幼馴染が蒼空(そら)の王となるその日まで、わたしは風の姫になりました ~風の言の葉~

碧桜

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桃花の下で①

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         青い空          光に満ちて
         吹く風は       やさしく過ぎる……
         

愁陽が愛麗の屋敷を訪ねると、懐かしい歌を口ずさむ声が聴こえてきた。
この歌を知っているということは、この声の持ち主は愛麗なのだろう。
懐かしい歌を辿っていくと、愛麗が桃の樹の下に一人佇み、満開に花開くのを見上げていた。愁陽の声が愛麗の歌に重なる。      
         
         白い羽          この背に抱いて
         飛び立とう    遙かなる時空ときを超えて ……


驚いた愛麗が振り向き愁陽の姿を見つけると、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
薄桃色の衣を身に纏った彼女は、ゆるく頭の上に結い上げた黒髪に桃の花をあしらった髪飾りをつけ、あとの黒髪を背に長く下ろしていた。満開に咲く桃の花たちを背にしても、愛麗の美しさは見劣りせず、まるで樹から抜け出てきた桃の精のように見えた。

「愁陽!」
彼女に呼ばれて、そんな愛麗に見とれていた愁陽は、はっと我にかえり笑みを浮かべた。
「懐かしいね。幼い頃、よく一緒に歌っていた」
「最近、なぜかよくこの歌を思い出すの。愁陽に会ったからかな。大好きだったわ、この歌」
「うん、俺もかな」

愁陽が愛麗に歩み寄り向き合って立つと、愛麗が空を見上げて言った。
「空を見ていたの」
「空?」
「長い間、見上げていなかったなって」
愁陽もその言葉につられて空を見上げる。
「子供の頃、草の上に寝転がって、よく一緒に見上げていたね」
「ああ……そうだね。俺も子供のころより、空を見上げることも減ってしまったな」

「私、愁陽に会うまで忘れてたわ。空が、こんなにも高くて、青くて広いってこと」
「愛麗……。確かに、そうだな」

愁陽と愛麗が並んでともに空を見上げる、
「俺も。……いつのまにか空を見上げる事を忘れてしまっていたみたいだ」

青い空の中を白い雲がゆったりと流れていく。
愛麗は子供の頃に見上げた空も、ちょうどこんなふうにふわふわの白い雲が浮かんでいたことを思い出した。なぜだか、子供の頃のことは、今まであまり思い出さなかったのだけれど、子供の頃よく一緒に過ごした愁陽に久しぶりに再会したからだろうか、幼く自由だった頃の自分を思い出した。

「なんだか久しぶりに子供の頃を思い出しちゃった」
「ああ。あの頃は楽しかったな」
「ほんと!その日何して遊ぶかが、もっとも重要な問題だったわね」
「そうそう。毎日、なんでも一生懸命でさ!」
「遊ぶこと、生きることにっ!」

二人は顔を見合わせ笑い合った。クスクス笑いながら嬉しそうに話す愛麗の笑顔は、あの頃と何も変わらないように見えた。

「ねっ、愁陽っ!夢、覚えてる?」
「夢?」
「うん」
「大人になったら、どんな人になりたい、とか」
「ん?ああ……」
なんとも微妙な返事だ。
愁陽は自分の夢が何だったのか覚えていない。どんな大人になりたいと思っていたのだろう……
父王のように、立派になりたいとでも言ったか?
彼が思い出せず首を捻っていると、愛麗が覚えていた。

「あなたは馬に乗って、いろんな地を駆け巡りたいって言ってたわ。世界というものをこの目で見て周りたいって」
「へえ~、そうだったかな」
「覚えてないの?」
「んー、あまり」
「いまは夢を一つずつ叶えてるのね」
そう言って愛麗はにっこりと笑った。

そんな彼女の笑顔が、なぜか胸に少しチクリと刺さったような気がした。
馬で各地を駆け巡る。確かに今も愛馬で辺境の地まで駆けている。だけど、その形は似ているようでいて、幼い頃に自分が思っていものとはまったく違うものだった。なにか喉に苦いものがこみ上げるような気がした。

愁陽は小さく息を吐いた。
「そんなに、いいものじゃなよ」
思わず声の調子が低く暗くなってしまった。
あ、マズイ。と愁陽が思った時、愛麗が不安げに彼の表情かおを窺う。
「愁陽?」

少しだけ重くなってしまった空気を切り替えるように、愁陽は笑って明るい声で言った。
「愛麗は空になりたい!って言った」
自分の夢は忘れても、愛麗の夢は子供心に強烈に印象に残っている。

「ふふ…、バカなことよね。なれるわけないのに、空なんて!」
愛麗は右手を空に向けて翳し仰ぎ見て笑った。
白く細い手では隠しきれない眩しい光に目を細める。

「えー、俺は結構好きだったよ、豪快でさ」
それは本当のことだ。なかなかあの雄大な空になりたいなんて、大きな夢で気持ちがいい。
自分には空になるのが夢だという発想もないが、そんな勇気もない。それを素直に言える愛麗が羨ましく、キラキラと輝いて見えて、子供の頃そんな彼女がとても眩しくて好きだった。

「まあ、姫君の発言とは思えないけどね」
と、ニヤリと笑って片目を瞑る。
「豪快だなんて。姫君にむかって失礼ね」
彼女はわざと姫君らしく答えてツンと横を向く。
「あ、一応、自覚あるんだ」
「もちろんよ。姫ですからね。……まぁ、たまに忘れるけど?」
「たまに、ねえ?」

愁陽は、たまに忘れるのではなく、ごく稀に姫君を思い出す、の間違いだろうと訂正しようか思ったがやめておいた。

かぁ……ずいぶん大きな夢ね」
溜息混じりに空を見上げて彼女は言ったが、ふと隣に立つ愁陽を見て言った。
「でも、私は駄目だけれど、愁陽ならきっとなれるわ!」
「っ、……」

愁陽が驚いて愛麗のほうへ振り向くと、彼女は大きく黒い瞳をキラキラと輝かせて、彼をまっすぐに見つめていた。
きっと彼女は本当にそう思い、なんの疑いもなく心から言っていることが分かる。

愁陽はそんな彼女をまっすぐ見返すことができず、そのまま視線を反らしてしまった。ただ唇を噛み締めて、なにも言えず俯くしかなかった。
地面に視線を落としたまま何も答えない愁陽に、愛麗は何か気に触ることを言ってしまっただろうか……と不安になった。
「愁陽?……どうかした?」
彼が地面に視線を落としたまま、小さな声で何か言ったがよく聞き取れなかった。

「え?」
「……俺も、なれないよ」
俯いたまま顔をあげようとしない。こんな愁陽初めて見たような気がする。身体の横に垂らした彼の両方の掌は握り締められている。

「愁陽?」
「空には……、なれないと思う」
「……どうして?」
「……なぜなら、俺は……俺はっ」

その先の言葉を言おうとして言い澱んだ。愁陽は開いて震える両の掌を見る。
やっぱり、だめだ。
自分の手は赤くドロリと染まっていた。

赤く染まったのを隠すように強く握った拳が震えている。震える右の拳を左手で包んでも、愁陽には震えを止めることが出来なかった。
彼は絞り出すように掠れた小さな声で言った。

「人を……、たくさん、殺したんだ」
「っ、……愁陽」

愁陽は、震える両方の手を合わせ包み込みこんでいても、どんなに拭っても拭えないものが自分の掌の中にある。喉に突き刺さるように何かがこみ上げてくる。けれど一度吐き出された言葉は、もう止めることも出来ない。
「多くの者たちの命を奪い…、多くの者たちから家族を…、愛する者を、奪った……」

愛麗が夢の中で見た、眼下の戦場いくさばを辛そうに見ていた愁陽と重なった。愛麗は泣きたい気持ちになった。なぜ愁陽がこんなにも苦しまなければならないのか。

「でも、それは郷里を守るため、私達を守るために」
「そうだよ、愛麗。だけど、その平和を守るためと言いながら、嘆き悲しむ者たちがいるのも本当なんだ。そして、また、そこから多くの憎しみを生み出している」

長い睫毛で伏せた瞳に翳を作ると、蒼い瞳から光が消えたように見えた。
彼は自嘲的に小さく笑みを浮かべて言う。
「平和のためと言えば、すべてが正当で大儀なものに思える。本当は、人の命を奪うなんてこと、出来やしないのに。戦場いくさばに出るとわからなくなるんだ。おかしいだろ?確かに剣を握り、この手で人を斬り、目の前で命を奪っているのに。いま、自分が斬っているのは人ではなく、モノのようにすら思えてくるんだ。この手は血で濡れているのに……こんなにも、濡れている」

今まで誰にもこの気持ちは言ったことはなかった。自分は言ってはいけないと思うからだ。ずっと言えずにいた胸のうちを今はなぜか愛麗に話している。なぜだろう……こんな姿、彼女に見せたくはないのに。
彼女に話すつもりなどなかった。彼女が俺のことを怖がるかも知れない。けれど、苦しかった胸の内を吐き出すように愁陽は淡々と静かに続けた。

「……でも、らなければ、自分がられる。自分が生き残るために、人の命が消えるんだ……そんな自分に嫌悪するよ。何故、人は命を守るため、平和のためと言いながら、殺し合わなければならないのか……いくさも、人殺しも、同じだ」

ふたりの間に沈黙が落ちる。吹き抜ける風が前髪を揺らしていく。

「愁陽……」
愛麗はなんて言えばいいのか必死に考えた。それは取り繕った言葉でなく、自分の言葉を紡ぐために。眼の前で苦しむ幼馴染みのために。
戦場いくさばを知らない自分は、何を言っても想像でしか言葉を紡げない。
彼の言うことは正しいのだと思う。
けれど、何かが違う。彼だけがこんなに苦しむのは違う。そう思えて仕方がないから、彼に伝えたい言葉を探す。

「……あなたの、言う通りかも知れない。正義や大儀という言葉を借りてしていることは盗人や人殺しと、何も変わらない。略奪、虐殺、そうして築き守ってきたものを、別の者たちがまた壊していく」

今、自分は愁陽にとって、ほんとにひどいことを言っていると思う。けれど、彼に自分の心の底からどうしても伝えたいことがある。彼女は静かに話し続ける。

「でもね、ひとつだけ違うことがあるわ」
「ちがう?」
愁陽が眉根を寄せて愛麗を見た。

「そうよ。あなたが、そのことを思って、こんなにもココロを痛めてるってこと。勝利に喜ぶ者がいれば、愛する者を失い、嘆き悲しむ者がいる。平和を求めるのに、憎しみが生まれてゆく。その矛盾の狭間で、あなたはとても苦しんでる」
愁陽は黙って静かに愛麗を見つめている。
「あなたは、そんな事実から目を背けることもできない。これからも、ずっと……。けれど、それがあなたの強さなんだと思う。愁陽は、周りの者たちを照らし守ってゆける太陽のような人。だから、みんなもあなたにならついてゆける。ついてゆきたいって、思うのよ」

「そんなに…やさしいものじゃ、ないよ」
彼はぽつりと呟いた。
「そうね。私、ひどいこと言ってるわ。戦場いくさばを知らない私には、あなたの本当の辛さが解からない。想像でしかないから……。でもね…、愁陽。雨が降っても、止まない雨はないわ。いつの日か晴れる」

そう言いながら愛麗は、愁陽の固く握った冷たい両の手をそっと優しく両手で包んだ。
彼の怯えや苦しみを彼女自身のすべてで包み込むように。
「だから、涙もいつの日かかならず乾く。そうすれば、悲しみもやがて薄れ、いつか笑顔になれる。憎しみに満ちていたココロも、いつの日か穏やかになれる。きっと、そんな世がやってくる」
綺麗ごとだと言われるかも知れない。けれど、そんな日が必ず来るって信じたい。
きっと愁陽なら出来る、そんな平和な世を築いてくれる。そう思えるから。

「……ほんとうに、…そんな日が、来るのだろうか」
彼の声が僅かに震えている。
「来るわ」
愛麗が力強くきっぱりと答える。

そのときだった。
すぐ傍の桃の木の幹に、黒い染みが滲み生まれたことをまだ二人とも気づいてはいなかった。
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