小説探偵

夕凪ヨウ

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Case4.捻れた正義

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「もう1つの根拠?」

 月波は眉間にしわを寄せた。海里は頷く。

「はい。こんな事もあろうかと、東堂さんの部下に頼んでいました。ありますか?」
「こちらに。」

 刑事が机にパソコンを置いた。海里は素早くキーボードを叩き、ある画面を月波に見せる。

「これは事件当日の監視カメラの映像です。あなたと高岡さんの姿がきっちり入っています。ご覧になられましたか?」
「・・・・それが何じゃ。」
「もう1度ご覧になってください。東堂さんも。」
「俺も?」
「はい。そうすれば、私の言葉の意味が分かるかと。」

 龍は首を傾げながら、映像を見た。月波は既に目を逸らし、冷や汗を掻いている。映像を見ていた龍は、ハッとし、目を丸くした。
 海里は龍が理解したことを察し、口を開いた。

「お分かりですか? 
 まず1つ、月波さんと高岡さんが歩いて来た方向です。高岡さんは画面右から現れ、以後写っていません。事件現場は画面右端より奥ですから、彼女がこれ以降写っていないということは、既に被害者を誘導し終え、友人の家に行ったということでしょう。
 対して、月波さんは画面左から現れています。」
「・・・・何が言いたいのじゃ。道くらい、いくらでもあろうが。」
「はい。しかしこの場合は、右側に行ったまま戻って来ないことが、殺人の証拠になるんです。
 だって、“事件現場より奥の道は、市の決まりで午前3時以降には封鎖されるんですから”。」

 月波が唾を飲み込んだのが分かった。彼の顔には動揺が走っている。龍は息を吐きながら、海里の言葉を継いだ。

「帰る道は左しかなかったのに、左側を通らなかった。そして、事件現場付近に抜け道は存在しない。」
「はい。犯人の逃走ルートは事前に東堂さんが解決していますし、間違いないでしょうね。」

 海里はゆっくりと椅子から立ち上がった。月波の前に手を置き、尋ねる。

「ここまで来てもまだ、自分たちは犯人では無いと言い切れますか?」
「・・・・凶器・・・凶器の話はどうなる?」

 月波は悪あがきのように呟いた。海里はすぐに答える。

「凶器はあなたの杖です。それ、仕込み杖でしょう? 上等な杖に見えますが、どこか歪な形です。」

 月波の肩が震えた。龍は杖を手に取り、持ち手の部分を引いた。

「確かに・・・鋸だ。しかも血が付いている。乾いてはいるが、新しいものだな。」
「これを鑑識に回せば、被害者の血液と一致するでしょう。そして、あなたがこんな物を持っている事も、立派な殺人の証拠です。」
「いつ仕込み杖だと気付いた?」
「映像を見た時に妙だと思いました。持ち手の部分とそれより下の部分に、少しズレが生じていましたから。普通の杖でないことは、何となく。」

 長い沈黙が流れた。沈黙の間に、他の刑事が行っていた捜査によって、現場に落ちていた髪の毛が高岡奈々美のものである事も判明し、2人の共犯が明らかになった。

「・・・・娘を、死なせたくなかった。あの男は・・・・疫病神・・いや、人間の屑じゃ。人を殺し、踏み付けにし、それを悪びれることもない・・・あの男は、生きてはならない存在だったんじゃ。」

 全てが明らかになった後、月波はポツリポツリと呟いた。海里は何も言わなかったが、龍は声を上げた。

「例えそうだとしても、同じように殺人に手を染めたあんたに、その言葉を言う権利はない。」

 龍は縋るような声を切り捨てた。部下が止めようとするが、彼は構わず続ける。

「あんたたちは、“悪”という名の存在を殺すことで、皆本孝一に殺された被害者の仇を討ったつもりか? もしくは、自分たちは正義だと、声高々に告げるつもりか?
 言っとくが、それは大きな間違いだ。あんたたちがやったことは、皆本孝一がやったことと何も変わらない。人を殺し、踏み付けにし、仇討ち・復讐と称して悪びれなかった。
 この行動のどこに、“正義”なんてものが存在するんだ?」

 海里は黙って龍の言葉を聞いていた。月波が何か言おうとするが、龍は追い討ちをかける。

「そもそも、殺人自体が“悪”だ。娘を死なせたくない、無事にいて欲しいと願うなら、なぜ関わらせた? なぜ警察に言わなかった? あんたの情報が正しいかどうかは、俺たちが判断する。そしてそれが正しければ、俺たちは必ずあんたの娘を助けたよ。」
「その間に・・・・」
「殺されていたかもしれない、か? そうだとしても、保護すれば済んだ。違うか?」

 月波の表情が強張る。龍は心なしか声を大きくして続けた。

「殺人という思考の前に、“娘を守る”という気持ちがあったんだろ? だったら、娘と相談して、DVの被害を訴えろよ。そうすればまず、その路線から皆本を逮捕できる。そこから身元を洗えば、過去の事件にも行き着いたはずだ。
 あんたたちは結局、正義という言葉を盾にして、自分勝手な殺人を行ったに過ぎないんだよ。」

 再び沈黙が流れた。龍は黙って部屋を出て行き、部下の1人が手錠を出した。

「20XX年4月15日午後16時3分。月波清玄、殺人罪で逮捕します。」

 手錠をかけられた月波の顔は、驚くほど穏やかだった。そしてその数時間後、娘の高岡奈々美もまた、殺人罪で逮捕されたという。法定での申し開きは短く、両者共に、5年の懲役刑が課された。
        
            ※

「どうも。」

 2件のバラバラ殺人事件が解決した、数週間後、海里は、突然警視庁にやって来た。龍は怪訝な顔をする。

「・・・・またお前か。今は事件なんてないぞ。」
「知っていますよ。ただ、これの感想を聞かせて頂きたくて。」

 海里はそう言って、1冊の本を差し出した。表紙には“捻れた正義”、と印刷されており、白いカバーに反した真っ黒な文字が目立っていた。本の下部に付けられた赤い帯が、心なしか血に見える。
 龍は厳しい顔で本を見つめ、海里を見上げた。

「何度も言ってるだろ。俺は、お前が書く物語が嫌いだ。事件を肌で感じた人間と、そうでない人間では感じ方が違う。そんな事も分からずに、何で俺に差し出してくる? 命が消える前に事件を防げなかった時点で、警察官として恥ずべき事なんだ。お前の物語は、その思いを一層強くさせる。」

 龍はそう言うと、新聞を読み始めた。海里がぽつりと呟く。

「正義って、何だと思いますか?」
「は?」

 その声は明らかに苛立っていた。海里は気にせず続ける。

「先日、仰いましたよね。殺人は、悪だと。では殺人をせず、全てを警察に任せる事が正義ですか? もし対応が遅れれば、親子共々殺されるという、最悪な結果を招いたのではありませんか?」
「・・・・何が言いたい?」

 質問に質問で返したことに、海里は不満のようだった。真面目な顔から少し不貞腐れた顔になり、彼は言う。

「言いたいのではなく、聞いているんです。東堂さんの“正義”を。」

 海里の言葉に龍は呆れながら、しかし、どこか悲しげな顔をして答えた。

「物は言いようだな。だが、そんなことを俺に聞いてどうする? 正しい答えなんて、出やしない。」
「そうかもしれません。しかし、あなたは人を助ける事が正義と思っているのでしょう?」

 警察官として、人間として、龍を信用し信頼しているからこそ、海里は尋ねた。
 しかし、龍の答えは、海里の予想とは違っていた。

「・・・警察官である以上、な。ただ、いつもそれが叶うとは限らない。何度も見て来たし、感じたよ。」

 龍は苦笑した。どこか悲しみを含んだ笑みのまま、海里を見る。

「お前がどういう人生を生きてきたのかは知らないが、早いうちに探偵なんてやめろ。いつか必ず、後悔する時が来る。」

 海里は目を丸くした。龍は彼の手から本を抜き取り、自分の鞄に仕舞う。

「えっ。」

 驚きを自然に口にしていた。龍は海里の動揺を気に留めずに言う。

「俺は、お前の望む答えなんて持っていない。だから、お前の“答え”を、お前の物語を読んで探してやるよ。
 今は、それで勘弁しろ。」
「・・・・物は言いようですね。」

 皮肉な言葉だったが、海里はどこか嬉しそうだった。

 すると、龍はまたな、と言って立ち上がり、踵を返して去って行った。仕事中であることを不思議に思い、海里は龍の部下に声をかける。

「あの、東堂さんはどこに行かれるんですか? 事件は起きてないですよね?」
「おや、江本さんはご存知ないんですね。」
「ご存知ない・・・?」

 突然、龍の部下が悲しげな表情を浮かべた。海里は理解できずに首を傾げる。
 そして、海里は信じられないことを聞いた。

「今日は、東堂警部の奥さんと、2人のお子さんの、月命日なんですよ。」
「・・・・は?」

 海里は、しばらく何も言えなかった。龍の過去を聞いたことがなかったため、そんな喪失を経験していたなんて、全く知らなかったのだ。彼自身、お首にも出していなかった。
 部下は続ける。

「ずっと、悔やんでいらっしゃるんです。人を守る仕事をしていながら、家族すら守れなかった、と。
 ご家族を無くして以来、東堂警部は・・・自分の正義が信じられず、分からなくなってしまったんです。」
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