のもとにも帰れないなんて酷いです」
リゼットの言葉に、辺境伯代理は何も返せなかった。
シュメリング一族に、竜の力の継承者が現れる事、それは女性だけである事、彼女たちが湖の祠に祈ることがミヨゾティースの繁栄になる。 ――だから、保護している。
保護の先のことまで、今になるまで考えたことがなかった。
そして、ウルリッヒの言葉を畏れながらも信じざるを得なかった。
「もしも貴方の家族が、大事な人が、急にいなくなって、二度と会えなくなったらどうでしょうか?」
「……」
脳裏に妻と娘たちが浮かぶ。
娘たちの誰かが、竜の力の継承者になってもおかしくなかった。
「申し訳ありません。私の代からは、あの地下を使わせません」
「ありがとうございます。そういっていただき嬉しいです」
リゼットはにっこり笑った。
辺境伯代理は、リゼットの目線が外れて安堵した。
あとでヴォルターを捕まえた。
「リゼット様は普段からああなのか?」
「ああとは?」
「夜会ではもっと大人しい女性だと思ったのだが」
ヴォルターは、夜会を思い出す。
あの頃は体調も悪かったし、人に強くものを言うことはなかった。
「竜の力の継承者ですからね。ウルリッヒ様を大怪我させたのも、リゼットですよ」
少し声をひそめて、いとこをからかう。確か先日、ウルリッヒの様子を見に行ったはずだった。
言葉をそのまま信じたようで、青ざめていた。
「そうか、気をつけるよ」
お礼の言葉をそこそこに、去っていった。これで竜の力の継承者だからと、お伺いに来ることもないだろう。
本当に必要な時だけ、その力を使って欲しいと思う、ヴォルターの狙いはうまく動いたようだった。
◇◇◇
夏の祭典当日。
リゼットは、ウルリッヒから贈られたものとは別に、ミヨゾティース伝統のドレスを身につけた。祭典の伝統衣装だと言う。
こちらも基調は水色で、リゼットの銀髪と同様の銀糸で、ミヨゾティースの花が刺繍されていた。
ヴォルターが数日前に贈ったドレスだった。
「新しくドレスを用意しました。あれは縁起が悪いので破棄しましょう」
さらっと言うが、伝統の花の刺繍や、リゼットの体にフィットするドレスは、すぐに出来上がるものではなかった。
「一体いつ用意したのですか?」
「……今聞くのですか?」
「ええ。あの件からそんなに時間が経っていませんよ」
「贈った相手に聞くのは、失礼ではないですか」
リゼットは単純に、早い出来上がりに感心していたのだけれども、ヴォルターは言葉を濁した。
そのヴォルターの背後から、ジェラルドが顔を覗かせた。
「ああそれ。発注先が僕のほうなので、書類を見たらわかりますよ」
「え?」
「ジェラルド、顧客情報を話すな……」
ヴォルターが睨むが、ジェラルドはうっかり口を滑らせる。
「ああ、リゼット様がこちらにきたあたり ――ぐっ」
ジェラルドは腹を抑えて倒れ込む。
それを避けるように、ヴォルターはリゼットを抱き寄せた。
「違います。そういう気持ちはありません。ウルリッヒ様も贈られていたことを知らなかったのです」
「ヴォルター、そういうとは?」
「そこは触れないでください!あの、もう湖に行かないと遅れます!」
ジェラルドを跨いで、リゼットの手を引いて歩く。
リゼットはヴォルターの後ろ姿をみる。長い黒髪をひとつに縛り、後ろからでも耳が赤くなっているのがわかった。
理由に触れると、もっと赤くなるのだろうかと思った。
「はい、聞きません。行きましょう」
「うわ、待ってください!」
2人の後をジェラルドが追った。
馬車に乗り込み、湖の祠に向かう。
祠は、いつもよりも色とりどりの花が飾られ、祭壇にはご馳走が並べられていた。
天気が良く日差しが降り注ぐ。
リゼットが馬車を降り立つと、領民たちが気付いて、跪いた。
そこまでされると思わず、ヴォルターに助けを求める。
ヴォルターが、その場に聞こえるように大きな声で伝えた。
「皆、祭りの準備を続けるように。リゼット様はかしこまらなくて良いとのことだ」
領民が、その声に安堵して作業に戻る。その間を抜けるように、祠の近くのテントに入った。
入り口には騎士団の兵士が警護をしている。
「リゼット、前に言っていた光はみえますか?」
「いえ、もう見えません。あの時の雨で、彼女たちの負の感情は、浄化されたようです」
「そうですか」
「ですが、負の感情は誰でも持つもの。おそらく今日の儀式が、本来のタイミングだったのではないでしょうか?」
「負の感情ですか?」
ヴォルターは以前の竜の力の継承者の怨み妬みが、祠にあると思っていた。
だが、リゼットが感じたものは違っていた。もちろん、自身の最期まで家族と会えなくなり、地下に閉じ込められたという恨みはあった。
それよりも、竜の力の継承者となってしまったことが大きな原因だった。
その力のせいで、他人から力を使うことを強要される。大きな力を、悪用しようとする負の感情に触れ続けて、自分自身も負の感情に飲み込まれた。
「わたくしがウルリッヒ様にしたことも、小さい頃にレオンにしたことも、負の感情に飲み込まれた結果だわ。わたくしは、あれに飲み込まれないように強くならないといけないの」
そう言って、ヴォルターを見た。
ヴォルターは、今までになく力強い表情に驚いた。
「ヴォルターに抱えてもらうのは、もうやめたいの」
「ええ、それでは強くなれますよう、助力します」
「よろしくお願いします」
2人はふふふっと笑った。
そういえば、とリゼットはジェラルドがいないことに気がついた。
「ジェラルドは、祭りの屋台を見てくると言っていました」
「屋台があるの?」
「ええ。行ってみますか?」
「もちろんです!」
テントの外の兵士に、用意ができたら鳥を飛ばしてほしいと伝言する。
これで屋台巡りもゆっくりできるだろう。
屋台は湖の砂浜に並んでいた。
近づくと良い匂いが漂ってくる。
ミヨゾティースの新鮮な野菜のピクルス、肉の串焼き、フルーツ飴、たくさんあってリゼットは目移りする。
「リゼット様、屋台は初めてですか?」
「はい!あまり外出することがなかったので」
「では、食べたいものを教えてください」
「ええと、どうしようかしら」
リゼットがあちこち迷っていると、両手に様々な屋台の食事を抱えたジェラルドが近づいた。
「リゼット様、迷っているのですか?これどうぞ」
リゼットに差し出されたのは、、フルーツ飴だった。小さくカットされた果物に、飴がコーティングされている。
リゼットは受け取った。
「ありがとうございます。わぁ、宝石みたいで綺麗ですね」
一口頬張ると、口の中に果物と飴の甘味が広がる。
思わずにっこり笑ってしまう。
「ヴォルターもいかがですか?」
「ああ、いただきます」
少し不機嫌な顔で、ヴォルターは
残ったフルーツ飴をすべて口に入れる。
リゼットが驚くが、飴を噛む音がバリバリと響く。
「ヴォルターはフルーツ飴が好きなのですか?」
「いいえ、違います。ただ……」
ヴォルターがジェラルドを睨んだ。
ジェラルドは気付くのが遅かったと、後悔した。じりじりと後退する。
「ジェラルドが配慮ない男だとよくわかった、いや再認識した」
「え?」
「それと、レオナード様が初めての魔法を教えたかったと言っていた意味も、よくわかった」
まったくわかっていないリゼットにだけ、聞こえるように耳に囁く。
「……リゼット様と初めてのデートの邪魔をされて、嫉妬しました」
「ええ?」
その間にジェラルドは逃げ出した。
うっかりリゼットに関わると、友人の怒りを買うことを学習した。
リゼットの手を引いて、少し怒ったヴォルターは、リゼットが「もう満足しました」と三回程いうまで、あれこれ食べさせた。
リゼットは、ヴォルターが距離をとらなくなって驚いたが、心を開いてくれてたようで嬉しくもあった。
魔法の鳥が飛んできて、急いでテントまで戻る。
辺境伯代理が待っていた。
儀式の用意ができたと言った。
祠の周りには、領民たちが集まっていた。あまり近づかないようにと、一定の距離で兵士たちが並び、壁になる。
その隙間から、領民たちがリゼットを見ていた。
リゼットはテントを出て、ゆっくりとした足取りで祠に近づく。その後にヴォルターと辺境伯代理が付く。
祠の前で、3人が跪く。
すると、ザザッと音がして領民たちも倣って跪いた。
リゼットは大きく息を吸い、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
同時に、祠の中からも言葉に合わせて力が送られてくる。
その力を受け入れながら、ゆっくり、一言ずつ、言葉を紡ぐ。
すべての言葉を紡ぎ終わると、青空から雨が降り注いだ。
領民たちの喜ぶ声が、リゼットの耳に届く。
辺境伯代理も「これは素晴らしい」と呟いた。
リゼットは領民たちの方を向いて、なるべく大きな声で言った。
「わたくしは正式な継承まで、あと2年かかります。それまでにもっと正しく力を使えるようになります。だからその間は、皆さんもこの祠に祈りを捧げて欲しいのです」
どうか、今までの竜の力の継承者にも、祈りを捧げてほしいと伝えた。
彼女らのことを想うことで、負の感情が減ると思った。
領民たちはお互いの顔を見ていたが、大きな声で答え返した。
「もちろんです、リゼット様っ!」
それに安堵して、リゼットは笑顔になった。
そうして、領民のなかにエヴィン親子を見つけた。目が合うと、深くお辞儀をされる。
城での件の後、ヴォルターが報告してくれた。エヴィン自身は、ウルリッヒに妻子を捕われて、背中を切られたそうだ。しかし、傷は深くなく、治りがとても早かったそうだ。
医者には「騎士団勤めだと治りが早いのかもしれないな」と言われたそうだ。
騎士団の仕事はそれきりで退職し、今ははミヨゾティースの妻の実家で農業を覚えているところだそうだ。
リゼットは、彼らも無事であったことに、安堵した。
夏の祭典は、例年になく盛り上がったと、帰りの馬車の中でジェラルドが教えてくれた。
「リゼット様は、来年も夏の祭典にいらっしゃるのですか?」
「ええもちろんです。祠に祈りを捧げることは、わたくしが最適ですから」
「領民たちが喜びますね」
ジェラルドもあの祭典が気に入ったらしく、来年も来ようと呟いた。
屋敷に帰ると、マノンが応接間に来訪者が待っていると告げた。
すぐに3人で向かう。
「リゼット様、申し訳ありません……」
そこには、衣服が汚れた男 ――レオナードの側近のルーが待っていた。
レオナードを一緒に助けてほしいと、彼は言った。
大怪我をしたウルリッヒに代わり、ヴォルターのいとこが辺境伯代理となった。アルフォンを推す者もいたが、ウルリッヒも当初は「いずれアルフォンを辺境伯に」と言っていたこともあり、警戒された。
リゼットは、辺境伯代理とは夏の祭典の準備の際に、挨拶をした。
ヴォルターよりも屈強な男だが、綺麗な目は似ていると思った。
ウルリッヒは怪我の具合が良くなく、今は王都の病院に入院している。
ただし、檻のなかの個室に。
会話ができるようになり、あの日の凶行についても尋問がなくても、話してくれたそうだ。
◇◇◇
「リゼット様がミヨゾティースに来てくださったことは、本当に嬉しかったのじゃ。しかし儂は酷い事をした」
リゼット以前の「竜の力の継承者はその力を他に利用されない為」という理由のもと、城の奥のフォールドズのさらに地下の部屋に幽閉された。
領民の噂では、城への通いでの任務となっていたが、一度城へ出向くと帰る事はなかった。
彼女たちは、地下の部屋で過ごしさせた。恵みの雨を降らせるなど必要な時は、祠への通路「竜の道」を通り、外へ出られた。
それも許可が下りればの話だった。
竜の道までは行けても、扉を開けるには城で管理する鍵が必要だった。
リゼットたちが祠から外に出られたのは、誰かが鍵を外していたからだった。
「誰が鍵を開けたのですか?」
「それもウルリッヒ様だったそうです」
ヴォルターが答えた。それに辺境伯代理が頷いた。
「ウルリッヒ様が、その日に祠に祈りを捧げた際、扉を開閉して何か調べたそうなのです。そして鍵をかけ忘れたのだと言いました」
「そうですか……。偶然なのですね。しかしそれがなければ、わたくしたちは脱出できませんでした」
ヴォルターが同意する。
そんな仕掛けが祠にあるとは、ヴォルターも知らなかった。
「今まで竜の力の継承者になった娘たちは、亡くなった後も家族のもとに帰れたのでしょうか?」
リゼットの質問に、辺境伯代理が答えた。
「調べましたが、帰れなかったものがほとんどです。亡くなった後は湖に葬られたそうです」
「家族は、それを知っているのですか?」
「おそらくは知らないと思います。けれども辺境伯、シュメリング一族の長に、訴えることは、この地に居られなくなることも同じ」
「……それでは、あの娘たちの悲しみが深まり、蓄積するだけではありませんか。わたくしたちは、自ら竜の力の継承者を選んだわけではありません。家族のもとにも帰れないなんて酷いです」
リゼットの言葉に、辺境伯代理は何も返せなかった。
シュメリング一族に、竜の力の継承者が現れる事、それは女性だけである事、彼女たちが湖の祠に祈ることがミヨゾティースの繁栄になる。 ――だから、保護している。
保護の先のことまで、今になるまで考えたことがなかった。
そして、ウルリッヒの言葉を畏れながらも信じざるを得なかった。
「もしも貴方の家族が、大事な人が、急にいなくなって、二度と会えなくなったらどうでしょうか?」
「……」
脳裏に妻と娘たちが浮かぶ。
娘たちの誰かが、竜の力の継承者になってもおかしくなかった。
「申し訳ありません。私の代からは、あの地下を使わせません」
「ありがとうございます。そういっていただき嬉しいです」
リゼットはにっこり笑った。
辺境伯代理は、リゼットの目線が外れて安堵した。
あとでヴォルターを捕まえた。
「リゼット様は普段からああなのか?」
「ああとは?」
「夜会ではもっと大人しい女性だと思ったのだが」
ヴォルターは、夜会を思い出す。
あの頃は体調も悪かったし、人に強くものを言うことはなかった。
「竜の力の継承者ですからね。ウルリッヒ様を大怪我させたのも、リゼットですよ」
少し声をひそめて、いとこをからかう。確か先日、ウルリッヒの様子を見に行ったはずだった。
言葉をそのまま信じたようで、青ざめていた。
「そうか、気をつけるよ」
お礼の言葉をそこそこに、去っていった。これで竜の力の継承者だからと、お伺いに来ることもないだろう。
本当に必要な時だけ、その力を使って欲しいと思う、ヴォルターの狙いはうまく動いたようだった。
◇◇◇
夏の祭典当日。
リゼットは、ウルリッヒから贈られたものとは別に、ミヨゾティース伝統のドレスを身につけた。祭典の伝統衣装だと言う。
こちらも基調は水色で、リゼットの銀髪と同様の銀糸で、ミヨゾティースの花が刺繍されていた。
ヴォルターが数日前に贈ったドレスだった。
「新しくドレスを用意しました。あれは縁起が悪いので破棄しましょう」
さらっと言うが、伝統の花の刺繍や、リゼットの体にフィットするドレスは、すぐに出来上がるものではなかった。
「一体いつ用意したのですか?」
「……今聞くのですか?」
「ええ。あの件からそんなに時間が経っていませんよ」
「贈った相手に聞くのは、失礼ではないですか」
リゼットは単純に、早い出来上がりに感心していたのだけれども、ヴォルターは言葉を濁した。
そのヴォルターの背後から、ジェラルドが顔を覗かせた。
「ああそれ。発注先が僕のほうなので、書類を見たらわかりますよ」
「え?」
「ジェラルド、顧客情報を話すな……」
ヴォルターが睨むが、ジェラルドはうっかり口を滑らせる。
「ああ、リゼット様がこちらにきたあたり ――ぐっ」
ジェラルドは腹を抑えて倒れ込む。
それを避けるように、ヴォルターはリゼットを抱き寄せた。
「違います。そういう気持ちはありません。ウルリッヒ様も贈られていたことを知らなかったのです」
「ヴォルター、そういうとは?」
「そこは触れないでください!あの、もう湖に行かないと遅れます!」
ジェラルドを跨いで、リゼットの手を引いて歩く。
リゼットはヴォルターの後ろ姿をみる。長い黒髪をひとつに縛り、後ろからでも耳が赤くなっているのがわかった。
理由に触れると、もっと赤くなるのだろうかと思った。
「はい、聞きません。行きましょう」
「うわ、待ってください!」
2人の後をジェラルドが追った。
馬車に乗り込み、湖の祠に向かう。
祠は、いつもよりも色とりどりの花が飾られ、祭壇にはご馳走が並べられていた。
天気が良く日差しが降り注ぐ。
リゼットが馬車を降り立つと、領民たちが気付いて、跪いた。
そこまでされると思わず、ヴォルターに助けを求める。
ヴォルターが、その場に聞こえるように大きな声で伝えた。
「皆、祭りの準備を続けるように。リゼット様はかしこまらなくて良いとのことだ」
領民が、その声に安堵して作業に戻る。その間を抜けるように、祠の近くのテントに入った。
入り口には騎士団の兵士が警護をしている。
「リゼット、前に言っていた光はみえますか?」
「いえ、もう見えません。あの時の雨で、彼女たちの負の感情は、浄化されたようです」
「そうですか」
「ですが、負の感情は誰でも持つもの。おそらく今日の儀式が、本来のタイミングだったのではないでしょうか?」
「負の感情ですか?」
ヴォルターは以前の竜の力の継承者の怨み妬みが、祠にあると思っていた。
だが、リゼットが感じたものは違っていた。もちろん、自身の最期まで家族と会えなくなり、地下に閉じ込められたという恨みはあった。
それよりも、竜の力の継承者となってしまったことが大きな原因だった。
その力のせいで、他人から力を使うことを強要される。大きな力を、悪用しようとする負の感情に触れ続けて、自分自身も負の感情に飲み込まれた。
「わたくしがウルリッヒ様にしたことも、小さい頃にレオンにしたことも、負の感情に飲み込まれた結果だわ。わたくしは、あれに飲み込まれないように強くならないといけないの」
そう言って、ヴォルターを見た。
ヴォルターは、今までになく力強い表情に驚いた。
「ヴォルターに抱えてもらうのは、もうやめたいの」
「ええ、それでは強くなれますよう、助力します」
「よろしくお願いします」
2人はふふふっと笑った。
そういえば、とリゼットはジェラルドがいないことに気がついた。
「ジェラルドは、祭りの屋台を見てくると言っていました」
「屋台があるの?」
「ええ。行ってみますか?」
「もちろんです!」
テントの外の兵士に、用意ができたら鳥を飛ばしてほしいと伝言する。
これで屋台巡りもゆっくりできるだろう。
屋台は湖の砂浜に並んでいた。
近づくと良い匂いが漂ってくる。
ミヨゾティースの新鮮な野菜のピクルス、肉の串焼き、フルーツ飴、たくさんあってリゼットは目移りする。
「リゼット様、屋台は初めてですか?」
「はい!あまり外出することがなかったので」
「では、食べたいものを教えてください」
「ええと、どうしようかしら」
リゼットがあちこち迷っていると、両手に様々な屋台の食事を抱えたジェラルドが近づいた。
「リゼット様、迷っているのですか?これどうぞ」
リゼットに差し出されたのは、、フルーツ飴だった。小さくカットされた果物に、飴がコーティングされている。
リゼットは受け取った。
「ありがとうございます。わぁ、宝石みたいで綺麗ですね」
一口頬張ると、口の中に果物と飴の甘味が広がる。
思わずにっこり笑ってしまう。
「ヴォルターもいかがですか?」
「ああ、いただきます」
少し不機嫌な顔で、ヴォルターは
残ったフルーツ飴をすべて口に入れる。
リゼットが驚くが、飴を噛む音がバリバリと響く。
「ヴォルターはフルーツ飴が好きなのですか?」
「いいえ、違います。ただ……」
ヴォルターがジェラルドを睨んだ。
ジェラルドは気付くのが遅かったと、後悔した。じりじりと後退する。
「ジェラルドが配慮ない男だとよくわかった、いや再認識した」
「え?」
「それと、レオナード様が初めての魔法を教えたかったと言っていた意味も、よくわかった」
まったくわかっていないリゼットにだけ、聞こえるように耳に囁く。
「……リゼット様と初めてのデートの邪魔をされて、嫉妬しました」
「ええ?」
その間にジェラルドは逃げ出した。
うっかりリゼットに関わると、友人の怒りを買うことを学習した。
リゼットの手を引いて、少し怒ったヴォルターは、リゼットが「もう満足しました」と三回程いうまで、あれこれ食べさせた。
リゼットは、ヴォルターが距離をとらなくなって驚いたが、心を開いてくれてたようで嬉しくもあった。
魔法の鳥が飛んできて、急いでテントまで戻る。
辺境伯代理が待っていた。
儀式の用意ができたと言った。
祠の周りには、領民たちが集まっていた。あまり近づかないようにと、一定の距離で兵士たちが並び、壁になる。
その隙間から、領民たちがリゼットを見ていた。
リゼットはテントを出て、ゆっくりとした足取りで祠に近づく。その後にヴォルターと辺境伯代理が付く。
祠の前で、3人が跪く。
すると、ザザッと音がして領民たちも倣って跪いた。
リゼットは大きく息を吸い、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
同時に、祠の中からも言葉に合わせて力が送られてくる。
その力を受け入れながら、ゆっくり、一言ずつ、言葉を紡ぐ。
すべての言葉を紡ぎ終わると、青空から雨が降り注いだ。
領民たちの喜ぶ声が、リゼットの耳に届く。
辺境伯代理も「これは素晴らしい」と呟いた。
リゼットは領民たちの方を向いて、なるべく大きな声で言った。
「わたくしは正式な継承まで、あと2年かかります。それまでにもっと正しく力を使えるようになります。だからその間は、皆さんもこの祠に祈りを捧げて欲しいのです」
どうか、今までの竜の力の継承者にも、祈りを捧げてほしいと伝えた。
彼女らのことを想うことで、負の感情が減ると思った。
領民たちはお互いの顔を見ていたが、大きな声で答え返した。
「もちろんです、リゼット様っ!」
それに安堵して、リゼットは笑顔になった。
そうして、領民のなかにエヴィン親子を見つけた。目が合うと、深くお辞儀をされる。
城での件の後、ヴォルターが報告してくれた。エヴィン自身は、ウルリッヒに妻子を捕われて、背中を切られたそうだ。しかし、傷は深くなく、治りがとても早かったそうだ。
医者には「騎士団勤めだと治りが早いのかもしれないな」と言われたそうだ。
騎士団の仕事はそれきりで退職し、今ははミヨゾティースの妻の実家で農業を覚えているところだそうだ。
リゼットは、彼らも無事であったことに、安堵した。
夏の祭典は、例年になく盛り上がったと、帰りの馬車の中でジェラルドが教えてくれた。
「リゼット様は、来年も夏の祭典にいらっしゃるのですか?」
「ええもちろんです。祠に祈りを捧げることは、わたくしが最適ですから」
「領民たちが喜びますね」
ジェラルドもあの祭典が気に入ったらしく、来年も来ようと呟いた。
屋敷に帰ると、マノンが応接間に来訪者が待っていると告げた。
すぐに3人で向かう。
「リゼット様、申し訳ありません……」
そこには、衣服が汚れた男 ――レオナードの側近のルーが待っていた。
レオナードを一緒に助けてほしいと、彼は言った。
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