怪異にお困りでしたら、こちらまで。

大和美宇

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青行燈【前編】

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 00 プロローグ

 「……ねえ真衣まい、本当に行くの」
 制服姿の少女が、怯えた様子で友人の腕を掴んだ。顔は青ざめ、声は震えている。真衣と呼ばれた彼女は、一歩先を進んでいた足を止めて振り返った。
 「仕方ないでしょ。あんた、もう誰かに頼るしかないんだよ」
 「だって、だって……夜遅いし、寒いよ。早く帰らないと、お母さんに怒られちゃう」
 「はあ? 何それ。由佳ゆかが一人じゃ心細いって言うから、あたしが付いてきてるのに」
 真衣は呆れた顔を作ってため息を吐く。友人の気が弱いことは承知していたが、ここまで来るとうざったい。あれだけ必死に頼み込んできた癖して、一番恐れているのは親から叱られることか。
 二人がいるのは、大通りから何本か外れた裏路地だ。街灯は錆び付いて、この暗さになっても光る気配を見せない。ダンボール箱がうず高く積み上がったここは、女子生徒がうろついていいような場所ではなかった。
 「……スマホのライト付けなよ。あとちょっとだから、頑張って歩こ」
 言いたいことを呑み込んで、それだけ口にした。ぎこちなく頷いた由佳が、慌ててスマホを引っ張り出す。白っぽい光に照らされて、真衣の指先に挟まれている名刺が薄闇の中に浮かび上がった。
 『怪異にお困りでしたら、こちらまで。 シャーロット』
 真っ黒な台紙に、灰色の字でそう印刷してある。見づらいことこの上ないが、隅には小さく住所も記載されていた。自分たちにとっては、それだけが頼りなのだ。
 「……あれじゃない?」
 不意に由佳が指を差した。釣られて上を向くと、確かにある。ほとんど廃墟のようなビルの二階に、無理やりくっ付けられたような看板が。橙色の電灯にぼんやりと照らされた看板を、二人揃って呆然と見つめていると、一階のドアが突然開いた。
 ひぃっ、と悲鳴をあげて後ろに隠れた友人とは反対に、真衣は腰を低く落として両腕を構えた。いざとなったら、得意の空手で。
 そう思っていたが、現れたのは片手にゴミ袋を抱えた青年だった。
 「おや、お客さんですか?」
 今風に整えた黒髪に、小洒落た眼鏡。落ち着いて清潔感のある風貌だが、なぜか服装が致命的にダサかった。
 「こんな遅い時間帯に、わざわざありがとうございます。寒かったでしょう、ここまで」
 真衣も由佳も、言葉が出てこない。当たり前のように登場した青年に対して、何を言えばいいかわからなかった。
 ちょいと失礼、とゴミ袋を横に置くと、彼は人の好さそうな笑顔で扉を開いてみせた。古風なドアベルがカランカランと音を立てて、二人の少女を中へ誘う。
 「ここで働いている助手の、草間くさま悠太ゆうたです。上へどうぞ、シャーロットが待っています」

 01

  一階のドアベルは、僕たちに用事がある人が来たときにしか鳴らないらしい。前にわけを尋ねたら、「出かけるたびにカラカラ鳴ってたらうるさい」と真っ当な理由を言われてちょっと笑った記憶がある。その仕組みまでは教えてくれなかったけど、なんとなく彼女らしいなと思った。
 横には、カフェに続くガラス扉。気まぐれな店主なので、その日にならないとやっているかどうか不明なのが唯一の難点だ。コーヒーもサンドイッチも美味しいから、開いているときは高確率でここで食事を摂る。
 今日は閉まってるのか、と思いながらドアを過ぎて奥の階段へ。古く錆びているけど、掃除はきちんとしているから汚くはない。上へ行けば、茶色の扉が三つある。左は空き部屋、真ん中は月に数回しか人が出入りしない部屋。どこかの会社の物置らしい。
 そして右が、僕の職場であり、後ろの女子生徒たちの目的地でもある事務所だ。
 『怪異蒐集局 渋谷』と書かれたシンプルなプレートが付けられている。本当は『渋谷支部』だったらしいけど、語呂が彼女のお気に召さなかったらしく、最後の二文字は上から木の板で覆われて見えないようにされていた。僕もその文字は見たことがない。しぶやしぶ。確かに語呂は悪いな。
 コンコン、とノックを一つ。返事がないのはいつものことなので、ノブを捻って入室する。
 「今いいかな、お客さんだよ」
 「……ちっともよろしくねぇや」
 不機嫌そうな顔で頬杖を突きつつ、僕の上司はそう言った。
 落ち着いた色合いの着物と、それに似合う上品な帯。羽織から覗かせた細い指は、苛立たしげにデスクを突っついている。ゆるくまとめられた黒髪に挿してある簪は、綺麗なとんぼ玉だ。上等な焦げ茶のブーツは、「下駄は走るのに向かない」との理由で愛用され続けている。
 そんな和装を違和感なく着こなす、見目麗しいな少女。
 彼女こそ、この事務所の実質的な支配人であり、僕の雇い主でもある、シャーロットその人だ。
 「それはまたどうして? なにか具合が悪いの」
 「クッキー缶が切れた。糖分がないと仕事をする気にならん」
 「ああ、だったら大丈夫。補充したからね、上の棚にあるよ」
 後ろで所在なさげに立っていた女の子たちに、「座ってて」と来客用ソファを示す。安心させるように笑いかけると、二人ともおずおずとそこに座った。
 学生鞄には、それぞれ色違いのキーホルダー。おおかた、どちらかが友人の付き添いに来たんだろうな。
 「こんな時間に出歩くたぁ感心しないね、お嬢さん方。あたいが言えたことじゃないが、親御さんに心配かけちまうよ」
 「言い方が悪い」
 窘めながら、「お茶でいいかな」と二人に確認を取る。まばらな頷きが返ってきたので、茶菓子を出すついでに、紅茶の箱も取り出す。シャーロットは和風のものを好む一方で、食べ物になると洋風しか受け付けない。お客さんが和菓子をお礼として送ってくれるたびに(いつも和装をしてるからって饅頭を好むとは限らねぇのによ、なんて彼女は言っていた)、それはそれは不満そうに箱ごと僕に渡して来る。
 「ここは随分と寂れたところにあるけど、よく来られたね。迷子にならなかった?」
 ポットに水を入れつつ話を振ると、
 「いえ。名刺が手元にあったので、迷わずに辿り着けました」
 と片方の子が答えた。ポニーテールの、勝気そうな目が印象的な子だ。隣のおとなしそうな子はさっきからずっと黙ったままで、きっと用があるのはこっちだろう。
 「名刺?」
 シャーロットが顔を上げる。
 「お前さん、あたいと会ったことあるかい」
 「ありません。名刺は、この子が家から持ち出してきました」
 びくり、と肩を揺らして、隣の子が俯く。助け舟を出そうかと思ったけれど、それを見越したように厳しい視線が飛んできた。はいはいわかったよ、口出ししないったら。
 「……シャーロットさんに会わせてください。話は、それからします」
 か細い声。
 次の瞬間、「ふはっ」と楽しそうな笑い声が僕の後ろからこぼれた。
 「だったら今すぐ話すんだね、お嬢ちゃん。あたいがシャーロットさ、用件を伺おうじゃないか」
 「……あなたが?」
 驚いた顔の二人に向かって、彼女はふんと鼻を鳴らす。このくだりはほとんど毎回やっているから、僕にとっても見慣れた光景だ。まあ誰だって仰天するだろう、藁にも縋る思いで掴もうとしている望みの綱が、この非力そうな少女だっていうんだから。
 「そう。この仕事をする上での仮の名前さ、コードネームとはちょっと違うがね。やすやすと本名は名乗るもんじゃないよ。なんだ、響きからして異国の妖艶な美女でも来ると思ったかい」
 「こら、真剣に話を聞いてやりなよ。時間も遅いんだし、手早く済ませてあげて」
 「む。えらくこいつらに親切だなぁ、ユータ。有名なお嬢様高校の生徒が相手じゃ、態度も変わるってもんか」
 「あのねえ……。クッキー出してあげないよ」
 「それは困るな」
 面倒そうに答えるや否や、彼女はひょいとデスクの上へ飛び乗って、一息で二人が座るソファの正面へぽすんと着地した。「お行儀」と注意すると、「母親か」と突っ込みが返ってくる。
 ここまでは、いつものやり取り。わかりやすく緊張しているお客さんが相手だと、僕とシャーロットでわざと軽口を叩き合ってそれをほぐしてやる。まあ彼女の場合は半分ぐらい本音だけど。
 ちらりと視線をやると、二人とも多少はリラックスできたようだった。ポットがタイミング良く鳴ったので、お茶を淹れるべく立ち上がる。
 「どうして、あたし達の学校を」
 「制服で来りゃぁ、そんぐらいわかるさ。で、本題に入らせてもらうけど、まずは名前を聞こうか」
 「あたしは、山本やまもと真衣です。こっちは、友達の西寺にしでら由佳。今日は、」
 「あー、ちょっとお待ちよ。あんたは黙ってな、持ち込んできたのは由佳の方だろう」
 「……」
 山本さんが口をつぐんだ。やっぱりそうだったのか、と心の中で頷きながら、カップの中に紅茶バッグを落とす。
 「西寺、西寺……うぅーん……あ、思い出した! お前さんとこの父親、あれだろ、狒々ひひに死に際を予知されたって騒いでたやつだろう」
 「……そう、です。お父さんが持っていたのを思い出して、名刺を探して、ここまで……」
 「なるほどねぇ。あの狒々退治は厄介だったな、本部に一部隊を手配する羽目になったんだから、よぅく覚えてるとも。血を飲めば鬼が見られるだ何だって騒いで、最後まで手がかかったよ」
 「……お父さんは、本当に予知通りに死んじゃうんですか」
 「さあね。人の寿命云々は、あたいの仕事の範疇外さ。それより今は由佳、お前さんだ。怪異に一度遭遇した人間は、それだけで怪異に惹かれやすい体質になる。周囲を巻き込む可能性も懸念して名刺を渡しておいたが、今回はそれが功を奏した感じかな。どれ、名刺を渡してごらん」
 独特な物言いも相まって、シャーロットの言葉は必要以上に尖って聞こえてしまうことがある。何度か矯正を試みたけれど、そのたびに拒否されている。
 山本さんからの視線が痛い。ごめん、彼女の口調には慣れてもらうしかないんだ。
 「うん、こいつぁ本物だね。間違いなくうちで作ったやつだ」
 「偽物もあるんですか」
 「全部で三つある。水道局の住所を丸パクリした緑色のと、同僚の連絡先が載ってる白いのと、本物のこれ。黒いのは滅多に渡さないよ」
 「……同僚さん」
 「嫌がらせさ」
 にたぁ、と笑った彼女を見て、西寺さんは明らかに引いていた。一方で山本さんは「なるほど」と妙に納得しているので(納得せんでよろしい)、僕は慌てて彼女たちの前にトレーを置いた。
 「はい、どうぞ」
 外見こそ廃墟ビルだけど、中の事務所は綺麗に管理されている。デスクやソファはシャーロットがこだわりぬいた調度品で、このティーカップもそうだ。茶器がよくわからない僕から見ても、いいものだとわかる。
 たっぷりのミルクと、角砂糖を一つ。金色のティースプーンでくるくるとかき混ぜながら、彼女は優雅に微笑んだ。
 「それじゃ、話してもらおうかい。あたいがクッキーをお代わりするより先に終わらせてくれよ? 怪異ってのは語るところから始まるんだから、ちゃあんと『はじまりはじまり』から話しておあげ――」

 02

  百物語をしよう、と提案したのは由佳の友人だった。
 「夏でもないのに?」と思わず言ったら、「季節は関係ないでしょ」なんて返されて、気づけば今日の放課後の予定は決まっていた。
 友人は交友関係が広く、その時点で参加者は三十人を超えていた。ちゃんとやりたいから夕方遅くに集まろう、どうせだったら教室で、警備ゆるいからフェンス乗り越えればいける、と話がおおごとに発展しているのが怖くて、由佳はすぐに真衣を誘った。
 「お願い、一緒に来て」
 「……あたしは別に構わないけど、やめた方がいいと思うよ」
 「どうして?」
 「今夜、新月じゃん」
 少し嫌そうに真衣が目を細める。この手の集まりは元から好きではなさそうだったが、断る理由が意外で思わず笑った。
 「大丈夫だよ、誰も本気じゃないし」
 「や、そうじゃなくて。やる側がどう思おうが、向こうとは関係ないでしょ」
 「お化けとか信じてるの」
 「まさか。でも気味悪いとは思ってるよ」
 乗り気でない真衣を何とか説得して、由佳は放課後を待った。
 家は厳しいけれど、委員会の会議があって遅れると神妙な声で嘘をつけば、母はあっさり許してくれた。クラスの遊びに誘われたことなんて初めてだったから、今思えば、厳しい親に対する恐怖を興奮が打ち消していたのだろう。同級生たちの間に広がる特別な空気感を、共に味わえることが嬉しかった。
 季節は冬。五時になれば外はすっかり暗くなり、カーテンを閉めれば雰囲気はそれなりに立派になる。
 「やけに本格的だね」
 真衣が呟く。
 友人の手配の元、百物語は教室を三つ貸し切って決行されることとなった。
 形式通り、三部屋の配置はL字型だ。旧校舎の奥は偶然その間取りになっていて、一番奥まった部屋に割り勘で買ってきた百本の蝋燭が灯されている。その周りには、火事が起きないように距離を置いて、青い紙が蝋燭を囲うように張られていた。
 今年、由佳たちが作ったクラスTシャツは偶然にも青色。友人は、「めっちゃテンション上がる!」とはしゃぎながら、参加者たちにそれを着てくるよう通達していた。
 蝋燭の横のテーブルに鏡が置かれたことを話すと、いよいよ真衣の顔色が浮かなくなる。もしかして、今からでも家に帰してあげた方がいいのでは、と思い始めた頃には、開始の軽快な呼びかけが同級生たちを動かした。
 集まったのは、四十二人。ほぼクラス全員だ。一人あたり、二つか三つ話せば終わる計算になる。普段だったらつまらないと野次が飛ぶような話題でも、空気感のおかげでやけに聞こえて、場はたいそう盛り上がっていた。
 真衣の次は、由佳の番だ。あらかじめ用意しておいた作り話を、拙いながらに語って聞かせる。河童が川から出て道ゆく人を襲うストーリーで、我ながら王道すぎるかと思っていたものの、「喋りが上手い」と案外ウケて気分が高揚した。
 真っ暗な教室の中で立ち上がり、慎重に闇の中を進む。黒板の横には隣の教室と繋がるドアがあり、それを開くと、またのっぺりした黒が広がっている。
 後ろでは、次の人が話し始めた声が聞こえた。竦む足を奮いたたせ、えいやっと無人の教室を突っ切る。その勢いで扉を開くと、蝋燭の温かな光が視界に飛び込んできた。
 中央に寄せられたテーブルの上に、大量の蝋燭。三分の一ほどが消されていて、残りは煌々と光っている。青い紙を越えて手を伸ばし、一本を吹き消して元の場所に置いた。
 二つ目の話も同じような手順を踏み、やがて九十九個目の怪談が締めくくられた。
 空気が興奮に震える。誰が肝心な最後を飾るのか、静かなざわめきがあちこちで起こる。真衣の機嫌は明らかに悪かったし、早く終わってくれないかなぁと適当に爪のささくれを気にしていた。
 そのとき、発案者である友人が由佳の名前を上げた。
 「由佳はどう? 話すのめっちゃ上手かったじゃん」
 え、と思わず飛び出した声は、同意のどよめきにかき消された。あれよあれよと輪の中心に引っ張り出され、期待の目線がいくつも突き刺さる。半泣きになりながら真衣の方を見ても、呆れた顔で視線を逸らされた。
 「……その」
 どうしよう。ノルマぶんしか話すつもりがなかったから、三つ目の怪談なんて用意していない。今すぐに思いつくのは無理だし、有名どころは序盤の方であらかた話し尽くされていた。どうしよう、どうしよう、どうすれば。
 ……。
 狒々が、頭の片隅で笑った気がした。
 「これは、父の話です」
 由佳は、震える唇を開いた。ほとんど脚色を加えず、記憶に新しい事件をありのまま。淀みなく紡がれる話筋に、いつしか場の全員が呼吸すら躊躇うほど真剣に聞き入っていた。
 狒々が退治された顛末を話し終えると、立ち上がって小走りで部屋を駆け抜ける。なぜか急に青いシャツを脱ぎたくなった。背中を流れる汗が気持ち悪い。さっきまで耐えられたはずの暗闇が、重くのしかかってくる。ドア口にみんなが集まった気配がしたから、それだけを支えにどうにか奥の部屋へ足を運んだ。
 灯された蝋燭は、一つだけ。
 だいぶ短くなった芯の上で、橙色の光がちろちろと揺れている。触ったら熱そうに思えて、そっと顔を近づけて火を吹き消した。
 「……」
 息を止める。
 降って来た闇はどこまでも黒い。カーテンを閉じ切っているとはいえ、外の街灯や月明かりだってあるはずなのに。違う、今日は新月だって真衣が言っていた。でも、それでも、暗すぎる気が。
 早く教室に戻りたくて、鏡を見るべく振り向いた、そのとき。
 ――そこに、
 白い着物の女だ。長い黒髪の頭には角を二本生やして、こちらをひたと見据えている。ぱかりと開いた口から覗いた真っ黒な歯を見た瞬間、
 「ぎゃああああ!」
 と由佳は悲鳴を上げた。
 そのまま後ろへ倒れこみ、机に頭を強く打ち付けた衝撃で視界が急速に遠くなる。駆けつけて来た真衣の必死な声に応えようとしたけれど、それより先に意識を手放してしまった。
 最後に覚えている景色の中で、女は楽しそうににやにやと笑って由佳を見ていた。
 それだけで終われば良かったが、白い着物の女はその日から毎晩夢に現れた。気味の悪い笑顔を浮かべたと思いきや、憎々しげな表情で何かを叫んでいる。いつまで続くかわからない悪夢に魘されて、由佳の睡眠時間はどんどん削られていった。
 顔色の悪さに気がついた真衣が心配してくれて、ようやく由佳は決心がついた。
 父を救ってくれた、『シャーロット』なる人に頼ることに。

 03

  「信じられない全く信じられないねどんな頭してりゃ百物語での怪異を語って聞かせようとでも思うんだいそんなもんちゃちゃっと適当に作ればいいものをあんたは本当に面倒がってそういうところがいただけないね自分の父親が散々な目に遭ったってのに危機感っちゅうもんが決定的に足りてな」
 「シャーロット、あーん」
 包み紙を半分だけ剥がして、細長い形状のチョコレートを小さな口に突っ込んだ。
 ふが、と機関銃のような言葉の羅列が止まる。怒気を孕んだ表情から一転、好物を美味しそうに頬張る上司を横目に、「ごめんね」と西寺さんに向かって片手を立てた。
 「彼女、口が悪いから変に勢いがあって。甘いもの食べれば落ち着いて説明してくれるから、ちょっと待っててくれると助かるな」
 「は、はい……」
 目を白黒させて、西寺さんは頷いた。山本さんは、ため息をつきながら自分で紅茶を注いでいる。口に合ったようで良かった。ここで働き始めてから、お茶を淹れる腕だけは格段に上達している。
 「草間さんは」
 「……はい、僕?」
 「そうです」
 強気な視線とぶつかる。
 「あなたは、どうしてここにいるんですか。シャーロットさんとはどういったご関係で」
 「そ、それって今聞く必要ある?」
 「あたしが気になりました」
 「んー……昔、彼女に窮地を救われたことがあってね。もうここで死ぬんだなぁ、って思ったときに颯爽と助けてくれて。それ以来、なんだかんだ助手をしてる感じ」
 「窮地を?」
 「そう。話すと長くなるんだけど、」
 「ユータ」
 「……ごめん」
 声が静かに降ってきて、我に返る。シャーロットが真剣な顔をしているのが、横を見なくてもわかった。
 「軽率にえんをばらばら振りまくなって、あたいに何度言わせる気だい」
 「気をつける。……反省したよ」
 「どうだか」
 わざと音を立ててカップをソーサーに置き、彼女は二人に向き直った。片手の人差し指をぴんと立てて、山本さんを指差す。
 「まず、お前さん。いきなりで悪いけど、すぐにこの事務所から出て行っておくれ」
 まだ部外者でいられるうちに。
 告げられた相手は、バッと顔を上げた。
 「……は? 何言ってるんですか、突然。あたしは由佳の友人です」
 「だからこそさ。こいつはもう手遅れだよ、父親が狒々に襲われかけた次には、自分が怪異を呼んじまってる。由佳はこちら側に引き込むしかない。でも、あんたはまだ怪異との縁ができていないからね。百物語に参加した時点でちょっと怪しいけど、早いうちに祓っちまえば平気さ。何より、あたいはまだ
 「……」
 山本さんが息を呑んだ。さっき僕を見据えていた視線が不安そうに揺れて、動いて、最後に西寺さんを見て。
 静かな決断だった。
 「わかりました、帰ります」
 「ふふ。聡い子は好きだよ」
 「そうですか」
 淡々と答えて立ち上がったけれど、まだ目には躊躇いがあった。
 「ちょ、ちょっと真衣、ほんとに行っちゃうの!? わたし無理だよ、一人でなんて絶対無理」
 「……仕方ないでしょ。ここは専門の人に任せた方がいい。あたしの家に泊まるって話にしといてあげるから、今日中に全部解決してきな」
 「うそ、うそでしょ、真衣、真衣!」
 「嘘じゃない。……ごめん、由佳。頑張ってね」
 一緒に立った西寺さんは、呆然とした顔でソファに座り込んだ。すかさずシャーロットが気を逸らさせるべく話を振ったのを横目に、「送って行くよ」とコートを取る。
 「どこまでがいい?」
 「大通りのバス停まで。駅に着けば帰れますから」
 「わかった」
 しっかりとお辞儀した彼女を連れて、事務所から出る。ビルの出口から外へ出れば、
 「あんまり、草間さんとお喋りしない方がいいですか」
 と小さな声で聞かれた。
 「怪異にそこまで触れなければ大丈夫。僕は念のため、きみの名前は口にしないようにするけど」
 「……意外と厳しいんですね、そのあたりは」
 「というより、そうするしかないんだよね。何がきっかけで出てくるかわからないから、あいつらは。石橋を叩いて渡るどころか、自力で石橋より絶対に頑丈な橋を作って、慎重に渡っていく感じ」
 「よくわからないです、その例え」
 「あはは……」
 シャーロットにもよく言われる。
 夜の帳が落ちきった裏路地は、怪異に慣れきった僕からしても恐怖心を煽られる。こういう心持ちになるだけで、格好の餌になるんだからいけない。よく女子高生が二人だけで来られたなぁ、ともう一度ひっそり感心した。
 冬の冷え込みが厳しい。ホッカイロとか、あげれば良かったかな。道中に自販機があったら缶ココアでも奢ろう、なんて思っていたら、不意に山本さんが口を開いた。
 「あたし、聡い子に見えますか」
 「え」
 ……どう返しても絶対に角が立ちそうな質問だな!
 「ちょっと待って五秒だけちょうだい」
 「あ、じゃあ無理に答えなくていいです。すみません困らせてしまって」
 「……」
 気を遣われた。
 しんどい。
 「あまり、自分がそうだとは思ったことないんですけど。シャーロットさんが言うならそうなのかな、って……でも、違うんです。あたしが本当に賢い子なら、そもそも百物語を止めてたし、さっきだって由佳の隣に座り続ける方を選びました」
 大通りに出ると、行き交う人々の話し声が急に大きくなる。それにかき消されそうに小さな声だけど、彼女の目だけはしっかり前を見ていた。
 「……強いね、きみは」
 「強い、ですか」
 「うん。僕なんかより、ずっと。ちゃんと自分の行動を見つめ直せるの、大人だよ」
 眩しいな。
 心の底から思ったことを伝えると、山本さんは照れたように首を振った。ポニーテールがばさばさ揺れる。
 「あのときこうしていればって類の後悔は、すればするほど辛くなるだけだから、しない方がいい。後悔は何も解決せずに、自己満足だけしか与えてくれないよ」
 「受け売りですね」
 「バレたか」
 「草間さん、小難しいことを言うような人じゃないでしょ」
 「手厳しい……あ、自販機あった。何か飲む?」
 「大丈夫です、バス停すぐそこなので」
 彼女の言った通り、角を曲がればすぐにバス停が見えた。あと一分もしないうちに来るそうだから、別れることにする。
 「話を聞いてくださって、本当にありがとうございました」
 「いえいえ。このあとどうするのかは、シャーロットと西寺さんが決めることだけど、僕もお役に立てるよう尽力するよ」
 「いただいたお茶、美味しかったです。淹れるのお上手なんですね」
 「それは良かった。また飲みにおいでとは言えないけど、西寺さんにコツを教えておくよ」
 「楽しみにしておきます。……そうだ、シャーロットさんはどんなケーキが好きですか」
 「ケーキ?」
 おうむ返しに尋ねると、山本さんは頷いた。
 「うち、ケーキ屋なんです。一通り解決したらお礼に、と思って。由佳に持たせます」
 「そんな、全然いいのに」
 「あたしがちゃんとしておきたいだけです。あの子、こういうところは気が回らないだろうし」
 ぶおぉ、と重い車の音。「右に曲がります、ご注意ください」と流れてきたアナウンスで、バスだとわかった。無言で急かされているのを察して、慌てて脳内のメモをめくる。
 「えっと、洋菓子だったら何でも好きかな。強いて好みを挙げるとするなら、チョコ系と……前に、ケーキだったらミルフィーユが好きって言ってたかも」
 「ミルフィーユ。了解です」
 しっかりと頭を下げてからバスに乗り、山本さんは僕の前からいなくなった。最後まで礼儀正しい子だったなぁと思いながら事務所へ戻ると、一階のカフェに電気がついている。この時間から店を開けるなんて、何かあったんだろうか。
 ガラス窓を覗けば、案の定着物が見えたので中へ入る。暖かい空気に迎えられた僕は、足早にシャーロットたちが座る席へ向かった。
 「どうしたの、ここまで降りてきて」
 「長丁場になるからね、ちょっと腹ごしらえだよ。ユータも何か胃に入れておきな」
 答えた彼女は、えらく楽しそうだ。隣の西寺さんは何故か顔が赤いし、黙り込んでいる。二人の向かいに座ってメニュー表を取りながら、ちらりと顔を窺った。
 「……なに話してたか、教えてくれたり?」
 「そりゃ無理な相談だ」
 お冷のグラスを指でなぞりながら、シャーロットがにたりと笑う。
 「好いた男の話だからなぁ」
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