幼馴染が蒼空(そら)の王となるその日まで、わたしは風の姫になりました ~風の言の葉~

碧桜

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愁陽とマルと蟹

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長閑な春の昼下がり。
山の合間に流れる静かな川辺の大きな岩に、愁陽は腰を下ろして釣り糸を垂れていた。
少し離れた岩場では、マルがのんびり沢蟹と戯れている。
マルはあるじとともに戦にひとたび出ればこうもしていられないが、本当はまだあどけなさが残る歳でもあり、オオカミの血も流れるからか自由気ままなところがある。

愁陽は本当なら一人で静かなこの場所に訪れたかったが、何度もマルを巻こうにも今日は失敗に終わり、結局マルと二人でここにいる。

さわさわさわ……

岩にぶつかり小さな水音を立てながら流れる渓流の音が心地良い。愁陽は静かな水面に浮かぶ浮きをぼんやり眺める。時折、何かの獣や鳥たちが鳴く声がするだけで、ここは静かだ。

愛麗に会いに行ったあの日、結局、婚礼衣装を決めるため席を外した彼女は夕刻になっても戻ることはなかった。途中で体調が悪くなったということだったが、帰るな、と言い置いて部屋を出ていった彼女は元気に見えていたのに。
何か彼女にあったのだろうかと心配にもなったが、愁陽も城を抜け出して来ていたためそれ以上は長居するわけにも行かず、会えないままその日は城へと戻った。

あの日以来、出口のない問題を考えては、ずっと溜息をつく。
だから城を離れ一人で考えたいと、今日もこっそり城を抜け出してきたのだった。
マルには何度も見つかり、結局彼がくっついて来たが……。

数え切れない何度目かの溜息をついたとき、いつのまにか傍に来ていたマルが愁陽に声を掛けた。

「愁陽様」
「ん?」
「カニ」
マルは捕まえた沢蟹を愁陽の目の前に突き出す。
サワガニが愁陽に向かって小さなハサミを振り上げ威嚇する。
「は?」
「カニですよ」
「見りゃわかるよ」
 
これは、犬が捕まえた獲物を主人に自慢気に見せにくるという、あれか?
愁陽は考えているところを邪魔されて、イラっとしたように横目でじとっとマルを見やるが、マルはお構いなしに朗らかに笑って、手のひらに小さな沢蟹を乗せている。

「おい。挟まれるぞ」
「大丈夫ですよ、カニとボクはもう友達になりましたから」
「あ、そう」
「キミは美人ですねぇ」
「はぁ?」
「このカニさんは女の子ですよ」
サワガニはまた愁陽に向かってハサミを振り上げている。
なんか俺、めちゃくちゃ嫌われてないか?

マルは愛しいものを見るように笑みを浮かべて目を細める。
「こんなに小さくても一生懸命生きてるんですよねぇ。毎日、毎日、大切に」

マルの裏表のない素朴な言葉に、愁陽の感情から毒気が抜かれたように不安や苛立ちが消えていく。
マルがそっとサワガニを岩場の影に帰してやるのを、愁陽はなんとなく見ながら……そうだな、とぽつりと答えた。

さわさわさわ……

静かに水の流れる音だけが静かな山の合間にこだましている。
マルはずっと気になっていた疑問を主に問いかけてみた。

「ねえ、愁陽さまは、愛麗さまをお好きなんですか?」
「はぁ!?」
少しの沈黙のあと、愁陽は慌てて言った。
「な、なな、なんだよっ」
唐突な従者の問いに、愁陽は思わず声がひっくり返る

「い、いきなり何を言い出すんだよっ」
「そうですか?ボクは愛麗さまにお会いしてから、ずっと思っていました。愛麗さまは、愁陽さまにとって、きっと大切な方なんだろうなぁ~って。あ、でも、お会いする前から、愁陽さまが愛麗さまのお話しするときは、すっごく嬉しそうだなぁって思ってましたよ!」
 
そう言って、愁陽を真っすぐに見つめるマルの大きくまるい目は、純粋という言葉がぴったりと当てはまるくらいキラキラとしていた。
ま、まぶしい……
愁陽はそんな真っすぐで純真で無垢なマルの視線を眩しく感じながら、今は自分自身を誤魔化したくない、そう思えた。

「露骨だな…」
「いけませんでした?」
「いいや。俺も、お前のその素直なまっすぐさが欲しいよ」
少し自嘲するかのように、愁陽伏せ目がちに笑った。

そんな主の言葉にマルはきょとんとした表情を見せて、首をほんの少しかしげる。
「愁陽さまは、いつも真っすぐでいらっしゃるじゃないですか。武将としての判断力は素早く、遠く広い目をお持ちで優れていらっしゃる。どんな時も皆の先頭に立ち、勝利へと導いていかれる。公平で曲がったことが嫌いで、いつも前を向いて進んでゆかれるから、皆もついてゆけるのだと、老将も仰ってました」
清らかな水面を静かに見つめながら聞いていた愁陽は、ふっと小さく吐息を零し言った。
「武人として誉められても、あまり嬉しくはないな」

そして、顔をあげマルを見つめる。
「なぁマル……俺は、生きることにひどく辛い時があるよ。……お前も、あるか?」

マルは光を受けて輝いている蜂蜜色のまあるい目を、さらにいっそう大きくして言った。
「あったりまえじゃないですかぁ!そりゃあ、ありますよ!お腹が空いてるのに、食べ物がない時なんか、ほんと辛くなってきますよね」
「…………食べ物、ねぇ……」
予想を超えた回答だ。

「生きることはもっと素朴なことなのに、人間って欲張りです」
「ハハ……そう言われると辛いな」
「でもね、愁陽さま。ひどく辛い時もあれば、とても嬉しい時も同じくらいあります。本当は、もっとそれ以上にあるのかもしれない。だけど不思議で、辛い気持ちはハッキリ感じるのに、嬉しい気持ちは笑ってる間にサラサラ~て流れていっちゃうんですよ。だから、いま幸せだよねッ!って感じるの、忘れちゃうことあります。よぉく見れば、ちっちゃな幸せも、いっぱい、いっぱいあるのに」
「……マル」
 マルの真っ直ぐな言葉が心の中にストンと落ちてくる。
彼の蜂蜜色の瞳は、曇りがなく透き通って綺麗だった。

「お前も、たまにはいいこと言うな」
「ええ~、たまにですかぁ!?」
マルは不服そうに口をとがらせる。ついでにオオカミだがブゥ、ブゥなどと言っている。

「まあ、ボクには難しいことはわかりませんが、人間とは、ときに面倒臭くってややこしい生き物だと思います。だから愁陽さまが愛麗さまを想って、なぜ素直になれないと仰るのか解からないですけど、でも、愁陽さまは愁陽さまなんです」

俺は……

国の第一後継者としてではなく、一人の男として、素直になってもよいのだろうか
そんな簡単なことのように思える考えを忘れていた。
婚礼の決まった姫君に言うのは困らせるだけかも知れない、もう遅いかも知れない、だが皇子としてではなく、一人の男として伝えたい。
二人にとって、伝えなければいけないことのようにも思える。

「あ、そういえば、愁陽さまはボクのお昼寝の場所に似ています」
「は?」
唐突なマルの発言に、現実に引き戻された。
「昼寝の場所?」
「緑の木々の間から、お日様の光がこう、ぱあぁーっと差し込んできて、あったかくて、やわらかい草の上で眠るんです。そりゃあ、もう、最高に気持ちの良い場所なんですから。愁陽さまは、そのボクが大好きな場所に似ています!」
マルはなぜか得意げに胸を張って言う。

「なんだかね~、それって、誉められているのだろうか…」
「もちろんですよっ!」
「そっか。お前と話していると、いつも元気を貰えるな」
愁陽の口元にも笑みが浮かんだ。
そのとき、水面に浮いたままの浮きがピクピクと動いた。

「あ!愁陽さま!」
「よしっ」
しなる釣り竿を引くと、虹色に光る魚が水しぶきをあげる。
「わあ~い!晩御飯~!!」
両手をあげて喜ぶマルと愁陽も手を合わせ打つ。

「……ねえ、愁陽さま。愛麗さまはちっちゃくても、幸せを感じることがあるのでしょうか」
愁陽は愛麗の笑った顔を思い出す。大貴族の姫君のような作られた笑顔を見せる彼女の幸せとは何だろう。小さくても幸せを感じられているのだろうか。

「……そうだな」
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