幼馴染が蒼空(そら)の王となるその日まで、わたしは風の姫になりました ~風の言の葉~

碧桜

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対峙

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      青い空    光に満ちて
      吹く風が 優しく過ぎる……

邸内にある古い高楼の上から、愛麗は眼下で紅蓮の炎に包まれる屋敷を見つめていた。欄干に気怠げにもたれながら、昔から知っている歌を口ずさむ。なぜ自分が今、この歌を口ずさんでいるのかわからない。
白い手をあげると、白い衣の袖口が紅く染まって見える。婚礼衣装とも死に装束ともとれる真っ白な衣が、忌まわしい屋敷を飲み込んでいく炎を映して紅く染まるのは気分がいい。

「愛麗っ!!」

部屋の内部から聞こえた鋭い声に愛麗がゆるりと振り向くと、太い柱に片腕で身体を支えて立つ愁陽がいた。息を切らせて肩を上下させている。
先程の池のほとりから走り抜け、高楼の上まで階段を一気に駆け上ってきたのだ。さすがに息は切れた。
滲んだ汗に前髪が額に張り付く。

愛麗は愁陽の姿を見ても驚かない。まるで彼がここに来ることを待っていたかのようだ。
「……やっぱり来てくれたのね」
愛麗の声であって彼女ではない、低く色香を漂わせる女の声。
「お前は……」

気怠げに立ち上がる愛麗の背に見える空は、もう夜の帳が降りているはずなのに、ぼうっと赤く染まっていた。
彼女は嘲るように声を立てて笑った。
「フフフ……来ると思っていたわ。愚かな男」

愁陽はあがった息を整えながら、ゆっくり窓辺へ近づいていく。
そして、低い声で問う。
「愛麗を、どうした」
愛麗であって愛麗でない女は、その綺麗な片眉をあげ笑みを浮かべる。
「ひどい言い方。私も愛麗なのに」
「お前は愛麗じゃない」
「まあ、いいわ。今は気分がいいから」

ねえ、見て!と、彼女が外を振り向き手で示す先には、夜空を紅く染めながら燃えあがる炎が見える。
まるで火の波が、さまざまな建物を呑み込んでいくようだ。
彼女はうっとりするように、炎の海を眺める。

「美しいでしょ。私を抑えていたものが燃えて崩れ落ちてゆく」
彼女の白い頬は炎で赤く染まり、黒い瞳も紅く照らされている。
「みんな燃えて灰になってしまえばいいのよ」

逃げ惑う人々の叫ぶ声、救助や消火にあたる者たちの怒鳴る声、騒々しく真っ赤に染まった外とは対照的に、この灯りがなく外の炎が唯一灯りの代わりとなっている暗い建物の中にいる二人の間は冷ややかで静かだ。

「私を閉じ込めようとするものは、すべて燃やしつくすの。私は変わる。これまでの私は燃え尽きるがいいわっ!」
彼女は高揚して言った。
「やめろ」
その声は低く冷静だが、愁陽は顔を苦痛で歪ませ愛麗をまっすぐに見つめていた。

愛麗はその細い右腕で空をきり突き出すと、なお高揚して叫ぶ。
「この都中、燃やし尽くしてやるわ!!きっと、綺麗よ!!」
そう叫ぶように言って高らかに嗤う彼女はどこか壊れてしまったように見える。
彼女はこの状況を楽しんでいる。
愁陽はそんな彼女を見るのは辛かった。
彼女はほんとうに狂ってしまったのだろうか。
愛麗はいったいどこへ消えたのだろう。

不安になるのを抑えながら、一歩愁陽が踏み込む。
「そんなことは、俺がさせない。」
振り上げた右腕を静かにおろし、彼女はゆっくり振り返る
「どうやって?」

愁陽は腰に下げていた剣を、シュンッと冷たい金属音を立てながら静かに抜いた。
剣の刃が炎を反射して暗闇にきらりと光を放つ
はじめて愛麗から笑みが消えた。まっすぐに愁陽を見据える。

「……私を、斬るの?果たして、あなたに斬れるかしら」
挑むような低い声。
愁陽は握りなれた剣の柄を、もう一度握りなおす。
「都を守るのが俺の仕事だ。それに、愛麗にそんなことはさせない。彼女はこんなことを望んではいない」

「……お前は誰なんだ」
「私は愛麗。彼女の中にいた、もう一人の私。あなたも昨夜、聞いていたのでしょう?抑圧され歪んだ心が作り上げたのが私なら、彼女の罪への恐れが作り出したのが、もう一人の私」
愛麗はつまらなさそうに答えた。
相変わらず窓の外からは、人の叫ぶ声、火の爆ぜる音、建物が崩れ落ちる音、混乱の音が入り乱れているのに、それらの喧噪はまるですべてが遠いところで起こってるように、この空間だけは静かで冷静でいること、この違和感が愁陽は不思議だった。そうだ、戦場いくさばに似ている。

「ねえ。さっきあなたは彼女はこんなことを望まないって言ったけど、あなた、愛麗の何を知っているの?何も知らないでしょう?」
そう言われて愁陽は何も答えられなかった。
「あなたに再び会わなければ、今でも私はもう一人の私のままでいた。私は愛麗に奥深く閉じ込められて、今も暗闇のまま目覚めることもなかったでしょう」

愁陽は息をのんだ。声が僅かに震える
「……俺が、彼女を追い詰めたの…か……?」

もう一人の愛麗は無邪気に笑うと、両手を大きく広げ嬉しそうに言った。
「いいえ!あなたが魂を解き放ってくれた!私を、自由にしてくれた!そうね、私はやっぱりあなたに感謝すべきね」
彼女は首を傾げてウフフと嬉しそうに笑った。
「俺が幼き頃、いっしょだった愛麗はいま、どうしている?」
愁陽の言葉に、彼女はまたつまならそうに少し不貞腐れて眉を寄せた。
「さあ、知らないわ。私には関係ないもの」

「お前はいま、あの歌をうたっていた。」
そう、二人が幼い頃草原くさはらでよく一緒に歌ったあの歌。
空になりたいと、幼い夢を語ったあの日も……
再会した桃の木の下でも……

二人にとって大切な思い出の歌を、今も彼女が口ずさんでいるのが聴こえた。

だが、彼女はさらに不愉快そうに声を荒らげた。
「彼女なんか知らないわよ!しつこいわねっ!」

二人の間に沈黙が流れた。先に口を開いたのは彼女だった。
「用がないなら、もう行くわ」
不機嫌そうに言った彼女は、高楼を離れるため階段のある部屋の中央へ向かう。
けれど、その前に愁陽が素早く動いた。

シュッ―

愛麗の前に立ちはだかると、剣を彼女へと突き付ける。
わずかに彼女は顔を強張らせて、自分に向けられた剣先へと冷やかな視線を移した。
冷静な彼女と違って、愁陽は苦しそうに顔を歪めた。
「っ、…頼む。俺に、このような真似をさせないでくれ。俺は……、お前に刃を向けたくない。……約束を、破らせないでくれっ」
「……やくそく?」
彼女は怪訝そうに言った。
愁陽が愛麗に向けて悲しそうな優しい笑みを浮かべる。
「ああ……お前を、守るって約束をしただろう」

一瞬、彼の言葉に愛麗が目を見開く。わずかな沈黙のあと、彼女は声をたてて笑った
「アハハ!……よくそんなこと覚えていたわね」
「ああ、実は子供の頃から思っていたよ。もっとも俺の助けなんて、必要なさそうな姫だったけどね」

彼は子供の頃の愛麗を思い出し、ふわりと笑みを浮かべた。
そして、目の前にいる女を見る。
どうか彼女に、きっとまだ中にいる幼馴染の姫に届いてくれ……
そう願いながらゆっくり言葉を紡ぐ。
「……愛麗。これからは一人じゃない。俺がついている」

しばらく沈黙が流れる。
やがて愛麗が静かに立つ彼にゆっくりと近づき、白い細い手で彼の頬にそっと触れた。
愁陽にはその中に幼馴染の姫の瞳を見たように思えたが、それも一瞬のことで会いたい彼女が現れることはなかった。
女の口角が緩やかに弧を描き、低く色香を含んだ声音で言った。

「フフフ……ほかの男のものになるのに?」
「ああ…そうだった。それは、ちょっと問題だな」
愁陽は軽口をたたく。

目の前の彼女は少し黙ってそんな愁陽の顔をじっと見つめていたが、無表情のまま彼に問う。

「愛麗を愛しているの?」
「そうだと言ったら」

僅かな沈黙のあと、愛麗は彼の頬から触れていた手を払うように放すと、高らかに嗤って言った。
「……っ、馬鹿馬鹿しいっ!私は言葉なんて信じないわ!だって、気まぐれだものっ」
「愛麗」
愁陽の低く悲しそうな声が響いた。

愛麗はいきおいよく彼に向けて両手を広げた。
「さあ、選んで!!私を斬らなければ、私は都中に火を放つわ!……さあ、愁陽。どうする?私一人を選ぶのか、都の者たちを選ぶのか!……うふふ…あなたのことだもの、もちろん、多くの者たちを取るのでしょうけど」

「愛麗……。人の命を天秤にかけることなど出来ない。たとえ一人と多くの者でも」

愁陽は綺麗な眉間をわずかに寄せて、静かに懇願するように続ける。どうか愛麗に自分の言葉が届いて欲しい。自分の知る幼馴染の愛麗に届いて欲しい。
「愛麗。俺の言葉は、もう届かないのか?俺が、何を言ってもお前には、聞こえないのか!?」

そんな彼に相反するように、女は瞳に挑戦的な光を浮かべると彼を見据える。
「何を言っても無駄よ」
「愛麗っ!」

女は、もう話はこれで終わりとばかりに息を吐き出す。そして、愁陽から向けられた剣先に自ら向かい立つ。
愁陽の剣先が迷うにように微かに揺れた。
「さあ、私を斬るといいわ。けれど、あなたに愛麗の身体が斬れるのかしら?」
彼女は彼を追い詰めるように低く言う。
「いいえ、あなたには出来ない」

「もう行くわ」
彼女が剣先から身体を逸らし一歩踏み出そうとした、その瞬間、愁陽がザッと動いた。
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