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終章 継承の形
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砂嵐の音が戻ってくる。風が鳴き、遠くでハイエナたちの遠吠えが聞こえる。世界は、何事もなかったかのように、騒がしい日常を取り戻していた。
ピクスは、グラードの死体の傍らで、空を見上げていた。涙は出なかった。ただ、体の中が空っぽになったような、奇妙な軽さと寒さだけがあった。
「……へへ。置いてくのかよ」
ピクスは乾いた唇で呟く。
「……まあ、そうだよな。お前は、そういうやつだ」
分かっていた。グラードは最期に、ピクスを助けるために力を使ったわけじゃない。ただ、うるさかったから消した。ピクスが生きていたのは、単に「消す対象」であるノイズに含まれていなかっただけの、偶然の結果だ。
あの最期の言葉だってそうだ。『よく走ったな』。それは、便利な道具に対する「よく持ったな」という感想と変わらない。そこに愛なんてない。
「ずっと分かってたよ。お前は……俺の名前すら、最後まで呼ばなかった」
ピクスは、動かなくなった巨人の肩に触れた。もう、あの圧倒的な熱はない。冷たい岩のようだ。
「それでもさ……なんでだろうな」
ピクスの視界が、不意に滲んだ。
「お前の背中は、ずっと……あったかかったんだ」
地獄のような旅路だった。毎日が死と隣り合わせで、血と臓物の臭いにまみれて、罵倒され、無視され続けた。だけど。この男の背中を追いかけている時だけは、生きている心地がした。
明日死ぬかもしれない恐怖の中で、この巨大な背中だけが、世界で唯一の「確かなもの」だった。
「ああ……そっか。俺、気づいちまった」
ピクスは涙を拭い、笑った。
「お前が誰より強かったのは……世界の全部を嫌ってるくせに、たった一つのことだけは、絶対に曲げなかったからだ」
『立ちはだかるものを、叩き潰す』。ただ、それだけ。そこに優しさも、迷いも、誰かのための正義もない。だからこそ、お前は誰よりも──自由だった。
「……なあ、グラード」
ピクスは立ち上がった。足の傷は痛むが、もう歩ける。ハイエナたちが、グラードの死体を嗅ぎつけて集まり始めている。行かなきゃいけない。ここに留まれば、自分も餌になるだけだ。
「俺、最後にひとつだけ分かったことがあるんだ」
ピクスは、グラードに背を向け、荒野の先を見据えた。
「お前は俺を助けたんじゃない。俺が勝手に……お前に助けられたんだ」
それで、十分だった。英雄ごっこも、友情ごっこもいらない。ただ、「最強の男の背中を見ていた」という事実だけが、これからのピクスを生かす芯になる。
「なあ……聞こえてるか? 聞こえてねえよな。お前は、そういうやつだ」
ピクスは引きずるようにして歩き出す。振り返らない。グラードがそうしていたように。
「でもさ……もし、いつか……お前がこの道の先で、また誰かを殴り倒してるなら」
風が強くなる。ピクスの小さな背中が、砂塵の向こうへ溶けていく。
「その時のお前の背中を、この俺が──どっかで見てるよ」
お前はひとりで死んだ。でも、ひとりぼっちじゃねえ。だって、ほら。俺はずっと、お前の後ろにいたんだから。
(……グラード……。行けよ。世界の……一番むこうまで……)
少年の姿が見えなくなる。残されたのは、静かに砂に埋もれていく巨人の残骸と、戦斧が一振り。グラウル荒界の風が、その伝説をかき消すように、今日も乾いた音を立てて吹き抜けていった。
ピクスは、グラードの死体の傍らで、空を見上げていた。涙は出なかった。ただ、体の中が空っぽになったような、奇妙な軽さと寒さだけがあった。
「……へへ。置いてくのかよ」
ピクスは乾いた唇で呟く。
「……まあ、そうだよな。お前は、そういうやつだ」
分かっていた。グラードは最期に、ピクスを助けるために力を使ったわけじゃない。ただ、うるさかったから消した。ピクスが生きていたのは、単に「消す対象」であるノイズに含まれていなかっただけの、偶然の結果だ。
あの最期の言葉だってそうだ。『よく走ったな』。それは、便利な道具に対する「よく持ったな」という感想と変わらない。そこに愛なんてない。
「ずっと分かってたよ。お前は……俺の名前すら、最後まで呼ばなかった」
ピクスは、動かなくなった巨人の肩に触れた。もう、あの圧倒的な熱はない。冷たい岩のようだ。
「それでもさ……なんでだろうな」
ピクスの視界が、不意に滲んだ。
「お前の背中は、ずっと……あったかかったんだ」
地獄のような旅路だった。毎日が死と隣り合わせで、血と臓物の臭いにまみれて、罵倒され、無視され続けた。だけど。この男の背中を追いかけている時だけは、生きている心地がした。
明日死ぬかもしれない恐怖の中で、この巨大な背中だけが、世界で唯一の「確かなもの」だった。
「ああ……そっか。俺、気づいちまった」
ピクスは涙を拭い、笑った。
「お前が誰より強かったのは……世界の全部を嫌ってるくせに、たった一つのことだけは、絶対に曲げなかったからだ」
『立ちはだかるものを、叩き潰す』。ただ、それだけ。そこに優しさも、迷いも、誰かのための正義もない。だからこそ、お前は誰よりも──自由だった。
「……なあ、グラード」
ピクスは立ち上がった。足の傷は痛むが、もう歩ける。ハイエナたちが、グラードの死体を嗅ぎつけて集まり始めている。行かなきゃいけない。ここに留まれば、自分も餌になるだけだ。
「俺、最後にひとつだけ分かったことがあるんだ」
ピクスは、グラードに背を向け、荒野の先を見据えた。
「お前は俺を助けたんじゃない。俺が勝手に……お前に助けられたんだ」
それで、十分だった。英雄ごっこも、友情ごっこもいらない。ただ、「最強の男の背中を見ていた」という事実だけが、これからのピクスを生かす芯になる。
「なあ……聞こえてるか? 聞こえてねえよな。お前は、そういうやつだ」
ピクスは引きずるようにして歩き出す。振り返らない。グラードがそうしていたように。
「でもさ……もし、いつか……お前がこの道の先で、また誰かを殴り倒してるなら」
風が強くなる。ピクスの小さな背中が、砂塵の向こうへ溶けていく。
「その時のお前の背中を、この俺が──どっかで見てるよ」
お前はひとりで死んだ。でも、ひとりぼっちじゃねえ。だって、ほら。俺はずっと、お前の後ろにいたんだから。
(……グラード……。行けよ。世界の……一番むこうまで……)
少年の姿が見えなくなる。残されたのは、静かに砂に埋もれていく巨人の残骸と、戦斧が一振り。グラウル荒界の風が、その伝説をかき消すように、今日も乾いた音を立てて吹き抜けていった。
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